悪夢の始まり4<過去>
慌てて少女が首輪から手を離す。
その様子を肩を揺らして眺めながら、
怪人は嬉しそうに手を叩いた。
「まあ、相当な衝撃が加わらない限りは、
作動しないようになってますよ」
「普通にしていただく分には構いません。
でないと、ゲームになりませんからね」
「なお、この電話でも任意で作動できますが、
それはあくまで最終手段です」
「我々の楽しみとあなたの健康のためにも、
なるべく怪しい行動は取らないようにしましょう」
一流のセールスマンがそうするように、
怪人が自身の利を含んだ少女の選択肢を提示する。
が、命と愉楽では取引として酷いレートで、
少女にとって押し売りにも等しかった。
もっとも――命を売りつける霊感商法の類いは、
日常を生きる者の瞳には真実として映らない。
それが紛い物であろうとなかろうと、
信じるまでには時間がかかる。
「……嘘、ですよね?
そういう、死ぬとか死なないとかって」
「だってそんなの、
実際にできるわけないし……」
少女が怪人へと歪な笑みを浮かべる。
冗談だよと言ってくれることを期待した、
卑屈な眼差しを向ける。
その祈るような視線に、
怪人は鼻を鳴らして肩を竦めた。
「タカツキリョウコさんがそう信じたいならどうぞ。
私は既に説明をしましたから」
敢えて明言しない怪人の物言い――
“言わなくても分かるでしょう?”。
そんな言外のニュアンスは、
彼女が怪人へ初めて見せた笑顔を、呆気なく陰らせた。
「こんな……ことして、何になるんですか?
私を浚ってきて、こんな首輪まで付けて……」
「ですから、ゲームに参加して欲しいんです」
「それだけで、
ここまでする必要があるんですか?」
ゲームの参加者を集めるのであれば、
街中で声をかけるなりネットで募集するなりすればいい。
なのに、わざわざ人を浚い、
どことも知れない学園に閉じ込めて。
さらに、真贋はともかく毒の首輪まで用意するのは、
どう考えても大がかり過ぎる。
「……ゲームって、
一体、何をさせるつもりなんですか?」
「殺し合いですよ」
「――は?」
さらっと返ってきたとんでもない答えに、
少女の顎が外れたかのように大きく開いた。
「まあ、一方的な殺人になる場合がほとんどですから、
厳密には殺し合いでないかもしれませんがね」
「あ、あの……本気で言ってます?
映画か何かと勘違いしてたりとかは?」
「本気でなければ、こんな手間暇をかけてまで、
人を浚ってきたりはしないでしょう?」
「それは……でも、
そんなのできるわけないじゃないですか!」
「人殺しは犯罪なんですよっ?
あなただって捕まるんですよ!?」
「いえいえ、ご心配は不要ですよ」
「今から夜明けまでの間、この場所に限っては、
法律や常識の類いは全く意味を持ちませんから」
「……は?」
「理解されないようですから、
もっと分かりやすく言って差し上げましょうか?」
「今晩のこの校舎内においては、
何でもアリです」
「誰が何人死のうが、如何なる犯罪が行われようが、
一切罪には問われません」
「当然ですよね。
犯罪を裁くのは人間なんですから」
「何があっても一切の証拠を残さなければ、
発覚もしないし、罪に問われるわけもないでしょう?」
「そんな……できるわけ……」
「できますよ。
それが、私たち――ABYSSですから」
淀みない語調には、
疑問を挟む余地すらなかった。
何より、少女が信じようと信じまいと、
この仮面は殺し合いをさせるつもりなのだ。
少女は声を無くしたまま、ただ呆然と、
言われるがままを事実として受け入れるしかなかった。
「さて。色々と順番が入れ替わってしまいましたが、
これからゲームの内容を説明しようと思います」
「えっ……」
準備はよろしいですかと顔を覗き込んでくる仮面に、
少女がびくりと身を震わせる。
胸元に両手を構えて縮こまり、
視線から逃げるように俯く。
「どうしました、
タカツキリョウコさん?」
「ええと……あの……」
地面を見つめたまま、小さな声でゆっくりと、
少女が言葉を紡いでいく。
「私……無理です」
「人を殺すなんてできないし……
まだ、死にたくない……です」
「はい。で?」
「だから……」
「許して、もらえないですか……?」
少女が顔を上げる。
八の字に歪んだ眉/不安に揺れる瞳
/細かく震える血の気の引いた唇――
少し前までの少女からは
想像も付かないほどに萎れた顔がそこにあった。
自身の足場の脆さを理解した、
見苦しい自覚があった上での命乞いだった。
だが、そんな少女の白旗を、
怪人は一笑に付した。
「もしかして、あなたまだ、
自分に選択肢があるとでも思ってるんですか?」
「あなたはもう逃げられないんです。
ただ黙ってゲームに参加するだけの生け贄なんですよ」
「そんな……でも、私はっ……」
「あなたは、タカツキリョウコなんです」