神託
結局、魔力を流してもらうこともなく、自力で何とか熱を下げた週末。
「美代、具合はどうだ」
「もう平気だよー。どうしたの?」
「平気だったら、ちょっとオイラに付き合えよ」
首をかしげ、ブラックを見てみると、彼もコトンと首をかしげていた。ギリギリと眉間にしわを寄せていくバーナーに、美代も寄せていく。
「付き合え、だけ言われても何のことか判りませえん!」
「バカ、オイラが今してること見たら、解りそうなもんだけどな!」
今は揃って、バーナーの部屋に居た。美代とブラックはベッドの上に避難し、部屋の主だけが床に尻を着けている。彼の前には短剣や石、布きれなどが並べられており、今は、刃も柄も彼の髪と同じ色をしている両刃剣を手にしていた。
「それは、武器の手入れ。だと思っていいのかな?」
「それ以外の何に見えるんだよ……。別に手入れに付き合えってんじゃねぇ、これが終わったらあそこに行くぞ、オイラが焦土に変えたところ」
「オレは?」
「お前は留守番」
頬を膨らますブラックに目もくれず、バーナーは淡々と手入れを進めていった。
しばらくすると床に広げていた道具を集め、立ち上がった。美代もそれを見てベッドを降り、バーナーを見上げる。
「じゃあ、ブラックはちょっとお留守番しててね」
「行くぞ」
と、美代はバーナーの後に着き、部屋を出るのだった。
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山に着くなり、美代はバーナーから、ウィングになるよう促された。首をひねりながらも、一体どうやって感情を高ぶらせようかと唸る。
「どうした、なれないのか」
「うーん、ウィングになるには、感情の高ぶりが必要みたいなんだけど……今からするのは、手合わせってことで良いんだよね」
小さく頷く彼に、美代は目を閉じた。
(手合わせ、練習、戦い……よし、今出来ることを全部やってしまおう!)
周囲を風が駆け巡り、美代は目を開いた。バーナーはすでに身構えており、同じように構える。
「実際に見るのは初めてだが……性別が変わるのか?」
どこか怪訝な表情をしている彼に小首をかしげ、頷いた。そんなウィングにますます眉を寄せていき、それを見た彼も同じような表情を浮かべていく。
「なんだよ」
「……とりあえず、だ。いくぞ」
「あぁ――」
瞬き一つ出来ないほど、短い時間だった。
返事をしたと思った次の瞬間には体が宙を浮き、衝撃が背中を襲っていた。腕が自然と腹部を抱えてしまったことから、そこに何かしらの攻撃を受けたのだろうことは想像できる。
ならば後ろで感じた痛みは何だったかと視線を向けてみると、どうやら木に激突したせいで起きたものらしかった。
さっきまで自分が立っていたところには冷たい目をしたバーナーが立っており、声を掛けようと口を開けた。そこから漏れたのは言葉ではなく、嗚咽。
「泣くな、この程度の痛みで悲鳴を上げていてどうする。立て」
吐き捨てるように言われ、ウィングは唇を噛んだ。鉄の味がジワリと舌に広がるのが解る。俯き、蹲り、ぽろぽろと頬を涙が走っていくのを、止める事は出来なかった。
全体的な体力は上がったかもしれない、風を扱う不思議な力も手に入れた。
それでも、痛みに対する耐性が付いたわけでもなく、特別な戦闘能力を得たわけではないのだ。
ついに美代に戻ってしまうと、大きなため息と共に足音が近づいてくるのが聞こえる。グイと胸倉を掴み上げられ、美代はきつく眉を寄せた。
「てめぇ、いくらなんでも自覚が足りなさすぎるんじゃないか。こんな腐るほど平和な世界にどっぷりと浸かりやがって、挙句に病弱で、魔力も魔術もろくに知らねぇときやがる。風の、一体何を考えているんだ?」
「な、に、が……」
腹部は痛み、涙で視界は滲み。吊し上げられている息苦しさに、美代はバーナーの手をひっかいた。それでも彼は動じもせず、ギチリと眉間にしわを寄せている。
「なにが、だと! お前自身か、その両親か。どちらかが神託を受けているはずだ、オイラ達ガーディアンの使命、放棄するつもりか!」
地面に投げ捨てられ、美代は激しく咳き込んだ。頬を真っ赤に染めて地面に突っ伏す姿を見てもバーナーは眉ひとつ動かさずに、冷たい目を向け続けている。
「わけ、わかんない。なに、がーでぃあん? 神託? 意味が判んないよ」
「お前、まだそんなことっ」
言いかけ、彼は口を閉じた。ジッと美代を見つめ、静かに、手を額に乗せる。
「……ニルハムの、人間、だよな……?」
「そのニルハムっていうのも、シャロムっていうのも解んないのに! 聞こうとおもったらぁ! 寝ろって布団被せたじゃんかあ!」
とうとう、ワッと声を上げて泣き始めてしまった美代に、バーナーの顔からは音をたてて血の気が引いて行った。膝をつき、不明瞭なうめき声をあげ、慌てている。
