異端と呼ばれた子
トントン、と背中を叩かれて、美代は固く閉ざしていた瞼を薄く開いた。直後に飛び込んで来たのはサンゴ礁で、ハッと顔を上げて周囲を見渡す。
陽の光に反射してキラキラと輝く小魚の群れ、大きなヒレをゆったりと動かしながら、優雅に泳ぐ中ぐらいの魚たち。
川の中に、水の中に。入ってしまったらしい。
「美代、大丈夫。ちゃんと息は出来るから、すー、はー」
反射的に息を止めたことがわかったのだろう、口元に運んだ手をブラックが剥がして、大きく深呼吸を繰り返した。それに合わせて呼吸をしていれば気持ちが落ち着いてきて、改めて周りに目を向ける。
「すごい……」
「もう少しで着くみたいだよ、ほら、見えてきてる」
岩をくりぬいたような、巨大な魚の骨で装飾が成された家の並びが目に飛び込んだ。人々が羽織る、ひらひらふわふわと二重、三重に重ねられた薄い生地はヒレのように柔らかく動いていて、見ていてどこか楽しくなってくる。
見た目のとおり、水の中でふわりと動くその服装。海中族の衣装は、ブルーが着ていたらとても可愛いんだろうな。と考えて、口元に笑みが浮かびそうになったのを咳払いで誤魔化した。
「あ、ブルーだ!」
「おかえり!」
「わぁ、すごい! 本当に地上の人だ!」
集落に入る、少し手前。
ブルーよりも少し年上だろう青年たち、恐らくブラックと同じくらいの年齢だろう彼らに囲まれて、思わず緊張してしまった。声をかけられたブルーも手を戦慄かせ、雷斗がそっと握ってやる。
「本日はお招きいただき、感謝いたします。さてさて、この子から聞いたところ族長様に招かれたということだが。どちらにいらっしゃるのだろうか?」
「族長様ならばこちらに」
「ブルー、お友達を案内できる?」
頭に伸ばされた手から逃げるよう、ブルーは首をすくめた。どこか怯えるように上目遣いでコクコクと頷き、何も言わずに進みだす。
海中族というだけあって、移動手段は泳ぐのが普通らしい。集落の奥の方、特に大きな魚の骨で作られた家に入って行く。
進むにつれてブルーの泳ぐ速度が落ちていった。同時に、雷斗の手を握る力が強くなっていき、落ち着かせるように頭を撫でる。
預かっていたバンダナを巻いてやれば、少しだけ緊張が解けたようだった。岩でできている扉を転がすようにして開けると、正面に老人が見える。
優しい深海色の瞳が柔らかく弧を描き、白く短い髪と長めの髭が海中に踊った。
「よくぞいらっしゃいました、地上の方々。一族の子がお世話になっているようで、本来なら自らお迎えにあがりたかったのですが……なにぶん、こんな老体です。ご容赦いただきたく存じます」
「こちらの方こそ、お招きいただきありがとうございます」
自然な所作で片膝をつき、頭を下げたバーナーに倣おうとして、族長から止められた。チラリとブルーを見てみると雷斗の背に隠れるように立っていて、顔色もわずかに悪く見える。
「これから二日、三日。不慣れな環境でしょうが、ゆっくりして行ってください」
「……え?」
「おや」
族長がブルーに視線をやると、ますます体を小さくして今度こそ隠れてしまった。震える彼に寂しさを瞳に乗せ、一度瞼を閉じると苦く笑う。
「私がブルーに、伝え損ねていたようですな。暑期に入ったばかりの銀世界から流れてくる川の水は、どんどん増えていく。落ち着くまでは川の近辺は危険なのでこちらにご案内しました」
「落ち着くのに、二日、三日要するということですか」
「左様」
どうやらブルーの仲間として、避難先を提供してくれたということらしい。
「ならば、お言葉に甘えさせていただきましょう。……あの、ルフトの実ですが」
「他言は無用で願います」
「それはもちろん! ですがその、見てのとおり幼い子供たちばかりでの旅でして、ブルーから聞いた話では一日は効果があると。三日滞在するには少なくともあと二回、口にする機会がありまして……」
バーナーの言葉に、渋い顔をしたのは美代とブラックとリンだった。いくら今、普通に呼吸が出来ていて地上とほとんど変わらない様子でいられると言っても、水中に変わりはない。
つまりは、口直しのミルクやハチミツが使えないわけで。
「あぁ、あの苦味ですか。ふふ、夕食の時に、薬味として使わせてもらいましょう。幸いあれは、調理しても効果がありますので」
「感謝いたします」
