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二章 踏み込めない場所(2)

「り、り、陸上、やらないの?」

 その問いをしてはいけない。あたしは思わず飛び出したくなるのをぐっと堪えて成り行きを見守った。

 

 もしかすると、なのかが修一を救う鍵になるかもしれないから……。


「なんで?」

 修一が抑揚のない声で答える。これはまずいのではないかしら。

「え、えっと、こ、この前の体育の授業で、あ、ああ足が、速かったから……」

 動揺するなのかはとても可愛かった。けれど、今はそんなことを考えている場合ではないと思い直し、慌てて首を振る。

「陸上は“嫌い”なんだ」

 彼は確かにそう言った。全身を何かが貫いた感覚。それは痛みというよりも悲しみだった。


 嫌いなはずはない。

 ……でも嫌いになる理由はある。


 あたしはしばらく呆然として、その場に固まった。

 彼の傷はまだ癒えていない。あの日からまだ1年も経っていない。傷が癒えるにはあまりにも短い期間だ。

 しかし、彼が自分を責める理由はないし、多分、それは修一にも分かっている。


「あなたのせいじゃない」


 それは、「彼女」が彼に言わなければならないセリフだったのだ。


 はっと気づくと、そこになのかの姿はなかった。あたしは急いで後を追いかける。彼女は肩を落としてとぼとぼと歩いていたため、すぐにつかまえることができた。

「なのか、何かあったの?」

 できるだけ不自然にならないように注意しながら、あたしは後ろから声を投げかけた。

「ん〜ん。大丈夫」

 小さく笑うなのかにはいつもの元気がなかった。それでもあたしはあたかも安心したかのように、ほっと息をつく真似をした。

「そう。それなら良いんだけど」

「今日の英語の宿題難しくなかった?」

「ん〜、まぁまぁってところじゃない?」

 言いたいことはたくさんあったけれど、口に出てくることは他愛のないどうでもいいことばかり。

「じゃあ、後で答え合わせしようよ」

「写す気じゃないでしょうね?」

「えへへ」

「えへへじゃないわよ。……しょうがないわね。教室に戻ったらノートを貸してあげるわ」

「ありがとー」

「ジュース一杯でいいわ」

「えー」

「嫌ならいいんだけど?」

「いえ、そんなことありません」

「じゃあ、契約成立ね」

 そんなくだらない会話をしながら教室に戻る。そこに修一の姿はなかった。多分、屋上だと思う。どうやら彼は、いつも空の向こうにいる「彼女」を見ているらしかった。

 彼がいないこと。今はそれが好都合だった。なのかに何かを伝えたい。そう思ったあたしはなのかが呆けている間にささっと机に戻ると、ノートに二言ほど書き連ねた。

「はい、これ」

「ありがとう」

 なのかにノートを手渡す。後はなのかがどこまであたしの意図を理解してくれるかどうかだ。

 ぺらぺらとノートをめくっていたなのかの動きが止まる。きっと、あたしが書いたあれを見つけたのだろう。


 あなたには踏み込めない場所がある。

 でも、そこはあなたに踏み込んで欲しい場所でもある。

 

 

 さぁ、彼女にはどれだけ伝わっただろうか。

 なのかがあたしの「親友」なのか「友人B」なのかによって、全ては変わる。

 

 なのかはあたしの何なのかしら……。






 あいつはいったい何を考えているのか。

 あの子がなぜ俺に構うのか。

 

 俺には理解できない。

 

 もう、陸上はやらない。やりたくない。

 あのトラックを見ると、あのスパイクを見ると、吐き気がする。

 放っておいてくれればいい。


 放っておいてくれ!

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