アジトの調査3
「笹山くんっ!!」
幽が叫んだ頃には、
何もかもが遅すぎた。
砲弾と化した黒ずくめの男の体が、
笹山晶の体を容赦なく捉える。
凶弾より一回り小さな体が、
派手に吹き飛んだ/もんどり打って倒れた。
それでも勢いは止まらず、
晶はごろごろと階段を転がっていく。
受け身も取れないその様子を見るに、
恐らく意識はないのだろう。
「ちっ……!」
ただの学生であるはずの笹山晶が、
自身の取った不覚をカバーしてくれた。
しかも、プレイヤー並みのパフォーマンスを
見せてくれたのは、幽にとって予想外の幸運だった。
しかし――急に動きが止まった隙を、
あの黒ずくめの男に目敏く突かれた。
直前の顔色を見る限り、
停止の原因は体調不良か。
「だから休めって言ったのに……!」
詮無いことと知りながら、それでも愚痴を零しつつ、
幽がジャックに弾かれたナイフを拾いに走る。
その隙に悠々と逃げられるだろうことは確実だったが、
今となっては仕方ない。
情報は諦めるとして、柱の陰にある死体の検証と、
笹山晶の治療を優先しなければ――
そんな幽の考えに反して、
どういうわけかジャックは階下に進んでいなかった。
敵の道理に合わない行動に、
幽が眉間に皺を刻む。
しかし、その理由はすぐに分かった。
それ故に、不可解だった。
黒いライダースーツの向こうに覗くのは、
見慣れた制服姿――
そのただの学生であるはずの少年の体が、跳ねた。
「!?」
ジャックがフルフェイスのメットを忙しなく動かすも、
一向にその姿を捉えられない。
幾ら暗い廃ビルの中でメット越しとはいえ、
その軌跡を追うことしかできないとはどういうことだ。
先の動きとはまるで違う。
地を這い/壁を走り/天井を蹴る――
およそ人間離れした驚異的な疾走。
機銃を掃射したような足音が廃ビルに木霊し、
積もった砂埃が周囲へと巻き上がる。
――その砂煙を切り裂いて、
ジャックの喉元へと手刀が飛んだ。
「くっ……!」
首を捻って躱すジャック――
たたらを踏む/闇雲に刀を振りつつ後退する。
その刀のギリギリ届かない範囲を、
地面を削るような足捌きで少年が迂回――
攻撃の隙間を縫って、
少年が再度ジャックへと迫る。
息をつく間もない。
ただ、感覚に従って刀を振るい、ガードを上げ、
襲い来る嵐を必死になって防ぐ。
その最中――ふいに、少年と目が合った。
フルフェイスで見えないはずなのに、
的確にジャックの目を射抜く少年のその目は――
おぞましい、
絶対零度の輝きを放っていた。
ジャックの総身に悪寒が走る。
だが、手を/足を止めている暇はない。
間断なく繰り出される手刀。
そのどれもが急所狙い。
一撃でも食らったら致命傷に繋がりかねず、
ジャックの首筋に嫌な汗が流れる。
しかし、それが汗でないことに、
ジャックはすぐに気がついた。
首筋に伝わる
ぬるりとした感覚は血液のそれ。
つまり、掠った場所が切れている。
見れば、革製のライダースーツのあちこちまで、
ただの素手で引き裂かれていた。
その手刀の切れ味に戦慄する――
あと回避が僅かでも遅れていたら、
一体どうなっていたんだろうか?
