きみへのおもい
森の中。
幼かったあの日、リンが遊びに行きたいと我が儘を言い始め、遠くに行くのは危険だと言い伏せようとしたけれど、めーれー! と癇癪を起こしかけて仕方なく着いていき。
二人だけのひみつだよ! と、拾った小石で名前を刻んだ、木の根元。
「こんなところに置いて行くのは心苦しいですが、お許しください」
横たえたリンに毛布をかけ、胸元に一輪の花を置いた。跪いて深々と頭を下げると口元を緩めて頬に手を置き、目を伏せる。
「それにしてもズルイですよ。愛していた、だなんて。最期の最期、それも唇だけで言うだなんて。私にはそれを伝えさせてくれないんですね」
とはいえ。
もはや、身分も立場も関係がなくなっていたのに、伝える勇気がなかったのは自分自身だ。触れるだけのキスを髪の毛に落として空を見上げ、目を細める。
「ふふ、随分と長い時間、あなたの事を独占してしまいました。私はそろそろ参ります、これは、形見として持っていかせてください」
リンの頭に巻かれていたバンダナをスカーフのように首元へ結びつけ、立ち上がった。お昼くらいにみんなの元を離れてここに来たはずなのに、気付けば空には星が瞬いている。
「……神の気まぐれなんか、あてにしません。さようなら、エレクサンドラ」
最後にもう一度、腰を曲げると眠る彼女の顔に自身の顔を近づけた。それから剣の柄に手を当てて宝石に魔力を流し込み、ブラックの事をたどっていく。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
戻ってきてみて、ボンドッツは半ば目を閉じてため息を漏らしてしまった。
「そんなに泣いては、目が溶けてしまいますよ」
雷斗に抱き着くよう、目元を腫らしたブルーが時折しゃくり上げながらも眠っている。
ダークの懐に収まるよう大きな体を小さく丸めてしまっているブラックが、背中を小刻みに揺らしながらも、静かな寝息を立てている。
バーナーはまだ目を覚ましていないらしく、シャドウを抱えたスノーが寄り添うように目を閉じている。
そして、強く噛みしめ過ぎて唇から血を流している美代が、黒疾から布きれを噛むよう、促されていた。
「ぼんどっつ……」
「帰ったか。それは、リンの?」
「えぇ」
ヒクリと、美代の喉が苦しげな音を出した。ただでも目を真っ赤にしているのに、更に大粒の涙を流し始めてしまって、膝をつくと優しく抱きしめる。
「すみません、皆さんがリンとお別れをする機会を、奪ってしまいましたね」
「ごめん、ごめんなさい。私がちゃんと、詠唱が出来ていれば。ラオエンの動きに気付いていれば、シャドウを庇えていれば。捕まらなければ、リンは」
「何を謝りますか、美代さんは何も悪くないでしょう? リンはあなたのことを、使い魔に姿を変えて無茶をして、それでも飛び出してきてくれたバーナーさんを守りたかった。ただそれだけです」
「だけど、私のせいで」
大きな掌が頭に乗って、美代は背中を震わせながら顔を上げた。黒疾が辛そうに眉をひそめて遠くを見つめ、微かに口の端を上げている。
「死神の奴に無茶をさせて、炎の動きを悟らせないようにしたのはオレだ。それにラオエンと戦っていたのもオレ。……大口を叩いたのに、あいつの事を止められなかった」
「どうしてあなた方のせいになりますか。リンを殺したのは魔族のやつらで、一時でも痛みに耐えていれば助かったかもしれないのに、それをよしとせず詠唱をしたのは彼女だ」
緩々と首を振る美代の事を、ボンドッツが優しく抱きしめて、顔を上げた。思った以上に冷静でいる彼に細く息を吐き出しながら、視線を下げて疑いの目に再び眉を寄せてしまう。
「どうした」
「お尋ねしたいことがあるのです。なぜ、美代さんのお名前を知って?」
「は? セイントの名前?」
「それです。私たちは美代さんのことを、そう呼ばない。そして美代さんも、そう名乗らなかった。なのになぜその名前を知っているのです?」
しまった、と言わんばかりに渋い顔をして、口元を手で隠してしまった。どちらも自身の名前なので違和感を持たなかったけれど、言われてみれば可笑しいと顔を上げれば、優しい目とぶつかる。
「いやまぁ、本当に情けない話だから他の連中には言ってくれるなよ。ガキにばっかり助けられてるなんて知られちゃあ、盗賊団頭の名折れだ」
