惨状2
大きくあくびをして、重いまぶたを擦り、
ベッドから無理やり這い出す。
目覚ましを止めて時刻を確認――
……そういえば、
昨日はいつ寝たんだっけ?
「疲れてるな……」
まあいい。
早く朝の用意をしないと。
フラフラする身体を壁に預けながら、
どうにか廊下を進む。
それから、隣の部屋の扉を叩いたところで、
ようやくハッとなった。
それでも、
念のため部屋に入って確かめる。
当然、琴子はいなかった。
「……何やってんだ、僕は」
昨日、あれだけのことがあったっていうのに。
寝ぼけた程度で頭から抜け落ちてるなんて、
どうかしてる。
琴子だけじゃない。
当たり前のようだけれど、
二人にはもう会えないんだ。
爽や加鳥さんには、もう――
「……っと」
ふいに、目眩を覚えた。
何だかんだ、昨日はあの後も、
琴子を探して走り回ったからな……。
けれど、僕のこんな疲れなんて、
ほんの些末なことでしかない。
「琴子……」
今、琴子はどうしているんだろう?
無事でいてくれているだろうか?
食事はきちんともらってるんだろうか?
監禁状況がどんなものかは分からないけれど、
早く何とかしないといけないことだけは間違いない。
でないと……。
「……落ち着け」
学園をサボって探しに行きたくなる気持ちを、
何とか押しとどめる。
昨日、散々探して見つからなかったんだ。
闇雲に探しても、
成果なんて見込めるはずがない。
それより、
今、必要なのは手掛かりだ。
真っ先に思いつくのは、
片山や鬼塚といったABYSSの面々。
雲隠れしている可能性はあるものの、
見つけられれば琴子の居場所を聞き出せる可能性が高い。
それから……黒塚さんなら、
プレイヤーとしての情報網にも期待できる。
あとは、ラピスがかなり有力だけれど、
こちらは当てにするのは厳しいだろう。
となれば――結局、
学園に行くのが今は一番いいのか。
……でも、気が重い。
正直、今日はできる限り、
クラスの中にいたくない。
みんなと顔を合わせたくないし――
何より、爽と加鳥さんの空席を見るのが嫌だった。
……そういえば、
温子さんはどうなったんだろう?
あの後は、黒塚さんに任せてしまったけれど、
ちゃんと家に帰れたんだろうか?
家に帰ったとしても、
今は落ち着いてくれているんだろうか?
まさか、自殺を考えるなんてことは、
温子さんに限ってあり得ないと思うけれど……。
「大丈夫かな……」
電話……してみるか?
でも、何て声をかける?
今の僕に、
温子さんに響く言葉を用意できるのか?
手の中の携帯を見つめて――
大人しく、携帯を仕舞った。
心配する気持ちはあっても、
それを伝えられないんじゃあ意味がない。
昨日、心に決めた通り、
僕は僕のできることをしよう。
これ以上、温子さんを泣かせないために。
「あら? 教室に行かなくていいの?」
図書室に入ると同時に、
魔女がそんな声を投げてきた。
「授業をサボるのはよくないんじゃない?」
「……そうなんだけれど、
教室にいづらくてさ」
爽と加鳥さんはもちろん、
温子さんもいない教室。
それ自体も辛いんだけれど、
そのことを誰かが話すのは特に聞きたくなかった。
「だから……今日はここにいてもいい?」
「……仕方ないわね。
特別にそこにいることを許可してあげるわ」
「うん……ありがとう」
“図書室の魔女”に許可を得られたのであれば、
授業サボりも怖くない。
黒塚さんの向かいの席の椅子を引いて、
腰を下ろす。
けれど、黒塚さんは特に顔を上げることもなく、
黙々とタブレット端末を操作していた。
「黒塚さんも、
そういうの弄るんだね」
「悪い?」
「いや、いつも本を読んでるイメージがあったから、
今日は違うんだなって」
「言っておくけど、別に遊んでるわけじゃないわよ。
自分のパートナーとやり取りしてるんだから」
「パートナー?」
「プレイヤーとしてのよ。
一言で言うと便利屋ね」
あー、なるほど。
ということは、そのパートナーって人に、
ABYSSの調査とかをしてもらったりしてるのか。
便利屋ってことは、必要なものを調達してもらったり、
人払いまで手配してもらえるのかもしれない。
「ABYSSと一人で戦うなんて
無理だもんなぁ……」
「そうね。何だかんだで助かるわ。
やり取りは面倒臭いけど」
「ふーん……手続きが煩雑な感じなの?」
「いいえ。
チャットでやり取りするだけよ」
「それなら別に、
面倒臭くないような……」
「こいつ生意気なのよ」
『私、黒魔術のために負のエネルギーを溜めています』
といった顔で、手の中の端末を指差す黒塚さん。
いや、生意気が面倒に繋がる理由は理解できるけれど、
それくらいは目を瞑ってもいいんじゃ……。
「……ちなみに、
生意気ってどんな感じなの?」
「今ちょうど、ずっとぐちぐち言って来てるわ。
私がたまたま一般人を蹴りつけただけで」
「それ生意気とかじゃなくて
普通の反応だから!」
「何よ、肩を持つわけ?」
肩を持つっていうか、
一般論なんですが……。
「って、あーっ!」
「えっ、なに? どうしたの?」
「笹山くんが余計なこと言うから、
パソコンが壊れたじゃない!」
「え? ご、ごめんっ?」
何だかよく分からないけれど、
そんなあっさり壊れるものなのか?
