うで比べ 12
御用猫とジッタンビットの勝負は、金髪の偉丈夫、ハルヒコ ステバンによって、その開始が告げられた。今日の立ち合いを見届ける三人は、共に揃いの灰色をした騎士服を身に付けている。
「どう見る、ハボック」
「流石は、四機竜といったところでしょうか……あの足運び、相対して見なければ分かりませんが、いやはや、まさに乱調子ですな……リリィアドーネ殿と噛み合ったのは、彼女が素直すぎるからかと」
サクラと志能便達を除き、遊撃騎士団の主要な剣士たちには、内々に、ではあるのだが、正式な騎士叙勲がなされていたのだ。もちろん、そこは王女の私設騎士団である、待遇の面では他よりも随分と軽い扱いではあるのだが、その辺りについて不平を漏らす者は居ないであろう、もしも仮に、そのような弱言を溢そうものならば、泣く子も黙る遊撃騎士団副団長『儀仗』のハルヒコが、木剣を片手に乗り込んで来るのだから。
もっとも、辛島ジュートの制服の色が平騎士と同じ灰色である事に、一番腹を立てていたのは、他ならぬハルヒコ自身であったのだが。
「だがな、ハルヒコよ、よく考えてみろ……わざわざ新しい騎士服を作るなどと、面ど……もとい、我々は、およそ表に出るべきでは無い、そんな騎士の集まりなのだ、互いの脛に持つ傷は、お前自身が一番良く知っているだろう? ……それにな、平服の何が悪い、そもそも、昔から名誉騎士の服は灰色なのだ、こちらこそが元祖なのだぞ? 市井に紛れるにも便利であるし、民草と同じ目線、距離の近さが、我らの強みであろう……全く貴様は、なんのために騎士になったのだ、その剣は、誰の為に振るうべきものか……それともハルヒコよ、お前の心の錦は、側の色に左右される程度の、薄染めであったのか? 」
「おぉ……」
御用猫の言葉に平伏し、自らの不明を恥じる金髪の強騎士は、夜の書き入れ時を迎えていたマルティエを、随分と困らせたものである。
「あっ! 」
突如としてリチャード少年が声を上げる、三人とも先程から、勝負の最中にしては自由に喋っているのであるが、これは御用猫が事前に指示していたものだった。観客がくつろげばくつろぐ程に、ジッタンビットは苛つく筈であろうと考えたのだ。
「慌てるな、団長は『観えて』おられる」
「おそらく、今ので測りましたな……しかし、ふふ、ハルヒコ殿、今日は何か、普段よりも口数が少ないご様子で」
ハボックが最近覚えてきた冗談に、ハルヒコは口を真横に結ぶのだ。おそらく彼も内心では、リチャード少年以上に慌てふためいているのであろう。
ハボックより十歳以上も年上のハルヒコではあるのだが、なにやら近ごろでは、こうして部下に揶揄われる事が増えてきたようにも感じるのだ。とはいえ二人の実力は、かなりの高みで拮抗しており、ハルヒコは密かに。
(……私に万一の事があっても、この男にならば、後を任せられるであろう)
などと、思う事もあるのだ。
互いの境遇にも、何か似たところがあるせいか、彼等は志を同じくする仲間として、日々、絆を深めているようであった。
「なんじゃ、こたえんのう……つまらんわ、お前より、後ろの二人の方が強いんじゃないか? 」
「そりゃそうだろ、あの二人はな、稽古とはいえ、親父から一本とった事もあるんだぞ……俺なんかより、遥かに強いさ」
強烈な一撃を肩に受け、床に転がった御用猫ではあったのだが、今日は組み打ちも追撃も許されてはいない、悠々と立ち上がり、何度か首を鳴らすと、きっぱり、と告げるのだ。
「まぁ、でもな……お前さんよりは、俺の方がまだ強いだろう」
「はぁ? あぁ、もおえぇわ」
御用猫の軽口に、呆れたような溜め息を吐いたジッタンビットではあるのだが、その言葉の終わりを待たずに、一挙動にて竹刀を突き込んでくる。正確に喉を狙った一撃は、まるで串刺し王女のごとき鋭さであったのだが。
ぬるり、と滑るような動きを見せた御用猫に、いとも容易く回避され、大きく姿勢を崩してしまうのだ。
「ぬっ、こいつ! 」
腹を立てたジッタンビットは、そこから怒涛の攻めを見せたのであるが、その剣先は悉くが野良猫の鼻先を掠めるばかりであり、怒りを加速させた彼女は、更なる苛烈な打ち込みを続けてゆく。
「……あれは、何でしょうか? なにか、ジッタンビットさんは間合いを乱されているような」
「彼女の足捌きは独特なのだ、なまじ腕が良い者ほどに惑わされてしまうだろう……だが、そうと分かれば、それを逆手に取って攻撃を外させる事も可能……とはいえ、あれは私にも難しいな、真正面から叩き伏せた方が簡単であろう」
「なるほど……しかし、どうやらジッタンビットさんは、かなり感覚派のようですし、あまり間を開ければ、直感で調整されてしまう……ハボックさん、若先生は何故、攻撃しないのでしょう」
「そこは辛島殿のこと、何か考えがあるのだろう……単に叩きのめしても、何も解決はしないのだから……ただ、これ以上、あれが増えるのは、な、遠慮したいところだと思わないか」
