行ってきます、行ってらっしゃい
ゴロゴロ、とドアの代わりである岩を転がしながら開く音に、ブルーは目を覚ました。知らない間にスノーが懐にいて、同じように目を擦っている。
そうだ。ドアが開くときの音で、自分が今どこにいるのかを思い出すべきだった。
「あ、ぞくおさ、さま……」
「休んでいたのかい、ブルー。すまないね、せっかく久しぶりに帰ってきたのだから、何か食べたいものはないかと思って来たんだ」
ビクリ、と体を震わせれば、スノーが服を引いてきた。なにかと思えば耳元に近づいて、こしょこしょ、とくすぐったく話してくる。
「あのね、おにいちゃんが食べたいものはなぁに?」
「え? あ、え、お刺身、貝のお刺身食べたい」
答えるとスノーはニッコリ笑って、族長を見た。目を丸くしている彼はどこか嬉しそうに微笑んで、小さく頭を下げてからその場を離れていく。
「スノー?」
「あのね、おじいちゃんがそう聞いたの」
「え、嘘、だって族長様、いま」
「おにいちゃん」
懐に収まっていたスノーが立ち上がり、手を引っ張った。連れられて部屋を後にすると美代に会い、スノーの手を放して抱きついてしまう。
「あらあら、ブルー。どうしたの?」
「ごめんなぁ、美代はん。ちゃんとワイが説明できてれば、三日もここにおらんでいいのに。ブラックとかシャドウとか、頼んで川から離れることもできたのに」
「いい経験をさせてもらってるよ。水の中で息ができるなんて、私たちからしてみればすごい事だよ? そうだ! 晩御飯はもう少し時間がかかるらしくて、バーナーとボンドッツが手合わせをするって。見にいかない?」
ポンポンと頭を撫でれば小さく頭が動き、ブルーに手を引いてもらいながら外に出た。泳げないので仕方がない。
外に出てみると、手合わせはすでに始まっていたようで、近くにはダークもいた。他のみんなはどうしたのかと聞けば海底散歩に出かけたらしく、リンとブラックのおもりに雷斗とシャドウが着いているということだ。
バーナーが突き出した拳を、重心を低くすることで避けたボンドッツは、海中だというのに素早い動きで懐に潜りこんで開いた手を顎に向けて突き上げた。わずかに首を傾ければ振り上げた腕は空しく宙を突き、その手首を掴まれる。
そこを支点にして蹴り上げれば頬に直撃した。目を丸くしている彼に口角を上げたバーナーは、足をもまとめて掴んでボンドッツの体を地面に押し付ける。右手首と左足首をそれぞれ、体を捻るような形で反対方向に押さえつければ、悔しそうに地面を叩くほかなかった。
見学に来た、と思ったらほぼ一瞬で終わったそれに、美代は苦笑してしまった。
「そんなバカな……! 全部の攻撃を避けていた人が、なんで最後の最後でまともに受けるんです!」
「さっきの蹴りをオイラが避けたら、その勢いで腕を抜けただろう? それよりも確実に補足した方が勝てる」
「あなたはどうして肉も骨もぶった切るような戦い方しか出来ないんです! 診せてごらんなさい、海中でも動きやすいようにと舞 空 術を唱えたうえでの蹴りですよ、ほら! こんなに腫れて熱も持って!」
真っ赤になった左頬を擦り、肩をすくめたバーナーにボンドッツは目を怒らせた。ダークも呆れたような視線を送り、ため息を漏らす。
「美代殿、頼メルダロウカ」
「はいはーい! 治療術」
唱えればあっという間に腫れは引き、ぶつぶつと文句を漏らすボンドッツを宥めるよう背中を撫でると不服そうなバーナーに顔を向けた。軽くジャンプをすれば水の中にいるせいか普段よりも高く飛べて、コツンと額に拳をぶつける。
「ボンドッツが言うとおりだよ。……自身も含めて、守るために戦う。でしょ?」
「……わかったよ」
と、一緒に見学に来ていたブルーとスノーに視線を向けた。目だけで笑う彼に美代も笑いそうになり、クスクスと口元を両手で押さえながら笑うスノーに他の面々が首をかしげている。
「そろそろブラック達も戻って来るかなぁ。晩御飯、楽しみだね」
「そうだな」
不安そうにしているブルーの頭を撫でてやりながら、美代とバーナーは小さく笑い合うのだった。
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宴の席でも、スノーはブルーの膝の上に座っていた。テーブルに並んでいるのは魚をメインにした刺身や湯引き、海藻を散りばめたサラダなど魚介類の山だ。