どうやら、ここへの滞在が決まったらしい。顔色を悪くしていくブルーに視線を送れば族長が目を伏せて、雷斗に優しく微笑みかける。
「その子は、久しぶりの水中で疲れているようです。ブルー、お部屋にお戻り。お客さまにお願いするのも心苦しいですが、その子をお願いしてもいいですか」
「承知いたしました」
ブルーの手を引いて部屋を後にする雷斗を見送り、一族の人たちから部屋へと案内されて、部屋には美代とバーナー、ブラックの三人が残った。案内を断った美代を不思議に思い、二人は残ったのだ。
美代は恭しく膝をついて頭を下げ、小さく息を吐き出した。族長の体もわずかに緊張を帯びているようで、オロオロとするブラックを落ち着かせるよう、バーナーはガッシリと襟首を掴む。
「無礼を承知でお尋ねいたします、族長さま」
「……貴女の名前をお尋ねしても、よろしいかな?」
「私の、今現在の名前は上野美代。リズ表記で、美代が名前。元の名はセイント・オウス・アスパル・ファータ。滅びた妖精族の生き残りです」
「なんと、妖精の。二大一族の片割れが滅んだということは、海中にまで広がりましたぞ」
「地上の出来事が海中にまで届くなんて、世界にとっては激震だったんでしょうね。残念ながら当時、私はあまりにも幼くて、ほとんど覚えていませんが」
そう言って目を伏せた美代に、ブラックも目尻を下げていた。元々バーナーに捕まれていて動けないけれど、邪魔をしちゃいけないということは察しているのだろう。ジッと、二人のやり取りを見つめている。
「私がお尋ねしたいのはブルーのことです。あんな目を、あんな表情を。あんな感情をさらけ出されては、私は黙って見ていられません。
あの子は自身の一族に恐怖を抱いている。族長様に、表現しようもない罪の意識を持っている。いったい何があったのです」
族長は目を閉じて、背を丸めるように項垂れてしまった。その年齢も相まってか、彼がひどく小さく見える。
「……あの子は、私の孫なのです」
雷斗は激しく動揺していた。
ブルーの部屋に向かうまでの間、数人の海中族とすれ違って、物珍しそうに声をかけられた。それは仕方がないだろう、雷雲族でもきっと、まずあり得ない話にはなるけれど地上の者が一族の領土にいたらついつい声をかけてしまうと思う。
普段は実年齢よりも幼く見えてしまうほどに表情をコロコロと変え、楽しげに笑い、話し、駆けまわるブルーが。
その表情を殺し、何を投げかけられても口を閉ざし、深海色の瞳を揺らしながらすがるように服の端を引っ張ってくるのだ。
そして、もう少しで部屋にたどり着くという時に、目を疑うような光景もあった。
『地上の物って珍しいからさ、頭に巻いてるこれを貰ってもいい? すごくきれいな布!』
青年にとっては何気ない一言だっただろう。ブルーも、すぐに断るものだと思っていた。
それなのに唇を痙攣させ、目を精一杯丸くして、何も言わずに頷いたのだ。
血の気が引きすぎて生気を失っている肌を温めるよう、きつく抱きしめながら青年の手にあるバンダナを奪い取り、事情を説明した。すると彼は気を悪くした風でもなく、ごめんね、と軽く謝って歩いて行く。
それをゆっくり見送って、案内された部屋にブルーを押し込んだのが先ほどの話し。
スポンジのようなもので出来ているベッドに放り投げると両肩を掴み、顔を覗きこんだ。水中でもわかるほどポロポロと大粒の涙を流す彼を抱きしめると、弱々しく背中に手が回される。
「どうしたんだ、ブルー。どうして、否と言えなかった?」
「こわ、くて。よこせ、言われて、異物、言われるのが、こわくて」
青年はあくまで『もらっていいか』と尋ねていた。
それなのにブルーは『よこせと言われた』と言っている。
口を引き締めて声を出さないように泣く彼に、雷斗は眉を寄せていた。
(こんなにもよく笑って、よく泣いて。たくさんの感情を知る子だから、心配ないと思っていたのに)
トントンと背中を叩き、ブルーが落ち着くまで、落ち着いて眠りにつけるまで。
雷斗は目を閉じ、泣き声に耳を澄ませるのだった。
「あの子の母親が弱かったんじゃ。神託を受けた時、あの娘は三つのブルーに向けて、異端だと言い放った。海中族が陸地で呼吸ができるなんて異常だと、この子はおかしいと、私は化け物を生んでしまったのだと」
