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うで比べ 15

「……うぅん、あれ? ここは、どこじゃ……」


「あ、起きた、お姉ちゃん、だいじょうぶですか? 」


 再びに目を覚ましたジッタンビットは、アドルパス邸の客室に運び込まれていた。『電光』の屋敷においては、唯一と言える調度品の飾られた部屋ではあるのだが、他の貴族達の館に比べてしまえば、少しばかり小金持ちな平民と、何ら違いも無いであろうか。


「あ……ぐぬぬ、日に二度も失神するとは……なんてことじゃ」


「ごめんなさい、おじいさまに、わるぎは無かったの」


 ベッドから身を起こし、歯噛みする白エルフに向けて、黒髪の少女が、ぺこり、と頭を下げる。


「ふん、その小娘が、人様の家の前で暴れたのが悪いのだ、それに、俺はちゃんと手加減しておる」


 ドアの近くで腕を組み、仁王立ちする赤髪の巨漢は、悪びれた様子も無く、つい、と顔を背けていた。とはいえ、ジッタンビットの目が覚めるまで、ここに居たのだ、彼なりに反省はしているのかも知れない。


「もう! おじいさまも、きちんと謝って……そんなだと、明日はお迎えに行ってあげないからね」


「ま、待て、それとこれとは話が……いや、俺も悪かった……ジッタンビットだったか、許せよ」


 不承不承、といった態ではあったのだが、アドルパスは、その獅子のごとき顎鬚を擦りながら、僅かに頭を下げるのだ。しかし、多少なりとて貴族の性質と、普段の彼を知るジッタンビットにしてみれば、これは驚愕の出来事であろう。


(ふふ、さしもの団長といえど、ゆっこちゃん相手には形無しだな、今日は早上がりゆえ、内緒で王宮まで迎えに行ったそうだが、それが余程に嬉しかったとみえる)


 客室の隅にて、ひとり柔らかな表情を見せるリリィアドーネであったのだが。


(こども、か……私にも、そのような日が……いや、その前に……いや……いやいや、いやいやいや! 何を考えているのだ、私は、なんというふしだらな! )


 突如として両手で顔を覆うと、激しく頭を振り始めるのだ。その下の色については窺い知る事もできぬのだが、揺れる栗色の髪の隙間から覗く両の耳は、随分と熟れている様子であった。


「……のう、娘っ子よ、お前は、アドルパス様と、血は繋がっておらぬのだろう? 」


 ぼんやりと、目の前の光景を眺めながら、不意に放たれたジッタンビットの一言に、その場の空気が、一瞬にして凍ったように動きを止めた。





「あれはな、試し行為、というやつだよ」


「試し行為……ですか? 若先生、恥ずかしながら、僕は初めて耳にする言葉です」


 夕食どきを迎え、田ノ上道場では、ささやかな宴が執り行われている。これはサクラの機嫌を直すため、といった名目ではあったのだが、その主役である鍋料理の出来栄えが気になったものか、結局のところ、料理は彼女主導で作られていたのだ。


「私も聞いたことありません、というか、まだ、私を除け者にした理由を聞いていません」


「ありがとおかん」


 サクラのよそってきた海鮮鍋のお代わりを受け取った御用猫であったのだが、次の瞬間には、空いたその手で頭をはたかれるのだ。しかし、すこすこ、と怒りの鼻息を抜きながらも、彼女は御用猫の隣に腰を下ろし、彼の代わりに卑しいエルフに餌付けを始める、どうやら、先程から給餌のせいで酒の飲めない男の事を、気遣っての事らしい。


(まぁ、こうしたところが、サクラの可愛いところではあるな)


「……そうですね、はい、若先生、続きをお願いします」


 御用猫が猪口に手を伸ばすよりも先に、リチャード少年は徳利を持ち上げていた。こうしたところが、この少年の恐ろしいところである。


「ほんと、怖いから心を読まないでね? んで、そうだな、試し行為というのはな……新しい庇護者に対してな、庇護されるものが、わざと悪さをしてな、その者が本当に自分を守ってくれるのかどうかをな、試す事をいうのさ」


 御用猫は、リチャード少年から視線を逸らして言葉を続けた。継母と義妹から、虐待を受けた少年には、何か思うところもあろうかと、そう考えたのだ。


「……ジッタンビットさんが、そうだというのですか? 確かに、話を聞く限りは、破天荒な方らしいですが……マスカンヴィット伯爵の前では大人しかったのでしょう? 私も会ったことありますけど、少なくとも、夜会ではお淑やかな方でしたよ? お二人の仲は、良かったのではないでしょうか」


