逃れえぬ運命との邂逅1
と――
一人になったところで、街の喧騒に混じって、
携帯のバイブ音が聞こえてきた。
嫌な予感がして、
鞄の中の電話を急いで確認――
予想通り、
琴子から五件ほど着信が入っていた。
つい話し込んじゃったけれど、昨日の今日だし、
さすがに連絡しておかなかったのはまずかったな……。
「お兄ちゃん!? 今どこ?」
そう思って電話をしてみたら、
飛んできたのは切羽詰まった琴子の声だった。
「あーっと……本屋の前だけれど。
どうしたの? 何かあった?」
「何って、今までずっと連絡取れてなかったから、
大丈夫かなって心配してたのっ」
「何か変な人に絡まれてたりしない?
琴子、迎えに行こうか?」
「ああ、本当に大丈夫だよ。
本屋にいただけだから」
……びっくりした。
まさか、ここまで心配されてたとは。
「よかったぁ……でもそれなら、
もっと早く連絡してくれればよかったのに……」
「う……ごめん」
「あ、別にそんな怒ってないよ。
何にもなかったみたいでホッとしただけ」
「ご飯できてるから、早めに帰ってきてね。
でも暗いから気を付けて」
「うん分かった、すぐ帰るよ。
ありがと」
……やっちゃったなあ。
琴子があそこまで心配してたなんて。
事情があったとはいえ、
琴子の言う通り、連絡くらいしておけばよかった。
まあ、反省は後か。
急いで帰らないと。
……たまには本気で走るか。
裏道を行けば、
人目に付くこともないはずだ。
路地裏というものの景色は、
どこもそう大差はないらしい。
繁華街の中心から離れていく小道でも、
ジャックのお墓への道と似たような雰囲気だった。
ただ、人気がないことだけは、
実に都合がいい。
鞄を小脇に抱え、襟元を緩めて、
少しだけ踵にかかっていた靴下を上げ直す。
準備オーケー。
それじゃあ行くか――
と、加速するべく足を踏み込んだ瞬間、
何かが上のほうにいるのを感じた。
……何だ?
顔を上げる――薄汚れたビルの壁面を抜けて、
一等星さえぼやける空へと視線を移す。
気配の在処は、恐らくどこかのビルの上。
また、さっきみたいな狙撃か?
それとも、
今度は直接襲ってくるのか?
近づく気配に歩みを止めて、
“判定”の音を聞くべく意識を集中する。
それから、どうとでも動けるように足を踏みしめ、
気配を殺して腕を構えた。
……さぁ、何が出てくるか。
さっきと同じくボウガンだったら、
今度こそ射手を突き止めて――
「……え?」
聞こえてきた涼やかな音色に、
一瞬、我を忘れた。
鈴の……音?
一般人と大差ないレベルだけれど、
まさかこれがABYSSなんじゃないだろうな?
「……いやいや、まさかだろ」
あの野獣の唸り声のような音や、断末魔じみた絶叫が、
僕の知っているABYSSの“音”だ。
こんな気の抜けるような鈴の音が、
ABYSSのはずがない。
じゃあ、一体何なのか。
――そう思った矢先に、星が消えた。
そんなまさか――と目を見開く。
幾許か鮮やかになった視界に、
なお闇が広がっていく。
いや――闇じゃない。
「はぁ!?」
人だった。
空に咲く花のように広がるドレス。
その端にはためく金の髪。
何が何だか分からないけれど、
とにかく女の子が空から降ってきた。
それを受け止めるべく、
大急ぎで手を広げる。
やばっ、間に合うか?
「うぐっ!」
痺れるような衝撃が走る。
ただし、広げた腕ではなく――胴体に。
「あ、痛たた……」
う、受け止めるのは失敗したけれど、
どうにか間に合ったか……。
ただ、腰とか背中とかが痛い。
結構痛い。
「ちぇー。
あそこで金網が曲がるかぁ」
けれど、そんな僕の痛みも知ることなく、
首を捻って自らの具合を確かめている女の子。
怪我がないのは何よりなんだけれど、
図らずも身を挺した僕に、もう少しだけ優しさが欲しい。
「というわけで、
可能であれば早くどいて欲しいんだけれど……」
「え? あ、ごめんなさい」
「――って、はぁ!?