そんな思考の隙を、
ただの学生であるはずの少年は見逃さなかった。
「い゛っ――」
ヘルメットの下から、くぐもった声が漏れる。
ライディングギアの隙間から、骨の砕ける音が溢れる。
体重を乗せた強烈な後ろ回し蹴りが、
切り裂きジャックの脇腹を打ち抜いていた。
ジャックがよろめく。
しかし、倒れない。
全身を震わせながら/肩で息をしながらも、
さらなる少年の攻撃を刀で受け止め弾き飛ばす。
同時に去来する安堵――
刀を抜いていないおかげで今の防御ができた。
一拍後に押し寄せる後悔――
刀を抜いてさえいれば今の接触で仕留められた。
矛盾した二つの気持ちは、
そのままジャックが追い詰められている証左だった。
何しろ、少年の動きは留まることを知らず、
ジャックを確実に仕留めんと苛烈さを増してきているのだ。
その動きには、
有利状況に対しての優越や緩みなどの揺らぎは一切ない。
機械のように、ただひたすら、
ジャックの急所目がけて致命的な打撃を見舞ってくるのみ。
そう――
押し退ける/制圧することを目的とするはずの戦いが、
もはや完全に命のやり取りへと変化していた。
ここまで来ては、
手加減をしている余裕などない。
相手を殺す気でやらなければ――
そう思っていたところで、
ジャックの喉元を再び手刀が通過した。
今度の傷は先ほどより深い。
痛みと出血がジャックの首元を濡らしていく。
もはや一刻の猶予もなかった。
殺さなければ、
こいつは止められない――!
「なんなの、これ……?」
そんな二人のやり取りを、
幽は悪い夢を見ているような思いで眺めていた。
何故、ABYSSでもプレイヤーでもない人間が、
これほどまでの力を有しているのか。
果たしてあれは、
本当に笹山晶なのか。
笹山晶とは、運動音痴で人よりも優しい、
どこにでもいる学生だったはずではないのか――
加勢しなければという最初の気持ちは、
完全にどこかへ行ってしまった。
そんな余地などどこにもない。
とにかく目の前の出来事を認識するために、
幽はただ、二つの影の殺し合いを見つめていた。
その幽の瞳の中で、
切り裂きジャックと笹山晶が同時に吹っ飛んだ。
痛み分けというよりは捨て身という言葉が相応しい、
ジャックによるカウンター。
しかし、そのリスクの報酬として、
仕切り直しできるだけの距離と時間を得ることに成功――
すぐさま起き上がり、
再び殺しに来ようとする笹山晶へ向かい合う。
しかし、手にする白刃は
未だに鞘に収まったまま。
顔をしかめる幽――この都市伝説の影は、
どうして未だに刀を抜かないのか?
――その疑問は、
すぐに消えてなくなった。
「あれは……!」
鞘に秘めた刀を腰元に帯び、体を前傾させる。
左の膝を地に着け、右膝を立てる。
恐らくは居合いの構え。
だが、通常の居合いとは異なり、
右の二の腕が右膝に接触していた。
その変わった構えに、幽は息を呑んだ。
目を見開いた。
そしてそれは――幽の立つ位置からは見えないが、
笹山晶も同様だった。
疾風迅雷の如き先の猛攻は鳴りを潜め、
ジャックと対面で睨み合ったまま動かない。
時折、隙を窺うような動きを見せたり、
足下の石を拾ったりするものの、ただそれだけ。
攻撃行動には移さずに、
ジャックとの距離を保ち続ける。
そんな睨み合いが終わったのは、
夜空に浮かぶ月が雲に隠れ、再び顔を出した頃だった。
「やめだ」
笹山晶が顔の高さに両手を挙げる。
それから、その手をポケットに突っ込み、
階段を顎で指し示した。
しかし、ジャックは構えを崩そうとしない。
「疑り深いヤツだな。
そんなに警戒するなよ」
「正直なところ、お前とこのままやり合ったところで、
リターンなんてまるでないんだ」
「俺のこの場での目的は既に達成された。
さっさと行けよ」
「……ま、どうしてもお前がやりたいなら、
このまま睨めっこを続けさせてもらうが」
暗に胸の傷のことを指摘されて、
ジャックが歯噛みする。
確かに、時間をかければかけるだけ、
ジャックのほうが不利になることは明らかだった。
「分かっただろう?
