役人として、姉として
「おーい、ブルー。そろそろ機嫌をなおしなよー」
「なんでワイだけ留守番よー! 色々面倒くさいって、なんよー!」
「はいはい。クッキー食べる?」
「食べる!」
ベッドを降りてサクサクとクッキーを食べ始めたブルーに頬が緩むのがわかり、美代は紅茶を含むと窓の外を見た。太陽はすでに西へと傾きかけていて、ふて腐れた彼を宥めるのに随分と時間をかけたなと苦笑する。
「美代はん、雷斗たち、大丈夫かなぁ?」
「平気だよ。だって、バーナーだけでも問題ないのに、雷斗もボンドッツもダークも、ブラックまで着いて行ったんだよ? 襲う方が可哀想だよ」
「そうけど……」
「おー、お嬢ちゃんたち。ここにいたのか」
サファイアの声に振り返り、隣に座ってクッキーを頬張るブルーの頭を胸元に抱え込んだ。驚いて瞬きをしているのがわかるけれど、撫でてみればキュッと目を閉じている。
「お仕事お疲れ様です、サファイアさん。とりあえずもう一度お風呂に行きましょう」
「うん? ちゃんと行った後だぞ?」
「落ちてなかったら意味がないです!」
髪の毛には赤黒い塊をつけ、首筋にも汚れが着いたまま。よくよく見れば爪の間にも紅いものが入り込んでいて、昨日はどれだけ頑張って落としたのかと渋い表情を浮かべてしまう。
彼女がお風呂上がりだということは、間違いがないだろう。
なぜならばサファイアは、タンクトップにショートパンツという、実に目のやり場に困る恰好をして肩に布きれをかけているからだ。
「側近で王城の中なのに、そんな恰好でいいんですかサファイアさんっ!」
「サファでいいぜ、美代お嬢。ここの国王はこんなこと気にもかけないさ、力が全てだ、この国は」
「それは、同盟五か国のため?」
「も、あるな」
口角を軽く上げて笑ったサファイアは、遠慮なく部屋に入って来ると美代の隣に腰を降ろした。とりあえずブルーを放してやり、皿にある残りのクッキーを渡してリンに届けるようお願いすれば、元気よく頷いて駆けて行く。
それを見送り、美代は乾いた口内を紅茶で湿らせた。
「同盟というからには、なにかしらを結んでいるんでしょう?」
「そうだ。五つ、結んだものがある。
第一に、各国は互いに力を貸し合うべし。
第二に、いかなる理由があれど、人身売買または類似する行為を禁ずる。
第三に、各国間への出入国は税を徴収するべからず。なお、身分証明書は必要とする。持たない場合は徴収もあり得ると心得よ。
第四に、汝が隣人を愛すべし。不要な争いをするべからず。
そして第五に、同盟国が他国により攻め入られた場合、近隣の国は迅速に出兵するべし」
「国が五つだから、五つ?」
「それは偶然だな。各国の王が頭を突き合わせ、ルビーを中心としたオレ達四人が同席して決めたものだ」
ポンと机の上に出て来たコップと酒瓶を見て、美代は苦笑した。ブルーを外に出して正解だったかと、注がれていく二つのコップをぼんやりと見つめる。
「ほら、嬢ちゃん。飲めるんだろ?」
「まぁ、飲めないことはないけど……。サファさんは、今日も戦っていたの?」
「あぁ。死神に言った通り、しばらく闘技場は満員だ」
「死刑囚で?」
口に付けようとしていた酒が、ピタリと止まった。流すように見られたその瞳は刺すようだけど、そんな視線は旅の最中で何度も向けられている、と自身はコップへ口をつける。
「……なんだい。気付いていたのかい」
「バーナーはそう言う血生臭いのを私たちに見せたがらないけど、そんなに子供じゃないつもり。……ただ戦っただけで、あなたがお風呂に入っても落ちないほどの血を浴びると思わないんだ。だってバーナーと力比べをして、いい勝負が出来るほどなんだもん」
「バカを言えよ、嬢ちゃん。あれはあいつが加減してる、単なるじゃれ合いだ」
「だけどバーナーはそれを楽しんでる。きっと、バーナーが年相応に戻れるのは、サファさんやルビーさん、エメラルドさん、ダイアモンドさんの前だけだよ」
コップから漂う臭いには甘さは少しもなく、チロリと舌をつけてみただけなのに、鼻までアルコールが抜けていった。
口内にチリチリと刺激が残るのは、これまで飲んだことがあるお酒よりも度が強いせいだろう。
「米酒だ。死神は一等、これを好んでいる」
「……うん。甘いのが苦手なバーナーらしい」
「性格は甘ちゃんなくせにな」
クッキーの代わりに干し肉がテーブルに置かれ、美代は欠片を口に含んだ。これまで食べたそれよりも随分と柔らかく、しょっぱさがお酒にちょうどいいと目を細める。
「だからこそ私たちは、バーナーのことが大好きなんだよ。守られるばかりじゃなくて、守りたいって思うんだ」
「……いい仲間を持ったんだな。死神は」
