誤解の解消3
「……廊下が何かうるさいわね」
言われて意識を向けてみれば、
確かに図書室の外は騒がしくなっていた。
昼休みに入ったからだろうけれど、
何かそれとは雰囲気が違う気もする。
……って、何だこれ?
怒声?
「喧嘩かな……?」
ドアを少しだけ開いて、
外の様子を窺う。
見れば、すぐそこに人だかりができていて、
その中心で騒ぎが起きているようだった。
「もう一回言ってみろやオイ。あ?」
廊下に響く、怒号と悲鳴。
その騒ぎの中心にある男の姿を見て――
思わず、図書室のドアを閉じた。
「どうしたの?」
「いや……ちょっと
やばいものが見えて……」
忘れたくて目を閉じても、
瞼の裏に鮮明に思い浮かぶ。
大柄な体に見合った広い肩/服が弾けそうなほど太い腕
/逆三角形型の胴体/丸太のような足。
そして何より、つい先ほど見て来たばかりの、
見覚えのある横顔。
間違いない。
トラブルを起こしているのは、
よりにもよって――
「鬼塚か……」
……生徒会の人間としては、
喧嘩があった際に仲裁に入るべきなんだと思う。
幾ら鬼塚が相手だとは言っても、
実力で止めることは可能だろう。
ABYSSの秘匿性を考えれば、向こうも人目を憚って、
事を荒立てようとはしないかもしれない。
ただ――バレる。
あの夜、僕は顔を見られている。
対峙すれば間違いなく、
あの日の異物はコイツだと気付かれるだろう。
そんなリスクは、
さすがに負えない。
「ちょっと、私にも見せて」
いつの間にか、
背後には黒塚さんの姿があった。
僕の後ろから手を伸ばして扉を開け、
隙間から騒ぎの様子を見やる。
「ふーん……助けに行かないの?」
「助けたいとは思うけれど、
騒ぎを起こしてるのが鬼塚なんだ」
「不良だから怖いわけ?」
「いや、そういうわけじゃなくて、
僕を襲ってきたABYSSが鬼塚なんだよね」
「……それ、本当?」
「百パーセントとは言わないけれど、
かなりの高確率だと思う」
だから、ここで姿を晒すというのは、
絶対にあり得ない。
……それに、これだけの人が見ている以上、
そこまで大事にはならないはず。
運が良ければ、
誰かが止めに入ってくれるだろうし。
「や、やめて下さい!」
ほらね……。
「って、ちょっと待て!」
この聞き覚えのありすぎる声は、まさか――
「その人、怯えてるじゃないですか!
やめて下さい!」
見た瞬間、目眩がした。
勘弁してくれ……。
なんで琴子がここで出てくるんだよ……?
そんな困惑の間に、
鬼塚のターゲットが琴子へと移行。
頭一つ以上違う高さから見下ろしながら、
怯える琴子を怒鳴りつける。
……これも、見捨てるか?
確かに、その選択がABYSSと戦う上で
最良なのは間違いない。
けれど、見捨てるのか?
僕が、琴子を?
殺されたりはしないだろけれど、妹が殴られるのを、
兄貴が黙って見過ごすっていうのか?
……そんなの、
できるわけないよな。
行こう。行くしかない、僕が鬼塚を止め――
ようと、図書室を飛び出す直前に、
後ろから腕を引かれた。
「黒塚さん……?」
「あの勇気のある子、
笹山くんの知り合いなの?」
「う……うん。僕の妹」
答えると、黒塚さんは『なるほどね』と頷いて、
図書室の扉を大きく開けた。
「黒塚さん、何する気?」
「あなたは何もしなくていいわ。任せて」
それだけ告げて、黒塚さんは一切の躊躇もなく、
二人の間に割って入っていった。
そして、背後に琴子を庇うような形で、
鬼塚と向かい合う。
「……えっ?」
「あ? 何だテメェは?」
突然割り入ってきた黒塚さんに、
琴子が目をしばたたかせる/鬼塚が目を細める。
黙然としている黒塚さんを前に、
鬼塚が一歩前に出る。
けれど、黒塚さんは一歩も引くことなく、
いかにも魔女らしい微笑を浮かべてみせた。
「……いい度胸してんな、オイ」
その態度を挑発と見たのか、
鬼塚の顔が変わる。
まさか、こんな衆目の前でやる気か……?