苦虫を噛み潰したような顔をしながら、唇から流れている血を指の腹で優しく拭って美代の事を膝に乗せた。ブラックが起きていたら卒倒しそうなことをやっているな、と思っていれば体が浮き上がり、美代の隣に座らせられた。
「今から九年前、オレが二十の時だ。やんちゃなお嬢ちゃんに助けられちまったのは」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
――背中に受けた数本の矢に手を伸ばす、返しが着いている上に随分深くまで刺さっているらしい、ほんのわずかに揺れるだけで吐き気を催すほどの痛みが走る。
剣で切り裂かれた足に布きれをきつく巻きつける、なんとか歩けはするけれど、呼吸が薄くなっていくのがわかった。少しばかり、血を流し過ぎたらしい。
槍で貫かれた肩から先が、そろそろ痺れて動かし辛い。かろうじて役人どもをまけたものの、これでは時間の問題だ。
「クソったれ……。野郎どもは、あいつがいるから大丈夫だとしても。これで、終いか……」
「%“%$&?」
何と言ったのかはわからないけれど、恐らく声をかけられたのは自分だろう。女の子の声がして、そちらに顔を向けてみた。胴体ほどの大きさのボールを抱えた子供が空色の目をクリクリとさせながら見上げてきている、見たところ二歳か三歳のようだ。
血みどろ、怪我まみれの体を見せるのは酷だと思うけれど、残念ながら自身は動くことがままならない。思わず舌打ちを漏らせばビクリと肩を跳ねてオロオロと落ち着きなく動き始める。
「はやく、どっかに、行ってくれ」
「*%$%&? %&#%!」
呟けば少女が勢いよく顔を上げ、突然何かを叫んだ。言葉は全く通じないけれど人の姿をしたこの子が人間ではないことは即座に理解していた、ならば二大一族のどちらだと考えていたところに大声を出されて警戒を高める。
どうやらそれは、杞憂だったらしい。
「治療を、してくれたのか」
足の痛みが、すっかり失せていた。布をはぎ取ってみると怪我をしていたのは気のせいなんじゃないかと思ってしまうほどに完治していて、ニコニコと嬉しそうに笑っている少女に、不器用に微笑みかける。
「ありがとうな、嬢ちゃん」
ついつい、頭を撫でてやろうと腕を伸ばしかけ、走った激痛にうめき声をあげて背を丸めてしまった。そうすれば今度は背中の傷が痛んでしまい、自覚できる程度には険しい顔をしてしまう。
怯えられたか、と少女に目をやれば、心配そうにのぞき込んできていた。
「嬢ちゃん、帰んな。もう大丈夫だから」
追い払おうと腕を上げれば、今度は貫かれた肩に小さな手を置かれた。相変わらず言葉はわからないけれど、先ほどと同じ単語だということは理解出来た。
「おう、おう。ちょいと、すまねぇな」
動くようになった腕で背の矢に手を伸ばし、もう片方の手で相変わらず見上げてくる少女の目元を隠した。怯えるようでもなく、キョトンとしたままそこに座っているその子に口の端を歪め、息を止めて力を込める。
奥歯が砕けんほどに喰いしばり、一本目の矢を引き抜いた。体を緊張させながらも目元に置いている手には力を入れないよう気を付けて、忌々しく地面へ投げつける。
どうやら、五本も刺さっていたらしい。額に浮かんだ脂汗を手の甲で拭っていると、いつの間にか女の子が背後に回っていて小さな掌を背中に当てたのがわかる。
期待していた通り、こちらの治療もしてくれた。
「助かったぜ、あー……お名前は、言えるか?」
「$&%&#……せ、せい、んと!」
通じないだろうと思っていたら、たどたどしい名乗りが返ってきて目を点にしてしまった。なぜ言葉が理解できたのか不思議だけれど、恩人の名を知れたのはよかったと頬を緩める。
正面に来たセイントの頭を撫でてやればキョトンと首をかしげ、ゆっくりと顔を上げてきた。揺れる瞳に今度こそ泣かれると覚悟を決めれば、キャッキャと楽しそうに笑い初めて脱力してしまう。
「セイント」
呼べば嬉しそうに目を輝かせ、元気よく手を上げた。その様子がおかしくて小さく笑えばコトンと首をかしげてしまい、くしゃりと頭を撫でればキュッと目を閉じる。
「ありがとうな」
もう一度、通じているのかわからない感謝を伝え、立ち上がった。小さな手が足に絡みつくのがわかって下を見てみれば、心配そうに見上げてくる空色の目がある。