「ちなみに、どんな症状が……?」
「英語しか入力できなくなったの! ほら!」
黒塚さんがタブレットを裏返し、
『勝訴』のように画面を僕へと掲げてくる。
そこには、『matte!』『pasokon ga bukkowareta!』
と入力されたチャットウィンドウがあった。
「あー……Caps Lockがかかってるのかな?」
「きゃぷすろっく?」
「アルファベットを
入力するモードみたいな感じ」
「……直るの?」
「うん。ただ、直し方は機種によって違うかもだから、
僕が知ってる方法で行けるかは分からないけれどね」
とりあえず、
Shiftキーをダブルタップしてみるか。
「お、行けたかな?」
「えっ、本当?」
黒塚さんが端末を手元に引き寄せて、
ソフトウェアキーボードを人差し指で押していく。
と、チャットウィンドウにはちゃんと、
『(「・ω・)「ガオー』と入力されていた。
……どうでもいいけれど、
アスキーアートも辞書登録されてるんだな。
「凄い……直った」
「よかったね、ちゃんと直せて」
「さすが笹山くんね」
「それほどでもないよ」
「一日中パソコンに
向かい合ってるだけのことはあるわ」
「それほどでもないから!」
せいぜい
一、二時間しかやってないし!
「何にしても、笹山くんのおかげで、
パートナーと良好な関係を築けそうよ」
「良好な関係……」
KASUKAが黒塚さんのハンドルネームだとすると、
SUGAという名前がパートナーの人か?
何か『まーたエア故障か』『説明書くらい読め』という、
容赦ない言葉が返ってきてるんですが……。
それ以前のチャットも、見える範囲で判断する限り、
そこはかとなく殺伐とした雰囲気を感じられる。
うーん、良好とは一体……。
「あ。そういえばこれ、
関係者以外に見せちゃいけないんだった」
えっ?
「笹山くん、覚悟はいい?」
「ダメです」
刃物を出してにっこり微笑む黒塚さんに、
お口にチャックをアピールする。
「冗談よ。
でも、今見たことは忘れなさい」
満足そうに微笑んで、
黒塚さんは再びタブレット端末へと目を落とした。
……人差し指でキーを探し探しタイピングしているし、
あんまりこの手のものには明るくないのかもしれない。
まあ、プレイヤーである以上、
ガジェットを弄っている暇なんてないのかな。
もしかすると、ABYSS探しと修行みたいなのに
明け暮れてるのかもしれないし。
でも……。
そんな生活、楽しいんだろうか?
「ねぇ、黒塚さん。
どうしてプレイヤーになったの?」
「言いたくない」
……まあ、仕方ないか。
ダメで元々の質問だったし。
「あなたたちには、できるだけ協力しようと思ってるわ。
でも、それと私のことは話が別」
「このまま協力していきたいなら、
余計なことは聞かないでちょうだい」
「……オッケー。
今度から気を付けるよ」
この話題は、
地雷なんだろうな……。
どういう理由があるかは分からないけれど、
興味本位では触れないようにしておこう。
「分かってくれればそれでいいわ。
それより、朝霧さんから連絡とかはあった?」
「いや、全然。
今日は登校もしてこないんじゃないかな」
「ま、あの様子なら仕方ないわね。
一応、泣き止みはしたんだけど」
「でもまあ、朝霧さんならきっと大丈夫よ。
泣き寝入りするようなタマじゃないでしょうし」
ああ、それは間違いない。
温子さんは
そんなに大人しい性格じゃないし。
すぐには無理でも、
絶対に自力で立ち直ってくると思う。
「それから、妹さんは見つかった?