自分のことのように嬉しそうな笑みを浮かべるサファイアに、美代は彼女のコップへとお酒を注いだ。反対に注ぎ返されかけて思わず手で蓋をすればキョトンとされ、ニヤリと口角が上がる。
「甘い方が好きかい?」
「うん、私にはちょっと、辛いかも。それに、あんまり飲めないの」
「それが良い、飲ませすぎたら死神にも怒られちまう」
グシャリと頭を撫でられて、美代は小さく首をすくめた。外を見やれば太陽がますます傾いていて、間もなく民家の屋根に差し掛かる。
「心配か? 美代お嬢」
「……心配してないって言ったらウソにはなるけど、そこまでは。だってみんな強いし」
「そうだ。それにスラマグトスまでは危険じゃない、死神の脇腹が心配なぐらいか」
「……脇腹?」
「魔方陣の制作者、あいつも死神のことが大好きでなぁ、見かけるたびに突進してんだ。あいつの身長的に、死神の脇腹辺りに衝撃がいくからさ」
「あぁ、死ぬぞってもしかしてそういうこと」
「そういうこと」
干し肉をかじり、酒をあおり、サファイアの頬が少しずつ赤くなってきているのがわかった。彼女が肩にかけているタオルをゆっくりと取って、キチンと乾かしていなかったらしいしっとりとしている髪の毛を優しくすく。
少しばかり赤く染まったそれを見ても表情を変えず、ゆっくりと拭いていけば、サファイアはくすぐったそうに身を捩った。
「サファさん、どうしてブルーはお留守番だったの?」
「あの子に怪我でもさせてしまったら、バンダナの持ち主がブチ切れるわ。あいつに子供がいた、なんて話は聞いたことないけど……それでもあれは間違いなく、あいつのバンダナだ。トレードマークを渡すほどに、大切にしている子なんだろうよ。協力してもらっている以上、守ってやらなきゃいけないさ」
「ブルーのバンダナ? が、関係あるの?」
酔っているようだと思って訊ねてみれば、案の定ころりと教えてくれた。
夕食はまだ食べていない上に、闘技場で戦ってきているために恐らく空腹状態。その上、お風呂上がりで体温が上がっているところにお酒を飲めば、普段以上にお酒の周りが早くなるのは当然か。
「なぁ、死神はどうして、二つ名前があると思う?」
「え、二つ? あ……死神と、紅蓮の?」
「そう。これは、一つの基準。オレ達、宝石四人衆が役人として初めて集い、各国に散ったあの日。死神もオレ達と同じ場所にいたんだ。
その時に紅蓮の悪魔という二つ名を与えた、死神と呼ぶ盗賊たちはその頃から存在していて、実力や秩序の面でおおよそ申し分ない連中。紅蓮や悪魔と呼ぶ盗賊たちは、まだ未熟な可能性が高い。知らない奴らは論外」
ここで盗賊の話が出るということは、サファイアが話している人物は盗賊家業をしているということだろうか。それなのに役人であるサファイアが、協力してもらっているという。
首をかしげながらも、疑問をひそめるよりはぶつけてみようと、顔を覗きこむように少しだけかがんだ。
「ブルーのバンダナの人は?」
「もちろん、死神と呼ぶ奴さ。たぶん死神とも張り合える。まぁ、オレ達としても敵に回したくない一人だな」
もしかしたらこれまで襲ってきた盗賊やならず者たちは、バーナーやバンダナの持ち主のことを知らない、若い人たちだったのかもしれないと思った。考えていると視界の下の方で肩が揺れているのが見え、無意識にサファイアの髪の毛をワシャワシャとタオルで拭いていたらしく、顔が熱くなるのがわかる。
「オレ達にとってあいつは、頼りがいのあり過ぎる弟みたいなもんだ。だけど外からの目もある、危険な目には遭わせたくないけれど、罰を与えないわけにもいかない。イヤな仕事だ」
「……バーナーがかばったことも、わかってて?」
「ソロプレイヤーだったあいつが、こうして誰かと旅をして、誰かのことを庇って、体を張ってでも守りたいと思えるようになっていて。姿を見なかった二年の間に何があったのかは、ほとんど聞いていないけどな。なんだ、本当に弟の成長を見ているようで嬉しかった。
そんな弟の想いを無視できなかった、役人としてはダメなオレのわがままさ」
「お姉さんとしては、当然の思いですよ」
「……ありがとうよ、お嬢ちゃん」
体を捻るようにして見上げられ、名前とは違う、ルビー色の瞳と視線がぶつかった。ふんわりと微笑んでいる様子はこれまでの男勝りなんて残しておらず、一人の姉で、伸びてきた武骨な掌で頬を撫でられる。
「死神たちが帰って来るまでは不安だろうが、ここで待っていてくれよ。必要とあらば私自ら付き添って、街の探検へも連れて行こう。お嬢の仲間たちにも不快な思いをさせないよう、全力を尽くしてもてなすよ」
「ふふ、ありがとう、サファさん。……少し酔っちゃったみたい、また国王陛下のお隣でご飯を食べた方がいいのかな?」