「あ、あのっ」
僕と同じように交戦の気配を察したのか、
琴子が黒塚さんへと声をかける。
危ないです――
そう続けようとした言葉を、
黒塚さんは微笑だけで制した。
鬼塚に対して見せたのとは全然違う、
見るだけで安心するような笑み。
「どこ見てんだオラァ!」
そこに、鬼塚が殴りかかった。
予備動作の恐ろしく大きい、
体重を乗せた一撃。
それを、黒塚さんはすれ違うように躱し――
驚きに目を見開く鬼塚の耳元で、
何事かを[囁'ささや]いた。
そのまま二人はすれ違い、再び距離が開いた時には、
鬼塚の拳は下げられていた。
「……チッ」
忌々しげに黒塚さんを睨んだ後に、
鬼塚は背を向けて人垣の向こうに消えていった。
……びっくりした。
まさか、こんなにあっさりと事が収まるとは。
黒塚さんは、
鬼塚に一体何を話したんだろうか?
そう思っていたところで、
黒塚さんが早く出て来いと目で呼んでいるのに気付いた。
「……琴子、大丈夫?」
「お、お兄ちゃんっ?
どうしてここに……」
「これだけ騒ぎになってたら気づくよ。
……ごめんね、もっと早くに来られなくて」
「それから、ありがとう黒塚さん。
琴子を助けてくれて」
最悪な状況を打破してくれた恩人に
頭を下げる。
「……別にお礼なんて要らないわ。
私は自分のためにやったことなんだから」
「自分のため……?」
「ええ。これであいつの注意は私に向くでしょう?
私の目的のためには好都合じゃない」
「……黒塚さんがどういう意図でやったとしても、
琴子と僕を助けてもらった結果は変わらないよ」
だからありがとう――と、
もう一度頭を下げる。
それに黒塚さんは、
『あなた変な趣味してるわね』とばかりに眉をひそめた。
「あの……私からも、
ありがとうございました」
「凄く怖かったから……嬉しかったです。
ホントに……」
「……怪我はない?」
「はい、大丈夫です」
元気よく頷く琴子に、
優しげな微笑みを返す黒塚さん。
そうして何も言わずに、
未だ騒然とする廊下から悠々と歩み去った。
「……お兄ちゃん。
あの人、かっこいいね」
「そうだね……間違いない」
「お兄ちゃんの知り合いなの?」
「うん。知り合いっていうか、
最近知ったっていうか」
「琴子も名前くらいは知ってるんじゃないかな?
彼女が黒塚さんだよ」
「ええっ?
それって……図書室の魔女さん?」
「そう、それそれ」
「へぇ、あの人がそうだったんだ……」
黒塚さんが去った後を見返しながら、
しみじみと呟く琴子。
その横顔を眺めながら、
改めて何事もなかったことにほっと息をついた。
……ABYSSの件で
お互いに協力できればと思っていたけれど。
その理由が、
打算だけじゃなくなりそうだな。
今回の借りを返すためにも、
どうにかして黒塚さんに協力できないだろうか――
「あと一時間か……」
何だか今日はやたらと長いなぁ――と、
机に頭を預けてぐったりしつつ、次の授業を待つ。
横向きの視界に映るクラスメイトたち。
その九十度ずれた世界に、
ひょっこりと温子さんが飛び込んできた。
「お疲れみたいだね、晶くん。
何かあったの?」
「あ……いや、別に何も」
体を起こして、
前に立つ温子さんを見上げる。
「本当に?
何かあったなら、私も手伝うよ?」
「いや、本当に何もないよ」
「……でも、黒塚さんに会いに行ったり、
鬼塚先輩の顔を確認しに行ったりはしてるんだよね?」
……温子さん、鋭いなぁ。
誰も気にしてないと思ってたのに。
ただ、一応その突っ込みは想定の範囲内だ。
言い訳は用意してある。
「実は、生徒会に絡んでのことなんだ。
件の二人に関して、よくない話の投書があって」
「……ふーん。
まあ、それならあんまり無理はしないようにね」
と、温子さんは肩を竦め、
僕の前の席に着いた。
……一応、
言い訳は信じてくれたのかな?
