―― 記憶の中へと ――
ポーン、ポーン、ポーン。
自分の胴体ほどはあるだろうボールを地面に着き、転がれば追いかけ、壁にポイと放り投げて跳ねてきたそれを受け止めてキラキラと笑う。
目の前にある門は首を直角に曲げないとてっぺんが見えないほどに大きくて、家に帰りたい時には近くで訓練をしている兵隊さんに声をかけないと入れない。同じくらいの年齢の子は付近にいなくて、ひとり遊びばかりがうまくなっていく。
寂しいな、父様のところに行きたいな。
そう思っていると、目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。パチパチとまばたきを二つ、現れた男性をゆっくりと見上げていく。輪郭がぼんやりとしていてどんな人物なのかは把握できないけれど、男性だという確信はあった。
『おじさん、だぁれ?』
『おじさんはね、きみのお父さんに用事があるんだ。いま、どこに?』
『とうさま? こっち!』
家に入ろうとして、思わず門の前で硬直した。四つの自分では大きな門は開けられないし、お客さまに開けてもらうのも失礼な気がする。
困っているのがわかったのだろう、お客さまは小さく笑い、ポンポンと頭を撫でてきた。驚いてボールを落とし、視線を上げる。
顔は霞んでいてわからないけれど、血の色の目はよく見えた。とりあえず誰かに門を開けてもらおうと、大きく息を吸い込んだ。
『へいたいさーん! お客さまー!』
小さな体を精一杯使って出した声は、兵隊さんに届いたらしい。休憩に入っていた一人がサッと身を整えてやってくるのが見え、お客さまを見上げる。
やってきた兵隊が何を言う前に、彼の体からポンと、球が落ちてきた。顔にはビチャリと温かいものが掛かって、真っ白になった頭でお客さまが持っている剣を見つめる。
兵隊さんが訓練で使っているものよりも少し長いそれには、赤い水がたくさんついていた。
『さぁ、セイント。父親はどこだ』
『セイント、どうした? 魔力が揺らいで……』
恐ろしくて、声を出すことが出来なくて、上手に呼吸が出来なくて。
ヒュ、ヒュと短く息を吸っていれば、父様の声がした。まだ妖精としての血が目覚めずに、体が弱い自分の事をいつも気にしてくれている父様は、異変に気が付いてくれたらしい。
倒れる兵隊さんと自分、そしてお客さまを眺めていって、目をまん丸にしていった。
『ラオエン……? これはいったい!』
『フラグーン・オウス・アスパル・ファータ。お前の命をいただこう』
『は? なにを言って』
『問答は無用だ』
父様が倒れている兵隊さんの近くにある剣を蹴り上げて掴んで、お客さまが振り上げた剣を受け止めた。思わず頭を抱えてしゃがみ込んでしまうと、大きな手で抱えあげられてしまう。
『セイント! 部屋に戻って、鍵を閉めていなさい!』
『残念だフラグーンよ。妖精族は根絶させてもらう』
『何をふざけたことを! 兵士! 民を守れ!』
父様が扉を蹴り開けてその中に放り投げられてしまった。勢いよく閉じる扉の音に、また呼吸が苦しくなるけれど、出来る限り急いで部屋に入った。精一杯背伸びをして言いつけ通りに鍵を閉める。
たくさんの声とたくさんの硬いものがぶつかる音に、視線が窓の外へと向かっていった。
見なければよかったと思うのに、光景に釘付けになって、目を離すことが出来なくなった。
見たことのない姿をしたたくさんの人たちが、妖精族の人たちを赤く染めていく。
戦う人も、抵抗する人も、逃げていく人たちも。
男の人も女の人も、大人も子供も老人も関係ないと言わんばかりに、みんなみんな、斬られて倒れていく。
お城の中からも悲鳴が聞こえて、剣と剣がぶつかる音が響いてきた。だんだん近づいてくる。
怖くなって窓に水の珠を放ち、ベッドの下に隠れた。窓ガラスが割れた大きな音のせいか鍵を閉めているドアが強く叩かれて、燃え上がる。お外から来る熱い風が怖くて、声を出しそうになったけれど、体を小さくして我慢した。
『まさか、飛び降りた!』
『あの子はまだ幼い、そう遠くへは逃げられないはずだ!』
『必ず捕えろ、逃がすな』
バタバタバタ、と外に出ていく魔族の中に、ダークネスの姿があった。両手で口を一生懸命に押さえて呼吸も止めてしまい、辺りに声がなくなるまで動かないでジッとする。
