片山の正体2
……予想通り、
下りた先には部屋があった。
十畳ほどの箱型で、
天井の高さは普通の部屋よりやや低い。
中央にテーブル、椅子があり、
何に使うのか、壁に幾つかの箱が立てかけてあった。
ひんやりとした空気が黴臭いということはなく、
空調は完備されているらしい。
「……なぁんだ」
入り口から目に付く場所を一通り見回してから、
那美はホッと息を吐いた。
秘密の地下室なだけに、何かあるのかと緊張していたが、
罠や危なそうなものは特に見当たらない。
地下にあるだけで、普通の部屋。
ただ、その地下にあるというのが、
少女の琴線に触れた。
そう。この場所はまさに、
子供の頃に憧れた秘密基地ではないか。
「……ホントに凄いなぁ」
奥まで進み、改めて部屋を見回すと、
それなりに備品があるのが見て取れる。
立て掛けてある箱はともかくとして、
机や椅子、ソファにエアコン、換気扇、本棚――
どこから拾ってきたのか、
業務用の巨大な冷蔵庫まであった。
「いいなぁ。私もここ、使ってみたい」
この大きさの冷蔵庫があるのであれば、
カセットコンロを持ち込んで平気で半月は過ごせそうだ。
ただ、全て冷凍室だったら、
さすがに寂しい食生活になるかもしれない。
そんなことを考えながら、
那美が好奇心で冷蔵庫のドアを開け――
瞬間、体が/思考が硬直した。
「……えっ?」
だが、それも一瞬。
じわじわと思考は氷解していき、同時に、
ブルブルと冷蔵庫にかけていた腕が震えだす。
「うそ……やだ、やだやだっ……!」
両手で口を塞ぐ。
が、震える腕で抑えるものの、
カチカチと鳴る歯は止まることを知らなかった。
視界が歪む。背筋が引きつる。
目の前のソレを拒むように、
呼吸が止まり背が軋む。
しかし、強張った身体は上手く動かず、
それから視線を逸らすことができない。
「う、ううぅ……!」
指を通り抜けて声が漏れる。
同時に腰が抜けそうになり、
少女は一歩後ずさった。
後ずさることが、できた。
その、身体が動いた僅かな感覚を頼りに、
今度は少しずつ身体の軸をずらして行く。
そうして佐倉那美は、
胃が捻れるような吐き気を必死で堪えながら――
冷蔵庫に入っていた死体から、
必死になって目を逸らした。
口元を押さえながら冷蔵庫に背を向け、
背中で必死に冷蔵庫の戸を閉める。
その目元には涙が溜まり、喉元は痙攣し、
胸元は震え、足元はおぼつかなかった。
震えは戸を閉め切ってもなお続き、
ついには堪えきれずに、那美はしゃがみこんだ。
嗚咽交じりの悲鳴を噛み殺しながら、
頭を左右に振る少女。
だが、脳裏に焼き付いた映像が
頭から離れることはない。
全部が全部、鮮明なまでに残ったままだ。
だが、それでも、
少女は頭を振り続けた。
そうでもしていないと、吐きそうで、
叫びそうで、どうしようもなかった。
――その音が聞こえるまでは。
「ッ!?」
突然の物音に立ち上がる。
遠く聞こえてきたのは、
足音と話し声――徐々に大きくなる。
間違いない。
誰かがここへ近づいて来ていた。
「うそ……!?」
思わず言葉が漏れる/慌てて口を塞ぐ。
――お、ドア開いてんだな。
しかし、落ち着く間を確保する前に、
はっきりと聞き取れる声が届いた。
片山ではない。
さっき電話で話していた相手だろうか。
だとすれば、
間違いなくこの地下室へと降りてくるはず。
那美の顔から血の気が引く
/呼吸が乱れる/鼓動が乱れる。
秘密の地下室どころか、
あまつさえ死体まで置いてあったのだ。
ここに那美がいることがバレたら、
一体どうなってしまうのか。
胸が痛む。
息が上手く吸えない。
けれど、考えなければ死んでしまう――と、
那美が必死になって頭を回す。
どこか、隠れられるところはない?
冷蔵庫?
いや、中からは開けられない。
ソファの後ろ?
ダメに決まってる!
でも、他に隠れられそうな場所は?
