恩剣 三度笠 4
コタンの村は、人口五百人程度の集落であった。田畑と山林関係、そして牧畜が主な仕事の、東部では平均的な農村と言えるだろう、こうした村落はクロスロードの各地に点在しており、庄屋もしくは地場の商店主が顔役として、地方領主との繋ぎや納税を行なっているのだ。
「おお、おお、お待ちしてました、儂が村長のムラシゲでございます、バルタバンダの皆さんには感謝しておるのです、普通ならば、あの程度の金で人は集められませんですことで……ささ、空き家を掃除しただけのものですが、寝床にしておくんなさい、飯の方は日に三度、きっかりお届けしますので」
何やら、いかにも話し慣れぬのであろう、ぎこちなさにて、初老の小男がへりくだる。いや、やはり見慣れぬ武装した男たちを恐れているのか。
「まぁまぁ、村長さんや、そんな緊張する事は無いんだよ、うちに悪さするような悪たれは居ないんだからね、俺はオコセットだ、何かあったら遠慮なく言ってくんな」
人好きのする細目にて、オコセットは気軽な調子で村長の肩を叩く。下から見上げるムラシゲ老の顔にも、少しばかりの安堵感が生まれているだろうか。
(ふむ、声の抑揚かな? 子供をあやすような……いや、違うな……女を口説く調子に近いか、これはなかなか、為になるなぁ)
暫定的に、皆のまとめ役をしているオコセットであるのだが、流石に護衛仕事で鍛えた社交術、依頼人の懐に入る業は、なんと見事なものであった。僅かな会話にて相手の警戒心を解き、今もさり気なく情報を引き出し続けているのだから。
オコセット達討伐隊と御用猫は、一時的に協力する事で話を纏めていた。意外にも、彼が参加する事で分け前を減らされると、文句を言う者は居なかったのだが、これは、集められた者達が皆、経験豊富な腕利きである事の証左であろう。
「金が減るより、命が増える事の方が大事なのさ、危ない仕事ほど慎重に……ま、基本だわ……なぁ、みんな? 」
「それは頼もしいな、だが、こちらからも出せる物はあるんだ、件の山賊は『焼き馬車』の一味である可能性が高いのだ、上手く頭目を仕留めれば六百万、これは、皆で山分けって事でどうだ? 」
おお、と、どよめきが沸き起こる。常に高値の首を狙う御用猫としては、特段驚くほどの金額では無いのだが、賞金稼ぎでもない彼らにしてみれば、これは大仕事に違いないだろう。
「まぁ、やる事は同じなんだ、頭を逃すつもりも無いし……でもよ、猫の先生、その人相書きじゃ、はっきり分からないんじゃねぇのかい? 随分と昔の似顔絵だろう、それ」
古い空き家の中で円座を組み、仕事の打ち合わせを行う男達、その中心に広げられた紙には、賞金首である『焼き馬車』リネンカップの顔が描かれていた。通常、賞金首の人相書きは『姿見』の呪いで写し取られたものを元に描かれているのだが、今回の相手は顔を撮影されておらず、伝聞にて描かれた、しかも二十年は昔の姿なのである。
「まぁ、普通ならばお手上げだな、六百万って額も脅威というより、その難易度が理由だろう……ただ、こいつにはな、背中に馬の焼印と鞭打ちの跡があるのだ……元はロンダヌスの出身だろう、あそこでは馬泥棒に、こうした罰を与えるからな」
「へぁ、恐ろしいねぇ……でも、なるほどな、捕まえるにしろ死体にしろ、背中を剥けば一目瞭然か」
そういう事だ、と締めくくり、御用猫は立ち上がる、飯の前に村を一周してくるつもりであるのだ。こちらも仕事を手伝う以上、コタン村の防衛についても砕心しなければなるまいと考えたのだ。
この村は、地方小村の例に漏れず、住居は一箇所に集中している。村民が互いに身を守る為の知恵ではあるが、僅か十一人で守るとするならば、いささか広過ぎるのも事実であるのだ。
「飯の前に腹を空かせとこう、バーキンとマッシュは残って休んでくれ、こりゃ、呪い師の特権だな、残りは手分けして……穴になりそうな所を調べるか、明日は簡単な柵でも作るべ」
てきぱき、とオコセットは指示を出す、頭脳労働の苦手な傭兵達にとって、彼のような人間は、さぞかし頼り甲斐のある事だろう、もしも、彼が傭兵団を作ろうと声をかけるならば、それなりの人数が付いてくるのかもしれない。
「大したもんだなぁ、ウチにも遣り手は多いが……ゲコニス辺りの手伝いしてくれれば、ハルヒコ達が助かるかもなぁ」
「なはは、そりゃ買い被り過ぎだな、けど、リチャードが居るなら充分だろ? あの坊主は将来大物になるよ、間違いねぇよ」
それには、御用猫も同意するところであるのだ。オコセットに片手を上げて歩き出した野良猫は、一直線に村の外を目指していた、中の調べは他の者に任せ、村の外を確認する為である。
「先生ぇ、どこ行くんですか? あんまり遠くに行くと、ご飯の時間に間に合いませんよ? 」
「こうした村にはな、大抵一人くらい、はぐれ者が居るんだよ……そいつが焼き馬車と繋がってる可能性がある」
このような小村に『焼き馬車』の狙う物が、果たしてあるだろうか、御用猫の違和感は、そこだけに絞られていた。もしも山賊の正体がそうだと仮定するならば、コタン村には何かあるはずなのだ。
「もしくは……そうだな……仲間割れ、とか……やはりコタン村にリネンカップが潜伏しているとして、その蓄えを狙って? いや、蓄えがあるならば、もう少し賑やかな街へ……うぅん、手持ちの情報では、何とも言えんな」
「はぁ、さいですか、とりあえずお腹すいたから早めに片付けておくんなまし……アレなんかどうっすかね? 」
卑しく御用猫の背中に張り付く生き物は、彼の肩越しに、その小さな手を伸ばし、東の里山を指差すのだ。この陽射しにも一切焼けた様子の無い、不自然に白過ぎる、そして滑らかな肌の腕は、不意に視界に入れると、何やら、どきり、と心臓を跳ねさせるほどの美しさを感じるだろうか。
「ん、なんだ、何か見つけたのか……あれは、洞窟か? なるほど、入り口に屋根があるからには、誰か住んで居るのかもな」
跳ねた鼓動の事など、おくびにも出さず、御用猫は歩を進める。既に心は野生の警戒を取り戻し、脈打つ心臓は、一定の音を静かに鳴らし続けるのだ。
背中からは、きしし、と卑しい笑い声が聞こえてくる。そこからは、何か満足げな響きも感じ取れるのであったのだが。
野良猫の鼻は、既に血の匂いを捉えつつあり。
そこに回すほど、心に余裕は無かったのである。