うそ、何でここにいるのっ!?」
いや、何でって聞かれても……。
裏路地とはいえ私有地でもないんだから、
そんなオバケでも見たみたいに驚くようなことだろうか。
「逆に、空から人が降ってくるほうが
おかしくない?」
「それは……うん。確かに」
『よくよく考えてみたらあなたの言う通りでした』
とばかりに神妙に頷く女の子。
その様子を改めて眺めてみて――
異様さに気付いた。
ほつれを知らない金髪/宝石のような碧眼
/子供と大人のいいとこ取りをしたような整った顔立ち。
少女と少年の間で迷子になったかのような華奢な体には、
やたらと似合うゴスロリ系のフリフリの衣装。
まるで等身大のお人形さんのよう。
こんな子が、こんな薄汚い路地裏にいるなんて、
犯罪の香りしかしない。
「あのー……」
「あ、ごめん。
今ちょっと取り込み中だから無理」
何故この場所にいるのかと聞こうとしたところで、
掌で制止された。
「いやそんな、
取り込み中って――」
いきなり後ろで響いた叩きつけるような音に、
続けようと思っていた言葉が喉の奥に引っ込んだ。
「あー、ほら。先客のお出ましだ」
少女が鬱陶しそうに眉で八の字を描く。
碧眼が向かう先は、
当然のように僕の背後。
その視線を追って、
恐る恐る振り返る。
そこには、夜の闇に溶けるようにして、
黒ずくめの男が立っていた。
“隠す”という目的に特化させましたと言わんばかりの
フルフェイスのメット/長躯を包む漆黒のライディングギア。
それらとは対照的に、
街灯の光を弾く抜き身の日本刀。
その泰然とした構えから放たれる威圧感は
熱気にも似ていて、対峙しているだけで口が渇いてくる。
“判定”は――
この男に相応しい、すらりという鞘走りの音。
それらの材料を前に『この黒ずくめの男が誰なのか』
という疑問は全く湧いてこなかった。
だって、こんな格好をしている人間なんて、
二つしか心当たりがない。
一つは、ABYSS。
全身真っ黒で顔を隠しているという点では、
かの連中の特徴と合致している。
セーラー服のABYSSもいたくらいだから、
この格好でも別に不思議はないだろう。
ただ、それ以上に、
コイツの条件に合致するものがあるわけで。
それが、心当たりのもう一つ、
最近噂されているほうの切り裂きジャック。
さっき、高槻先輩に注意喚起されたばかりの偽物に、
まさか出くわすとは――
「本当にしつこいね、キミも。
私を追い回しても何も出ないって言ってるのに」
……何も出ない?
「とりあえずさ、
その物騒な長いの、しまってくれない?」
「ほら、運悪くギャラリーもいるんだし、
ここはやりあう場面じゃないでしょ」
黒ずくめの男に対し、
怖がることもなく語りかける少女。
けれど、それに答える声はなく、
代わりに鍔鳴りの音が小さく響いた。
「んー、だんまりは良くないと思うな」
「喋りたくない理由は分かるけど、
刀を下ろすくらいはできるんじゃない?」
「それとも、アレかな?
……キミは、私を怒らせたいの?」
少女が静かに、
しかし相手を煽るようにくすりと微笑む。
その微笑に向けて、刀を向ける男。
まさか……ここで、か?
裏道とはいえ、
こんな街のど真ん中で女の子を襲うつもりなのか?
「引く気はないみたいだね」
「ま、そういうのは嫌いじゃないけど、
ちょっと相手を考えた方がいいと思うよ?」
「いやあの、
そういう挑発は控えたほうが……」
「ああ、キミは別に気にしなくていいよ。
悪いのはどう見てもアレなんだし」
「――ね、“切り裂きジャック”くん?
いい加減に現実を見なってば」
『いつまでも半端なことしてないでさ』という、
少女の忠告らしきもの。
それに応えるように、
男のライディングギアがぎしりと音を立てる。
『何でそんな挑発してるの?
ここ逃げるところだよ?』とか。
『何で君も律儀に応じてるの?
大人げなくない?』とか。
色々と突っ込みどころが
満載なんだけれど――
とにかく、この切り裂きジャックの偽物は本気で、
丸腰の少女に向かって攻撃を仕掛けるつもりらしい。
……どうする?
この少女を囮にして、僕は逃げるか?
背後を伺う。
通りに出るまでは、大体二十メートルほど。
自転車や半壊した原付が転がっているものの、
それほど走る邪魔にはならない。
確実に逃げられる。
ただ――この女の子を、
果たして置いて行っていいものか?
……切り裂きジャックは強い。
その上、日本刀まで持っていて、
高槻先輩の話では人殺しまで経験済みだ。
こんなのを相手にしていたら、
命が幾つあっても足りない。
見ず知らずの女の子を庇ってこいつの前に立つなんて、
どう考えても馬鹿げてる。
となれば、結論は一つ。
――僕はバカだ。