――おいおい、隠れてケツ揉んでんじゃねーよ。
落とすなよ。
声が近付いてくる。
恐らくは、もうすぐにでも準備室に入ってくる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう――
――ありゃ、片山さんまだ帰ってきてねぇのか。
必死になって、呼吸を抑える。
――まあいいや、とりあえずコイツだけ下ろしとけ。
ドクドクという心臓の鼓動がうるさくて、
相手にも聞こえそうで恐ろしい。
――うっし、そんじゃ一服行こうぜ。
その内に片山さんも戻ってくんだろ。
身動ぎどころか、呼吸一つが音を立てそうで、
息を吸うことすらままならない。
――オッケ。あ、ついでに着替え持ってこねーと。
……音が消えた。
どうやら、全員出て行ったらしい。
途端、那美の全身の力が一気に抜けた。
脱力した体を後方に預けつつ、
ゆっくりと息を吐く。
それから攣りかけた右足をぶらぶらと遊ばせて、
音がしないように蓋を押し開けた。
那美が隠れていた場所は箱――
立て掛けてあった棺桶だった。
どうしてこんな所にというのは、
死体を見た今となっては愚問だろう。
まさか棺桶に入る経験をするとは思わなかったが、
それに窮地を救われたのは事実だ。
棺桶の中が比較的広く、外を覗くことができる程に
作りが粗かったのも運がよかった。
しかし、息をつく暇はない。
部屋の中には、
男たちの置いていった新たなものがあった。
「……朝霧さん? 大丈夫?」
男たちに運び込まれてきたクラスメイト――
朝霧温子を揺すり、小さく声をかける。
低く唸り、
さも煙たそうに目を擦る温子。
どうやら眠っているらしいが、
あまり深くもないらしい。
「朝霧さん、起きて。お願い……」
さらに揺すり、声をかける。
「ん……佐倉、さん?」
「あ……よかった」
気付いてくれたと、
安堵の声を漏らす那美。
一方、温子はというと、
現状を把握しきれないのか目を丸くしていた。
だが、それも一瞬。
眼鏡を直して、
那美を鋭い視線で見つめ直す。
「……悪いけど、今の状況を教えてくれるかい?
佐倉さんの知ってる限りでいい」
「う……うん。ええと――」
聞きたいことがあって、
片山を追って化学準備室に来たこと。
そこで、捲れ上がった床板と
地下室への入り口を見たこと。
こっそり入ってみたら、
死体を発見してしまったこと。
温子のことを、
片山の知り合いらしき人間が運んできたこと。
その間、自分は隠れていたこと――を、
那美は温子に話した。
「……なるほどね。
あのバカ、意外にも本命だったというわけだ」
「しかしまずったな。
そういう状況だったら、最初に逃げておくべきだった」
「あっ、そっか。
じゃあ、今すぐ逃げなきゃ」
「いや、今はもうやめておいたほうがいい。
さっき出て行った連中が、あと少しで戻ってくるから」
「え……どうして?」
「『一服する』って出て行ったんだろう?
今出ると、そいつらとかち合う可能性が高い」
「だったら、事が終わってから
こっそり抜け出すほうが、まだ安全だと思うよ」
「事が終わってから……?」
「ゲームをしようって話さ」
ゲームという言葉に那美が首を傾げると、
温子は『気にしないで』と小さく手を振った。
「あの片山とは昔からの知り合いでね。
どうせまた下らないことだと思う」
「そういうわけだから、もう隠れて。
私は大丈夫だから」
机の上に腰掛ける温子の視線を受け、
那美が不安ながらも頷く。
それから、さっきまで隠れていた棺桶の蓋を開け、
もう一度その中へと身体を置いた。
同時に、急に階上が騒がしくなった。
どうやら温子の読み通り、
男たちが戻ってきたらしい。
頑張ってと言いかけた言葉を飲み込み、
那美が棺桶の蓋を閉じる。
それからすぐに、
“恐らく”先程の男たちが地下室に入ってきた。
“恐らく”という理由は――
男たちが、
奇妙な白面を身に付けていたからだ。
その姿を、那美はどこかで見たような気がしたが、
よくは思い出せなかった。
「ハロー! お目覚めかいプリンセス!
ご機嫌はいかがかな?」
その中で一人だけ仮面を身につけていない片山が、
大げさな身振でお辞儀してみせる。
「いきなり誰かに襲われたかと思ったら、
陰気臭い部屋で目が覚めて、機嫌がいいと思うか?」
「おやおや、そいつは失礼した。
が、こうでもしなきゃ、お前は話を聞かないからな」
くっくっく、と
片山がいやらしそうな顔で肩を揺らす。
「……ま、その辺はともかくとして、だ。
例の話、もう一度考えてくれたか?」
「さて、何の話だったか」
「おいおい、とぼけなくてもいいだろう?
