誤解の解消1
――黒塚さんに会おう。
それが、朝起きて出した結論だった。
僕をABYSSだと勘違いしていたことを考えれば、
メンバーそのものについての情報は期待できないだろう。
けれど、ABYSSという団体に関する情報は、
僕よりずっと多いはずだ。
それに、ABYSSを相手にするのと違って、
接触に関するリスクはかなり小さい。
せいぜい『プレイヤーと接触した人間』として、
ABYSSに目を付けられる可能性がある程度か。
そのリスクでさえ、
ABYSSがプレイヤーを把握していることが前提だ。
一昨日の夜に戦った、仮面の男の言動から察するに、
ABYSS側はまだプレイヤーの特定はできていない。
つまり――現状でリスクは極小。
例えメンバーの情報が手に入らずとも、
ABYSSを知るのにこれほど美味しい情報源はない。
良好な関係を築く道のりは長いかもしれないけれど、
何とか成果を出せるように頑張ろう。
「……琴子のためにも、
早くABYSSと縁を切らないとな」
今朝も、渋る琴子に無理を言って、
一人で先に出て来たわけで。
一昨日からずっと琴子を大事にできていないし、
兄としての役目を果たせるように時間を作りたい。
そのためにも、早く――
「屋上に行かないと」
教室に鞄を置いてから、
屋上までやってきた。
眩しい朝の日差しに目を細めつつ、
黒塚さんの姿を探す。
と、長い黒髪をなびかせる
後姿が目に入った。
「おはよう、黒塚さん」
声をかけるも――返事はなし。
もう僕なんか、
興味の範疇の外なんだろうか。
命を狙われないのは助かるけれど、
今は構ってくれないと困る。
「えと……その、あれだ。
いい天気だよね」
「何か用?」
眉間に皺がいっぱい寄った顔で、
『あなたうざったいのよ』的な感じに振り向かれた。
その対応の渋さに、
出会ったばかりの頃の温子さんを思い出しつつ――
「昨日の話の続きがしたいんだ」
単刀直入に切り込んでみた。
「悪いけど、もうあなたに用はないの。
話す必要なんてないわ」
「黒塚さんにはなくても、
僕にはあるんだよね」
「私はないの」
うーん、とりつく島もない。
ただ、昨日までと違って、
敵意や害意といったものも感じない。
興味がないっていうのは、
本当なんだろう。
「その様子だと、
僕への疑いは晴れたってこと?」
「ええ、そうね。
あなたはABYSSじゃないわ」
……本当、あっさりだな。
まあ、僕としては
非常にありがたい判定結果なんだけれど――
「急にどうしたの?
僕がABYSSじゃないって」
「それは言う必要がないわね。
言いたくもないし」
……ということは、単純に考えると
『言うと黒塚さんに不利益がある』ってところか。
なら、そっちはそっとしておこう。
「じゃあ、その逆の質問。
どうして僕をABYSSだと思ったの?」
「……疑った理由?
そんなの聞いてどうするの?」
「いやまあ、疑われた身としては、
やっぱり知りたくなるよ」
『それくらいはいいでしょ?』と聞くと、
黒塚さんは少し考えた後、やれやれとばかりに頷いた。
「経歴よ」
……つまり、
元暗殺者だからってところか。
「あなたのことは調べさせてもらったわ」
「記録を見たら、この町で生きてきた期間は、
特に問題はなかったんだけど――」
「あなたがこの町にやって来る以前のことは、
どこで何をしていたのか全く分からなかったの」
……は?
「生まれはいつなのか、どこ出身なのか、
どんな家庭だったのかとかも、全部ね」
「そんなふざけた経歴の持ち主が、
普通の学生のはずがないでしょう?」
「それはそうだけれど……」
何でそんなことになってるんだ?
全然分からないっていうのは、
おかしい。
全然分からないのは、
隠蔽じゃない。
誰が見ても違和感さえ覚えない、
発覚すらしない嘘こそが、隠蔽なのに……。
どうして、
父さんがそんな不手際をやらかしたんだろう?