多くの海中族が同伴している食事会に、彼が緊張しているのはよくわかった。彼の事情はブラックに頼んで、すでにみんなに伝えてある。
同時に、普段通りでいてほしいということも届いているはずだ。
「ブルー、地上の事を教えてよ!」
「服はどうしたの? ご飯が終わったら見繕ってあげるよ!」
「おにいちゃん、地上の事をおしえてーって! あとあと、服をくれるって!」
こそこそ、とスノーが耳打ちをしているのがわかって、美代は見えないように拳を握ってしまった。視線を送ればバーナーが軽く手を動かして応答し、困惑しながらもゆっくりと口を動かしているブルーに目を向ける。
「へぇ! 海中族だってわかったうえで、助けてくれる人が地上にもいるんだ!」
「優しい人もいるんだね、ブルーと志を共にしている人たち以外にも」
大好きな兄ちゃんを、優しい人、と言われたことは無事にスノーから伝わったらしい。ブルーは首をかしげながらも、わずかばかり引き攣った笑みを浮かべる。
それを見た族長が目頭を押さえ、俯いていた。
「笑った!」
「ブルーが笑った……!」
「わぁ、笑うと可愛いじゃない! 小さいころから女の子みたいだったけどさ、地上の皆さん、ブルーは地上で女の子と間違えられてないですか?」
視線を逸らすのが早かったのは、雷斗とボンドッツか。スノーを抱えたまま顔を赤くしてテーブルを軽く叩くブルーに吹き出すと、頬を膨らませて震えてしまう。
「ふふ、ブルーは地上では、一族の衣装じゃない方がいいねぇ」
「だけど、ここに居るときくらい着ておきなよ。ちゃんと、海中族なんだからさ」
首元にしがみつくようにして抱えられているスノーから言葉が伝えられた時、彼は目を丸くしていた。
「ほ、ん、と?」
「もちろん! 族長様、食事を終えたらお借りしますね」
そう言う青年に、族長は優しく頷いた。カツカツカツっ、と食事を掻き込むと少しずつ食べ進めていたブルーの手を取り、問答無用で引っ張って行ってしまう。
一瞬体を痙攣させたけれど、スノーを片手で抱えたまま、大人しく連れ去られてしまった。湯引きを咀嚼していた美代はそれを見送って、口の中身を飲みこむと族長に向き直る。
「自身がちゃんと、海中族として認められている。と、認識できたようですね?」
「……ありがとうございます。まさか、あの子が笑うところを見られるなんて、思いもしなかった……」
「まだまだ、あんな引き攣った笑顔なんて! 私たちのお節介さを舐めて貰っちゃ困りますよ!」
「はたして胸を張っていいものかどうか……」
首をひねったバーナーに声をあげて笑ってしまい、薬味として使われながらもしっかりと存在を主張してくるルフトの実の苦さにわずかに眉を寄せ、食事を消化していくのだった。
岩がこすれるような音がして、雷斗は借りている部屋のドアに目を向けた。ゆっくりと開いて目が現れ、微笑んで手招きをしてやる。
入ってきたブルーは背後で手を組んで、どこか恥ずかしそうにしていた。
桃色をベースにした布地を深海色の帯を使って腰の付近で押さえつけて、ひらひら、ふわふわと水中を舞うように漂う白い色のレースが布地の下から覗いている。
頭に巻かれていたバンダナは普段とは違ってヘアバンドのようになっており、肌白い鎖骨の辺りが大きくさらけ出されていた。
「綺麗だなぁ、ブルー」
「……なんやろう、気恥ずかしいわぁ……」
「族長様には会ってきたか?」
「……ううん」
「行っておいで、きっと喜ぶ」
ふらりと近寄って来るので両手を広げてみれば、躊躇うことなく胸の中に飛び込んできた。気付けばスノーが見当たらなくて、不安そうに瞳を揺らす彼の頭を撫でてやる。
「雷斗も一緒に来てくれる?」
「構わないよ、どうしたんだ?」
「あんなぁ……聞こえる言葉と、スノーが教えてくれる言葉が、すっごく違うんよ」
頭を撫でる手がわずかに止まってしまったことに、気付かれなかっただろうか。震える声で紡がれた言葉に、雷斗は目を伏せてしまう。
「スノーは、嘘は言わんやろう? それに、心眼も持ってる。だから、きっと、ワイの事も海中族の人たちの事も、わかってる。
それなのに、ワイとスノーで、聞こえる言葉が違うんよ。それがすごく怖くて、不安で、ワイがおかしいのか、スノーが優しく伝えなおしてくれてるのかわからんの。だから雷斗、じいちゃんのところに着いて来て。じいちゃんが喋ってる事を、ワイに教えて」