でも、その、何ていうか……。
「そんなにじっと見つめられると、
何だか恥ずかしいんですが……」
「いや、晶くんがあまりにカッコいいから、
ついじっと見てしまうんだ」
それはもう穴を開けてやるぞーくらいの勢いで、
僕の目を凝視してくる温子さん。
ああ、これは……アレか。
言い訳がバレてるんだろうなぁ。
でも、例えそうだとしても、
本当のことを話すわけにはいかない。
もしもABYSSが理由だとバレたら、
温子さんは絶対、躊躇わず首を突っ込んでくる。
何とかしてごまかさないと。
そう思いつつ、
ガン見してくる温子さんから視線を外す。
そこに、異常を見た。
「佐倉さん……?」
落とした消しゴムを拾おうとしたのか、
床にうずくまっている佐倉さん。
その行為自体は普通でも、
顔色が尋常じゃない。
額に汗/荒い息/青白い顔
/熱っぽく充血した目/乾いた唇――
まさかまた、心臓の発作か?
「佐倉さん、大丈夫!?」
慌てて駆けよって、手を差し伸べる。
「どこ?
もしかして、胸が……?」
「大丈夫だから……近寄らないで……!」
苦痛に潤んだ瞳で、
僕を邪魔そうに見上げてくる佐倉さん。
「いや、そんなこと言ってる
場合じゃないだろっ?」
佐倉さんの肩を抱いてやり、
少しでも落ち着けるようにと体を支える。
けれど佐倉さんは、触られることこそ
苦痛だとでも言うように、じたばたと抵抗し続ける。
ちょっ……頼むから、
こんな時くらい大人しくしてくれよ……!
「晶くん、私が代わろう」
「温子さん……」
「保健室に連れて行けばいいんだろう?
それくらいなら、私一人でも大丈夫だから」
「ほら――佐倉さん、立てる?」
「ぅ……」
「よし、大丈夫だね。
保健室に行こう」
温子さんが、
佐倉さんに肩を貸して引っ張っていく。
その背を複雑な気持ちで見送りつつ、
大きく溜め息をついた。
これまで、何度も何度も考えて来たことだけれど、
どうしてこんなに嫌われているんだろう……。
「ただいま」
「おかえり。佐倉さんは大丈夫だった?
また心臓の発作だったり……」
「いや、そうじゃなかったみたいだよ。
本人が言うにはだけれど」
「風邪気味? らしくて、
薬を飲んだ後は保健室で休むことになったよ」
「……風邪であんなになるの?」
「先生も納得していたみたいだから、
信じるしかないかな」
「まあ、薬は本人が持っていたものだし、
先生が看てるから大丈夫だよ」
「……そうだね」
とりあえず、
重い症状じゃなさそうでホッとした。
「それより、さっきの続きだ」
――う。
「本当に何もないの?」
「あー……うん。さっきも言ったけれど、
生徒会の用事くらいだよ」
「それが、晶くんの負担に
なっていることは?」
再び僕の目を
じっと覗き込んでくる温子さん。
……温子さんの心配は素直に嬉しいけれど、
だからといって本当のことを話すわけにもいかない。
日なたに咲く花は、
やっぱり日なたにあるべきなんだから。
「大丈夫だよ、温子さん」
だから――なるたけ心配させないように、
軽い調子で笑った。
「面倒事は真ヶ瀬先輩のおかげで慣れてるし、
今やってることくらいは大したことじゃないよ」
「じゃあ、
私が何かする必要はないんだね?」
「うん。僕もあんまり大変なのはごめんだし、
そうなったらすぐに逃げるから」
「そうか……まあ、それなら仕方ないね。
別に無理して聞くつもりでもなかったし」
あくまで僕の本心を見透かす温子さんに、
思わず言葉が詰まる。
それに、温子さんは、
困ったような笑顔を浮かべた。
「秘密は打ち明けられるもので、
暴くものじゃないからね」
「でも、相談したくなったらいつでも言ってくれ。
私は晶くんのためなら、何でもしてあげるから」
それだけ――と言って、
温子さんは自席へと戻っていく。
その後ろ姿を眺めながら、
ごめんねと心の中で謝った。
……ホント、
温子さんには心配かけっぱなしだな。
クラス委員としてもそうだし、
今のだってそう。
でも、だからこそ、
ABYSSについては僕一人で何とかしなくちゃと思う。
温子さんの手や心に
負担をかけることのないように。
そして、いつか話せる時がきたら、
『こんなことがあった』と笑って話せるように。
「多分、温子さんは、
相談しなかったことを怒るだろうな……」
まあ、それで怒られるなら本望だ。
周りのみんなのためにも、
早く、今の状況を脱するように頑張ろう。