「分かった? あなたを疑った理由」
「ああ……うん。そうだね」
僕の経歴の謎はともかくとして――
これでようやく、
黒塚さんが僕を疑った経緯が分かった。
そしてそれは、彼女が本当の意味での僕の経歴を
知らないということにもなる。
それはそれで、
色んな意味でホッとした。
「そういうわけで、
あなたにはもう用がないわ」
「いや、僕からは用があるんだけれど」
「だから、あなたの都合なんて知らないわよ。
私は私で動いてるんだから、関わってこないで」
『いいわね?』と僕を冷たく睨んでから、
黒塚さんは屋上から去っていった。
本当に、気持ちいいくらい
素っ気なかった。
「関わってくるな、か……」
別に、僕だって[好'す]き[好'この]んで
関わり合いになろうとしているわけじゃない。
ただ、この学園で馬鹿げた殺人儀式が行われていて、
僕も既に巻き込まれてしまっているから――
僕の周囲にまでそれらが及ぶかもしれないから、
危険を承知で首を突っ込んでいるんだ。
それがより効率的に、安全に行えるのであれば、
黒塚さんの協力は絶対に欲しい。
いや、協力してもらうんじゃなくてもいい。
黒塚さんと一緒に解決への道を歩めるのであれば、
同盟どころか、一方的に利用されるのでも構わない。
それが僕の利益にもなるんだったら、
いくらでも手を貸そう。
……もっとも、それさえ許してくれなさそうな
雰囲気だったわけだけれど。
「まあ、気長に行くしかないかなぁ」
黒塚さんの説得は続けるとして――
僕は僕で、できる範囲のことをやっていくか。
差し当たっては、鬼塚って人の調査から。
こっちは龍一に当たってだな。
昨日の話しぶりからすると、
龍一は鬼塚の顔を知ってるみたいだし。
でも、先は長そうだなぁ……。
「あー! ようやく来やがった!」
「どこに行ってたんだい、晶くん?」
教室に入った途端、
爽の大声が飛んできた。
というか、
温子さんまで若干怒ってる……?
「あ、あのー……
僕、何かやった?」
「はぁ~?
昨日言ってたこと覚えてないの?」
いや、特に二人を怒らせるようなことを
言った覚えはないんだけれど。
「実はね、爽がどうしても妹さんを見たいというから、
さっきまで校門で待っていたんだよ」
「琴子ちゃんと一緒に登校してくるって言ってたから、
ずっと待ってたのにさー!」
あー……そういえば、
そんなこと言ってたような?
「ああんもううう!!
琴子ちゃんとにゃんにゃんしたかったあぁ!」
「こうなったら晶、琴子ちゃんの連絡先教えろ!
あたしに一欠片でも申し訳ないと思うなら!」
「うん、分かった。
微塵も思ってないから教えない」
「何それ、晶のくせに生意気!
おーしえろ! おーしえろ!」
僕の周囲をぐるぐる回りながら、
即席の“教えろの歌”を歌い出す爽。
そのぶっ飛んだ行動に頭を抱えつつ、
心底思った。
ああ、今日は
琴子を連れてこなくてよかったな――と。
一時限目の休み時間――
再び爽が僕のところにすっ飛んできた。
「どうよ晶? そろそろ、
琴子ちゃんの連絡先教える気になった頃じゃない?」
「……まだ一時間しか経ってないってば。
あと、多分ずっと教える気にならないと思う」
っていうか、
まだ諦めてなかったのか……。
さすがに琴子に悪事は働かないと思うけれど、
友達に求められて妹を紹介するのは何か嫌だ。
もしこれが異性だったら、
きっともっと嫌なんだろうな……。
「そういえばさ、
爽って男には興味ないの?」
「えっ? な、なんでいきなり、
そんなこと聞くのっ?」
「いやだって、いつも女の子ばっかり追ってるから。
男には興味ないのかなーって」
ふと思いついて聞いてみると、途端に爽が、
髪の毛を弄ったり咳払いをしたり、そわそわし始めた。
「それは……まあ、あ、あるけど?
私だって、一応は女だし?」
「っていうか、一杯追いかけてるのに、
あ、晶が気付いてないだけ……みたいなっ?」
「へー、一杯追いかけてるんだ。
男のほうにもアンテナ広いんだね」
さすがに誇張だろうけれど、
まあ結構な数は知ってるんだろう。
……だとしたら、龍一を待つまでもないかな?
ちょっと聞いてみるか。
「あのさ、鬼塚先輩って知ってる?」
「はぁ? 何で鬼塚?
しかもいきなり」
「いやー、ちょっと生徒会で話題に出てさ。
アンテナ広い爽なら知ってるかなって思って」
「……まあ、そりゃ知ってますよ。
出身同じだし、鬼塚って有名人だしね」
「あ、そうだったんだ」
龍一に聞かなきゃいけないかなと思っていたけれど、
これは意外なところから繋がりが出て来たな。
本人を確認してお終いの予定だし、
いつ来るか分からない龍一より、爽に頼るほうがいいか。
「あのさ、爽にお願いがあるんだけれど。
次の休み時間、三年の教室に一緒に来てくれない?」
「ちょっと、鬼塚先輩の顔とか
知っておきたいんだよね」
「えー、でも危ないかもしんないよ?
あいつ、今めっちゃ凶暴って話だから」
「ああ、その辺は龍一から聞いてる。
遠くから見るだけだから大丈夫だよ」
「んー……それならいっか。
でも、その代わりに琴子ちゃん紹介してよね」
「ぐ、そう来たか……」
当然でしょ――と、爽のニヤリ。
……正直あんまり飲みたくない条件だけれど、
それくらいなら妥協するか。
爽がその気になれば、
また明日にでも待ち伏せしてくるだろうし。
「……分かった。条件を呑もう」
「オッケー、取引成立!
