知っていたよ、ありがとう
近くに集落があったのは幸運としか言えないだろう。
本来ならば二度、三度の野営を挟んで村に入る予定だったのを大きく狂わせる原因となった二人は仲良くベッドの中にいて、術の使用も禁止されて大層ふて腐れている。
そんな彼らを、腕を組みながら白い目で見ているのは、バーナーとシャドウだ。
「お前らさぁ……。どうして出血騒ぎになるまで殴り合いをしちゃうかね?」
「もう、ただでも大変な旅をしている途中なのに、仲間内で怪我のさせあいをしてどうするのさ! ブラックも、魔力にモノを言わせて乱用したらダメだって言ってるでしょ! 器は平気でも、体は疲れちゃうって!」
「オレは悪くない。先に嫌なことをしてきたのは黒疾だ」
「それは否定しねぇがな? 問題はその後だろうが! あんな貴重なもんを回収できねぇようにしやがって、魔術師ならその価値くらい知っとけ!」
「知らない! あんなもの、いらない!」
「こんのガキ!」
布団に潜りこんだブラックを引きずり出そうとした黒疾の手をバーナーが軽く払い、長いため息を漏らした。布が震えているのは、それほどに彼が嫌な思いをしたということだろうか。心配したシャドウが隙間から顔をのぞかせて、首をかしげる。
口元を手で押さえて、声を漏らさないように、小さく笑っていたのだ。
「ブラック、どうしたの?」
「……ねぇ、シャドウ。オレ、こうやってケンカするの、きっと初めてだ」
と、嬉しそうに微笑むブラックに、シャドウも満面の笑みを浮かべていた。バーナーが頬を緩めれば黒疾もクッと口の端を上げ、部屋の扉へと目を向ける。
「出かけてる連中が戻ったら、飯にするか?」
「そう、だな。その前に術を使ってもらえ、目元の痣に唇の端で固まった血に? いい男前な面になってんぞお前」
「るせぇ」
からかうように笑うバーナーの頭を軽く押さつける黒疾も、喉の奥で愉快そうに笑っていた。
肩を激しく上下に揺らし、地面に押し倒した相手の首の真横にエペを突き立てたボンドッツは、険しい表情を浮かべながらも呼吸を整えて手を差し出した。遠くに弾き飛ばしてしまった相手の剣を渡してやれば苦い顔で受け取っており、そんな顔をしたいのはこちらだと大きく息を吸い込む。
「以前までとは、まるで違いますね。やはり、無駄な体力を消費しないで良いようになったのが大きいでしょうか」
「雷で剣を作り、維持し、そのうえで雷と同じ動きをするのは体への負担が確かに大きかったからな……。あとは黒疾のおかげで、早々に慣れられた、というのもあるか」
「本当にあの人は、盗賊なんですねぇ。悪い人ではないんでしょうけれど」
自身に比べたら呼吸の乱れも少ない雷斗に、ボンドッツは再度苦笑してしまった。太陽はすでに半分が屋根に隠れてしまい、美代たちがいるだろう方角へ顔を向ける。
「そろそろ戻ろうか、付き合ってくれてありがとう」
「構いませんよ。……美代さんも、少しは、気が晴れていればいいのですが」
そう言って眉をひそめるボンドッツに、雷斗も目を伏せてしまった。
集落の外れにある小さな丘、その上で両足を投げ出したように座り込み、もう何度目になるのか、数えるのも忘れてしまうほどのため息を漏らしている美代。
そんな彼女を少し離れて見守るブルーが、心配そうにダークを見上げた。
「どうしたんかなぁ、どうしたんやろう。こんなに、平和な場所なんよ? どうして、美代はんはあんなに苦しそうなん?」
「……判ラナイ。タダ、疲レテイルハズダ。我々ノ事デモ、魔族ノ事デモ。今ハ、見守ル事シカ出来ナイダロウ」
スノーを抱えてやりながら目を伏せていれば、静かな羽音が聞こえた。体を捻って振り返ればイフリートが柔らかく肩に止まり、紅玉の瞳を細めて頬ずりをしてくる。ブルーが手を伸ばせば跳ねるようにして彼の頭へ移動して、落ち着いたよう座ってしまった。
「あ、美代はん」
「ん……もう帰る?」
遠慮がちに声をかければ、振り返ることもなく立ち上がった。ズボンの土を軽く払うと体を捻り、弱々しい笑みを浮かべる。
「大丈夫、私もちゃんと行くよ。だから、ごめんね。先に行ってて」
「……ワカッタ」
渋るブルーの手を握り込み、ダークは借りた宿へと足を進めていった。ありがたくその背を見送って、黄昏時の真っ赤な空を見上げる。
その眩しさに、目を思わず細めてしまった。
「……大丈夫、私は大丈夫。だから、誰も、入って来ないで」