パチ、パチと火の粉が爆ぜる音だけが聞こえるようになった時、やっとベッドの下から出て来た。割った窓ガラスからそっと顔を覗かせると、黒っぽい赤色に染まった地面が見える。
お城の前にある広場の真ん中で、お客さまが父様を肩に抱えているのが見えた。怖い姿をした人たちから何かを言われて、チラリとこちらを見上げてくる。
その時に初めて、姿がはっきりと見えた。
血の色をした目に、短いくせ毛。鼻は高めで少し鷲鼻ぎみになっている。
あれが、ラオエン・ディスライト。
咄嗟に隠れて、ドキドキとうるさい心臓を押さえつけようと体を小さくした。
本当は、父様を連れて行かないで。と大きな声で叫びたい。魔力の調整がまだへたっぴだから使っちゃいけない、と言われた魔術を使ってでも、父様を助けたい。
だけど怖くて、動くことが出来なかった。母様がセイにくれたんだよ、って言って父様からもらった青い宝石を握るのが精いっぱいだった。
誰の声もしなくなって、やっと立ち上がることが出来た。ふらり、ふらりと部屋を出て、外に向かう。
普段なら大きな扉のせいで一人では出られないのに、ボロボロになって大きな穴が開いていて、誰の手も借りずに出ることが出来た。
『……とうさま』
呼んでみるけど、返事はない。ぺちゃぺちゃと足元を汚しながら歩いて、町の人たちや兵隊さんを呼んでみるけれど、本当に誰の声もしない。
『とうさま……』
『セイント様……?』
名前を呼ばれて振り返ると、黒い球が浮いていた。一つだけ着いている紅い目から見つめられて、焼かれた家の影に隠れてしまう。
声も出せず、ほろほろと涙を流していると、触手がゆっくりと伸びてきた。驚いて噛みついてしまったのに、黒い球は怒りもしないで、優しく抱えあげてくれた。
『逃ゲナサイ。今ハ国ノ外ヲ捜シテイルケレド、魔族ハスグニ戻ッテクル。空間ヲ歪メルコトハ、出来ソウカ?』
首を振ると、黒い球は困ったように目を伏せた。ゆっくりと地面に降ろされて、ふたつめの触手が出てきて体を囲んでいく。
だんだん温かくなっていって、どうすればいいのか判らなくて、黒い球を見上げた。父様を連れて行った人と同じ紅い目なのに、全然怖くない。
『安全ナ所ニ。貴女ダケデモ、逃ゲナサイ』
イヤだ、一人にしないで、父様を返して。
そう思っていたのに、黒い球には言っちゃいけないような気がした。
ギュッと、母様の宝石を握り締め、温かいものに流されるように目を閉じた。
「……&#%3&4!」
女の人の声がする。なんて言ってるのかはわからない。
お腹が空いた、寒い、怖い。
父様、父様。助けて、セイはここにいるよ。
「$‘%&’、*+$」
男の人の声がする。ヒョイと抱えあげられて、ひくり、と喉が鳴った。頭に手が伸びてきて、ビックリして首をすくめてしまったのに、撫でてくれる大きな掌はとても温かい。
――あぁ、そうか。この人たちは、シャロムで私を育ててくれた、父さんと母さんだ。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
灰色の砂嵐で視界が埋まり、場面が切り替わったのがわかった。
ラオエンやダークネス、カウンツ。他にも名前を知らない魔族が数人いて、正面の壁には妖精が磔にされている。
手足を壁に溶接された鉄枷で限界まで伸ばされて拘束され、半透明の美しい羽は釘のようなもので石壁に打ち付けられていた。一糸まとわぬその姿から目を逸らしたいのに、映像は全く動かない。
太い木の棒を噛まされている彼は、短い黒髪を揺らして空色の瞳を光らせ、ラオエンを睨みつけていた。
『さらばだ』
短剣の刃が、フラグーンの腹部に埋まった。くぐもった唸り声を上げて身を捩るけれど、両手を斜め上に、両足を肩幅に開いた状態で引き伸ばされているのでは、それもわずかなものにしかならない。
『こやつが生きているうちに、血を飲め。死んでしまっては意味がない』
腹を引き裂かれ、痙攣している男を見て、ラオエンは淡々とそう言った。
そう簡単には死なないだろう。彼は急所を外し、内臓は傷つけないように裂いている。
一人、二人と口をつけ、喉を鳴らしながら血を飲んだ。ラオエンもフラグーンの前に片膝をつき、そっと傷口に顔を近づけている。
『ダーク。お前もだ』
顔の下半分を血に染めたラオエンがこちらに手を伸ばしてきた、体が震えているのがわかる。