ほら、行けよ」
少年が再び階段を示す。
渋々ではあるが――
今度こそ、ジャックもそれに従った。
「……ちょっと、どういうこと!?」
静寂が戻った廃ビルにずかずかと足音を響かせて、
幽が少年へと歩み寄る。
聞きたいことは山ほどあった。
何故、ジャックを逃がしたのか。
何故、あんな一学生を逸脱した動きができるのか。
納得の行く説明を受けるまでは、
今日は絶対に返さない――
そんな意気込みで、笹山晶の肩を掴む。
「さあ、吐いてもらうわよ、全部!」
「……え?」
振り向いた少年は、先の鬼人じみた表情ではなく、
いつも見るただの学生の表情をしていた。
――何が何だか、よく分からなかった。
気がついたら、黒塚さんが『嘘ついたら殺すわよ』と
質問を雨あられのように飛ばしてきて。
気がついたら、
切り裂きジャックがいなくなっていて。
とにかく、色々と欠けているものをすり合わせるために、
黒塚さんと話した。
「無我の境地ってやつなのかしらね……?」
「……なのかなぁ?」
自分がそんな状態になっていたなんて、
説明されても実感が湧かない。
無我の境地というのも、
無理やり説明を付けるならば――という程度の話だ。
「でも、元々訓練をしていたんでしょう?
暗殺者として」
「……まあね」
説明の際に、
どうしても回避できなかった内容。
それは、僕の戦闘能力の源泉――
つまり、生い立ちだった。
「でも、正直に言って、
黒塚さんに信じてもらえると思ってなかったよ」
「……しょうがないでしょ。
でなきゃ、説明できないことが一杯あるんだもの」
「例えば、あなたの経歴とか」
僕の経歴……?
「パートナーが調べたら、
あなたの経歴の八歳から前が真っ白だったのよ」
「えっ、嘘!?」
僕の経歴なんて、
父さんが完璧に捏造してるとばっかり思ってたのに……。
「それに、さっきのあなたの動きよ。
あんなの、絶対に武術とか格闘技なんかじゃない」
「明らかに、
人を殺すことだけに特化した動きだった」
……確かに、そういう訓練を
受けてきたのは間違いない。
でも、実際に人を殺すことは
できないんだけれどなぁ。
って言うと、
火に油になりそうだから止めておくか。
っていうか、あれだ。
「……黒塚さん、
さっきから何か怒ってる?」
「怒ってるわよ!」
声を大きくして、
黒塚さんが傍の柱を蹴りつける。こわい。
「あなたのこと弱いと思ってたのに、
蓋を開けてみたら『実は強いです』?」
「何よ! 逃げろ逃げろ言ってた私が
馬鹿みたいじゃない!」
「いや、そんなことは別にないってば」
僕の情報がなかっただけで、黒塚さんの判断は、
普通の学生に対するものとしては適切だったはずだ。
まして、僕のことを気遣ってくれたのに、
それに対してバカにするつもりなんてさらさらない。
「『僕が逃げることで効果を発揮する作戦』だっけ?
あんな嘘までついてくれたことは、凄い嬉しかった」
「……嘘じゃないわ」
えっ?
