水の中へご招待
「川だねー」
「川、ですね」
「対岸が見えないこれを絶対に川とは認めないからね!」
地図を見ながら進んでいたはずなのに、表記されていない川にぶつかってしまい、先頭を歩いていたバーナーとダークが首をひねりながら睨めっこをしていた。ブラックの手を力一杯握り締めながら川に指を入れてみると氷水のように冷たくて、慌てて水辺から距離を取る。
「あ、わかった。銀世界の辺りが暑期に入ったんだ」
「しょき?」
「春夏秋冬みたいなものさ。暑期、乾期、雨期、冷期がある。地方によっては乾期がなかったり雨期がなかったりする場所もあるな」
「美代さんが育ったところでは、しゅんかしゅうとう、というのですか?」
「全部の季節をまとめたらそう言うけど、春、夏、秋、冬って言うのが一般的だね。この水ってまさか、全部雪解け水?」
バーナーが指を置いたところが、現在地なのだろう。図面で見ても解るほど勾配が高い山に向かって手が動き、その周囲を見てふと顔を上げる。
「ここが銀世界?」
「そうだ。暑期に入って暑さにやられそうになっている銀世界の住人が気温を下げて雪を降らせる、だけど季節には勝てずに結局溶ける。そうするとまた暑くなるから、の繰り返し……なんだろうなぁ」
「ここから、こう、ぐるっと回ってきてここに居るの? わぁ、銀世界を通った方が安全だって言うのがわかるねぇ」
もし雪山を通らない道で来ていれば、もっと早い段階でシャダッドとセデールの戦争に巻き込まれていたらしい。凍えるような寒さに耐えながらも銀世界を歩いただけの事はあったようだ。
どうしようか悩んでいると、視界の端でそわそわと川へ近づいては離れて、寄っては戻って、を繰り返す姿があった。
「ブルー、泳ぎたいなら行っておいで―。進路が決まったら呼ぶからさ、ブラックが」
「水は冷たくない? 大丈夫?」
「う、うん! 平気よ、本当に行って来ていいの?」
「あぁ、旅が始まってからは一度も、海や深い川の近くには寄ってなかったからな。行っておいで」
パッと表情を明るくしたブルーはすぐに飛び込もうとして、バンダナを雷斗に渡すと改めて川に飛び込んだ。あっという間に影すらも見えなくなってしまい、苦笑いをしてしまう。
「ブルーって、温度差に結構強いんだね。それもそうか、出身地を考えたら温度差が激しいはずだし」
「水の中なのに?」
「深いほど陽の熱が届かないから冷たくなるし、水面に近い所なら温かくなる。水域によっても変わるんじゃない?」
そこまで言って、美代はバーナーを引っ張った。なにかと思って顔を向けてみれば耳元に口が近づいてきて、首をかしげながらも耳を澄ませる。
「ここでも世界は丸いの?」
「……あー。大丈夫、ちゃんと丸い。球体って認識はある」
「了解。ちょっと、シャロムとニルハムの勉学レベルの差がわからなくて」
「加減乗除はわかる、乗除は、二ケタ以上でやる場合には何かに書かないと難しいか。ちなみにこの、加減乗除も通じない、足し算引き算、掛け算割り算、って言わないとダメだな。だけど魔術学が発展している、魔術を使わない奴も一応習う」
「あぁ……そっか、ボンドッツから引かれた理由がわかった」
「何したんだよ」
「ウィングの時なんだけど、四桁と四桁の掛け算ふっかけて暗算で答えた」
言った瞬間、バーナーからもドン引かれた。こちらの会話が聞こえていないらしい他の面々は首をかしげていて、助け船を出してくれる人がいないことを察する。
「お前さん、十二歳だよな?」
「色々あったんですー、色々―!」
「その、色々の内容も、そのうち教えてくれるのか?」
「……気が向いたら」
「何ノ話シカハ判ランガ、コレカラドウスルノダ?」
放って置かれたダークがバーナーの服を引いた。美代もバーナーの膝に寄りかかるようにして、突き出されている地図を見る。