漏れる声は風に流れ、ゆるりと頭を振ると自身も宿に向かって歩き始めるのだった。
夕食もほとんど喉を通っていなかった。
体調が悪いのかと尋ねても否と答え、魔力が乱れているのかと診てみればそういったわけでもない。
それなのに彼女は、ふとした拍子に息を漏らした。心配そうに寄って来た雷斗とブルーに微笑んで、泣き出しそうなスノーを膝に抱えあげている。
「美代は、どうしたんだろう」
「平和な村がしんどいんだろ。荒波にのまれている人間は、平穏を不安に思う時がある」
盗賊の彼が言うと、なんとなく説得力があった。眉を寄せていると力強く背中を叩かれて、口を尖らせながら振り返る。
「行って来い、お前の仕事だ」
黒疾から押されるようにして、ブラックは美代に近づいた。傍にいたブルーと雷斗が静かに身を引いて、バーナーの近くに腰を降ろす。
「美代、大丈夫?」
「……うん。って言っても、信用してくれないでしょ」
「うん、ごめん」
素直に謝れば寂しそうに笑い、抱えていた膝を崩した。伏せられた瞼は小さく震え、口の端を歪ませながらも笑顔を作ろうとしているのがわかる。
「長閑で平和で、家族が多くて。私はきっと、寂しいんだと思う」
「……おじさんやおばさん、沙理に、会いたい?」
「そうだねぇ。でも、会えない」
「シャロムだから」
「……少し、違う」
ヒュ、と。息を呑む小さな音がして、みんなの視線がバーナーに集中した。真っ青になって目を見開き、ガタガタと震えている彼を支えるようダークが手を伸ばす。
「この話はおしまい。ごめんね、少しだけ放っておいてくれると嬉しい。ただね、私が初めてニルハムに来て、モモさんに案内されて入った村に雰囲気が似ててさ。シャロムを、思い出しちゃって、しんどいだけだから」
「み、よ。まさか、まさかお前……!」
「バーナー、いいよ。私は誰かを責めたいわけじゃない、悲しませたいわけじゃない。だからこの話はっ」
喉が裂けんばかりの悲鳴があがって、美代は再度ため息をこぼしていた。体を捻るよう振り返れば頭を抱え込むような土下座をしているバーナーに、誰もが言葉を無くしている。
「おしまいって、言ったのに」
「すまないっ……! 美代、美代すまない! オイラはっ、お前に嘘を……!」
「バーナー? いったい、なに、が」
「バーナー止めよう、誰も救われない真実は私たちの中に秘めておこう?」
「だけど! どうして、いったいいつ……!」
どれだけの傷を負おうと、苦しい事があろうと決して涙を見せなかった男が、首筋まで真っ赤にさせながら、大粒の涙を流しているのがわかった。落ち着かせるためにも体を起こしてやろうとするけれど、緊張しきった体は土下座の形から崩れる事はなく、頭を振って床に額をこすりつけんばかりに下げ続けている。
「キャバシュグアルと対面した少し前。いいよ、父さんも母さんも沙理も……異形を受け入れてくれるほどに、心が広い人だった。正義の人だった。だからきっと、あの時も誰かを助けようとして、あぁなっちゃったんだと思う。
ごめんね、バーナー。ずっと、苦しい嘘をついてくれていて。私があの時……泣きそうだった。から、本当の事を黙っていてくれたんでしょう?」
「みよ。何を、言って」
頭の中で、ガンガンと巨大なドラを殴りつけているような音が聞こえる。
聞いてはいけないのに、聞かなければならないような気がして問いかけた声は、情けないほどに震えていた。そんな自分に彼女が笑い、緩く目を閉じる。
「もー、ここまで言ったら話すしかじゃん。父さんも母さんも、沙理も。もういない、死んじゃってた」
バーナーが、ブラックが大きく体を跳ねて、呼吸を荒げた。
ボンドッツが、ダークが、シャドウが。こぼさんばかりに目を見開き、震えた。
「えっと、黒疾は知らないよね。実は私たちとダーク、ボンドッツ、リン、シャドウ、ブラックは一時期対立しててね。まぁ色々あって、私一人で行動して。
その時に、強く、強く。両親に会いたいって、大切な人たちに会いたいって望んで。そうしたら、シャロムに行けてしまって、全壊した、家の傍に、立ってて。
……お墓を作ってくれたのも、バーナー? ありがとうね、手を合わせられたよ」
「そん、な……。オレ、オレ、が……!」
「どうして! ならばどうして、我々を受け入れたのです! あなたは憎むべきだ、恨んで然るべきなんだ! 大切なっ……人を! 奪ってしまった、私たちを! 仕向けてしまった私を!」