「ハボックさん、また怒られてしまいますよ? ふふ、でも……そうですね」
先程から両手を握り「お見事です」と「流石でございます」を繰り返すばかりの太鼓持ちを横目で眺め、二人は互いに笑い合うのだ。
「ぐぃぎぎ、おのれぇ! ちょこまかしおって! パァッ、もう、許さんからな! 」
ずだん、と強く踏み込んだ一撃は、先程までとは全く動きの違う、直線的で直接的な突きであった。彼女独自の揺れる様な体捌きも、静から動への無調子な切り替えも、全て本能的な行動であり、そこに相手を幻惑しようなどという意図は無い。
ジッタンビットは、まさに天才剣士であったのだ。その天賦の当て勘にて、数々の腕自慢な騎士達に、苦汁と煮え湯を飲ませてきたのである。
しかし。
「ぐほぉっ!? 」
それを待ち構えていたのは、卑しい野良猫の野生なのであった。迎え撃つように胸へと放たれた御用猫の片手突きは、不十分な体勢からでも、かなりの威力であったろう、息を詰まらせたジッタンビットは、堪らず距離を置いて咳き込んだ、しかし、それでも膝を付かなかったのは、流石という他はない。
「鋭ッ! 」
だが、そこへ無情にも御用猫の追い突きが、彼女の鳩尾にめり込んだのだ。いくら視線を切っていたとはいえ、防ぐ事も出来ずにそれを受けてしまったのは、彼が打ち込みと踏み込み、そして掛け声を、僅かにずらして発した為である。
これが御用猫お得意の、卑しい野良猫剣法であった。
「がっ、ひゅ、ひゅうー」
さしもの白エルフも、呼吸を阻害されては、まともに戦えない、ただでさえ、先程から空振りを繰り返し、少々息を乱していたのだから。
御用猫は、最初から泥仕合を狙っていた。自身がジッタンビットに対して、唯一優るところがあるとするならば、それは体力持久力であろうと考えたのだ。
御用猫の一連の行動は、全て彼女の体力を削るため、その一点の為だけに行われていた。もちろん普段ならば、もう少し事情は違っていたのだろうが、今日のジッタンビットは、心を乱され、調子を乱され、空振りを繰り返していた、素振りとは違い、当てるつもりで放った攻撃が躱されるというのは、肉体的にも精神的にも、随分と疲労の溜まる、剣士にとって『嫌な』展開であるのだ。
そこへきての、なんとも執拗な呼吸器への攻撃である。なんとか体勢を整えようと暴れるジッタンビットの、その吸気する機を狙い、御用猫は攻撃を放ち続ける。
どむっ、と強烈なぶちかましを胸に受け、彼女がたたらを踏んだ、未だ消えぬ炎を瞳に映し、無言で睨みつけるのは、喋るための酸素すら、惜しんでいるかのようにも思えるだろう。
「体当たりは一連の流れだろ? 組み打ちとは別ものさ」
(グゥー! おのれ、おのれぇ! こいつ、どうしてくれようか! )
一度流れを掴んだ途端に、敵は的確な攻撃を、休まずに放ち続けてくる。しかもその顔に、嫌らしく、にやついた笑みを貼り付けたままに、なのである。
ジッタンビットの顔色は、どす青い程であったのだが、これは酸欠というよりも、怒りの方が強いであろうか。だがしかし、彼女とて、ただ防戦に甘んじていた訳でも無いのだ、じっ、と耐え、その牙を相手の喉笛に突き立てる機会を、伺っていたのだ。
(やはりそうじゃ、呪い師はかなりの遣り手なんじゃろうが、右手はろくにつこうとらん……治っては、おらん)
御用猫の僅かな隙を突き、ジッタンビットが飛びかかる、それは、頭上から獲物を狙うジャガーのごとき動きであった。御用猫の右腕のはたらきを、冷静に観察していたのだ、利き腕側から打ち込んで、彼が反応できない速度にて、そして仮に、反応できたとしても間に合わない位置に、竹刀を叩き込む算段であったのだ。
これは、完璧な反攻作戦であった。だが、もしも、ジッタンビットに、ひとつだけ落ち度があったとするならば。
「なぁ、なんで!? 振れるんじゃ! 」
自らの野生を、信じきれなった事であろうか。
珍しくも理性的に判断し、最後に放たれたジッタンビットの攻撃は、確かに剣で受けては間に合わぬ程の鋭さであった。なので、直の右腕にて、がっちり、と受け止めた御用猫は、そのまま今度は自身の剣先を握り、押し付けるようにして、彼女の喉に竹刀を叩き込む。
「勢ッ! 」
この、鍔迫り合いからも使用できる零距離寸打は、カディバ一刀流の『押し切り』という技である。ついに意識を断ち切られたジッタンビットは、しかし、御用猫にしがみ付く事さえ拒むがごとく、ただひとり、孤独に崩れ落ちたのであった。
「そりゃ、振れるからさ……お前は知らんだろうがな、あの悪魔にはな、骨が折れてまで餌やりしたんだ、これで振れなきゃ、逆さに吊るして鍋にしてやるところだよ」
手を叩きながら近寄ってくるハルヒコに、御用猫は右手を小さく上げて返し、なにやら微妙な笑顔を見せると。
ぷうっ、と、ようやくに、大きく息を吐き出したのである。




