炎の想い
なにが起きたのか、一瞬わからなかった。気づけばブラックの腕の中に閉じ込められ、地面に仰向けに倒れている。
慌てて周囲を見てみると自分たちを中心に、囲むように紅蓮の炎が揺らめいている。ブラックが立っていたところは焦土と化しており、土が焼けた臭いに美代は眉を寄せた。
「誰だ!」
「――こんなにも、近くに、居たなんてな」
今起きていることは解っていないが、その声は誰のものか、すぐに判った。警戒心を丸出しにしているブラックの腕の中から這い出ると、急いで辺りに視線を走らせる。どこにも姿は見えないが、彼がここに居るのは確実だった。
「尚人!」
「なおと?」
叫ぶと、炎の中に影が現れた。ゆらゆらと動きながら大きくなっていくその影は、どう見ても人の形をしている。
そしてとうとう、呼ばれた本人が姿を見せた。鋭く凍っている目は、肌を突き刺しているようだった。
「尚人、なに、その恰好……」
「オイラたち火炎族の衣装だ、戦いを挑む時、決闘を申し込む時、必ず着る衣装だ」
尚人は今、闇色の着物に身を包んでいた。裾には、今自分たちを囲んでいるそれらと同じよう、踊る炎が描かれている。ただ普通に立っているだけなのに、彼から感じる威圧のせいで胸は押しつぶされそうだった。美代は静かにブラックの陰に隠れていき、ブラックもそっと、美代を隠す。
「かえん、ぞくって」
「さて、ブラックと言ったか。……オイラの殺気に反応出来て、炎を避けることが出来た。言い訳は聞かねぇ、オイラと戦え」
美代の言葉をかき消し、尚人は指をブラックに突き付けた。オロオロと視線を彷徨わせるブラックに舌打ちをすると、自身の周囲に炎の球をいくつも浮かべはじめる。
「お前はニルハムの住人だろう、ここ、シャロムの奴に火炎族がやられるものか。シャロムの人間に、あんな殺し方が出来るものか!」
その叫びに、ブラックはビクリと肩を震わせた。尚人は仁王立ちのまま視線をますます鋭くしていき、炎の大きさも揺らめきも、数も増やしていく。
「親父もお袋も、炎理も威亜のおっさんも! 殺したのは、お前だろう!」
「な、尚人! まって、どういうこと? もしかして、あの、地震で? でも、ニュースでは死者はいなかったって!」
「あんな死に様、晒されてなるか。火炎族が、死に姿を全くの他人に晒されるなんて、あってたまるものか……! 燃やしたさ、骨の欠片、血の一滴すら残らぬよう、灰も風に流され、消えるよう」
薄く開いた唇から唸るように放たれた言葉に、美代は緩々と首を振るとブラックを見上げた。彼は青ざめ、口をきつく閉じ、眉をハノ字に寄せたまま尚人のことを見つめ続けている。
……彼を初めて学校の屋上で見た時、確かに彼は、血に塗れていた。
「仇うち、なの」
「いつまでベラベラ喋らせる気だ、風の」
喉の奥から搾り出すよう言われた言葉に、美代はブラックのコートをきつく握った。彼の瞳に宿る光は、初めて自室で彼と会った時とは比べ物にならないほどに冷たい。
「仇討ちなんざ、一族の恥だ。火炎族ならばいつでも死ねるよう、身内がいつ死んでもおかしくないよう、覚悟をしておくものだ。だからこれは、完全なるオイラの我が儘。
火炎族が、火炎族の新たな長が。……最後の、火炎族の血族がたった一人の男に、四人が四人とも殺された。オイラはそれを見ることが出来なかった、共に戦うことが、出来ない場所に居た。納得出来ねぇ」
「……オレ、は」
「だから戦え。オイラと戦って、確かにお前になら親父たちが殺されても仕方がなかったんだと、火炎族が負けても、滅んでも、オイラ以外に……いなくなってしまっても仕方がなかったんだと。納得させろ!」
