立場を利用するならば
美代はあてがわれた部屋の中で目を閉じて、音を殺すような呼吸をしていた。座禅を組んだ手の中には光る羽根があり、周囲の声に耳を傾ける。
「……ブルーの部屋は、私の反対側。シャドウとスノーはリンの近く、そして……護衛兵はこの真上、かな」
深く息を吐き出して立ち上がろうとすれば、体が大きく揺れて、咄嗟に近くのイスへともたれかかった。額には脂汗が浮かんでいるのがわかるし、背中はひどく冷たい。
もし、ウィングになれない時であれば、間違いなく倒れている体調だ。
「でも、熱はない……。大丈夫、シャドウのところに行かなきゃ。私が、やるべきことを」
ポツンと呟く術は、瞬間移動術。
頭の中がかきまぜられているような不快さに口元を押さえながら、美代はその場から姿を消した。
ぐるぐると目が回る。
どこが上でどこが下なのか、立っているのか横になっているのか、それすらわからない。
せっかく浮上しそうになった意識が再び沈んでいくのがわかって、息苦しいのが怖くてもがこうとするけれど、指先を動かすのが精いっぱいだった。このままでは溺れてしまう。恐ろしい水の中に居るように、呼吸が出来なくなってしまう。
そうして意識が持っていかれそうになったその時、頬にコツンと硬いものが当てられて、美代は薄く目を開くことが出来た。霞がかかった視界だけれど、炎の鳥を見間違えるはずがない。
「イフリート……」
スリ、と頬ずりをされて弱く笑い、体を撫でてやれば安心したように使い魔から力が抜けていくのがわかった。バサバサと彼にしては珍しく大きな音をたてながら羽ばたいて、部屋の奥へと飛んで行く。
彼が連れて来たのは、涙目になっているシャドウだった
「美代ちゃん……!」
「シャドウ、お願いが」
「ほんっとに、本当にきみって子は! どうして体調不良を隠すの、そんな中で無茶をするの! イフリート君が教えてくれなかったら危なかったんだから!」
「魔術を、教えて」
体を起こし、頭を抱えながらもそう言えば、シャドウの目が険しくなった。心配するようにイフリートが肩に止まり、落ち着かせるように背中を撫でればキュッと瞼を閉じて体を寄せてくる。
「美代ちゃん、きみは」
「今回ばかりは、倒れているヒマがないんだ。シャドウならわかるよね、理由」
「戦力ならボクだけで十分だ」
「バカなことを言わないの。表立っては堂々と動けないでしょ? 今だって人形だと思われていて頭数に入れられてないのに」
話をしている間に頭痛が激減していて、肩に座るイフリートを見た。肩からじんわりと暖かなものが流れて全身を包み込んでおり、小さく笑うとベッドを降りる。
「ほら、イフリートも応援してくれてる」
「……わかったよ。だけど無理だけはさせないんだから」
「よろしく、シャドウ先生」
机の上に座ったシャドウに向き合うよう、イスに腰と下ろした。肩からイフリートを降ろせば小首をかしげていて、わずかに開いているドアの方を見てから頭部にそっと口をつける。
「ブルーのところに。お願い」
小さく頷き、ドアのすき間を縫うようにして飛んでいった。シャドウが視界の端で苦笑いをしているのが見えて、今度は自分が首をかしげる。
「どうしたの?」
「なんでもないよ。きみは詠唱を覚えているようだから、魔力の流れと使い方を覚えてもらうね」
割れ物でも触れるように優しく、小さな両手が自分の手の甲に置かれて、美代は緩く目を閉じた。
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「たーいーくーつーやー」
ベッドの上で転がりながら愚痴り、ブルーは枕を抱えたまま窓の外を見た。城下町には昨日と変わらず人が点々と座り込んでいて、視線をそらすと眉を寄せる。
枕に顎の付近を押し付けて部屋の天井を見上げた。広い部屋に独りぼっちが、なぜだかとても恐ろしい。
「……美代はん、ウィングはんになれるかなぁ。お城の中の空気を入れ替えたら、きっと気持ちえぇよね」
「シャドウにお願いして、兵隊さん達の怪我、治してあげられへんかなぁ」
