もう一つの世界
ベッドに横たわる人物がようやく眠りにつき、部屋の持ち主は長いため息を漏らした。立ち上がると音を出さないように廊下に出る、ふと向かいのドアの隙間から光が漏れているのに眉を寄せ、ドアノブを掴んだ。
「おい、まだ起きてたのか」
「びっくりしたー! てか人に言えないじゃん、バーナーだってまだ起きてる」
美代がベッドに寝そべり、ベッド脇の棚にある明かりを頼りに本を読んでいたのだ。その明かりが廊下に漏れていたのだろう。
「オイラはあいつが寝る前に、少し寝た」
「ブラックは大丈夫なの? 火傷、治りそう?」
「火傷はほとんど治った、話しも少しして……ここ、座るぞ」
ベッドに寄りかかるよう腰を落とし、美代も体を起こすと枕を膝元に抱きかかえた。棚の明かりを消して部屋の照明をつけようとすると、バーナーがそれを制する。
部屋に灯りを与えたのは、彼が生みだした炎だった。
「どうやら先に、親父たちの方が過敏に反応をしてしまったみたいだな。敵意を向けられて、得物を向けられて。あいつの方も敏感に反応してしまったと、言っていた」
「あ、私も聞いたよそれ。敵意を向けられて、酷いことをしてしまったって」
ひそかに眉を寄せながら、バーナーは手を額に置いていた。静かに目を伏せている彼に、美代はそっと、その肩に手を置く。
「あの時、この部屋で、泣いてたの?」
「……オイラもまだ、ガキだってことだよな。今はもうなんともねぇ」
「聞いてもいい? どうして、ご両親のご遺体を燃やしたの?」
「風習だよ」
ヒョイと顔を上げ、美代の頭をクシャリとなでた。それから隣に座るようベッドに胡坐をかき、頬杖を着く。
「本当はもっと期間を置いてからやるんだが、シャロムの人間にとって親父たちの死に方は刺激が強すぎだ、だから早急にやる必要があっただけさ。オイラが言ったこと覚えてるか? あいつは剣の一薙ぎで、火炎族四人を殺した。それはたとえでも何でもなく、事実なんだ」
「あ、まって、それ以上言わないでくれるとすごくうれしい」
バーナーの目は嘘を言っているようではなく、美代は慌てて彼の言葉を止めた。そんな彼女を見て、ニヤリと口の端を上げる。
「だろ。ニルハムでならまだしも、ここであんなもの、見せてやる必要なんかねぇよ。だからと言って中途半端に燃やしたら、あっという間に騒ぎが大きくなってしまう」
と、バーナーは今度は先ほどと違い、力強くグシャリと美代の頭を撫でた。美代はそれを嫌がらずに受け入れるが、乱れた髪だけは手で戻しながら笑っている彼を見上げる。
「バーナー、泣いても良いと思うよ。だって、ご両親が、えっと、火炎族? の人が亡くなったんだよ」
「言っただろ、火炎族なら身内がいつ死んでもいいよう、覚悟をしておくもんだって。だから泣くのは、あれで終いだ。お前は明日どうするんだ、学校は行くのか」
「どうしようかなぁ。行った方がいいんだろうけど、ちょっと体がだるくって」
欠伸を漏らす美代に、バーナーはため息をつくと彼女の額を押した。強めのそれに美代の体はあっという間に倒れてしまい、炎が消え、部屋は真っ暗になる。
「なら、さっさと寝ろ」
「あんたはどうするのさ?」
「オイラは今から、少し出かける。朝までには戻るさ」
言い残し、美代の部屋の窓を開けるとそのまま外に飛び出してしまった。美代は慌てて窓から身を乗り出すが、すでに彼の姿はそこにない。
「あぁ……あいつは多少なり、常識人かと思ったけども。人目がない時間だから、ま、大丈夫かなぁ」
ここ数日で、一体何度目のため息だろうか。
そんなことを考えながら美代は窓を閉め、念のために鍵は開けたままにしておくと、布団に潜りこんだのだった。
翌朝。
夜中に感じただるさのとおり、美代は再びベッドの住人となってしまっていた。バーナーは美代のベッドの傍でコーヒーを飲みながら、片眉をヒョイと上げる。
「随分と体が弱いみたいだな、オイラがこの家で世話になり始めてから、二度目か」
「小さい頃からだもん……。人ごみにいる時とか、すごく疲れた時とか。すぐに熱が出ちゃうんだ。今日はそこまで熱も高くないから、良い方だよ」
「ほぉ」
体を起こそうとし、バーナーに押し戻された。彼は学校に行くつもりがサラサラないらしく、美代の額に乗っているタオルを変えたり、飲み物を取ってくれたりしている。
「また、ブラックに魔力を流してもらいたいなぁ」
「あぁ、魔力を、て、っ!」
バーナーが思いっきり、コーヒーを吹き出してしまった。
美代は目を丸くしながら慌ててティッシュに手を伸ばし、服の袖で口の周りを拭おうとしていたバーナーを止める。
「ダメダメダメ! コーヒーの染みって洗濯でもなかなか取れないんだから、何で吹き出しちゃったの、私、何かおかしなことを言ったかな?」
と、体を起こした際に落ちてしまった、額に乗せていたタオルを軽く洗って渡すと、眉を寄せながらもバーナーはコーヒーを拭いてしまった。服や布団についてしまった染みも、水をしみこませたティッシュで、軽く叩くように拭いていく。