足を踏み出したかと思うと、尚人の姿はブラックの目の前に来ていた。ブラックは唇を痙攣させるように何かを呟き、美代の体を突き飛ばす。炎の壁にそのまま突っ込んでしまったが、熱くはなかった。
「い、イヤだ。だって、美代みたいなやつもいるって解ったんだ。みんながみんな、オレ達をいじめる奴じゃないって、解った! だからっ」
「御託はいらん! 言っただろう、これはオイラの我が儘だと。それは十分に承知している、お前がオイラを殺すことはない。だからただ、お前は拳を、剣を振るえ!」
手に炎を纏わせ、目を血走らせながら、尚人はブラックに向け拳を突き出していた。それを彼は、体を捻り、足を支点に舞い、避けていく。
反撃のそぶりを全く見せないブラックに苛立ったのだろうか、尚人は炎を一層、激しくした。美代はそこでやっと、自分も炎の中に居たのだと慌てて囲いの中に戻る。チリチリと肌が焼けているような感覚はあるが、それでも燃えるようなことはなかった。
「なぜ戦わない! お前は、戦闘態勢にあった火炎族四人を、剣の一薙ぎで潰したんだぞ!」
「ご、ごめん……ごめんなさい、オレは」
「謝罪を! 聞きたいんじゃねぇ!」
尚人の裏拳が、ブラックの腹部を捕らえた。腹を抱え、口からは唾を吐き出しながら彼は地面に膝をつく。掠れた呼吸音を発しつつも上げた顔に、紅髪の彼は頬を赤くさせ震わせていた。
「ふざけんなよ……なぁ、戦ってくれよ。オイラを納得させてくれよ、頼む、頼むから。火炎、族が、オイラの師匠が、親父がっ……優しい炎が、もういないんだってことを、納得させてくれよ!」
同じようブラックの前に膝をつき、胸倉を掴み上げ、声を震わせていた。深く垂れている頭からは彼の表情を読み取れないが、猛っていた炎が薄れいき、力なく揺れ始めるのを見て美代は目尻を下げる。
「……ごめん」
「な、尚人。ブラック、火傷してる。早く、治療をしないと」
炎を纏わせた拳で突いたせいか、ブラックの腹部は服が焼け落ち、周囲は未だチリチリと燃えていた。それでもブラックは全く抵抗の意を示さず、目を伏せたまま、項垂れている。
「……風の。オイラの名は、バーナー・ソラリア。炎緑尚人は偽名だ、人がいないときにはオイラの名で呼べ」
「え?」
「お前の名は」
「いや、だから、上野美代」
答えると、不服そうに顔を歪め、バーナーは立ち上がった。
突き上げた膝は的確にブラックの胸元に向かい、項垂れていた彼は掠れた咳を一度だけ零した。糸を斬られた操り人形のように地面へ倒れ込む彼の体を、今度は肩に担ぎ上げる。自身よりも背が高い彼を軽々と抱えあげる尚人、バーナーに美代は呆然と立ちすくんでいた。
「行くぞ、お前の家に連れて行く。いいな」
「う、うん! 早く治療しないと」
何の苦もなさそうにスタスタと歩き始めているバーナーの後を慌てて追いかけ、美代は自宅へと向かうのだった。
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自宅に入るまでの間、人っ子一人、影すらも見かけなかった。美代は部屋のベッドにブラックを横たえているバーナーの横顔を見つめ、口を尖らせる。
「バーナー、なんで、誰もいないの」
「……言っただろう。オイラはこいつに、決闘を申し込んだ、つもりだ。こんな力、シャロムで使ったら目立ちすぎる。だから校舎のガレキに、炎を放り込ませてもらったのさ」
「あんた、何やってんの!」
何のこともなく言ってのけた彼に、美代は間髪入れずにツッコミを入れてしまった。彼は鼻を鳴らし、着物の袖から小物入れを取り出す。
「は。オイラがそれを燃やせと命じない限り、その炎はそこにあるだけだ。確かに火の手が上がっているのに何も焼いてはいない、単純な奴らの目を引くには十分すぎる代物だろ」
