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恩剣 三度笠 5

 小川を跨いだ村の外れ、苔むした杉の丸太橋を渡った先には、小さな(ほら)があった。里山の栗の木が影を落としたその穴ぐらには、入り口に粗末な庇が張り出してはいたのだが、人の住処と呼ぶには、些か陰気な場所であろうか。


「ふぅん、元は何か祀っていたのだろうな……村には教会もあったし、六柱(むはしら)のいづれか……それとも」


「先生ぇ、こいつぁ、そんな立派なもんじゃありやせんよ? 中に人間を押し込んで……まぁ、昔の風習ですがね、生贄とか人柱とか、そんな感じのやつでごぜーます」


 ほほぅ、と御用猫は顎をさするのだ。卑しいエルフの意外な博識さもそうであるが、他国とは違い、先進的で文化的な、このクロスロードにおいても、かつてはそういった、少々野蛮にも思える儀式が行われていたと知ったからであった。


「ならば、今はお留守……という訳でも無さそうだ、頻繁に出入りした形跡が……」


 丸太橋を渡った御用猫は、その場にしゃがみ込む。人が踏みしめたせいか、細く道のように、雑草の生えぬ剥き出しの部分が続いて居るのだ。


「ん……女だな、結構、若い」


「匂いで分かるんですか? 猫のくせに、いんや、そうか、女の匂いやな! こいつぁ、やってんなぁ! 」


 ぺちん、とチャムパグンの頭を叩いた御用猫は、一度首を鳴らすと、念の為に背中の卑しい荷物を振り落とす。歩幅と沈み具合から、素人女だと判断はしたのだが、他に誰も居ないなどと断言はできまい、いや、むしろ、頻繁に出入りしているからには、この足跡の主は、誰かに会っている可能性の方が高いのだ。


「ま、十中八九、食事を運んでるんだろ……中身は焼き馬車さんかな? 一人で運べる餌の量ならば、大した数ではあるまいか」


「せやな」


 恐ろしく適当な相槌を打つチャムパグンの頭を再び叩くと、御用猫は洞の中に歩を進めるのだ。



 生贄の洞は、さしたる深さでは無いようであった。恐らく、かつては中に人を入れた後、出口を塞ぐ物があったのだろう、岩をくり抜いた通路を進むと、すぐに六畳一間程の空間が現れる。


 天井には、ゆらゆらと頼りなく輝く呪いの灯り、床にはゴザを引いただけ、小さな卓袱台(ちゃぶだい)と粗末な食器、部屋の隅には藁が積み上げてあり、これは、おそらく寝床であろうか。


 そして、部屋の端、天井の灯りも届かぬ隅には、一人の男が胡座(あぐら)のような姿勢にて、座り込んでいたのだ。


「……おや、お客さんとは珍しい、そちらさんは旅の方でございやすか? 申し訳ござんせんが、橋を渡った先にコタンという村がござんす、お泊りなら、そちらへお願いしやす、なにしろここには、あっし以外、なんもござんせんので」


「そうでござんすか」


 胡座のような、というのは、その男が、物理的に胡座をかく事が出来ないからであった。


「突然邪魔して済まないな、見た目は怪しいだろうが、ま、怪しい者じゃ無いから安心してくれ……東方の訛りか、随分ときついな、渡世人かな? 少し話がしたいのだが、構わないか」


「もちろん、よござんす、あっしも暇な身分でござんすから……あと、渡世人ではござんせんよ、もう、口上すら忘れてしまっておりやすので」


 そうかい、と御用猫は部屋の中央、卓袱台の前に座り込むと、膝の上に卑しいエルフを抱え込む。暗がりから這い出てきた元渡世人は、左手と右足だけで器用にいざり、御用猫の反対側に腰を据えた。


「お見苦しいところ、申し訳ござんせん」


「気にすんなよ、東方で戦があったのは、そんなに前の事じゃないからな」


 目の前の男は右腕の肘から先と、左足の膝から下が消失していた。更に左眼にも大きな刀傷があり、その白い眼球は、なんの光も捉えておらぬ様子なのである。これは、相当な修羅場を潜ってきたものか。


