恩剣 三度笠 3
「おうぃ、おうぅーい、おぅい」
「牛かな? 」
コタン村への道すがら、御用猫は奇妙な声に首を傾げる。クロスロードの南東に位置する目的の村までは、もう半日もかかるまい、天辺高くぎらつく太陽は、遠慮のない陽射しを旅人に振り撒いていたのだが、彼は即座に暑さを忘れ、空腹感を思い出すのだ。
「先生、猫の先生ぇー、ここいらは牛肉も有名なんですわ、畑仕事に使う奴らは痩せこけてますけどね、もう少し東へ行けば、ツノ無しの赤毛を放し飼いにして、食肉専用に育ててるんでごぜーますよ、端から端まで、全部食えますわ、街には卸さない内臓もうめーでごぜーますよ、焼いて食いましょう」
「ほほぅ、牛かぁ……美味そうではあるが、あまり時間をかけるとサクラが煩そうだしな……帰りに寄ってみるか」
ぐぇーぐぇー、と家鴨のような悲鳴をあげる卑しいエルフは、御用猫の背中から手を回し、彼が今は胸に抱える背嚢の中身をまさぐり始めるのだ。肉が食えぬと知り、とりあえずの空腹を乾燥腸詰めで満たすつもりであるものか、その端を咥えると、まるで麺類であるかのように啜ってゆく。
「おい、意地汚い真似をするな……まったく、食人鬼だって、もう少しは上品な食い方するぞ、たぶん」
「聞こえてないのかよ、おぅい、先生! 猫の先生だろ! 何してんだい、こんなところで」
ここは田畑も疎らな丘陵地帯、いかにも長閑な小街道なのである。丘の向こうを走る主街道の為に、今は使う者も少ない通りなのであるが、こうして旅人の出会いがある以上、まだまだ交流に一役かっているのだろう。
現れたのは、戦士の一団であった。粗末な四頭立ての馬車を中心に、哨戒役と思しき四騎の剣士、見るからに傭兵然とした厳つい男達は、合計十人程であろうか。
(……傭兵団にしては、装備にばらつきがあるな……寄せ集めか、何処かの口入屋から……山賊退治か何かであろう)
そう結論付けると、御用猫はようやくに、声をかけてきた男に視線を合わせる。接近する者から視線を切るなど、彼にしては不用心な事であったのだが、それが顔見知りだというならば、納得のいくところであろう。
「それは、こちらの台詞なんだが……まぁ、お互い商売柄、こんな事もあろうさ……久しぶりだなオコセット、もう左手は不自由ないのか? 」
「おかげさまでな、リチャードもそうだが、そこのちっこいエルフ、いやぁ、呪いの腕は大したもんだ、後遺症もな、まるで無いんだよ」
オコセットと呼ばれた男は、短い黒髪に無精髭、年は三十路を超えた程か、糸のような細目が特徴的な剣士である。薔薇髑髏の騒動で出会った彼は、ラキガ二との闘いで左腕を斬り落とされしまったのだが、リチャードとチャムパグンの治療呪術によって、命と不自由なき日常を救われていたのだ。
「そいつは良かった、この悪魔が、少しでも人様の為になったというなら、俺としても心安いよ……だが、あまり恩義に感じる事は無いぞ? チャムはともかく、リチャードの奴はな、却って気を遣うのだ、そういうことにはな」
「なぁに、俺が勝手にした事よ、貸し借り無しで、すっきりしなきゃ、人生重たくって仕方無ぇんだ」
オコセットは、リチャードに対する恩返しとして、御用猫と敵対する裏口屋である『ふくろう』との縁を切ったのだ。元々、闇討ちの類いは引き受けない彼であったが、ふくろうに対しても、今まで仕事を回してもらっていた恩がある。
色々と迷った末に、オコセットは中立の立場を取る事で、両者の顔と、自身の納得を立てたのだ。とはいえ、彼ほどの腕利きを失ったのは、ふくろうにとって大きな痛手であったろう、損をしたのは、ふくろうばかりであったのだが、しかし、南町を取り仕切る裏口屋の組合長は、けじめをつける事なく、笑顔にてオコセットを送り出した。
(相変わらず、なんと気風の良い奴だ……ふくろうにも、随分と気に入られていたのだろう)
みつばちからの報告を受けた御用猫は、密かに胸を撫で下ろしたものである。リチャードから話を聞いた御用猫は、真面目で責任感の強い少年が気を病まないように、影からオコセットを守らせていたのだが、それらは全て杞憂に終わっていた、これは、彼の悪運の強さでもあるのだろうが、やはり最大の要因は、普段からの行い、その結果だと言えるだろう。
「まぁ、仕事の紹介くらいなら構わんだろ? 倉持商会も隊商の護衛が足りないとか言ってたし、気が向いたら晩七のとこにでも顔出してみなよ」
「そうだなぁ、ほとぼりが冷めたら、それも良いかもなぁ……今はバルタバンダからの仕事をしてるんでね、間に合ってはいるんだが」
道脇に馬を寄せて、オコセットは仲間を先行させる。彼が片手で合図すると、厳しい強面どもも、親指を立てて笑顔を返すのだ、これは、中々に遣り手であろう、新参の筈のオコセットが、既に相当な信頼を得ているようなのだから。
「む、バルタバンダか……余計な口を差すが……あすこは、ちょいと、きな臭いぞ? 怪しげな忍者どもを囲ってるようだしな」
「あぁ、やっぱりか……ま、深入りしない程度に、稼がせて貰うよ」
御用猫が、他人の仕事に口を出すなど、珍しい事ではあったのだが、彼としてもオコセットには、余計な騒動に巻き込まれて欲しくないと思っているのだ。やはり、そう思わせてしまうのが、この傭兵の人徳才能なのであろうか。
「それで、なんでお前らは、こんな辺鄙で長閑な田舎に来てんだ? まさか、お前らも『焼き馬車』が目当なのか」
「焼き馬車? なはは、そんな大層な仕事じゃねーよ、おいらはいつもの護衛でよ、この先にコタンって村があるんだけども、どうやらそこに山賊がな、度々現れるってんでよ」
むう、と御用猫は喉から唸る。
この様子では、オコセットは知らぬようであるのだが、こんな田舎に、いくつもの山賊団があるはずも無いだろう、これは目当ての焼き馬車に違いないと、彼は、そう予想を立てるのだが、これは御用猫にとって、それほど喜ばしい事態ではない。
確かに、頭数が増えるならば、仕事は楽に片付くであろうが、それだけ自身の取り分が減ってしまうのも、また、確かなのだから。
「おのれ、まさかに、これはサクラの呪いではあるまいか……」
「サクラ? あぁ、あのちっこくて煩いのか、なんだなんだ、猫の先生は、あんなのに敷かれてんのかい、なはは! 尻も小さそうだけどな! あははははっ! 」
自分の発言が、つぼにでも嵌ってしまったものか、オコセットは苦しそうに腹を抱える。
その、余りの笑いっぷりに、御用猫も思わず頬を緩めてしまうのだ。
(仕方ない、儲けは諦めるか……そもそもが、ついでの仕事であるしな)
取り分が減れば、その分だけ浴びる血も少なくなるであろうか、などと、一瞬だけ考えた御用猫であったのだが。
それで汚れが薄まることなど無いのだと、卑しい野良猫は、既に知っているのであった。




