エピローグ ヒロインの資格
体育大会が終わって数日後、お昼休みに雪村君に屋上に呼び出された。そこで、私はあるものを手にし、ドキドキしながら屋上に向かった。
「陸上部に入ることにしたから」
第一声でいきなりそう言われたとき、私はかなり驚いた。
「え? え? ど、どうして?」
「口出ししない約束だろ?」
そう言いながら笑った雪村君は、まだ少し寂しそうだったけど、きっと変われたのだろうと思った。
「2年前にも言ったと思うけど、俺は陸上が大好きだからね」
「あ……。そうだったね」
雪村君の口からもう一度その言葉を聞くことができて、私はとても嬉しかった。
「うん」
はにかむ雪村君を見て、ちょっとした幸福気分を味わうのも束の間、私はひとつ気になることが頭に浮かび、それを問いかけた。
「あれ? でもバイトはどうするの?」
確か、彼はほとんど毎日のようにバイトをして、生活費に充てていたはずだ。
その問いに雪村君は大きくため息をついて、ひどく情けない顔になった。
「親に頼み込んで、仕送りをしてもらうことにしたんだ。本当は俺の我儘で家を出たわけだから、生活費は自分の力で稼いで生計を立てなくちゃいけないんだろうけど、結局、両親には迷惑をかける形になっちゃったよ。まっ、こうなったらインターハイにでも出なくちゃ格好がつかないな。……はぁ。バカ息子は親孝行を真剣に考える年頃になりましたよ」
肩を落とす雪村君にどんな言葉をかけようか迷っていると、彼は表情を一変させて大きく伸びをした。それから頭をかきながらそっぽを向く。
なんだか少し照れているみたいだ。
「ん〜……そんなことはどうでもよくて、さ。あの、葵のことなんだけど……。あいつはバカで尊大で高慢で腹が立って仕方がないやつだけど……け、結構良い奴だから、よろしく頼むよ」
私は、急にそんなことを言われて呆気にとられたけれど、でも、雪村君のその言葉の中に、彼が葵を本当に大事に思っていることがうかがわれて、笑みがこぼれるのを我慢することができなかった。
「うん、任せて。だって葵は、私の“親友”だから」
「……そっか」
それと同時に、正直、少し妬んでしまった。
私は、今、雪村君の何なのだろうか?
「あ、あの、えーっと……」
「どうしたの?」
そして今日もまた、私は葵の計略に乗せられ、勇気を振りしぼらなくてはいけない展開に追い込まれている。
準備してきた例のものの出番だ。
「お、お弁当を、つ、作ってきたんだ、けど……?」
「俺に?」
「う、うん」
私は顔を真っ赤にして、背中に隠したお弁当を手渡す。葵は絶対に受け取ってくれると言っていた。それを信じて私はそれを突き出した。
「ありがと。でも、俺も作ってきてるんだよな」
彼はそう言って頬をかいた。それから(それなら受け取ってもらえないよね)と思って、しゅんとした私の手からお弁当を受け取ると、小さく笑った。
「じゃあ、俺のも取ってくるから、それ食べる?」
「……え? よ、喜んで!」
「そんな大したもんじゃないけどな。じゃ、ちょっと待ってて」
小走りで駆けていく雪村君の背中を見送ってから、私は空を見上げた。
散りばめられた白い雲が、青い空を彩っている。
気持ちの良い風が吹いて、声が聞こえた。
「ありがとう」
それは何のお礼だったのだろうか。
私は彼女に認められたのだろうか。
「お待たせ、なのか」
気持ちの良い時間を過ごしながら雪村君を待っていたはずなのに、聞こえてきた声は彼の声にしてはやけに高かった。
「……は?」
「二人きりが良かった?」
にやにや笑う葵の横で、雪村君が小さく頭を下げた。屋上に戻ってきたのは、雪村君だけではなかった。自分から、お弁当を作っていけば、と言ったくせに、この人は、全く本当に……。
「良い性格してるよね」
「あ、なのか。何それ。あなたはそんなこと言う子じゃないはずよ! もう修一に毒されたの?」
大げさに喚きまがら、私にべたべたと触ってくる葵をよけながら、楽しくて仕方がない気持ちがこみ上げてくるのを否定することはできなかった。
「ま、とりあえず食べようか」
「はーい」
私は雪村君が作ったというお弁当箱を開いた。色の置き方が綺麗で、食事はまず見た目が大事、というのが一目で分かるような詰め方だった。その中でまず卵焼きをとり、口に運ぶ。ふわりとした食感で、卵の甘みが口の中に広がっていく。
圧倒的に私の作ったものよりも美味しいことに悔しさを隠し切れなかった。
「これ、私のより美味しい……」
「一人暮らしなめんな」
「修一は、主夫になれば良いよ。そうしたら、あたしが働いてがんがん稼いであげるから」
「それは助かります。お願いします」
私はまだ雪村君の「友人A」にすぎないのかもしれない。
じゃれあう葵と雪村君を見ながら、嫉妬することもしょっちゅうある。
それでも……。
「しゅ、修一君、お、美味しいかな?」
私の作ったお弁当に箸を運ぶ雪村君に向かって、顔を真っ赤にしながら訊ねてみる。
「え? あ、あぁ美味しいよ、なのか」
若干、動揺しながら答えてくれる雪村君は、ちょっと可愛かった。
そんな気持ちを遮るように「ほんっっっとうに、可愛いわね、全く」と言って、私に抱きついてきた葵にどきまぎしながら、少しだけ頬を朱に染めた雪村君を盗み見る。
私はきっと、雪村君の「ヒロイン」に少し近づけたのだと思う――。
おわり。