小物入れにあるのは、真っ赤な、どろりとした液体だった。ブラックの服をいつの間にか持っていた短刀で切り裂き、火傷している腹部に塗り付けていく。
微かに彼が唸り声をあげ、美代は身を乗り出した。それを片手で制され、思わずキッと睨んでしまう。
「イフリート」
呟くと、バーナーの体から炎が生まれ、踊りながら体を離れていった。徐々に形を作り始めたそれは鳥となり、バーナーの頭の上にチョンと座る。
「熱を取ってくれ、それとありがとうな、水はかけられなかったか? 痛くはなかったか?」
『ピャア』
炎の鳥は短く鳴くと、頭から肩へと降りて主人の頬に身を寄せた。バーナーはそんなイフリートの頭をトントンと指の腹で撫で、ブラックの腹部に乗せる。
「バーナー、その、えっと、鳥? は」
「オイラの使い魔だ、さっきまで校舎のガレキで、ひきつけ役をやってくれていた。魔力を持っていて素質があれば、契約することが出来る。そんなことも知らないか」
白い目を向けられ、美代は吊り上げそうになった目を閉じ、自身の頬をむにゅむにゅと掌で押した。ブラックと同様にバーナーと喧嘩になっても、勝てる自信は米粒ほどもない。
「もうわけがわからないや……。触ってもいい?」
「構わないぞ。とりあえずオイラは着替えてくる、一族に伝わる薬も塗ってやったんだ、すぐに目を覚ます」
(気絶したのは火傷のせいではなく、あんたの蹴りのせい!)
喉元まで出た言葉をどうにか飲みこみ、静かに胸を上下させているブラックを覗き込んだ。顔色はよく、とりあえずホッとしながらも、今度は恐る恐るイフリートへ手を伸ばす。
クルリと首が動き、イフリートのビー玉のように光る瞳が自身を映したため、一瞬手を止めた。
それでも、好奇心の方が恐れより、少しだけ大きかった。頭にそっと手を乗せ、首筋から背中、長い尾へと走らせていく。ゆっくりと目を閉じていくそれはどこか心地よさそうで、美代も微笑んでいた。
「なんでバーナーもブラックも、極々当然のように、魔法の話をするんだろうね。私は一体、何に巻き込まれようとしてるんだろうね」
「んっ……」
ブラックが小さく唸り、薄く目を開いた。美代はすぐに顔を覗き込み、頬にそっと手を乗せる。目の焦点が合わないままに彼は美代の手を握り、唇を震わせていた。
「大丈夫?」
「み、よ。あいつ、火炎の、やつは」
「バーナーだ、だがここでは尚人と呼べ」
バタンと扉が閉まる音と同時に聞こえた声に、ブラックは小さく肩を震わせ、体を起こそうとした。腹部の傷が痛んだのだろうそれは叶わず、蹲るようにベッドに倒れてしまう。そんなブラックにバーナーはため息を漏らし、美代の少し後ろに胡坐をかいた。
「先に言う、オイラはまだお前を許す気はサラサラない」
「バーナー!」
「さっきも言ったが、親父たちを殺されたことに対し、ではなく。戦えるだけの実力があるにも関わらず、一切手を上げずに、ただ殴られるだけの人形に徹したことに対してだ。……いずれ戦え、ちゃんと戦って、オイラに納得させてほしい」
ブラックのことを正面から見据え、はっきりとそう言った。それにブラックはゆっくり、それでも確かにうなずく。
二人の間に挟まれてしまった美代はどうしようか眉を寄せながら、ふとバーナーの手を取った。突然のことに彼女の事を凝視している彼の手を、ブラックの手にそっと乗せる。
「ね? とりあえず、握手」
バーナーはわずかに苦笑し、ブラックは困ったように美代を見つめた。彼女がうなずくと、ホッと息を漏らして微笑む。
そして二つの手は、互いにきつく握り合った。
――その夜。ニュースにて、学校のガレキに突如現れ、突如消えた炎のことで町が大騒ぎになっていたことが流れ。
食卓で二名ほどが、苦い笑みを噛み潰したのだった。