「敵意の有無すら測れないほどに壊れた人たちを、どう憎むのさ。人非ざる者を受け入れてくれた人たちを、どう恨めばいい? 私にはわからなかったよ。覚えてなぁい? シャドウの体を奪っていたキャバシュグアルが、私に、なんて言ってたか」
『大好きな人たちを、嫌いになれない悲しい子。きみは全てが中途半端で、誰もかれもを助けて傷付ける』
「本当に、キャバシュグアルが言った通りだね、私。こんなに中途半端でごめんなさい、胸の奥に、しまい込んでおけなくて」
どこまでも優しい笑みを浮かべている美代が、わずかに首をすくめた。頭上を翔けた、背後の壁に半ばほど埋まっている短剣は、光りなく瞳孔を開いているダークが投げたものだ。
「手荒い歓迎だな、ダーク」
「仕留メルツモリ、ダッタノダガナ」
揺れる大気に、バーナーが加減も知らずに目元をぬぐって身構えた。
普段ならば即座に伸ばされているだろう腕は痙攣し、どうしても、美代へと届かない。
「ダークネス、ラオエン……!」
「とうとう人里にまで来ちゃう? こっちの心境も知らないでさ」
二人が現れたのは、美代の真後ろだった。守りたいと思う気持ちは本当のはずなのに、体は普通に呼吸ができなくて、髪をざわつかせて無理やりに酸素を取りこもうとしているのに、空気が喉を通らない。
「言っているだろう、私たちの狙いはセイント、お前だと」
「最初はブラックだったくせに」
「あれはもういい。十分に知れた」
「ここで戦うのはヤダよ? 他に移るくらいの配慮は見せてよね」
紅い目からボロボロと涙を流し、呼吸困難に陥っているブラックが視界の端にいた。雷斗やブルー、黒疾が落ち着かせようと傍に寄っていて、美代の近くにはダークが小太刀に手をかけて立っている。
けれど、彼も。美代に手を伸ばすことが出来ないでいた。
「父親に会いたいか」
静かな問いかけに、隣にいるダークネスが目を細めた。美代もようやく立ち上がってラオエンを見上げ、髪飾りに手を乗せる。
「私なら会わせてやれるぞ、セイント・オウス・アスパル・ファータ。共に来い、私の元に来い」
差し出されたラオエンの手を凝視して、一歩、足を踏み出した。
「美代殿!」
「美代はん、ダメ!」
雷斗とブルーが叫んだけれど、彼女の足は止まらない。一歩ずつ確実に、魔族の二人に近寄っていくのを、誰も止めることが出来ない。
とうとうラオエンの正面に立った彼女は、しかめっ面をしながら空色の瞳を上げた。
「セイント」
「残念だけど、断るよ」
ニィッと口を吊り上げて髪飾りに魔力を流し、その場に煙 舞 踊を起こした。近距離で発動された煙幕に怯んだらしい二人を冷たく見て、ダークの短剣を力任せに抜き取ると元の場所へ戻ってくる。
「私はこれまでの事に感謝している。一族が滅んで、シャロムで生活して、いろんなことがあってニルハムに戻ってきた。
苦しい事もたくさんあったよ、辛いことも逃げ出したくなることも、数えきれないくらいあったさ。だけどそれらを経て、今の私がここに居る。
起きた過去は、その時の感情は、結果は否定しない、拒絶しないよ。だってそれは、今ここに居る私を否定することになると思うから」
まっすぐに見つめるその目には、迷いがなかった。煙を払ったラオエンは口角を緩めて瞼を閉じ、開いたときには敵を見るような鋭い光を宿している。
「これが私の答え。まだまだ子供で、感情的になって。自分を嫌いになることもきっとある、だけど最後にはきっと、笑って受け入れられると信じてる。……だからラオエン、どんな手段であろうと、私は死んだ父様に会うことを望まない」
「そうか、ならば、力づくでお前を物にするとしよう」
「さっきも言ったけど移動くらいさせてよね。二大一族のいざこざに、赤の他人を巻き込む気はないよ」
「よかろう。貴様らを特別に招待してやる」
ぐわりと、世界にゆがみが走った。咄嗟に振り返って部屋中に視線を走らせると空間自体が歪んでいるようで、鋭くラオエンを睨みつける。
「我々の魔力で、擬似世界を作り出してやろう。なに、環境はほぼ変わらんさ。あちらで会おう」
目の前が真っ暗になった。体から力が抜けていき、倒れ込んでしまうのがわかる。
「ブラック、バーナー……みん、な!」
叫んだつもりなのに、口からは空気の音しか出てこなくって。
そのままストンと、意識を落していった。