事情も全く分からずに、血を飲めと言われているのだ。
『早くしないか、妖精族の王が死ぬ前に』
後ろから体を突き飛ばされて、フラグーンの前に来てしまった。視線を上げれば、項垂れながらも必死に生にしがみつく王の表情が見えてしまい、短く息を飲む。
空色の瞳をギラギラと刃物のように光らせた彼は、視線が合うと、口の端を緩く上げて微笑んだ。
『さぁ、ダーク』
再三、血を飲むように言われたけれど。
結局自分には、出来なかった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「……これが、美代が無意識に封じた記憶」
「ソシテ、ワシガ知ル、彼女ノ父親ノ最期ダ」
悪趣味な演劇を見終えた後のような不快感に襲われて、バーナーは首筋を流れる汗をぬぐった。
美代がどうしても、自分の言葉では説明できないと困っていて、ブラックが彼女の了承を得て思い出した記憶を覗き、足りない部分はダークから補填してもらい。
心眼と魔力を駆使して見せてくれたものは、封じたくもなるようなものだった。
「そっか……父様は、楽には、死なせてもらえなかったんだ」
「美代殿……無理ヲシテ見ル必要ハ、ナカッタノデスヨ」
「ううん、知りたかったから。今は少し後悔しているけど、それでもやっぱり知りたかった」
力なく言う美代を膝に乗せ、ブラックは優しく包み込んだ。ブルーは見ている途中で気絶してしまい、雷斗が抱えて眠らせている。
唇を引き締めてボロボロと涙を流すリンの事は、ボンドッツが胸元に引き寄せていた。
「ワシハ、魔族ガ嫌ニナッタ。一族ニ居ルノガ嫌ニナッタノダ。ソレデ、飛ビ出シテキタ」
「どうして、妖精族は滅ぼされちゃったんだろうねぇ。血が目的なんなら、襲って来たときにいくらでも飲めただろうにさ?」
「美代、今はそんな冗談はいらない」
キョトンとした彼女は、本気で話しているようだった。眉を寄せて見つめれば頬杖を着き、目を伏せる。
「王族の血じゃないとダメだった、とか? 私を狙うのもそれが目的? 最後の純血だろうから死ねないみたいだしなぁ。血のドリンクサーバーじゃん、私」
「何を呑気に言ってやがる、お前をそんな目に遭わせると思ってんのか」
「全然。頼りにしてますよー」
笑う美代の顔を掌で隠すように、頭を力強く撫でつけた。ブラックが耳元で襲眠鬼を唱えれば抵抗もなく眠りに落ちていき、コートに包み込んでしまう。
「美代さんは、どうして笑っていられるのですか」
「たぶん……封じてしまうほどの記憶を一度に思い出して、こうして整理して映像として見て。心がパンクしそうになってるんだと思う」
「お願い、みんな。普段と変わらないように接してあげて、ダークもだよ、美代が美代でいられるように、いつもと同じようにいてあげて」
「今すぐには、難しいかもしれない。今は泣いてくれ、泣けないでいるこいつの代わりに泣いてやってほしい。だけど明日からは、いつものみんなでいてくれ。
頼む、オイラは、こいつを守りたい……!」
喉の奥から搾り出されるような声は、震えないようにと緊張しきった体で発せられた。漏れ出たため息に彼の体がますます硬直していくのがわかり、なぜかこちらに向けて頭を下げているバーナーの事を軽く殴る。
「ふざけろ。美代殿を守りたいと思っているのがお前だけだと思うな」
「泣くのは、今夜だけにする。明日からはちゃんと、笑顔でいるよ。美代ちゃんが、ちゃんと、泣けるようになるまで……!」
「一度は壊れてしまった私たちを掬い上げてくださったのは彼女です、今度は私たちが助ける番だ。何があっても魔族に渡すものか」
雷斗がぶっきらぼうに言い放ち、リンが涙を流しながらも言い切って、ボンドッツが柔らかく言った。シャドウが頭の上に座ってポンポンと小さな手で撫でてきて、申し訳なく眉を寄せる。
「バーナー君も疲れてるでしょ、みんなももう休んで。今日はボクが夜番をするよ、ゆっくり眠って、気持ちを落ち着けて。明日から日常に戻ろう」
「シャドウ……。……わかった、頼むよ」
きっと、思うことはそれぞれあるだろう。
だけど、美代がちゃんと自分の過去を涙で流すことができるまで、それは出さない。感付かせない。
ブラックに守られるよう眠る彼女の横顔に、目の光を強くした。