川の全体が判らないので何とも言えないが、雪解け水だと言うのならば雪山を通らなければ川を迂回出来ないらしい。
「却下」
「オイラはまだ何も言っていない」
「川を渡るのは却下!」
「そっちかよ」
「無理! 無理! 怖い!」
「銀世界を通るよりも、よっぽど速いし楽なんだ。少し我慢しろ、な?」
「いやだああああああああ!」
川に足をつけて見たり、川を泳いでいる魚を眺めたりしている一行が、美代の叫び声に何事かと顔を向けた。顔を赤くして両手を振り上げながらバーナーの胸板を叩く彼女の姿に、本当に何があったのかと近くにいるダークに視線が集中する。
「怖いって言ってるじゃん! ヤダって言ってるじゃん!」
「いいから聞けって! 泳いで渡るなんてもってのほか、船に乗るとかイカダを作るとか、そんなんじゃないから!」
「それでもこんなに広い川の上を通るのは確定なんでしょ! お風呂も怖いって言ったじゃん! 広い水辺は怖いって! 言ったじゃん!」
「……マァ、コウ言ウ事ダ」
見られていたダークは、たった一言だけ呟いた。目尻に涙を一杯に溜めてバーナーを叩き続ける彼女はブラックから抱えあげられて、カタカタと震えながら彼のコートに収まっていく。
「美代、オレがちゃんと抱えていくよ。それでも怖い?」
「怖い……怖いけどぉ、見えないようにしてくれる? 川の上だってわかんないようにしてくれる?」
「大丈夫。オレを、信じてくれる?」
「……その言い方はぁ、ずるいよぉ」
自身の過去を思い出し、映像として見た時に涙を流せなかった美代が、水辺が怖いと言って泣いた。
それによほど驚いたのだろう、雷斗たちは唖然として美代の事を凝視していた。よく見てみれば殴られていたバーナーもどこか動揺していて、やはりどこか、普段の彼女とは違うのだと眉を寄せる。
「バーナーさん、その、銀世界を経由してもいいのでは……?」
「瞬間移動術でどこまで行ける?」
「えっと、一度行ったことがある場所なら」
「どのあたりになるんだ?」
「……私の場合は、言い難いですけれど……美代さんを捕らえた場所辺りになりますかね」
「オレは洞窟には行けるよ。行きたい場所を明確に想像できれば、瞬間移動術で飛べるから」
「進行方向のほぼ真逆じゃねぇか。却下だ」
ジロリと美代からにらまれても、知らん顔をしていた。美代自身も、そうするのが一番効率いい事は理解しているのだろう、それ以上は文句も言わず大人しくブラックの腕に収まっている。
「雷斗、雲は使えそうか」
「……ないものは、使えないなぁ」
見上げてみれば、雲一つない晴天だった。ダークと視線を交わしあい、互いに小さく頷く。
「ブラックは美代をしっかり頼んだ。ダークは雷斗を、ボンドッツはスノーを。オイラはイフリートに頼むからいい、ブルーとは対岸で合流しよう」
指示を出す前に、スノーはボンドッツに抱っこをされていた。ダークに手招きをされた雷斗は苦い顔をしながらも横抱きは回避して背負われ、バーナーはイフリートを召喚する。
起こした炎をイフリートが食べ進めると、彼の体が大きくなっていった。ついにはブラックほどになり、慣れた風に主人を背に乗せる。
「ブルーには伝えておくよー。じゃあ、行こうか。美代は目を閉じて?」
「うぅう……。水の中に入らないだけ、まだマシだと思うことにするぅ……」
涙声な美代の事を優しく撫でて、それぞれの準備が出来たことを確認し、ブラックは地面を軽く蹴とばした。
対岸にたどり着くまで、一キロ近くは飛んだだろうか。コートの中から美代を出して地面に降ろすと、へなりと座り込んでしまう。
よほど怖かったのだろう、頭を撫でれば甘えたように抱き着いてきた。
「ブルーはまだ来てないみたいだな」
「まぁ、里帰りみたいなもんだろうし。もう少し待ってみよう」
バーナーの言葉に異議を唱える者など居るはずもなく。