「……あぁ、もちろんさ。一緒にいこう」
腕を解いて手を握ってやれば、力一杯握り締めてきた。部屋を出ようとすると少しばかり躊躇うそぶりを見せたけれど、目を細くしてうなずく。
そうして、二人は族長の部屋へと向かうのだった。
ブラックがピクリと眉を動かし、美代の腕を引いて廊下の影に隠れた。なにかと思えば雷斗とブルーが泳いできて、今から向かおうとしていた族長の部屋に入って行くのが見える。
視線を送ってみると、首を縦に振った。口先で術を唱えて二人そろって気配を殺し、族長の部屋の中、ベッドの影に隠れてしまう。
「おや、ブルー? それに、雷斗さん」
「今宵はありがとうございました、楽しく、珍しい宴はいい思い出となりそうです」
「それは良うございました。慣れぬ環境で大変でしょうが、ごゆっくりお過ごしください」
「お言葉に甘えて。……族長殿、彼の海中族の衣装はどうだろうか。私はこうして見るのが初めてだから、とてもきれいだと思う。こう言ってはなんだが……鑑賞のためにあるような美しさだな」
まるで口説いているような言い方だ、と危うく声を出して突っ込みそうになり、手で押さえた。ブルーも顔を赤くしてポカポカと雷斗の肩口を叩いており、族長が小さく笑いだす。
「あぁ、ブルー。似合っているよ、久しぶりに着てみてどうだい?」
「動きやすいか? ブルー」
コクン、と頷いた。族長がふわりと近づいて来ると体が緊張し、伸ばされた腕に肩を跳ねてきつく瞼を閉じてしまう。
手を握ってやると、恐る恐る顔を上げたと同時に、頭に乗せられた手に驚いていた。バンダナを崩さないようにゆっくりと撫でられる手へゆるりと腕を伸ばし、族長の手を柔らかく握る。
「……お前にとって、ここは休める場所ではないかもしれないけど。いつでも、水の中に戻っておいで、生まれた一族故に陸地よりは水中の方が休まるだろう。
お前たちの旅が終わった時には無理をして戻って来なくてもいい、笑える場所があるのであれば、そこで笑ってくれるのであればそれで構わないよ」
喉から掠れた音を出すブルーに、雷斗が体をかがめて耳元に口を寄せた。族長の言葉を一文一句、違えることなく伝え終えると、見る間に目を丸くしていく。
「ぞくおささま、おこって……ない、の?」
「ブルー?」
「だってワイは、次期族長様を死なせて……族長様の、娘様を、殺してしもうたんよ。絶対絶対、嫌われとる、思うてた。にく、まれてる、思って……!」
眉間一杯に眉を寄せて、怯えているような上目使いで族長を見上げ、雷斗の背中に隠れるようにして涙をこぼした。嗚咽を上げて泣くブルーを包み込むように抱きしめて涙をぬぐい、グイと族長の方へ押し出す。
戸惑うような、怖がるようなそぶりを見せたけれど、素知らぬ顔で一歩身を引いた。
「ぞく、おささま」
震えるブルーに、族長は雷斗を見た。小さく頷いてやれば彼は大きく息を吸い込んで、大きくゆったりと包み込む。
「お前は私の孫だよ、大好きな孫だ。嫌うわけがないだろう、憎む理由がないだろう。すまないなぁ、私の娘が弱かったばかりに……。お前は偉大な使命をその小さな体に背負って生まれた、海中族の誇りの子だ」
目が零れ落ちんばかりに見開かれ、瞳が揺れた。ブラックを見てみると嬉しそうに笑みを浮かべていて、美代も静かに拳を握る。
ふらりと、雷斗がその身を翻した。咄嗟にコートを引っ張ればかすかな声で詠唱して族長の部屋より少し離れた場所に出て、平然と廊下を歩き始める。
「む、美代殿にブラック?」
「あれ? 雷斗。どうしたの?」
「あぁ、いや……族長殿に用件があってな。美代殿達は?」
「私たちも族長様に用事があるんだよねー」
雷斗がわずかに、困ったように眉を寄せた。首をかしげれば苦笑いをしていて、チラリと扉を振り返る。
「急ぎでなければ、しばらくそっとしておいてやってくれないか。まぁ、言わずとも事情は分かるだろうがな?」
ジト目で見上げられたブラックは解せぬと言わんばかりに眉間にシワを刻んだ。それもそうだろう、色々と画策しているのは美代とバーナーで、彼はほとんど巻き込まれているだけだ。
「そっか。ありがとうね、雷斗」
「……構うまい。私も、あのブルーを見ているのは辛かった」