遊びについてだよ、遊び」
「私はお前たちと一緒に
どうこうするつもりはないよ」
「おぉっとぉ、言うねぇ。グッドだ」
「ただ、この人数を前にして、
そんなセリフを吐いていいと思ってるのか? えぇ?」
片山の言う通りだった。
今、地下室に集まっている男は、
片山を含めれば六人。
その気になれば、温子はおろか那美をまとめても、
一切の苦労なく捻じ伏せることができるだろう。
「人数? だからどうした?」
が、温子はそれでも臆することなく、
煽るように笑った。
「お前はどうせ、
ここで私を傷付けるつもりはないんだろう?」
「……さぁて、どうかな?」
「茶番は要らないよ。
やるつもりなら、寝てる間にやってる」
「でも、傷つけないのは、
私が本当に仲間になると思ってるからじゃない」
そうだろう? と確認を投げる温子。
押し黙る片山。
そんな二人の態度に、何か張り詰めたものを感じたのか、
那美が/男たちが落ち着きなく視線を彷徨わせる。
緊迫が形成する、
呼吸音さえ響くような無音の場。
それを破ったのは――片山だった。
「まあ、さすが温子というべきなんだろうな」
「……分かるか、やっぱり?」
「当然だ。
腐りきったサークル活動だろう?」
「ああ、その通りだ。
というかもう、マジで茶番は要らないな」
ゴホン、と一つ咳払いをする片山。
それから、
演説を行う独裁者のように両手を広げ、
「それじゃあ、改めて。
“ABYSS”へようこそ、朝霧温子」
忌まわしき殺人クラブの名を、
高らかに謳った。
それをつまらなそうに聞いている温子に対して、
那美は棺桶の中で驚きに目を見開いていた。
ABYSS。
片山が、ABYSS。
人との係わりを持たないようにしてきた那美でさえ、
その噂は知っている。
罪無き人を生贄として浚い――
それを深夜の学園で狩り立て――
捕まえた人間を色々と弄び――
嬲り、犯し、殺す。
馬鹿げた噂と思っていたそれが、
今、目の前にあるという事実。
しかもそれは、大した目立ちもしない、
隣のクラスの男子生徒だったのだ。
普通なら、つまらない冗談だと、
一笑に付すところだろう。
だが――温子にも、片山にも、
笑顔の欠片もなかった。
「ふん……一応、もう一度だけ聞いておくか。
本当にABYSSに入る気はないんだな?」
「くどいね。私はそもそも興味がないんだ」
「それに、自分よりも下のヤツに使われるなんて、
真っ平だからな」
勧誘に嘲笑をもって応える温子。
片山の眉がつり上がる。
「くっくっく、オーケイオーケイ。
どこまでも温子らしくてイイ、グッドだ」
「別にお前に褒められても嬉しくはないよ」
「そのツンツン具合もグッドだが、
首輪付きで服従する温子の方がモアベターだな」
「つーわけだから、
早いところゲームの説明を始めたいんだが」
「ほう?
噂に聞く、例の生贄ごっこか?」
「――ごっこじゃねぇ。
マジだ。マジの殺人ゲームだ」
二度と『ごっこ』なんて言うんじゃねえと、
片山が温子に凄む。
傍から見ている那美はひやひやしていたが、
一方の温子は明確な怒気を受けてなお平然としていた。
思えば、先程からそうだ。
温子は人殺しの男たちに囲まれても取り乱すことなく、
時折大げさに微笑んでみせる。
それは、嘲笑に見えたり、余裕に見えたりと、
相手を刺激して然るもの。
無言で隠れるしかない那美にとって、
温子のそういった態度は、心臓によくなかった。
今また、微笑みを貼り付けている温子は、
一体、何を考えているのだろうか――
「……まあいい。ルールの説明に行くぞ」
「まずゲームの概要だが、鬼ごっこだ。
生け贄はABYSSに捕まったら負け。簡単だろ?」
「舞台は夜の学園で、二十三時に生け贄が校舎内に入り、
その一時間後にゲームスタートだ」
「……その一時間で隠れろということか?」
「その辺は好きにしろ。
ABYSSを倒すつもりなら準備をすればいい」
お勧めはしないがなと、
片山が鼻を鳴らす。
その言葉に、
那美は棺の中で人知れず頷いていた。
どうせABYSSの連中は、
女にやられる気など微塵もないのだ。
与えられた一時間は、
逃げに回すべきだろう。
「一応言っておくが、舞台はあくまで学園の校舎内だ。
外に出た瞬間、何があろうと俺はお前を殺す」
「噂にある、例の首輪とやらか?」
「その通り、グッドだ」
「首輪には致死性の毒針が仕込まれていて、
携帯で遠隔操作できるようになっている」
「毒針……ね」
「――あぁ、壊そうとか外そうとかは思うなよ?
一定以上の衝撃で作動するようにもなってるからな」
「ふぅん。その辺りも噂通りなんだな」
「まあ、噂もバカにはできないってことだ。
誰が流したんだか知らないがな」
「確認しておくけれど、
もちろん勝ったら首輪を外してくれるんだろうな?」
「大丈夫だ、勝っても負けても外してやるさ。
首輪が必要なくなるからな」
片山が下卑た笑みを浮かべる。
温子はそれに反応せず、
ふぅんと小さく唸った。
「分かった。で、そのゲームの勝利条件は?」
「二つある。一つは、俺たちABYSSから
三時間逃げ回ること」
「意外だな。
逃げ回るだけでいいのか?」
「それくらいのハンデは必要だろう?