一行はあまり遠くに行きすぎないよう気を付けながらも、自由時間を取るのだった。
日も落ちかけているけれど戻ってくる気配がないブルーに、雷斗が心配そうに川を覗きこんでいた時。
音もなく頭が現れて、思わず後ずさってしまった。
「び、っくりした! ブルー、どうしたのだ?」
「う、あ、雷斗」
瞳孔を開ききった彼は両手で小袋を握り締め、なぜだか小刻みに震えているようだった。夕方になって水が冷えたのかと彼を川から引っ張り出し、たき火の傍に座らせる。
「ブルー、どうしたんだ?」
「水の中で、何があったんです?」
彼が持っている袋を受け取って中身を見てみれば、何かの実が入っていた。緑色をした小さな実が茎に無数についているそれは海ぶどうのようで、一センチほど千切ると口に放る。
「にっが! にがっ!」
「み、美代? 大丈夫?」
「なにこのコーヒーの苦み成分だけを凝縮したような味!」
「あ、美代はん、それ、その実……」
地面に突っ伏して悶絶している美代に、ブルーが申し訳なさそうに眉を寄せた。バーナーも了承を得てから一口分食べると額に手を置き、ハチミツに入れる。
「えっと、川の中で……一族の人に、会って、族長様のところに行って……仲間がいるんなら、連れて来ぃって言われて。それで、ルフトの実を渡されて」
「ルフトの実?」
「海に生息する実だ。普通に生息している分は淡白な味で舌休めに使われるけど、これはどうやらそうじゃないらしい」
ハチミツに浸したそれをスノーに向ければ、彼は躊躇いなくパクリと喰いついた。飲み下すと口直しにミルクを飲んでいる美代の事を凝視して、ニコリと笑いかける。
そしてそのまま、川の中に飛び込んだ。
「……スノオオオオオオオオオ!」
「だ、大丈夫よ! あんな、この実は一族が育ててるもので、食べたらワイ達と同じになれるの! 大体、一日くらい!」
キャッキャと楽しそうに笑っているスノーを回収するために、今度はバーナーが川に入った。近づいてきた彼から楽しげに逃げ、潜ってしまったスノーを追いかけて行ってから、ゆっくり一分。
苦しそうでもなく出て来たバーナーに、美代は目を丸くした。
「水の中に入ったのに髪が崩れてない」
「それどこか水の中で呼吸が出来るぞ。それに水が冷たく感じない、ほら」
掌に掬い上げた水を美代に向けて投げつけてみれば、悲鳴が上がるけれど、すぐに止んだ。その後ろでは興味津々に雷斗やボンドッツがルフトの実を食し、ブラックとリンが口元を押さえて悶えている。
「ホントだ、冷たくない……」
「その、ブルー? 族長が、我々を呼んでいると?」
「うん、だからその」
言い淀んだブルーの言葉に、視線が美代に集中した。海中族の元に行くということ、それ即ち水中に入るということ。
彼女がパニックに陥るんじゃないか。と思っていた一行は、ブルーのことを真剣に見つめている美代に、思わず固唾を飲んだ。
「……ブラック、抱っこ。コートの中に入れて。ぜぇったい、水の中に入った瞬間を私に見せないで……!」
「む、無理するな、美代……?」
「族長様に、お呼ばれしてるんでしょ……? 行かないと失礼だし、ブルーの立場もないよ。バーナー、水の中って、水の中っぽい?」
「呼吸が出来るし視界も良好。水浸しになる感覚もない、ただ水の中ということに変わりはないんだろう、体を動かす時に、少々違和感があるな」
目をきつく閉じ、両手を広げた。ブラックがコートの中に招き入れると力いっぱい抱きついて来て、額を胸板に押し付ける。
陸地にいなくて事情を知らないブルーは、泣き出しそうな目で雷斗に助けを求めていた。
「道すがら、簡単に話そう。案内してくれるか?」
「……うん」
ブルーの様子もまた、普段とは違うようで。
水の中に入って行くブルーに着いて行くよう、一行もたき火を蹴散らし、荷物をまとめると川へと足を運ぶのだった。




