違和感の正体1
――退屈だった。
何もかもが下らなかった。
小学生の教室に、
いい年をした大人が混じっている気分。
自分には必要のない授業を受けて、
自分には必要のないルールを強要されて。
話が合わない以前に、価値観から違う周囲の人は、
もはや同じ人間にさえ見えなくて。
どうして自分はこんなところにいるのだろう――と、
朝霧温子はいつも思っていた。
『じゃあ何で学園に来てるの?』というのは、
短絡的過ぎて答える気も起きないような愚問だった。
どんなに下らないと思っていても、
今の世の中は学歴で回っている。
そこに投資をしなければ、
人生というゲームで有利に立ち回ることはできない。
すぐ死ぬ気もないし、低コストで入れる以上、
朱雀学園に入らない手はなかった。
温子にとって誤算だったのは、二つ。
一つは、彼女の妹までが、
どうしてかこの学園に入ってきていたこと。
そしてもう一つは――
「あ、いたいた」
この恐ろしいほどしつこい笹山晶という男が、
同じクラスにいたということである。
「……毎回聞いてるけれど、
何が楽しいんだ?」
「楽しいっていうか、
日課みたいな感じ?」
相変わらずの締まらない笑顔を見ると、
何か言おうという気も失せてきた。
というより、
彼を追い払う言葉はもう既に言い尽くしていた。
それでも通い詰めてくるということは、
きっと、彼の前世はニワトリか何かなのだろう。
「副委員長になってもらう件だけれど、
考えてもらえた?」
「記憶から消し去ってた。
あともう聞きたくないから説明も要らない」
飛んでくるだろう言葉を先読みして、
『もう喋るな』と睨み付ける。
先読みできるほど顔を合わせていること自体、
温子からすると気に入らない。
どうして、
こんなことになったのか。
どうしてこの男は、
嫌われている相手に接触し続けられるのか。
思いつく繋がりは、せいぜい同じクラスであることと、
彼が委員長であることくらいなもの。
問題児に構うのが仕事だとしても、
一学生の責任感とは到底思えない。
彼が毎日通ってくるおかげで、
笹山晶という覚えたくない名前まで覚えてしまった。
「じゃあ、勧誘はまた今度で、
何か違う話をしようか」
声を聞けば誰だか分かるほど記憶にこびり付いた声で、
晶は今日も、温子に独り言を喋っていく。
内容は主に、
クラスのことや時事ネタ等。
おかげで、よく挙がるクラスメイトに関しても、
温子は名前を覚えてしまった。
くそ――と、
温子が内心で舌を鳴らす。
逃げることも可能だったが、
それはしたくなかった。
こんな学園にも、そこに詰め込まれた生徒にも、
温子は一切興味なかったが――
それでも、他人に舐められることだけは、
許容できなかった。
そうして日々、
ストレスが溜まっていった。
そのたびに、引退すると決めたゲームセンターに行って、
対戦相手を片っ端からボコボコにしたい気分に駆られた。
――ある日、温子が帰ろうとしたところで、
男二人と喋る笹山晶を見つけた。
下らない話で覚えてしまった特徴から察するに、
男の片割れは三橋順也。
晶は極力好意的に話していたが、
その内容は、雑用の押しつけとしか思えなかった。
ただ、笹山晶という人間は、
利用されていることにも気付かないバカの可能性がある。
もし気付いていないのであれば、
本人に分からせてやろう――
そんな意地悪い気持ちで、
温子が三人の話に聞き耳を立てる。
「つーわけでよー笹山、
俺のプリント代わりにやって出しといてくれねー?」
「あのね……プリントは自分でやらないと、
意味ないんだよ?」
「んなの分かってるっつーの。
それでも、今日はマジ勝負の日なんだって!」
『なっ、頼む!』と拝み倒し、
プリント課題を押しつけようとする三橋。
そんな見え見えの嘘に、
誰も引っかかるわけないだろバカ――
