四章 橋本つぐみ(2)
放課後、あたしは自分の席に座ってじっと待っていた。あいつは今日バイトが休みだ。そういうときは決まって屋上で時間を潰し、それから教室に戻ってくる。その証拠にカバンはまだここにある。
高校に入学して3ヶ月目に入った。そろそろ、あたしも息苦しくなってきたところだ。
誰もいない教室で5分くらいが経ったころ、ドアが開いてあいつが入ってきた。あいつは、あたしを見て嫌そうな顔をした後、小さく“笑った”。
「まだ残ってるの? “吉川さん”」
万人が万人“微笑んでいる”と太鼓判を押すであろう笑みを浮かべるあいつの仮面をはぎとるために、あたしは爆弾を投下した。
「……修一」
カバンを手にしようとした修一の動作が止まる。彼の名前を呼んだのは、“あの日”以来のことだ。
「まだ、引きずってるの?」
「僕が何を引きずっているっていうんだ?」
「“僕”ってキャラじゃないでしょ、あんたは。……いつまで、演じ続ける気?」
あたしは立ち上がって修一の腕をとった。思い切り力を込めて握り締めると、彼の腕が徐々に色を失っていくのが分かった。
「痛いんだけど?」
「その変なキャラ設定をやめたら離してあげてもいいわよ」
あたしは修一をにらみつけるが、彼はそんなこと気にも留めていないかのように空いている手であたしの腕を握り締めた。
「何、考えてんだ?」
背筋を凍りつかせるくらいの冷たい声だった。でも、ここで怯むわけにはいかない。
「あんたこそ、何考えてんの?」
修一はあたしの腕から手を離し、あたしにも離すように促した。ここで離すと彼が逃げ出してしまわないか不安だったけれど、あたしは大人しく彼の言うとおりにした。
修一は自分の席に腰を下ろすと、額に手を当て苦しそうに顔をゆがめた。グラウンドからは部活動をやっている生徒たちの声が聞こえる。
それ以外は何も消えない、静かな放課後だ。
「お前、何でここにいんの?」
沈黙を破って彼が放った一言目はそれだった。
「何でって……うち、引っ越したから」
そう。うちは中学卒業と同時に引っ越しをした。だから、今の家から一番近い光葉を選んだのだ。修一に文句を言われるいわれはない。
「修一こそ、なんでここにいるの? 一人暮らしまでして」
「……なんで、だって?」
顔を上げた修一の瞳には炎が宿っていた。ぎらぎらとした瞳はまるで獣のようで、すぐにでも噛み付かんばかりに、勢いよく立ち上がった。
「誰も知り合いのいない場所に行くために決まってんだろ! 何もかも忘れたくて! 過去の自分とは違う自分になりたくて! 全中のとき、侑哉はやっぱりここは受けないことにしたって言ったくせに、結局ここを受けて合格してるし! それに加えてお前もかっ! 絶対にもう会いたくなかったお前がっ! 寄りによってお前がいるなんてっ!! しかも、俺に見せ付けるように、あの子と仲良くしやがって!! 俺をどこまで追い詰めれば気が済むんだよ!!」
「誰が、修一を追い詰めてるって……?」
「お前らの存在がだよ! お前らの顔を見るたびにあいつの顔が蘇る。俺が殺した、あの女の顔が!!」
あたしは思い切り修一の頬を叩いた。空気を切り裂くような乾いた音が響き渡る。
「吐き出して、少しは楽になったかしら?」
「……あ?」
じんじんする手から察するに、多分修一の頬はかなり痛いはずだ。それなのに、ただにらみつけるだけでなんの仕返しもしてこない修一を、そこは昔と変わってないんだな、と思いながらこちらもにらみ返す。
「誰も、修一がつぐみを殺したとは思っていないわ」
「……」
「もう、良いでしょ?」
「……」
「ね?」
「…………誰も、だと?」
震える声で修一が声を出す。あたしは一瞬びくりとして、小さく後ずさった。
「誰もじゃない。“俺は”俺がつぐみを殺したと思っている」
「バカね」
「何だと!」
修一があたしに向かって手を振り上げ、あたしを殴る直前でその拳を止めた。長い付き合いだから、あたしにはそれが分かっていた。修一は決して誰かに手を上げることはない。
その自信があったから、あたしは恐れることなく言葉を続けた。
「あなたのせいじゃないわ」
修一は身体を震わせ、わなわなと唇を奮わせた。これで彼が納得するとは到底思えない。けれど、あたしはそれを言葉にして彼に与えた。
“彼女”が贈ることのできなかった、その言葉を。
言って、少しだけ後悔した。その言葉は彼を救うばかりか、下手をするとさらに傷つけてしまった可能性があった。
「それに、あなただけが不幸なわけじゃないわ」
これは詭弁だ。先ほど言った言葉の強さを薄めるために出てきた言葉がそれだった。
修一は震える身体を止めることができずに、苦痛でゆがめた顔をこちらに向けた。
「確かに、不幸なのは俺だけじゃない。……でも、俺が不幸だというのは事実だ」
つぐみが死んで、一番苦しんでいるのは間違いなく修一だろう。
彼が、つぐみを“殺した”と表現した理由も分からないわけではない。けれど、その思いが彼の心の内を占めるのは間違っている。自分を追い詰めて、彼女に懺悔し続けることは償いではない。
……そして、きっと、それは彼にも分かっている。
ただ、どこにもぶつけようのないその思いを外に出す術を、外に出す相手を知らないのだ。
修一は拳を下ろしカバンを手に取った。あたしは教室を出ようとする修一に向かって、もう一言投げかけた。
「雪村修一は、そんな人だったかしら」
修一は何も言わずに教室のドアを開け、そしてぴたりと動きを止めた。同時にあたしも動きを止めることになった。
しまった――。と思うには、遅すぎた。もはや何の言い訳も浮かばない。
そこには、青ざめた顔をした「笠原なのか」が立っていた。