「おかしなことも何も、お前いま、なんて言った! 奴に魔力を流してもらっただと!」
声を抑えながらも、確かに美代のことを叱責するような口調だった。それに美代はムッと眉を寄せ、口を尖らせた。
「それの、なにがおかしいの?」
「……本気で言ってんのか。それならお前、いくらなんでも知識がなさすぎるぞ、そしてブラック、あいつもな。ちょっと待て、一緒に教えてやる」
言い残し、バーナーは一度部屋を出た。だがすぐに、眠そうに目を擦っているブラックを連れて戻ると、彼を床に座らせる。自身もそこに正座をし、美代とブラックを正面から見据えた。
「おいブラック、お前、美代に魔力を流したのは本当か」
「うん? だって美代、苦しそうにしてたから」
「この大バカ野郎、流した結果どうなるかまで、考えなかったのか」
その言葉にブラックは美代を振り返り、美代は肩をすくめ、その反応にブラックはコトンと首をかしげた。そんな二人にバーナーは長いため息をつき、額に軽く手を置く。
「いいか、個々には魔力に対する容量というものがある。持てる魔力の限界というものがあるんだ、それは修練により器を大きくすることは出来るが、よほどの修練をこなさない限り、簡単には大きくは出来ない。ここまでは解るか」
ますます首をかしげていくブラックに、美代はベッドを降りると彼の隣に座った。動くとやはり辛いのだろうか、長く息を吐き出している美代の背を優しく撫でながら、ブラックは眉を寄せている。
「えっとね、バーナーがいま言ったのは、人にはそれぞれ、魔力って言うのを受け入れられるコップがあるってこと。それで、修練……えっと、それは修行? ってことで良いんだよね」
「そうだな」
「その修行をすれば、コップの大きさを大きく出来て、より多く魔力が持てるってこと」
「ふぅん」
とりあえず、何となくでも解ったのだろう。ブラックは視線を美代からバーナーに戻した。ひどく、白く冷たい目をしたまま、バーナーは話を続けるべく再び口を開く。
「ふぅんって。魔力を渡す方は、渡した分の魔力は休めば回復するからいいが。渡された方は蓄積されていくんだぞ」
「……つまり、魔力を渡された方、つまり流された方って言うのは、それを繰り返すことでコップから溢れちゃうってこと?」
「まぁ、イメージとしてはそんなものだ。器が広くならないうちに、中身だけが多くなっていく。そうなれば魔力をコントロールできず、暴走する危険があるんだ」
今度は美代が首をかしげる番だった。反面ブラックはサッと青ざめ、唇をキュッと噛みしめる。それから隣にいる美代を膝の上にヒョイと抱えあげ、強く抱きしめた。
突然抱え上げられた美代は目を点にしながらも、バーナーに続きを促す。
「暴走が外に向かえば、魔力の量にも寄るが……最悪の場合この町は丸ごと吹っ飛ぶ。もし暴走が内に向かった場合はどうなるか、オイラにも判らない」
「なにそれ、怖い……魔力ってそんなに怖いものなの」
「誰もが扱えるもんじゃないからな。それだけ恐ろしい力だってこと、忘れるな」
ブラックの腕に、力が込められたように感じた。美代もぎこちなくうなずき、バーナーはそんな二人に表情を緩める。
「そんなに緊張するなよ、使い方によるさ。使い方を誤れば全てを壊す力に、正しく使えれば生活を助けてくれる便利な力になる。それさえ間違えなければいい」
「わかった、ごめん、ごめん美代。オレそんなこと知らなくて、もしかしたら美代が……!」
顔を、抱きしめている美代の肩にうずめるよう、ブラックは体を小さくしていった。美代は首をかしげながらもブラックの頭をポンポンと撫で、乾いた咳を漏らす。
「大丈夫、大丈夫。それよりもブラック、お腹は平気なの? 私、普通に膝の上に乗ってるんだけど、痛くない?」
「もう治った、オレは大丈夫、それよりも美代」
「はいはい、病人相手に説教かましたオイラが言える事じゃないが、サッサと寝かせてやれ」
と、ブラックの腕から美代をはがし、ベッドの上に横たえた。布団を被せられながらも美代は頭をバーナーに向け、頬を膨らせる。
「ところで、バーナー先生!」
「先生ってなんだ、先生って。どうした」
「魔力と魔術の違いがいまいち掴めてません!」
ブラックからもバーナーからも、それなりに白い目や呆れた目は向けられてきていたが、今度こそ完全に呆れられた気がした。バーナーは額に手を置くと長くため息を吐き出し、美代の頭まで布団をかぶせてしまう。
「とっとと寝ろ」
「ちょっとー!」
再び布団から頭を出してみるも、バーナーはすでに、ブラックを連れて部屋を後にしていた。
「他にも質問したいことあったのにぃ」
呟いてみても、いないものは仕方がなく、軽度とはいえ発熱している体ではあまり無理をすることも出来ず。
美代はそのまま大人しく、ベッドに潜っていくのだった。