ただ、ABYSS側に一人でも捕まればアウトだぜ」
「……。
“捕まる”の定義は?」
「“脱出不能な状況に陥る”でどうだ?
負けを認めたら負けだ」
「ただ、『認めなければ負けない』とかいう屁理屈は、
『死んだら負け』にその場で変更するがな」
「分かった。それでいい」
「それじゃあ、二つ目だ。
時間内に、俺か丸沢に触ること」
「丸沢? 誰だ、そいつは?」
「今はここにはいないがな。
後で合流する、俺の部下の一人だ」
「ゲーム中は仮面と黒い外套を全員が着けるが、
俺と丸沢の仮面は模様付きだ。それを目印にしろ」
「触った判定は誰がするんだ?」
「それは俺のほうでやろう」
「触られた感触がないとか、肌に触らなきゃダメとか、
セコい言い訳はしないだろうな?」
「当然だ、安心しろ。
ついでに怪しい判定は全てお前の勝ちにしてやるよ」
「ふぅん……大した余裕だね」
「さて、説明は以上だ。何か質問はあるか?」
「いや、特にない」
「グッド。……と言いたいところなんだが、
俺はお前に言ってるんじゃないんだなぁ、これが」
ニヤニヤと笑う片山に対して、
首を傾げる温子。
那美もまた、棺桶の中で同様に首を傾げていたのだが、
二人の仕草には決定的な違いがあった。
那美の仕草は、
純粋な疑問から湧き出たもの。
それに対して、温子の仕草は演技であり、
焦りから出たものであるということだ。
つまり――温子はこう思っていた。
まずい、やはり気付かれていたかと。
「あぁ、温子。お前に不備はないさ。
むしろ、グッドどころかベターだ」
「だが、惜しくもベストには届かない。
何故だか分かるか?」
カツカツと音を立てて、
片山が温子の前を横切る――壁際へと歩いていく。
棺桶の中でそれを見ていた那美は、近づいてくる彼に、
早くどこかへ行って欲しいと思っていた。
【片山/片山
「どうしてベストには届かないか、分かるかな?
なあ、分かるかなぁ温子?」
そんな那美の願いとは裏腹に、
ピタリと片山が足を止める。
棺桶の前――
隠れている那美の目の前で。
息を呑む那美。
だが、声を出すこともできず、
ただ拒絶するように隙間から目を離した。
「頭のイイお前なら分かるよな?
だってお前、わざと挑発してたもんなぁ」
「俺の注意を自分に引きつけようとしているのは、
実に涙ぐましい努力だった」
「ん? 何だその顔は? いいじゃないか。
早くビデオに収めたいくらいにグッド、いや、ベターだ」
棺桶の外から、
愉悦に歪んだ声が聞こえてくる。
那美の心臓が高鳴る。足が震える。
今にも口元から溢れそうな悲鳴を噛み殺す。
「やめろ」
怒気を孕んだ温子の声。
だが、片山は振り返ることもせずに、
フンと鼻で笑った。
「『やめられない止まらない』って
聞いたことはないか?」
「お菓子のCMのフレーズだがな、あれはベストだ。
王者のセリフだな」
「聞こえないのか?
私はやめろと言ったんだ」
「逆に俺は言いたいね。
――誰に命令してんだ? えぇ?」
ガタガタという物音がしたと思ったと同時に、
温子の激しく抵抗する音が聞こえてきた。
だが、何が起きたのかは箱の中からでは分からず、
那美はただ身を竦めることしかできない。
「それにな、
俺はコイツに貸しがあるんだよ」
「せっかく罠に仕立ててやったのに、
カス一匹殺せないんじゃあ仕方ないよな」
「この俺が光栄にも、
グッドな作戦とクスリをくれてやったのによ」
木製の箱越しに、片山と目が合う。
冷たい感情を灯した瞳に射られ、
恐怖に全身が砕けそうになる。
「だから、コイツにも
責任を取ってもらおうと思ったってわけだ」
「ほら、儀式は生贄と人質の二人が必要だろう?
今回に限っては、どっちも生贄になってもらうんだけどな」
ギシリと、
人間大の大きさをした箱が軋みを上げる。
箱の中に入ってくる光。
這入ってくる指。
それが、墓を暴く盗賊のような荒々しさで
棺桶の蓋を剥ぎ取ったと同時に、
片山信二の愉悦に燃える鼻息が、
涙を溜めて怯える佐倉那美の頬を熱く焼いた。
「――さぁて、
ABYSSを始めるとしようか」




