四章 橋本つぐみ(1)
高校に入って初めの中間テストが終わった。さすがは光葉というべきか、私は平均点を越えたり越えなかったりという感じだった。
総合点では、平均点に落ち着いた……というところだろうか。
だけど、今は私のことなんてどうでも良かった。
「……うわぁ…………」
思わずそんな声が洩れたのは廊下に貼り出された成績上位者の名前を見たからだった。うちの学校は、“互いに刺激し合う”ことで各々を伸ばすということをモットーにしているらしく、テストごとに上位者のテストの点と名前が貼り出されるというありがた迷惑な慣習が未だに続いている。
その4位のところに彼の名前があったのだ。
雪村修一、と。
驚くというよりは呆然とした。
光葉は1学年に8クラスあって1クラスが約40人だから、学年全体で320人という数の生徒がいる。その中の4位になるなんて、いったい彼は私のどこまで先を走っているのだろう……。
「……え、えっと、そういえば葵はどうだったの?」
私の隣で苦虫をかみつぶしたような顔をしている葵の方を向いてそう訊ねると、彼女はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「人間はね、テストの点では決められないのよ」
「……赤点?」
「そこまでひどくはないわ」
「なんか意外だね」
「何が?」
「葵って勉強できるイメージがあるのに」
葵は少し嫌そうな顔をして、ぶんぶんと首を横に振った。
「テストで良い点とることと勉強ができることは違うのよ」
「そういうものかな」
「そういうものなの」
私がそんな風に葵との会話を楽しんでいると、雪村君が掲示を見にこちらにやってくるのに気づいた。葵がはっとした顔になったけれど、そんなのは気にせず私は思い切って彼に近づいていった。
「あ、ゆ、雪村君?」
「何?」
いつもの笑顔で私に向き直る彼。私は早まる鼓動を抑えながら、
「け、掲示見たよ、すごいね」
と言った。まだ掲示を見ていないらしい雪村君は私の言葉を聞いて人ごみの後ろから掲示を覗き込んだ。私の身長ではこの位置から掲示を見ることは不可能だけれど、彼ならば背伸びをすればぎりぎり見えるかもしれない。
「……ん〜、4位?」
目を細めながら掲示を見つめる彼にそう訊ねられたので私は興奮気味に、
「そ、そう! 4位だよ!」
と、答えた。それから彼はもうしばらく掲示をにらみつけた後「よし」と小さくつぶやいて、こちらに視線を向けた。
「笠原は?」
「え?」
「笠原はどうだったの?」
まさか、会話が続くとは思ってもみなかった私は、
「わ、私は、ち、ちょうど真ん中くらい……かな?」
と、どもりながら答えることになった。恥ずかしい……。けれど、雪村君はそんなことを気にもせずに、小さく笑って口を開いてくれた。
「ふ〜ん。結構難しかったもんね」
「そうだよね」
そんな彼を見ながら、果たして私が見た中学生のときの彼も、こんな笑い方をしていただろうか、と考えていたときに、後ろから大きな声をかぶせられた。
「修一、どうだった?」
振り向くと、そこに立っていたのは、隣のクラスの桜井侑哉だった。中学のとき100m走で雪村君と争ったあの桜井君だ。
「……お前は?」
「まだ見てないから、聞いたんだろ? お前もまだ見てないの?」
桜井君は、掲示の前にたかる人ごみを見ながら、ため息をついた。雪村君より少し身長の低い彼では、掲示を見ることができなかったらしい。
「これじゃ、見えないな……。とにかく、これは負けられないからな。お前をなんとか陸じょ――」
「俺は4位らしい」
「うそっ!?」
桜井君は声を裏返らせて叫んだ。目を丸く見開いて、口だけを機械的に動かした。
「ホ、ホントウニ?」
「嘘をつく理由がないだろ」
「え? お、俺は?」
「知りたい?」
「そ、そりゃあな」
「6位だな」
「……」
桜井君が沈痛な面持ちで拳を握り締めた。私は彼がそんな顔をしたことよりも、目の前に学年4位と6位がいることに衝撃を受けていた。
……な、なんて羨ましいんだろう。
「う、嘘だろ?」
「だから嘘じゃないって」
「だって、お前、負けず嫌いだし、それに賭けの件もあるから、それで負けるのが嫌で――」
「いくら負けず嫌いでも嘘はつかない。嘘は嫌いだ」
「じゃあ、この賭けは俺の負け……ってこと?」
雪村君は、ちらっと私の顔を見て、それから桜井君に視線を動かした。
「そうだな。よって、陸上部には入らない」
「ぐ……。よ、よし、分かった。次は期末で再挑戦だ」
「懲りないな」
「懲りない!」
桜井君が間を置いて、息を大きく吸い込んだ。
「俺はお前と陸上がしたい!」
廊下中に響き渡らんばかりの大声だった。桜井君が雪村君の顔を真剣な眼差しで見つめるけれど、雪村君の方は小さくため息をつくと、すっと顔をそらした。
「そうか。頑張れ」
「嫌味か」
「嫌味だ」
桜井君は悔しそうに肩を落として去っていった。残された私は、雪村君にかけるべき言葉を捜した。陸上について触れるべきか否か……。迷ったあげく、私はこう言うしかなかった。
「よ、4位なんて、すごいね」
「ありがと」
雪村君はまたさっきみたいに小さく笑うと、私からも顔を背け、そのまま教室へ戻っていってしまった。私はもう次の言葉が見つからなくて、すごすごと葵の元に引き返した。
「あいつ、笑ってないね」
戻ってきた私に対して発した葵の第一声はそれだった。
「笑ってない?」
「うん」
私は、雪村君の去った方に目を向ける。
そこにはもう彼の姿はなかった。