「スノーに聞いたら、雷斗たちの様子、わかるかなぁ。でも心眼を使ったら、苦しいんかなぁ……」
「……リンは今、どうしてるんやろ……」
無音が恐ろしくて声を出してみるけれど、返事がないことがこれほどまでに寂しい事だとは思わなかった。目を伏せて瞼を震わせていればコンコンとドアが叩かれる音がして、思わず肩を跳ねてしまう。
コンコン、コンコン。
「……美代はん?」
二度のノックを三回続けて。
部屋に入る前に、美代から言われていた合図だ。
「美代はん……わ! イフリート!」
わずかにドアを開ければ羽音が聞こえ、肩にイフリートが止まった。驚いて大きな声を出してしまえば、心外であると言わんばかりに凝視され、申し訳なさそうに笑ってしまう。
「来てくれたん? ありがとう。美代はん達はどうしてるん?」
訊ねればしばらく天井を仰ぎ、机の上に飛び立つとそこにあるインク壺に躊躇いなく足を突っ込んだ。置いてある羊皮紙を引っ張ってきて足跡をつけながらピョンと跳ね、何かを書いていく。
「えーっと? みよ、しゃど、まじゆつ……まじゅつ? れんしゅう? すのーいっしょ、りんへや……。ありがとう! あぁでも、机に足跡がついてしもうてるよ」
問題ないと言いたげに見上げられ、ブルーは足を拭いてやろうとイフリートの事を抱えあげた。その時に彼の長い尾が机を掃いていき、同時に羊皮紙も足跡も焼き消してしまう。
「すごいなぁ、バーナーの使い魔さんやからかなぁ? ご主人様と同じ火の使い方ができるんやねぇ」
くすぐるように胸元を撫でていれば、どこか照れくさそうに身を捩って、眉間に当たるだろう所にシワを寄せた。それからわずかに首をかしげて、ブルーの頬にすり寄っていく。
「くすぐったいよ、イフリート。ねぇ、雷斗たち、大丈夫かなぁ? 大丈夫よね?」
大きく頷く使い魔に、柔らかく微笑みかけた。皆を見送ってからずっと室内にいるせいか時の進みが遅くて、もう一度視線を外に運ぶと、ベッドの上に転がってしまう。
「……することないなぁ、寝ようかなぁ」
言葉から少し遅れて、あくびがもれだした。
他にすることもなく、イフリートが来てくれた安心感のせいかドッと疲労が押し寄せてくる。それに抗う必要もなくて、素直に従うよう目を閉じたのだった。
コンコンコン、コンコンコン。
遠くからの音にわずかばかり意識が浮上して、寝ぼけ眼をこすりながら体を起こした。全部で六回のノック。ふらりとドアに近寄っていく。
グイッと服の裾を引かれ、目をしばたかせながら振り返った。一緒に居てくれたらしいイフリートが瞳をギラギラと光らせながら、服をついばんでいる。
そうして自分が足を止めたことを確認すると、ベッドヘッドをつついた。
コンコン、コンコン、コンコン。
コンコンコン、コンコンコン。
「……あ……」
先ほど聞こえたのは、同じ六回でも、二つ目のノック。ということはドアの向こうに居るのは、美代ではない。
「だ、だれ……?」
「お食事をお持ちいたしました。鍵を開けてください」
かすれた声に帰ってきたのは、男性の声だった。困ったように眉を寄せていればイフリートが器用に鍵を開けてドアノブを回し、入ろうとした男性に飛びかかってしまう。
「うわ! なんだこの鳥!」
趣味が悪い金ぴかの鎧を着た兵士がイフリートを払おうとしたけれど、その腕を身軽に避けると彼が持つお盆の縁にふわりと止まった。兵士が止める間もなく料理の蓋を落とすとそれをわずかについばみ、ギラリと兵士を睨みつける。
なぜだろう、イフリートの体の炎が、弱くなったように見えた。
「あ、あ、ごめんなさい! えっと、ご飯は大丈夫よ、戦争中で大変やろうから、自分たちの分は自分たちでどうにかするって美代はんが」
頭を下げながら言えば兵士も軽く頭を下げて、イフリートを追い払うと無言で出て行ってしまった。心もとなく翼を動かしている彼を両手で支えれば、甘えたように納まって、胸を小さく動かしている。
「イフリートどうしたん? どうして、あんなことを?」
ふるりと首を振り、震えながらもブルーの腕を抜け出して、ドアの方を見つめた。どうしたのかと思って開けてやればするりと外に飛んで行ってしまい、ブルーはフラフラと飛んで行くその背中を心配そうに見送る。