「う、嘘だろ! お前、風の一族の奴じゃないのか。いや、お前らの家族がてっきり、そうなんだと……! じゃあなんで、風が無詠唱で使えるんだ!」
「知るもんか! ブラックが変な地震を起こした前の日に、なんか、背中を突き飛ばされたような感覚があって、気づいたら男になれるようになってて! 風も使えるようになってたんだもん!」
「最近の話じゃねぇか! ちったぁ動揺しろ、混乱しろ!」
「答えが出ないことをいくら考えて悩んだって、無駄じゃん!」
「ああああああああ、こいつ、思考を放棄してやがる!」
バーナーは片手で頭を抱えながらも、美代の体をヒョイと抱えあげ、背中を優しく叩いた。それは幼子をあやしているようで、美代は肩口に顎を乗せ、グスグスと鼻をすする。
「すまん、悪かった。オイラはてっきり、オイラ達と同じ世界の住人だと思ってたんだ。痛かったな、大丈夫か」
「痛い。メチャクチャ痛い。ちゃんといろんなことを説明して」
「解った。一から説明してやる。お前が少し落ち着いてから、な?」
なんとなく、子供扱いを受けているようで頬を膨らませたが。
美代はバーナーに抱えられたまま、静かにうなずくのだった。
泣き止んだ頃に美代は降ろされ、その場でバーナーと向かい合うように腰を降ろした。彼は口を閉ざしたまま首をひねり、頭を抱え、考え込んでいる。
冷えた風が二人の間を走り、美代が身震いをした時だった。バーナーが顔を上げ、口を開く。
「今は二つの世界のことは詳しくは話さないぞ、時間がかかるからな。とりあえずこの世界、シャロムと、魔法や異能力が普通に存在する、オイラ達が生きている世界、ニルハムがある。これは別の世界の様で、隣同士に存在している。これだけ理解してくれれば構わないだろう」
「……うん、とりあえずそうするね。世界のこともそうだけど、どうして私が急に男になれるようになったのか、風が使えるようになったのか。それを知りたいから」
言うとバーナーは頷き、再び考え始めた。ふと周囲に小さな炎をいくつか浮かべてくれ、美代はそれに手をかざす。
「これもとりあえずはザックリと話す、ニルハムの神話だ。世界には天と地があり、それを支える白い柱と黒い柱、そして更にその柱を支える四本の白と黒の柱がある。今、その柱のバランスが崩れ、世界が崩壊しようとしている。そこで生み出されたのが、ガーディアン・チルドレン。回り巡る魂とは別に、神より直接生み出された者たち」
正座し、姿勢を正して話すバーナーは、到底冗談を言っているようには見えなかった。美代も思わず正座をしようかと動くが、バーナーがそれを止める。
「普通に聞いたところで、信じられないという気持ちは解る。でもオイラ達は、納得せざるを得ないことも、知っている。ガーディアンとして生まれた者、もしくはその両親。両方かもしれないが、神託がある。とは言え夢の中で、声のみで受けたものだ。最初は信じられなかったし、意味が判らなかった」
「じゃあどうして、納得したの?」
「一族の中で明らかに異物だったからさ、他の一族で神託を受けた奴も、恐らくそうなんだろうな」
そう言った彼は、どこか寂しそうな、悲しそうな瞳をしていた。
「オイラは火炎族の中で、火力が異常だった、鉄はおろか岩をも溶かすことができる炎を、六つの時点で出すことが出来たんだ」
「……えぇっと、鉄が確か、二千度くらいで融けるんだよね。そして岩は、低くても一千度、高いものだと」
「六千は、くだらないだろうな。一族の中では鉄を溶かせる炎を出す奴は大人でも稀だった、この異常性は、神の力を得ていることを納得させるだろうよ」
そんな炎を、六歳の時点で出すことが出来たのであれば、確かに異常だろう。
美代はそう思い、眉を寄せてしまった。反対にバーナーはふと微笑み、緩く目を閉じる。
「そんな顔をするな。……どうしてそうなったのか、は判らない。それでもお前がガーディアンとなってしまったこと、それに選ばれたことに変わりはないんだ。旅のこともオイラ達がしていくことも、ゆっくり話していくよ」
と、彼は立ち上がった。周囲に浮かべていた炎を消し、同じように腰を上げている美代に手を伸ばす。
「今言える事とすれば、お前は旅の中で、剣を振るわなくていい。ここの世界の住人はオイラ達に比べて体が脆いようだ、代わりにオイラがお前の剣となる」
「……へ」
伸ばされている手を掴みながら、美代は声を引っくり返らせてしまった。それに気づいたか、気づいてないか。バーナーは口の端を軽く上げ、歩き始める。
「手合わせは終わりだ、帰ろう。シャロムの人間なのなら学校にはちゃんと行った方がいいんじゃないか? オイラは、お前もどうせ、あちらの世界に戻るんだ。と思っていたから何も言わなかったんだぞ」
「……小言は聞きたくありませーん」
そう返しながらも、美代は大人しくバーナーの後に着き、家に向かって歩いて行くのだった。