うで比べ 10
「うん、相変わらずロシナン子は働き者だな」
「ろしなんこ? なんじゃ、この馬の名前か、いや、馬? ラバか、よく分からんのぅ、妙にふわふわした気配というか……こう、なんじゃこいつ」
ジッタンビットとの決戦の日を迎え、マルティエにてリリィアドーネ達と合流した御用猫は、皆で仲良くラバ車の荷台に揺られていた。
いや、正確に言えば、荷台に寝転ぶのは御用猫と、卑しい薬箱の二人だけであり、仲良くしているのもまた、御者台に座る女性騎士二人だけであったのだが。
(まったく、先日腕をへし折った相手に対して、なんの負い目も感じておらぬのか……おかしな奴め)
早朝からリリィアドーネに連れられ、店に現れたジッタンビットは、開口一番、馬車に乗せろと要求してきたのだ。
「けちけちするな、度量が試されとるぞ、これがお父様ならば、笑って手を引いてくれるわ」
「引いても良いが、左手だぞ? お前、分かってやってんのか」
ぺしん、と御用猫は、ジッタンビットの差し出した右手を、左手にて叩き落とすと、彼女の手を引いて御者台に引き上げた。早朝の南町に響く車輪の歌声に、眠気を覚えた御用猫は、リリィアドーネに手綱を渡し自らは荷台へと移動すると、簀巻きにして放り込んでいた卑しい抱き枕を抱え込んだのだ。
ここに来るまでか、それとも城で話していたものか、御者台に座る二人の騎士は、随分と親しげであり、年相応の姦しさにて笑顔を見せ合っている。もっとも年齢的には、ジッタンビットの方が、倍は年上であるのだろうが。
「……だが、リリィとは違うな」
「胸の大きさでごぜーますか? あっちの白いのも、大したモンは持ってねーでごぜーますよ、エルフってのは、もう少しボインボインのはずなんですがねー、たぶん、成長期に栄養不足だったんでげしょうな」
「お前は、足りてるはずだよな? 」
げすげすげす、と卑しく笑う卑しいエルフの頬を掴んで揺すると、御用猫は、早速に熱気を上げ始めた夏の地面から顔を背けた。初夏の高い空には雲ひとつ無く、吸い込まれそうな澄んだ青さは、リリィアドーネの瞳の色にも似ているであろうか。
(ジッタンビットの奔放さ、あれは純粋だから、という訳では無いな……奴は、好きに生きていない)
卑しい野良猫の鼻は、鋭敏に察知しているのだ。好き放題に生きているようでいて、ジッタンビットは目を背けているのだと。
自分の人生を好きに生きている者は、目を背けないのだ。
楽な事からも、苦しみからも。
苦しみから逃げるのは同じでも、そこから目を背けて、見ないふりをする者の心は、決して晴れる事もない。
『それに堂々と目を向けてね、あらゆる手段で、きっぱり、と苦しみを断つ者こそが、真に人生を謳歌する者なんだよ』
とは、彼の師である、田ノ上ギョーブの言葉であった。
「……まぁ、そんな人間は、一人しか知らないがな」
「おぉん? なんですかその目は、馬鹿にしとるんか、やるんか、やってもええねんぞ」
「別に、馬鹿にはしてないが……おチャムさんはな、まこと人生の模範だと思ってな」
「せやろ」
まるで鰻の様に、ぐねぐねと身体を捻る枕を抱きしめ、御用猫は目を閉じるのだ。
(まぁ、分かる話ではあるか)
己自身の、薄汚く、卑しい半生から、目を背けるように。
「若先生! 」
寸刻眠りに落ちていた御用猫を揺り起したのは、金髪碧眼の美少年であった。少しずつではあるが、背丈も筋力も増えて来ているようであり、出会った頃と比べてみれば、見違える程なのではあるが、彼を形取る線は全体的に細くしなやかであり、服装と化粧に気を遣えば、簡単に美女へと変貌できるであろう。
「おう、おはようリチャード……準備は出来てるのか? ハルヒコとハボックは……」