「大丈夫かなぁ……。どうしたんやろう……」
「あれ、ブルー? さっきイフリートとすれ違ったけど、どうしたの?」
と、廊下の向こうから歩いてきた美代に、ブルーは小さく首を振った。彼女は不思議そうに首をかしげているが肩をすくめると部屋に入ってきて、大きく深呼吸をすると半ば目を閉じる。
『大気の精よ 我が魔力を対価とし この場を無限の箱へと 成したまへ』
「空 魔 箱!」
「わぁ! 美代はんすごい!」
詠唱を終えると同時に、机の上に麻袋が出て来た。思わず拍手をしているブルーに笑いかけながらも、美代は内心ほっとする。
先ほどまでシャドウから受けていた訓練の中でもらった、彼からの言葉。
『魔術に対して使用する魔力の量が多すぎる。意識して魔力を絞ること、自分の魔力の容量をキチンと把握すること』
一緒に詠唱をし、シャドウから魔力を流してもらい、魔力が流れる感覚と使う感覚を同時に教わったのだ。どうにか成功したようで、無邪気に喜んでいるブルーの頭を優しく撫でると中から干し魚と水を出す。
「ごめんね、部屋の中にずっといて退屈だったでしょ」
「イフリートが来てくれたし、お昼寝してたから大丈夫だったよ! でも美代はん、どうして合図が必要なん?」
「んーとねぇ……バーナー達が安心して、帰って来られるように?」
「なんでちょっと疑問なん?」
拗ねたブルーの口元に裂いた魚を運んでやれば、ひな鳥のようにパクリと喰いついた。美味しそうに咀嚼している彼に目を細めて、自分は干し肉の欠片を放り込む。
部屋の中が薄暗いなと思って外を見てみれば、いつの間にか太陽が地平線に沈みかけていた。室内を探してみればろうそくがあり、魔力を限界まで絞って火 球を唱えれば無事に火が灯った。それで魚を炙ってやれば、パカンと口を開けるので与えてやる。
「お出かけするときには一緒に行こうか。リンも誘えたらいいね、王女様だから難しいかもしれないけど」
「んぅ、美代はん、リンとボンドッツはこれからも一緒に来てくれるかなぁ? これでお別れってなったら寂しいわぁ」
しゅんと肩を落としてしまったブルーに、頬杖をつきながらくしゃくしゃと頭を撫でた。彼は上目遣いにこちらを見て、そのまま伏せてしまう。
「ほら、その心配はみんなが帰って来てからにしようよ。お昼寝してたって言ったけど、夜は眠れそう? 大丈夫?」
「大丈夫よ! 実は……地上で歩き回るのって、やっぱり少しきつくって」
「そっか。なにかあったらすぐに呼ぶんだよ、今は私も風が使えるからね。……お腹は一杯になった?」
「なった!」
干し魚を一匹分食べ終えた彼は竹筒の水も飲み終わっていて、昼寝を引きずっているのかウトウトと船をこぎ始めていた。思わず表情を緩めてベッドまで手を引っ張っていってやれば大人しくついて来て、そのまま布団に潜りこんでしまう。
「おやすみ、ブルー」
「おやすみなさぁい。また明日」
「うん、また明日」
返事をすれば微笑んだ彼に、美代も微笑み返すと部屋を後にした。正面にはイフリートが居て、美代は腕に止めるとそっと頭を撫でる。
「ごめんね、大変だろうけど……ブルーのことを、お願い」
小さく頷く使い魔を抱きしめて、美代は目付きも鋭く部屋へと戻っていくのだった。
コンコン、カチャン、キィッ。
聞こえてきた小さな音に、薄っすらと目を開いた。ろうそくの明かりも消えていて真っ暗闇の部屋の中で、記憶を頼りにドアの方へと視線を向ける。
突如強い力で口元を押さえつけられて、眠気なんかは一瞬で吹き飛んだ。口を塞ぐ何かを払おうと両手でそれを掴めば、逆に手首を一まとめに掴まれて、細い何かで結わいつけられる。
抵抗しようともがけば、それが腕にきつく食い込んだ。強引に頭上へと引っ張られて何かに固定され、そこから動かせなくなってしまう。
口を塞ぐ何かが離れたと同時に、口の中に何かを突っ込まれた。動けない、言葉を封じられた恐怖に身がすくみ、上着をめくり上げられて大きく体を跳ねあげる。
「……おいおい! 一番大人しそうで見た目が良くても、男じゃねぇか!」