円卓のような場所に案内されて、族長が話した内容に、美代は眉を寄せてしまった。着いて来てくれたバーナーも複雑そうな表情を浮かべ、ブラックは自身の育ちを思い出してしまったのかわずかに震えている。
「三つの時には何を言われたのかわからなくても。四つになり、少しずつ言葉がわかる様になると、あの子は母親から言われたことを理解してしまったのでしょう。
ブルーは、一族を一人で飛び出して、陸地にあがってしまった。それを父親が追いかけて、地上であの子を捜して……泣きじゃくるあの子を抱えて帰ってきた婿養子は、呼吸困難に陥って死んでしまった。
我が娘は、ブルーに向け、お前は父親を殺し母親を殺すのだと吐き捨てて、あの子の前で首を掻っ切ってしまったのです。誰が止める間もなかった、私はただ、あの子が一族の敵とならぬよう、次期族長を殺した者だと言われぬよう。地上に、逃がすことしか出来なかった」
組んだ手を額に強く押し付けて、懺悔するように呟く族長に、美代は口元に手を運んだ。横目でバーナーを見てみれば眉を寄せたまま額に手を置いていて、ブラックが泣き出しそうになっているのでとりあえず彼の膝の上に座りに行く。
少し落ち着くことが出来たのだろう、キュッと抱きしめられて、美代はブラックの頬を撫でた。
「ブルーは海中族の中で、甘えられる相手がいなかったのか」
「……私だけでも、受け皿になってあげられれば良かったのですが。あの子があの調子では」
「長様の娘を殺してしまった。という、罪意識ですか」
「きっと、私の言葉は、あの子に正しく通じていない。いいえ、一族の者の言葉がきっと歪められている。私の娘が、海中族の中では異端者であるということを、あの子の心に植え付けて逝ってしまった」
「そんなのってあんまりだ! だってあんたは、こんなにもブルーのことを想ってる……!」
机に両手を叩きつけながら立ち上がろうとしたブラックに、美代は慌てて膝を降りた。口をきつく結び過ぎて唇が歪んでいる彼を見て、眉を寄せて頬を掻く。
「辛い過去を無理やり話させてしまったようで、申し訳ありません」
「いいのですよ、美代さん。ここではなくても、あの子が笑っていられるのならば、私はそれだけで充分なんです」
「そんなわけ……!」
「では私たちもこれで失礼いたします。ブラック行くよ、お部屋に入らせてもらおう」
コートを引いて目を覗きこめば、こちらが言いたいことがわかってくれたらしい。悔しそうに唇を噛みしめながらも頷いて、部屋を後にする。
「……で、どうするんだ? 美代」
「なぁに。今日を抜いても、まだ二日もあるんでしょ? まずはブルーに、ちゃんと族長様の、自分のおじいさんの言葉をキチンと届ける」
「どうやって?」
「そうだなぁ、ブラックかシャドウかスノーか……三人のうち誰かに、ブルーにくっ付いていてもらおう。海中族の人の言葉なら歪んで聞こえても、私たちの言葉ならキチンと届くんでしょう?」
ニヤリと笑う美代に、バーナーも口の端を上げていた。
「適任者はスノーだと思うな?」
「あの子なら私たちが何を言わなくても、一緒にいてくれるさ。余計なお世話だと思う?」
「余計だが、必要な世話だと思う」
悪巧みをしているような表情を浮かべる二人は、ブルーと族長を助けようとしていることは解って。
ブラックはとりあえず、ホッと胸をなで下ろしたのだった。
眠ってしまったブルーの横で一緒に眠るスノーの背を叩きながら、雷斗はため息を漏らしていた。普段は頭の周りをただよっている氷は水の中にいるせいか溶けてしまっていて、水色の髪をサラリと撫でる。
くすぐったそうにスノーが身を捩れば、ブルーが小さな体を抱きしめるように動いた。こうしていれば地上にいるのではないかと錯覚してしまうほどに何も変わらないのに、寝息と一緒にぷくぷくと出てくる泡が水中だということを証明する。
「難儀だなぁ。私たち、ガーディアンは」
世界を駆けて旅ができるよう、持ち合わせてしまった異常性。
バーナーのように、特異能力一族としての力が強いだけならばまだマシだと思ってしまう自分に、緩く首を振った。彼は彼なりの苦悩があるはずなのだ。
「異物、か」
のけ者を嫌がる彼が、異物と言われるのが怖いと声もなく泣いた彼が安心できる場所が、ここにあるのかどうか。
立ち上がると背伸びをして、雷斗は気分転換にと外へ向かうのだった。