「あっしは、刀郷(とうごう)と申しやす、はぐれもんにて、家名はござんせん」


「俺は猫、姓も名も無い身でね、これは、ただの通り名さ、こっちのエルフは……エルフで良いや」


 ぼふぅぼふぅ、と不満の鳴き声を上げるチャムパグンの様子を見て、刀郷が柔らかな笑顔を見せた。このような穴ぐらで生活している割には、彼に偏屈なところも、陰鬱な雰囲気も無いのである。


(人間嫌い、という訳でも無いのかな……しかしこれは、山賊の一味とも思えぬか)


 目の前の男は、オコセットと同年代であろう、三十路を超えたか超えないか、黒髪を後ろで括り、持ち上げて髷を作っている。しかし、刀郷は髪も整えてあるし、髭もきちんと剃っているのだ、洞の家は外側こそ苔むしていたが、中の方は粗末であっても、決して不潔では無い、これは、誰かがまめに手を入れているのであろう。


 その辺りのことを、訪ねようとした御用猫であったのだが。


「だれ、あんた達、まさか村長の呼んだ用心棒? 傘の先生に何の用なの……まさか、手伝わせる気じゃ無いでしょうね! いい加減にして! これ以上先生に……」


 固パンが顔を覗かせる竹篭を両手で抱え、入り口から若い女が現れた。現れるなり声を荒げた女は、短い通路を駆け込んで御用猫に詰め寄ってくるのだ。


「ああ、ノーラさん、違いやす、そうじゃござんせんよ、こちらの猫さんは、ただの客人でござんす」


 刀郷のとりなしにも疑いの目を緩めず、ノーラと呼ばれた女は茶色の瞳をすぼめ、御用猫を睨み付けるのだ。


「いきさつは微妙なところであるんだがな、俺が用心棒なのは、その通りかな? しかし、なんと随分な歓迎じゃないか、一応な、俺たちは、このコタン村を守りに来たんだが」


「それなら、そっちで勝手にやれば良いじゃない! これ以上、傘の先生を頼らないで! この人は、村の為にずっと戦ってくれたのよ、それを、こんな所に押し込めて……怪我をしたからって、手のひら返してさ! 」


 三つ編みにした茶髪が解けんばかりに、ノーラの怒りは逆巻いていた。どうやら、この穴ぐらの主は、御用猫達の前の用心棒であるようなのだ。


「ノーラさん、もうやめておくんなさい、猫さんには関係ない話でござんすよ……それに、あっしは怒ってなんかおりやせん、村の人には、良くしてもらっていやす、住処を頂き、飯を頂き、こうして、世話まで焼いてくださる」


「先生……」


 どうやら刀郷という男は、随分と温和な性格のようである、その口ぶりからも、彼の言葉に偽りの響きは感じられ無いのだ、篭を抱えたまま、男の側に膝を落とすノーラも、その雰囲気に当てられたものか、少し恥ずかしげに、御用猫へ向き直ると、謝罪の言葉を口にするのだ。


「ささ、気を取り直して、まずは挨拶といきやしょう、ノーラさんが来るまで、猫さんに茶ァもお出し出来なかったんでござんす……あ、湯呑みは二つしか……こりゃ申し訳ない、ノーラさん、あっしらは茶碗で一服といたしやしょ」


「うん、そうね、すぐ支度する」


 湯呑みと茶碗を両手で抱え、立ち上がったノーラは外へ出てゆく、おそらく、外の小川で食器を洗うのだろう。その後ろ姿を見詰める刀郷の表情は、やはり、なんとも優しげなものであったのだが。


(しかし、奴の傷……あれ程の大怪我、最近のものではあるまい……そんなに前から、この村は襲われていたというのか? ……やはり、おかしい、この村には、何かがあるのだ)


 野良猫の鼻は、確かな血の匂いを嗅ぎつけていたのであった。




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