どうせ、帰れって言ったのに探してたんでしょう?」
「う……バレてたんだ」
「疲れた顔してるもの。
少しは鏡を見てみたら?」
参ったな……そんなに顔に出てたのか。
「ついでに、その顔を見る限りだと、
成果はなかったみたいね」
「……まあね。色々怪しい場所を探してみたんだけれど、
結局、どこにも見つからなかったし」
「仕方ないわ。
ABYSSだもの」
その通りだ。
都市伝説は伊達じゃない。
「手掛かりなしで探すのは無理だって分かったから、
今度は片山とか鬼塚を当たろうと思ってる」
「片山は琴子を浚った張本人みたいだし、
鬼塚でも情報は持ってるだろうから」
「片山……ねぇ」
「……どうかした?」
別に、変な考えでは
ないと思うんだけれど……。
「死んだわよ、片山」
――は?
「昨日の、あの死体の中に紛れ込んでいたんでしょうね。
丸沢も一緒。これで二人が減って、残りは三人ね」
片山が……死んでいた?
丸沢ってABYSSも?
いやいや、ゲームを仕掛けてきた本人が、
どうしてそのゲームの中で死んでるんだよ……?
「一体、誰がやったの?」
「知らないわよ、そんなの。
ただ、死んだっていう情報が入ってきただけだから」
「そう、なんだ……」
……琴子を浚った主犯が死んだ。
それじゃあ、
琴子の居場所は誰が把握してるんだ?
片山の手下?
それとも、ちゃんと
ABYSS内で共有されてる?
もし共有されてるなら、
鬼塚でも何でも襲って聞き出せる。
でも、もしもそうでないなら――
僕は……どうすればいいんだろうか?
「……まあ、もう少しだけ待ってなさい。
妹さんの件は、私のほうでも当たってみるから」
ほら――と、黒塚さんは面倒臭そうにしながら、
タブレットを渡してくる。
そこには、『笹山琴子の居場所を調べて』から始まり、
具体的な方法まで会話の進んでいたチャット欄があった。
「黒塚さん……」
「でも、あんまり期待しないでよね。
闇雲に探すよりはマシな程度なんだから」
「ううん、嬉しい。凄く」
マシなんてもんじゃない。大助かりだ。
探し回っても何の手がかりもない今、
黒塚さんの調査は頼みの綱と言っても過言じゃない。
けれど――
「……ごめん、黒塚さん」
「は? 何で謝ってるの?」
「だって、この件は黒塚さんにとって、
あんまりメリットはないでしょう?」
黒塚さんはプレイヤーだ。
ABYSSの殺害を目的にしている。
琴子の居場所を探す行為は、無関係ではないものの、
その目的に直接繋がるものじゃないだろう。
だったら、ABYSSだとほぼ確定してる
鬼塚を相手にするほうがずっと実入りが大きいはずだ。
「だから、黒塚さんには、
余計な足踏みをさせちゃうことになると思って……」
「それはそうだけど、嫌なのよ」
「嫌って……何が?」
「昔の自分を見てるみたいで」
昔の自分……?
黒塚さんも、前に何かあったのか?
それで、琴子の件も自分に重ね合わせて、
助けてくれてるとか……?