「……もう。じゃあ、今回だけだよ?」
そんな温子の思考は、
とんでもないバカによって覆された。
困惑する温子の前で、
三橋が驚喜する。
ありがとうと連呼して、晶にプリントを押しつけて、
傍らの男と一緒に昇降口へと走って行く。
それを許す愚鈍さが、
どうしようもなく頭に来た。
傍で見ているだけで関係のない温子なのに、
まるで自分が騙されているような気分になった。
何故、あんなことを許すのか。
お前に人を疑う機能はないのか。
騙されて悔しくないのか――
そんな気持ちを全部ぶちまけてやろうと、
温子はその日、初めて晶が来るのを待った。
嫌がらせのつもりで騙されていると教えてやるつもりが、
本気で怒ってやりたい気持ちで一杯だった。
「あ、いたいた」
そうして待ち受ける温子の元に、
代わり映えのない第一声が飛んでくる。
この野郎、ようやく来たかと、
鬼のような形相で温子が振り返る。
そうして、背後にいた晶を見て――
思わず目を丸くした。
いつもと同じく締まらない笑顔を浮かべた男は、
大量のジュースやお菓子を腕の中に抱えていた。
「いやー、さっき三橋くんにもらっちゃってさ。
『昨日の礼だ受け取ってくれ』って」
「でも、一人じゃ食べきれないから、
朝霧さんにも消化を手伝ってもらえない?」
晶がベンチの上にどさどさと荷物を置く
/温子に紙パックのジュースを差し出してくる。
それがもう、
温子には我慢がならなかった。
『譲歩したぶんだけ付け込まれる』という考えから、
やり取りはしないと決めたルールを自ら破った。
晶からジュースをふんだくり、
ひとまずそれを思い切り啜り――
一息ついたところで、
晶にがーっと怒鳴りつけた。
「お前は人に騙されることとか
考えてないのか!?」
「え、えーと……何の話?」
「昨日、三橋に課題を押しつけられてた件だ!
まさか、このお返しを予測してたわけないよな?」
眼鏡越しに鋭く睨む温子に、
晶がのけぞり引きつった笑いを浮かべる。
それでも、とりあえず落ち着きを取り戻したのか、
こほりと咳払いをしてベンチに座り直した。
「騙されるっていうか、都合よく使われてる可能性は、
ちゃんと考えてたよ」
「だったらどうして、
三橋の頼みを受けたんだ?」
「それは……
騙されてもいいかなって思ったからかな」
意味不明な答えを返す謎の生き物に、
温子が困惑を浮かべる。
そんな温子へ、
晶は『難しいことじゃないよ』と笑いかけた。
「三橋くんは別に悪い人じゃないって知ってたし、
騙されても僕がちょっと損するだけだしね」
「逆に、三橋くんが本当に困ってたなら、
僕を頼ってくれたってことじゃない」
「誰かに必要とされるのって、やっぱり嬉しいよ。
自分にできる範囲でだけれどね」
特に恥ずかしがるでもなく、気取るわけでもなく、
当然のことのように語る晶。
『人はポリス的動物である』とは
アリストテレスの言葉だが――
生活する社会への貢献を目指すにしても、
晶の行為は、温子にとって理解不能だった。
「……お前、おかしいよ」
「そうかもしれないけれど、
僕がそれでいいと思うから、まあいいかな」
『それより副委員長にならない?』と、
お菓子の袋を開けながらいつもの会話を始める晶。
それに『なるかバカ』と返しつつ、
温子は改めて、目の前の謎の生き物に首を傾げた。
謎の生き物は、
毎日変わらず温子の元へと通い続けた。
変化があったのは、
二人のやり取り。
温子が懸念していた通り、一度譲ってしまった後は、
なし崩し的に会話するようになってしまっていた。
ただ、関わり続けている以上、
何かしらの変化は訪れる。
幾ら突き放したところで晶が通い続けてくる以上、
こういう展開になるのは温子も理解していた。
もちろん、心を開いたかのように思われるのは、
はっきり言って気分が悪いのだが。