口の端を緩めたように微笑み、そのまま歩いて行ってしまった。嬉しそうに笑う美代に同じく笑えば手を掴まれて、引っ張られるように歩いて行く。
向かった先はバーナーの部屋で、そこにはダークもいた。
「どうした?」
「あと二つほどお節介をしたいのですが、いかがでしょう?」
「マジですか」
なにをしているのかと見てみれば、机の上に地図を広げていた。目を凝らせば濡れないように魔力で包み込んであるようで、美代もヒョイと身を乗り出す。
「だってねぇ、不自然な合流の仕方をしている身内が二人ほどいるわけでして?」
「……確かに、気になってはいるんだが」
「ナンダ、ワシモ噛モウカ?」
「助かるー!」
喉の奥で笑う美代に苦い表情を浮かべるバーナー。ブラックとダークはそれに首をかしげながらも、談義に加わっていくのだった。
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「――ありがとうございました、三日もの間、他種族を招き入れるのは負担があったでしょう」
「とんでもない! たくさん、楽しい話を聞かせていただいて。我々は地上には出られない、から、本当に心が躍るような話ばかりだった」
川の様子を見に行った青年から、水が落ち着いたようだと報告を受けて、美代たちは集落の外にいた。海中族の人々がお見送りに来てくれていて、族長がその先頭に立つ。
「また。いつか、お越しください。我々は皆さまを歓迎いたします」
「ありがとうございます。えぇ、いつかきっと」
一族の衣装から普段の服に変わったブルーは、相変わらず雷斗の背中に隠れるよう、それでも少しだけ、表情を緩めて族長を見ていた。
「それでは。失礼いたします」
一礼し、水底を蹴った。美代はブラックのコートの中に納まり、バーナーがスノーを抱える。
雷斗が追って泳ぎ始めると、ブルーも大人しく着いてきた。繋いでいる手がクイと引かれ、振り返る。
「どうしたんだい? ブルー」
「……先に、行ってて。すぐに、来るから」
くしゃりと頭をなでてやるとくすぐったそうに身をよじり、頬をわずかに赤く染めた。来た道をぐんぐんと戻っていくブルーの姿が見えなくなるまでその場に残り、雷斗は地上を目指して進む。
「頑張れよ、ブルー」
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族長は、窓辺に腰を降ろしていた。ぼんやりと遠くを見つめていると視界の端に人影が見えたようで、立ち上がって外に身を乗り出す。
「ブルー……?」
「……じい、ちゃん」
震える声で紡がれた言葉に、族長は体を緊張させた。開いた窓からするりと中に入って来たブルーから恐る恐る腕を伸ばされて、思わず同じようにゆるりと腕を持ち上げる。
「じいちゃん」
「どうしたんだい、ブルー」
「……い、行ってきます!」
俯き、顔を族長の体に押し付けながらも、確かに言い切った。震える皺だらけの手で頭を撫でられて、肩が跳ねそうになったけれど力を込めて抑え込み、顔を上げて微笑みかける。
「……あぁ、あぁ。行ってらっしゃい、ブルー。気を付けてな、無茶をしないように、体を壊さないように。美代さん達と、頑張るんだぞ」
「うん!」
頷いて族長から離れ、来たときと同じように窓から飛び出した。振り返れば、窓から身を乗り出した祖父が大きく腕を振っていて、自分も祖父に見えるよう、振り返す。
「頑張るよ! 頑張ってくる……ちゃんと、ちゃんと終わったら、帰ってくるからね、じいちゃん!」
今度こそ、振り返らずに。
ブルーは地上を目指した。
陸地に飛び出せば優しい笑みをたたえた美代が迎えてくれて、彼女の胸の中に飛び込んでいった。何も言わずに頭を撫でてくれるその手が温かくて、キュッと目を閉じてしまう。
「ブルー、大丈夫?」
「……うん!」
「そっか。それじゃあ」
「あいよ」
なぜだかバーナーに合図をした美代は、ブルーをくっつけたままブラックの傍に寄った。彼の周りには雷斗とダークがいて、バーナーの周りにはボンドッツとリン、シャドウ、彼に抱えられたスノーがいる。
「美代はん?」
「ブラックおねがーい」
「ボンドッツ、頼んだ」
何の説明もないままに、美代とバーナーがそれぞれ声をかけ。
一行は二手に分かれるようにして瞬間移動術で移動していくのだった。