「もう万端に整っております、それよりも! なんですか、あの方は、あのような……いえ、それは構わないのですが、勝手に人を紹介しないでください! 僕がどれほどに……」
眠気まなこを擦る御用猫に、珍しく勢い込んだ少年が詰め寄ってくるのだ。荷台にまで乗り込んで来たリチャード少年は、更に師を責め立てようとしたのだが、さすがに客人の前だと思い直したのか、胸に手をやり、深呼吸すると、すぐに落ち着きを取り戻すのである、この辺りがサクラ達とは違うところであろうか。
「失礼しました、そちらの方が、ジッタンビット様ですね、今日は手合いだと聞いておりますが、ひとまずはお茶を用意しておりますので、どうぞ、ゆるりとなさってください」
「おぉう、なんじゃ、こんな男前が……あぁ、しかし若過ぎるのぅ……わしは、もう少し渋い感じで頼り甲斐のある、面白やさしい人が好みじゃ」
「なら、奥の客間に行ってみろよ、ハボックは……色々と無理だが、ハルヒコならば独身だし、子持ちではあるが男前だぞ」
そうか、と笑いながら、ジッタンビットはリリィアドーネの手を引き、道場へと向かうのだ。ここ田ノ上道場は、古い教会を建て増しした作りであり、石造りの講堂と、木造の道場が渡り廊下で繋がっている、早速に、どちらへ入ろうかと迷った彼女であったのだが、苦笑を漏らしたリリィアドーネに、逆に手を引かれて、屋内へと消えて行った。
「……かなりの、遣い手ですね、見た目に惑わされたならば、いえ、若先生に限ってそれは……ならば、僕の予想以上に恐るべき相手、ということでしょうか」
「へぇ、お前も分かるようになってきたな……まぁ、しかしそうだな、まともに相手するのは、ちょいと遠慮したい手合いだよ」
卑しいエルフを肩に担ぎ上げ、御用猫も荷台を下りる。一拍開けて、それに続いたリチャード少年であったのだが、敬愛する彼の師に向けるその視線は、どこか不安げであったろうか。
「ならば、別の手段をとられた方が良くはありませんか、マスカンヴィット伯爵は東方の監査役でもあります、地方からの人気も高いお方、もしも、何かの間違いがあれば……」
「なんと、お前も心配性な奴だな、まあ見てろよ、まともにやるとは、誰も言ってないだろう? 」
首を傾けて卑しいエルフの腰を挟むと、御用猫は左手で少年の頭を撫でる。普段ならば、内心子供扱いされる事に対して、微妙な心持ちになりつつも、撫でられること自体は、密かに好いていたリチャード少年であったのだが、今日は、御用猫の負傷が癒えていない事を確認してしまった事により、その美しい顔を更に曇らせていたのだ。
「ん、心配性といえば……サクラはどうした? あのお転婆が、こんな見物を逃すとも思えないが」
「それならば、フィオーレに頼んで今日は買い物に……サクラが居たのでは、話が拗れてしまいますから」
「うはは、リチャードもやるようになったなぁ、その調子で、アンナちゃんもあしらっておけば良いだろう」
腹を抱える御用猫の姿を見て、少年の眉が釣り上がる。普段は温厚な少年にしては、まことに珍しくある光景なのだ。この分では、どうやら余程に迷惑を被っているのであろう。
「もう、若先生ったら! 言っておきますが、彼女が連日訪ねてくるおかげで、サクラは元より、フィオーレまでも臍を曲げてしまっているのですよ、早く何とかしてください、アドルパス様の耳にでも入った日には、どのような……」
「これも良い勉強だろ、いつも言ってるじゃないか、僕に足りないのは経験です、とな」
ワハハ、と笑いながら道場に向かう御用猫と卑しいエルフの尻を見送り、リチャード少年は、これまた珍しくも。
(若先生には、きっと、反省という経験が足りないのでしょう……)
我が師の敗北を願うのであった。
明日は温泉に入るのでおやすみします
ワハハ