そんな僕の思考に気付いたのか、
黒塚さんは唇を尖らせて、おほんと咳払いをした。
「たまには回り道をしてみたくなっただけ。
それ以上は何もないからっ」
「あなたたちは、運が悪かったと思って、
大人しく私の気まぐれに付き合いなさい」
ふん、と鼻を鳴らして、
黒塚さんがこれ見よがしにチャットを再開する。
その姿に、ふと『爽の人を見る目は凄い』という
温子さんの言葉を思い出した。
前に聞いた時は半信半疑だったものの、
今となってみては、それも凄く同意できる。
死の宣告をされたり、ABYSSに間違えられたり、
怖い人だなぁと思っていたけれど……。
黒塚さんは、いい人だ。
「黒塚さん……
ありがとうね、本当に」
「……別に、まだ何もしてないわよ」
「でも、妹さんについて何か分かったら、
すぐに連絡してあげるから」
はい、これ――と、
黒塚さんの携帯番号を渡される。
それを僕の携帯に登録した後、
同じ紙に僕の番号を書いて、黒塚さんに返した。
「僕も何か分かったら、
すぐに黒塚さんに連絡するから」
「期待しないで待ってるわ。
でも、勝手に行動して自爆しないでよね」
「今のあなたの顔色は最悪だし、
ABYSSを公にしたら家族ごと消されるんだから」
……暗に、『鬼塚や丸沢のところに行くな』
って言ってるのかな。
まあ確かに、僕一人じゃ責任は取りきれないし、
昼間から行動するのはやめたほうがいいか。
締め上げて済む話なら、
とっくに黒塚さんがやってるだろうし。
「分かった。
それじゃあ、今日は早退するよ」
「ええ。さっきも言ったけど、
何かあったら連絡するから」
「それまでは、しっかり寝て、
いつでも動けるようにしておきなさい」
お互いに挨拶を交わし、
席を立つ。
もちろん、
立ったのは僕だけ。
黒塚さんは再びタブレットに向かい合い、
タッチパネルを叩き始めた。
その乾いた音を聞きながら、
図書室の扉へと手をかける。
……いつだったか、こうして黒塚さんを訪ねた時も、
爽が騒いでいたのを思い出した。
帰る前に少しだけ――
そう思って、温子さんの家までやってきた。
会えるとは思ってないけれど、
やっぱり様子は気になるわけで。
ただ、呼び鈴を鳴らすのはさすがに気が引けて、
とりあえず携帯に電話してみた。
……出てくれるだろうか?
「晶くん……?」
と――全然期待していなかったにも関わらず、
温子さんが出てくれた。
ただ、そのあまりにも萎れた声を聞いた瞬間に、
電話をかけたことの後悔が胸に押し寄せた。
それでも、どうにか頭を巡らせて、
かけられる言葉を探す。
「温子さん……おはよう。
あれからずっと心配してたんだけれど、大丈夫?」
訊ねるも――電話先から聞こえてくるのは、
吐息交じりの掠れた声。
それで、
自分の考えの浅さを痛感した。
僕は、こんな状態の温子さんに、
一体どんな言葉をかけるつもりだったのか。
「爽がね……」
……うん?
「爽が……いないのが、辛いんだ」
「静かなのが、
こんなに……寂しいなんて……」
思わなかった――という言葉が、
最後は嗚咽混じりになっていてよく聞こえなかった。
しゃくり上げる音が、
次々と溢れてくる。
「ご……めん。
でも、もう少し、一人に……」
「……うん、分かった。
また電話するよ」
それじゃあねと言い残して、
電話を切った。
途端に、溜め息が零れた。
どうしようもない後悔で頭を抱えた。
僕はバカだ。
電話をすればいつもの温子さんが出てくれるって、
心のどこかで思ってた。
あの毅然とした態度で、
今後の方針について話したりできると思ってた。
でも、違った。
温子さんは、
全然立ち直ってなんかいなかった。
辛いことに対して、当たり前のように傷ついて、
声が掠れるまで泣いて……。
今にも折れてしまいそうなくらい弱い、
普通の女の子だった。
なのに、僕一人で勝手に、
温子さんは強いんだと勘違いしてた。
「……大バカだ」
穴があったら入りたい。
車が走ってたら飛び込みたい。
このどうしようもないバカに、
誰か罰を与えて欲しい。
……でも、そんなものを望んでいても、
温子さんに怒られるところしか想像できなかった。
温子さんは優しい人だ。
例え僕が痛い思いをしたとしても、
本気で心配してくれるだろう。
それどころか、本当はずっと泣いていたいと思っても、
僕のために気丈に振る舞おうとするかもしれない。
そんなことは、させたくなかった。
だから――
僕がするべきことは、
自己満足のために罰を求めることなんかじゃない。
温子さんに、
早く元気になってもらう。
そのために、
憂いをできるだけ取り除く。
もう二度と、
その涙を見なくて済むように――
温子さんのことを、守ってあげたい。
ここで頭を抱えている場合じゃない。
ここにいても、
まだ、僕にも温子さんにもいいことはない。
黒塚さんから連絡が来たらすぐ動けるように、
早く家に帰って休もう。
温子さんが戻ってきた時のために。
大事なものを今度こそ守れるように。




