うで比べ 14
「しかしあやつめ……わしをいったい、どうするつもりであるのか? 」
ごろごろ、とラバ車に揺られながら、ジッタンビットは頭の後ろで腕を組み、足を伸ばして御者台の前に放り出す。初夏の爽やかな風に身を任せ、なんとも気持ち良さげではあるのだが、彼女は今も、青ドラゴン正騎士の黒い制服を身に纏っているのだ。
(むう……これは些か風聞の悪い、街に入る前に嗜めなければ)
真面目で堅物なリリィアドーネにしてみれば、妙齢の女性が、このようにはしたない真似をするなど、到底許されぬ事であろう。しかし、いっときの事とはいえ、彼女がそれを見逃したのは、やはり目の前の白エルフから、今朝までは過剰に感じられていた筈の、覇気というものが失われていたからなのである。
「ね、辛島殿は、ゆっこちゃんに会えと言っていた……どういった意図なのかは分からぬが、彼の言うことに間違いは無いと、私は思う……だから、そんなに心配するな」
なのでリリィアドーネは、その態度とは裏腹に、今は儚く、頼りなげにも見えるであろう隣の女性を、励ますように声を掛けるのだ。真面目で堅物な上に、空気の読めないところのある彼女にしてみれば、これは珍しい事であろう、いや、これも精神的な成長と取るべきか。
「なんじゃ、随分と信用しとるの……まぁええわ、負けたのはわしじゃ、文句は言わんが……のぅ、リリィアドーネよ、お前は、あやつと仲が良いのであろ? なんとか口添えをしてもらえんか、お父様に……いや、迷惑はいつもの事じゃが、このままではマスカンヴィットの家が……」
「ふふ、それならば心配いらぬ……いや、本当にだぞ? なにしろ彼は、王宮に顔を出すのが、なによりも嫌いであるのだからな……うふふ、自分から登城する理由をな、作ろう筈もないのだ」
笑顔を見せるリリィアドーネに不安げな表情を返し、ジッタンビットの心は、ラバ車のごとくに揺れ動いていたのだった。
「突然に申し訳ない、テンプル騎士リリィアドーネだ、レギーナよ、こちらに、ゆっこちゃんは来ているだろうか? 」
上町のアドルパス邸にラバ車を停め、リリィアドーネは、その透き通る声にて短髪の従士に問いかけた。まるで男のようにも見える、この長身の女剣士は、気怠げに片眉をあげると、指先で頬を掻きながら対応するのだ。
「いや、来てないねぇ、でも、毎日こっちにも顔出して帰るからさぁ、もう少し待ってれば会えるんじゃないかな」
「そうか、ならば待たせてもらおう」
しかし、いくら成り手の少ないアドルパス邸の門番とはいえ、少々無礼な態度ではあるだろうか、顔見知りであるにも関わらず、いちいち名乗るリリィアドーネとは、まさに対照的であるのだ。もっとも、彼女は美形の、特に年下の少年相手にならば、少し気取った大人の女性を演じるのであるが。
「おい、なんじゃお前、態度わるいのぅ」
なので、こういった諍いも珍しくはない。彼女が、曲がりなりにも従士として続けていられるのは、ここが、とにかく来客の少ないアドルパス邸である、ということと。
「うごっ! 」
不意に放たれたジッタンビットの掌底を顎に受け、レギーナと呼ばれた従士が、仰け反った姿勢のままに倒れてゆく。短槍を携えた隣の同僚は、どうする事もできず、狼狽えるばかりであったのだが。
「……おいおいおぃい、やってくれるねぇ……手前ェ……リリィ様が証人だ、青ドラゴンだろうと容赦しねぇぞ」
その長い足を高く上げ、反動で彼女は身を起こす。かなり強烈な一撃であったのだが、言葉と共に吐き出した前歯の他は、大した痛手も無いようである。
「なんじゃ、やるんか、わしは今、機嫌が悪いんじゃ、生意気な従士に教育くらい、おかしくなかろうて」
大柄な女と小柄な女、互いに額をぶつけんばかりに近づいて、威嚇し合う様は。
(なにか、サクラとフィオーレのようでもあるな……)
現実から逃避寸前のリリィアドーネに、そんな感想を覚えさせるのだ。彼女としては、一刻も早く場を収めたいとも思っていたのだが、御用猫の思惑は、よもやこれではあるまいかと、ならば邪魔はせぬ方が良いかと、自身の中で葛藤中なのである。
「こらぁー! うちの前で、けんかは、だめです! 」
そこへ、だだっ、と駆け込んで来たのは、黒髪黒目の、活発そうな少女であった。夏らしい水色のワンピースに、白いつば広の帽子を片手で抑え、二人の間に割り込んでくる、反対側の手では、肩から下げた鞄に取り付けた、これは木剣であろうか、布に包まれた長い棒を、揺れぬように握っているのだ。
「あぁん? なんじゃお前? 餓鬼は引っ込んどれ、わしは機嫌が悪いゆったろ、いきり倒しとると拳骨じゃ済まんぞ」
「あっ! ば、ばか、お前!? 」
吠える先を変えたジッタンビットに反して、短髪赤毛のレギーナは、その顔を正反対に青ざめさせて、飛び込んで来た少女こと、ゆっこの身体を、白エルフから遠ざけるのだ。
「なんだ貴様は、良い度胸だな……言っておくが、俺の方が機嫌が悪いぞ、今はな」
その声に反応し、振り向こうとしたところで、ジッタンビットの意識は、いとも簡単に途切れたのだ。
孫煩悩な『おじいさま』としては、自らの屋敷の前にて孫娘に絡む狼藉者を、華麗に誅したつもりであったのだが。
「おじいさま! またそうやって、すぐに暴力を振るって、いけないんですよ、いつも言ってるでしょ! 我慢するのは、つよいひとの、ぎむ、だって」
まさかのお説教を受けた、この救国の大英雄は、今まさに我慢している、やり場のない想いを。
(おのれ、誰に……いや、マスカンヴィットの娘がこのような所に来たのが悪いのだ、これは、辛島の仕業に違いない)
所詮この世は弱肉強食。
哀れな野良猫に、やはり明るい未来の訪れることは、無いのであった。