 御用猫の膝に座る、卑しいエルフに餌付けしながら、サクラは首を傾げるのだが、どのみち彼女のように真っ直ぐな娘には、理解のできぬ行為であろう。


「そうだなぁ、たぶん、奴は叱られたかったのかもな……何をしても怒られないってのも、それはそれで不安になったのであろう……ま、それも、俺の想像ではあるし、所詮、他人の心など、いや、人の心ってのは、本人にも分からないものさ」


「……僕は、少しだけ、分かる気もします」


 空いた猪口を再び満たしながら、リチャード少年は小さく言葉を零す。虐めにも似た新しい家族からの仕打ちに、彼が反抗した事は、一度も無かったのだから。


「そうか……なぁ、リチャードよ」


「いえ、その必要はありません、僕には、まだまだ先にすべき事がありますし、やりたい事もあるのです、それに……まだ、その時ではないでしょう」


 リチャード少年が見せたのは、普段の、花のような笑顔とも違う、決意に満ちた強い笑顔であった。彼は逃げていないのだ、向き合う事を、恐れてもいない。


(やはり、俺とは違う……親父が、こいつを強いと評したのは、こういったところであろうな)


 酒精の酔いとも違う、心地よい充足感に満たされた御用猫は、卑しいエルフを乱暴に抱えて立ち上がる。なんとも頼もしい少年は彼自身に任せ、酔ったみつばちに絡まれる情けない男二人を、まずは救ってやろうと考えたのだ。





「わしはの、もう、どうして良いやら……自分でも分からないのじゃ……何がしたいのかも、ヒック、どうなりたいのかも……」


 アドルパス邸の客室では、自身の半分にも満たぬ年齢の少女に縋り、鼻を鳴らす白髪の女性の姿がある。アドルパスとリリィアドーネは、既に退室しており、今はベッドの上に二人きりであった。


 最初、激昂しかけたアドルパスであったのだが、孫娘に叱責されると、直ぐに萎縮してしまい、その後、ぽつり、ぽつりとジッタンビットが、波乱と悲壮に満ちた身の上を語り始めてからは、目を剥き、次には震え始め、遂に目頭を押さえながらに飛び出していったのだ。


「お姉ちゃん、わたしも、難しいことはよくわからない」


 まだ十一歳の子供であるゆっこには、確かに理解の出来ぬ話ではあったろう。しかし、彼女とて母と死別し、父からは捨てられたも同然であるのだ、ジッタンビットの境遇に、共感できるところもあったのか、両手で抱えた彼女の頭を、かつて自身が、母からされていたように、優しく撫で付けているのだ。


「だから、簡単な方法を教えてあげます、いいですか、悪い事をしたら、素直に『ごめんなさい』それで、良くしてもらったら『ありがとう』です、あ、これはね、とびっきりの笑顔で言うこと、そしたらみんな、優しくしてくれます」


 簡単でしょ、と告げる少女の顔には、なんの下心も感じ取れぬであろうか、鼻をすすりながら顔を上げたジッタンビットは、その、あまりの純粋さに、何か笑いが溢れてしまうのだ。


「ぐふ、ふ、そんなに、簡単に……今さら、のぅ……いくわけもなかろうて……大人はな、そんな、素直になれんのじゃ」


「おとなじゃありません、お姉ちゃんは、まだまだ子供でしょ、リリィさまもそうだし、サクラお姉ちゃんもそう、みんな、わたしと変わらないもの」


 ついに、ジッタンビットは吹き出してしまった。我が身を省みて、確かにそうだと納得してしまったのだ。


「あ、あとあと、これはね、私が思いついたの、とっておき、特別なおまじないなんだけど、お姉ちゃんには教えてあげます」


 少しだけ胸を張り、自慢げに語る少女は、やはり、年相応の幼さを感じさせるであろうか。しかし、ジッタンビットにとって、それは救いの言葉であり、その純粋さこそが、彼女の心の奥底に沈んでいた、本来の、彼女自身の純粋さに語りかけ、呼び起こしたのである。


「大好きな人には『大好きです』って、ちゃんと言うこと、だって、はっきり言わないと、分かってくれないの、隠してたり、嘘ついたりすると、本当の家族になれないって、あ、これは、おとさんが教えてくれたの、もちろんこれもね、とびっきりでね、あ、でもね、これを言うときは、自然に笑っちゃうから大丈夫かも、だから、ね、お姉ちゃんも大丈夫だよ、おとうさまのこと、大好きなんだよね? 」


 しばし、魂の抜けたように顔を緩めていたジッタンビットであったのだが、ずるっ、と再びに鼻をすすると。


「……うん……うん、わしは……お父様が、大好きなんじゃ」


 涙と鼻水にまみれたその顔は、知らぬ者が見れば、酷い様であったのだろう。


 しかし。


「……よし、大丈夫、とびっきりだよ! 」


 どうやら、太鼓判が押されたようである。




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