んじゃま、次の休み時間にね~!」
爽は手を振って、
ばたばたと去って行った。
……あまり好ましくない要求はされたけれど、
予想外のところから目的を達成できたな。
でも、爽が追いかけるような男か……。
きっと、その人も変人なんだろうなぁ。
「鬼塚ってさー、昔から結構有名だったんだよね。
ケンカ強いって」
三年の教室へと向かう道中で、
爽が思い出したように呟いた。
「でも、弱いやつにはケンカ売らないって話だったし、
逆に助けてあげたりもしてたみたい」
「……怖い人って聞いてたんだけれど、
それっていい人じゃない?」
「うん、いい噂のほうが多かったよ。
あたしが聞いた範囲ではね」
「でも、この学園に入ってから、
どんどん悪くなってったみたいなんだよねー」
……龍一から聞いた話とあべこべ過ぎて、
何だか別人みたいだな。
人はそんな短期間で
変わるようなもんじゃないと思うんだけれど。
僕がこっちの世界に来たのは子供の頃だったけれど、
それでも馴染むのに相当時間がかかったし。
「ま、何があったのか知んないけど、
今の鬼塚は要注意人物になっちゃったと」
「……って、
言ってる傍から出たよ」
「え、どこどこっ?」
「あそこ。頭飛び出てんの見えるでしょ?
モーゼみたいに人の海を割って歩いてるあれ」
人の海を割って……?
……ああ、あれか。
爽が指差す先に目をやる。
移動教室があったのか、
人の波が行き交う廊下。
その中ほどにあるトイレの周辺で、
明らかに人の挙動がおかしい箇所があった。
直進をせずに迂回する者、
立ち止まる者、引き返す者――
その中心を、目付きの鋭い大柄な男が、
不機嫌そうに歩いていた。
「あれが……」
――鬼塚、か。
なるほど、人垣が自然に割れていくところを見ると、
みんなに恐れられてるのがよく分かる。
誰も彼もが、
鬼塚の半径二メートル以内に入ることを避けていた。
「聞いてた通り、
龍一と同じくらいの身長なんだね」
「あー、確かにそんなもんかもね。
縦も横も」
「っていうか、久々に見たけど、
鬼塚って超目つき悪くなってない?」
「いや、僕に聞かれても」
僕に分かるのは、
鬼塚が確実に強いっていうことだけだ。
この距離かつ服の上からでも分かる引き締まった体は、
確かに普通の学生の域を遙かに超えている。
加えて、隙の少ない歩行/振り撒く威圧感/
警戒というより既に先制攻撃しているような鋭い視線。
まさに『触るな危険』という標語の体現――
言葉の通じない動物ですら理解できそう。
“判定”は……獣のうなり声。
仮面の男のそれと同じ。
これだけの条件が揃っていれば、
一昨日のABYSSと同一と見て間違いないだろう。
黒塚さんは除外になったから、
これが初めて見つけたABYSSか。
残るは四人。先は長いな。
「……よしオッケー、帰ろうか」
「あれ、もう帰っちゃうんですか?」
……あれ?
この聞き覚えのある声は、
もしかして……。
「聖先輩……!?」
「はい。おはようございます」
「お、おはようございます……」
いつの間に後ろに立ってたんだ?
爽も気付いてなかったみたいだし、
僕も鬼塚に夢中で全然気付かなかった……。
「三年生の教室にどうしたんですか?
もし誰かに用なら、私が呼んできますが」
「あーっと……」
爽に黙ってもらうように
目配せをする。
すかさず返ってくるまばたき。
こういう時の爽は空気が読めるから助かる。
「実は二年生の方のトイレが混んでたんで、
こっそり三年生のを使わせてもらおうかなって思って」
「でも、なんか混んでるみたいで……」
「あ、なるほどー。
それで様子見だったんですか」
「まあ、確かに三年生に混じっていくのは
勇気が要りますもんね」
「でも、合唱部の朝霧さんも
そうなんですか?」
「あー、あたしは付き添いです。
晶が一人で行くのは怖いからって。このヘタレ!」
「ヘタレで悪かったね……」
とは言いつつも、内心では、
上手く話を合わせてくれた爽の機転に感謝。
……こういう事態を想定してたはいいけれど、
龍一と来る前提の、男二人用の言い訳だったからな。
『女子同伴でトイレに行く男』という不名誉は、
準備不足のツケとして甘んじて受け入れよう。
ともあれ――こういう展開になった以上、
聖先輩にから情報を得ない手はない。
「あの、聖先輩に
ちょっと聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「さっきからずっと廊下を見てたんですけれど、
あからさまに避けられてる大きい人がいたんですよね」
「あぁ……多分、鬼塚くんですね」
よし、さすがは鬼塚。
これで通じるなら話が早い。
この際だから、色々と聞いてしまおう。