安心させる意味を込めて軽く叩くように頭を撫でれば、緩々と離れていった。人間の動作がわかるか不安だったけれど、手を振ってみれば顔を明るくして振り返してくれる。
「じゃあな」
とりあえず、その子がついて来ていないことを確認して。
すっかり傷が癒えて痛くもかゆくもない足になぜだろう、喜びを覚えつつ急いでその場を離れた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「――と、まぁ。人間が理解できない言語を使うのは魔族と妖精族だけで、魔族じゃなけりゃあ妖精族なわけで。……いや、誤魔化すのは止める。
治療されたときの魔力が心地よかった、それから空色の瞳が印象的で……よく、覚えていたんだ。だから美代が妖精族だと言った時、あの時のお嬢ちゃんだとわかった」
「そ、れじゃあ……私は、黒疾に会ったことがあるの?」
「覚えてないのも無理はねぇだろうよ! 九年前ならいくつだ? 二つか、三つか? なんで覚えてねぇんだ、なんて言う気は更々ねぇよ」
みんなが寝ているので静かに、それでも愉快気にカラカラと大きな口で笑う黒疾に、美代は両手を頬に置いてしまった。隣ではボンドッツが至極微妙な表情を浮かべていて、美代の事を凝視している。
「あなた、王女ですよね……? なんで一人で外を出回ってるんですか」
「し、知らないよう! なんで外にいたんだろうね……?」
顔を見合せて首をかしげ、揃って黒疾を見上げてしまった。見上げられた彼も肩をすくめており、大きな手で力強く頭を撫でてくる。
「昔話はこれで終わり、もう夜も遅いから休めよ。セイントも大丈夫だな?」
問われ、一瞬なんのことだかわからずに、細く息を吐きだして自身を抱きしめるように腕を回した。
ほんのわずかな時間、黒疾の話を聞いていただけなのに。先ほどまで自分が泣いていたことを忘れていたのだ。
「まっさか、ブルーさんだけではなくあなたまでもが盗賊と縁があるなんて。バーナーさんがまた胃を痛めますよ」
「ボンドッツ、お前も無理をするな。してなければそれでいいんだが、気丈に振る舞う必要はないんだぞ」
「私には誰かを悼む資格はありませんよ」
再び泣きだしそうな表情を浮かべていた美代が、どこか冷めているボンドッツに視線を運んだ。普段ならば払われているだろう頭を撫でる黒疾の手はそのままに、ぼんやりと遠くを見つめている。
「これまで多くの命を奪ってきました、以前ならばきっと……リンを奪われたこと、目の前にいたのに、彼女を守れなかったこと。それらに対し、関係の有無なんて考えずに全てを恨んで憎んで、当り散らしていたでしょう。いやはや、自身のことながらあまりにも幼かった」
苦笑して頭を掻き、深く息を吐きだした。緩々と首を振る美代に目付きを柔らかくして、頬に掌を乗せる。
彼女が熱を持っているのか、自身が冷たいだけなのか。それはわからなかった。
「奪ってきた私がいざ奪われたからと、感情を爆発させるのは、何となく自分自身が許せなかった。
いえ、涙も出せない体になってしまっていますから、泣くなんてことは出来ないのですが。代わりにこんなにも悲しんでくれる仲間たちがいる、それが嬉しいのです」
作っているようではなく、本当に嬉しそうな表情を浮かべていて。
美代はますます、顔をクシャクシャにしてしまった。
「なんて、あれこれ理由をつけてみても。結局は心の整理が追いつかなくて悲しむにも悲しめない、ってところですかね。えぇ、私は大丈夫です。ちゃんとその時が来たら悲しみますから」
クスリと笑い、美代の頭をポンポンと撫でた。目元を親指の腹で優しく撫でてから覆い隠し、静かに魔力を流していく。
妖精族とはいえ、まだ人間と変わらない姿をしていて、魔術に関してもほとんど初心者で。
それなのに持っている魔力にモノを言わせて無茶をしていたせいだろう、そのままストンと眠りに落ちてしまった。
「私ももう、休ませていただきますね。ブラックが起き出す前に美代さんを彼の傍に寝かせてあげてください、今の彼には……これ以上ない、精神安定剤ですから」
笑いながら言って黒疾の膝を降り、あくびを漏らして背を向けるように転がってしまった。そんな様子を見て力なく頭を掻き、ゆっくりと子供たちを見つめていく。
そうしていたのも少しの時間で、小さく首を振ると美代を抱えてブラックの傍に横たえてやり、自身は木の幹に体を預けて薄く瞼を閉じるのだった。