「嘘じゃないわ。あったの、作戦は!」
「あ、ごめん。あれ嘘じゃなかったんだ。
どんな作戦だったの?」
聞き返すも、黒塚さんは答えず、
不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。
その態度が何よりも雄弁で、
自然と口元に苦笑いが浮かんでしまった。
「……とにかく、
今後はああいう隠し事はやめてよね」
「初めからあなたの力が分かっていれば、
他にも色々とやりようはあったんだから」
「切り裂きジャックだって、
逃がさなくても済んだはずだし」
「……ごめん。
せっかくのABYSS候補だったのに」
「ああ、別にABYSSじゃないわよ」
「えっ、嘘!? っていうか黒塚さんって、
ジャックはさっきが初見だよね?」
「そうだけど、“ある方法”で、
ジャックがABYSSかどうかを調べたの」
「結果は白。だから、
ジャックは確実にABYSSじゃないわ」
「……そんなに信頼できるものなの?」
「ええ。プレイヤーとABYSSの間にある、
ルールみたいなものだから」
ルールか……。
多分、プレイヤー側に質問されたら、
ABYSS側は正確に回答しなきゃダメとかなんだろう。
「まあ『切り裂きジャックで通るか!』とか、
パートナーがうるさくて面倒だったけどね」
『アイツ生意気なのよ』と、
SUGAさんをディスる黒塚さん。
……確かに、中の人が分からない俗称だし、
それで調べるのは大変なんだろうなぁ。
それでもルールを通ったからには、
ABYSS側が認めたって感じか。
ただ――何にしても、
こちらとしてはその情報はありがたい。
「結局、ABYSSじゃないなら、
ジャックの目的は何なんだろうね?」
「片山を追いかけてるとかじゃないの?」
「だったら、
僕らと協力できると思うんだけれど……」
「……まさか笹山くん、敵の敵は味方だなんて、
おめでたいことを考えてないでしょうね?」
「私だって、あなたと協力するつもりはなかったのよ。
向こうだってその可能性が高いわ」
「しかも、私とあなたの目的だって、
完全に一致してるわけじゃないし」
それは、その通りだ。
僕の目的は、琴子を助けることと、
ABYSSから身を守ること。
対して、黒塚さんはABYSSを殺すこと。
目指す方向は大体合っていても、
その最終的な着地点は大きく異なる。
「まあ、あっちに転がってる死体を見る限り、
ジャックの目的は私と同じみたいだけどね」
「……そうだね」
廃ビルでジャックに殺されていたのは、
片山の手下だった。
恐らく、黒塚さんのパートナーが
おびき寄せていたという情報源だろう。
どうやってジャックが
この場所を知ったのかは分からない。
ただ、僕らとしては先を越された形だった。
「……せっかく、
もう少しだったのに」
「でも、私は収穫があったわよ」
「え……収穫って、何が?」
「これが」
黒塚さんが、ぴんと伸ばした人差し指を
僕の胸元へと突き立ててきた。
「あなたが使えると分かったのが、
私にとっては一番の収穫よ」
「もし、私に協力してくれるなら、
ABYSSが複数出て来ても多分大丈夫ね」
「……そうなの?」
「ええ。状況を選ぶけど、
私にも奥の手があるから」
「笹山くんが今後も動いてくれるなら、
それを積極的に使っていくこともできると思う」
「いや、もちろん協力するよ。
黒塚さんには、だいぶ助けてもらってるし」
「じゃあ、明日から期待してるわ」
……ああ、もう今日は、
調べる当てがないんだったか。
「もう一回念を押しておくけど、
絶対に、さっさと帰って休みなさいよ?」
「もし、明日も酷い顔をしていたら、
明日は強制的に休日にするから」
「……分かった。そうするよ」
そこまで言われたら仕方ない。
休むのも琴子のためだと思って、
大人しく休んでおくか……。
「それじゃ、また明日ね。
何かあったら連絡をちょうだい」
「うん、分かった。また明日」
背中越しに手を振って、
黒塚さんは廃ビルの中から出て行った。
途端、気が抜けたのか、
あくびが漏れた。
……僕も帰ろう。
そろそろ体力も限界っぽいし。
「ただいま……」
誰もいないと分かっていながら、
帰宅の挨拶を投げる。
もちろん返事なんてあるはずもなく、
それはただ寂しさを確認するだけの儀式で終わった。
家の中は出た時と同じく荒れたままだったけれど、
片付ける気力も残ってない。
それらを無視して自分の部屋へと戻った。
ベッドに向かって倒れこむ。
本当に疲れていたらしく、
一瞬で意識が飛びそうになった。
……もう、日付も変わってるんだな。
室内の時計を眺めつつ、
そんなことを思った。
「琴子……」
琴子は今、どうしているだろう。
一人で怖くて、怯えていないだろうか。
片山の仲間たちに、
酷い目に遭わされたりはしていないだろうか。
それと……温子さん。
温子さんは、今も泣いてるんだろうか。
何もできないとは分かっていても、
何でもいいから支えになりたい。
無性に温子さんの声が聞きたい。
そんなことを思いながら、
落ちていく意識に体を任せた。