「うっわ、マジかよ! 絶対女だと思ったのによ!」
「どっちでもいいわ。どうせ戦線に送られたあいつらは生きて帰ってこないだろ、こいつらを好きにしちまおうぜ」
三人の男の声。いくら目を見開いても、暗い部屋の中では何も見えない。何をされるのかも、わからない。
「ふ、う……!」
「うるせぇ兵士長も王女を連れ出して化け物にしちまった息子も、その仲間もどうせ勝てやしねぇよ。待つだけ無駄無駄」
「なにが無駄だって!」
目を刺すような閃光の直後、周囲を駆け巡った風に、思わずきつくまぶたを閉じた。柔らかい布が体に掛けられた感触にビクリと体を震わせて、頬を伝う涙をぬぐうことも出来ず、恐る恐る目を開く。
軽装の男たちと自分の間で剣を構えているのは、羽織を自分にかけてくれているウィングだった。
「お、お前! どっから!」
「どっからでも関係ないだろ。とっとと失せろゴミ共が、今のうちに、オレが、我慢できているうちに姿を消せ」
「てめぇ、オレ達を誰だと思って」
「もう一度言う、失せろ。さもなくば切り刻んで髪の毛一本すら残さずに焼き尽くす」
低く地を這うような声に、男たちは視線をぶつけ合うと忌々しそうに舌打ちをしながら出て行った。細く息を吐き出し、風をどうにか治めながら、光の珠を小さくしていく。
「ブルー、ブルー。大丈夫か、オレがわかるな」
カタカタと震える彼の口から布きれを抜き取り、手首の紐を切ってやれば、彼はベッドの上に座り込んだ。放心状態らしく返事もなくて、ウィングは羽織ごと優しく抱きしめる。
「ブルー君! どうしたの、何があって……ウィング君? どうして!」
力なく目を閉じているイフリートを腕に抱え、部屋に飛び込んで来たのはリンだった。呼吸も薄い使い魔を見て目を見開き、ブルーをリンに預けると代わりに彼を受け取る。
「イフリートはどうして……」
「な、何となく寝つきが悪くて、散歩をしてたら物音がして……見てみたらイフリートが鳥かごに閉じ込められていたの、海洋石が埋め込まれてた。慌てて助けたら、無理やり飛ぼうとしてて、それを止めたら案内されて」
明らかに怯えているブルーのことをきつく包み込みながら、リンは早口に説明した。羽織を身に纏うと美代に戻り、わずかに目を開いたイフリートに少しだけ、魔力を流してやる。
「どうしたの、いったい何があったの?」
「リン……雷斗達、ちゃんと、帰って来るよね……?」
ホロホロと涙をこぼしながら震える声で呟いたブルーに、二人の視線が集中した。覗き込むように見てみれば焦点がきちんと合っているようで、美代は胸をなで下ろす。
「さっきの、人たちが……いきて、帰ってこないって。どうせ、勝てない、って……!」
サッと、リンの顔色が変わったのがわかった。そんな二人の頭を胸元に掻き抱いて、落ち着かせるようポンポンと撫でる。
「ブルー、バーナー達はちゃんと帰ってくるよ、あんな奴らの言葉なんか聞いちゃダメ。リン、ブルーと一緒に、眠ってあげて。……二人には言いたくなかったんだけどね。こうなったら仕方がない。
私たちはバーナー達が戦地に赴くための人質だ。だけどその立場に準じるつもりは毛頭ないよ、当然だ、みんなは帰って来るんだから」
リンの体が戦慄いた。同時に、この部屋で何が起こりかけたのかを理解したのだろう、腕を抜け出した彼女からは感情というものが削げ落ちている。
そうして美代を見つめ、小さく頷くと、足元もおぼつかないブルーの手を引いて部屋を後にしていった。多少は回復したらしいイフリートを肩に乗せ、美代は深くため息を漏らす。
「まさか初日に、ブルーの方にも来るなんて……。イフリート、大丈夫だった? ごめんね、海洋石を持っているなんて思わなかったから」
ふるふると首を振り、ピタリと体を寄せてきた。背中を撫でてやりながらドアの向こうを見つめて、仄かに光る羽根を見る。
「……お願いよ、ウィング。バーナー達が帰って来るまでは力を貸して、守らなきゃ。私がみんなを守らなきゃ。だから」
光がほんの少しだけ、強くなったような気がした。
それを返事だと思い、美代は目を閉じて、額にそれを押し付けるのだった。