「あー、いかつい顔してるし体はでかいし、見た目はどう転んでも怖いけど。あぁ見えて、子供好きな王様なんだぜ。お嬢ちゃんたちのことが可愛くて可愛くて仕方がないのさ」
「うん、だから全然、怖くないよ」
そう言えば、申し訳なさそうな、嬉しそうな顔をして。
サファイアは再び、するりと美代の頬を撫でたのだった。
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サファイアに連れられて街の探索に行ったり、国王に付き添って公務の合間にお茶の時間を楽しんだり、兵士に無理を言って頼んで(サファイアからの静かな圧力があったことは、恐らく美代以外は知らないだろうが)剣術を学ばせてもらったり。
留守番を言いつけられたのがよほど悔しかったのだろう、擦り傷や打撲傷まみれになっても、剣を握って、ポロポロと涙を流しながら兵士に向かうブルーを何とか宥めて治療を受けさせたり。
なぜだか旅をしている時よりも忙しい日々を過ごしてしまい、美代はとうとうベッドに倒れ込んでいた。エメラルドからもらっていた薬代わりのハチミツ飴は悲しいかな、バーナーの空 魔 箱の中にあるため、眠気に従って目を閉じることしか出来ない。
「美代ちゃん、大丈夫?」
「んん……。リン、シャドウ?」
「熱は出てないみたいだね、だけどすごく具合が悪そう。ボクでよければ、少し魔力を流してあげるよ?」
体を起こそうとすれば止められて、美代は甘えてベッドの中に潜りこんだ。心配そうにのぞき込んでくる二人に緩く手を上げて、わずかばかり口の端を上げる。
「大丈夫だよ、ありがとう。これくらいなら慣れてるから、バーナーが帰ってくれば薬もあるし」
「もう少し、ボク達が早く気づいていればよかったね」
「平気、平気。ブルーとスノーは?」
「スノーちゃんはお昼寝、ブルー君は昨日の訓練で体が痛いらしくて、休んでるよ」
「美代ちゃん、お水を貰ってこようか?」
「サファイアさんの仕事の邪魔になっちゃう。休んでいれば治るよ」
バーナーは、五日もあればたどり着くし帰りはあっという間だと言っていた。ブラックかダークのどちらかに瞬間移動術を使ってもらうのだろう、ならば今日中にはサピロスに帰ってくるはずだ。
「シャドウ、リン。ごめんね、二人をお願い」
「うん。美代ちゃんはゆっくり休んでて」
小さな手でするりと頬を撫でられて、美代は長く息を吐き出すとそのまま目を閉じるのだった。
タタタタタッ。
と、軽い足音が軽快に響き、瞼をゆるりと開けた。体の節々が痛む、なんてことはなく、少しだけホッとしながらもベッドを降りる。
廊下に出るなり誰かと衝突し、寝起きということもあってそのまま倒れ込んでしまった。強かに頭部を打ち付けて低いうなり声を上げれば、突進してきた誰かが慌てて体を起こす。
「ごめんなさぁい! だいじょうぶ……きゃあ美代ちゃん! 久しぶりぃ!」
「うぅう……。え、エメラルドさん? どうしてここに」
「おチビィ! 走るなって言ってんだろうが、誰かにぶつかったら吹っ飛ぶのはお前……じゃなかった!」
「手遅レダナ」
「ちょっと! 美代さん大丈夫ですか、すごく痛そうな音がしていましたよ!」
「私はとりあえずサファイア殿を探してくるぞ」
「ん、雷斗、闘技場にいるみたい。だから、オレが行くよ。雷斗はブルーをお願い」
エメラルドの後ろからはバーナー達が慌てたように駆けてきていて、美代は倒れ込んだまま手を上げて応えた。涙目の彼女に手を貸して立たせ、後頭部に手を当てて治療術を唱えるとブラックは姿を消してしまう。
エメラルドは目をまん丸にして笑みを浮かべ、キャッキャと嬉しそうに笑い声をあげた。飛び跳ねる彼女の体をしっかりと掴み上げ、バーナーが眉間にシワを寄せる。
「ちったぁ落ち着け! 興奮してるのはわかったから!」
「すごいすごいすごい! 自分の魔力だけで転移をやってのける人がいるなんて! どうしてもっと早く紹介してくれなかったのさ紅蓮の、他にもいるの? 他にも、えぇっと……瞬間移動術だっけ? 使える人はいるの? それに今あの子サラッと白魔術も使ったよねぇ! きゃあああああああすごいすごい!」
「お、ち、つ、け!」
眼鏡の下でキラキラと輝く瞳に苦笑し、ボンドッツに支えてもらいながらバーナーのことを見上げた。見られたことに気が付いたのだろう、エメラルドをいつものように落とし、目線を下げてから例の飴玉を取り出す。
「大丈夫か、熱はないんだな?」
「熱はないよ、ありがとう。お久しぶりです、エメラルドさん。もしかして、転移の魔法陣の作成者って?」
「あたしだよー! 壊れちゃったんだって? でもなんでだろう。よほどのことがない限り壊れないと思うんだけどなー」
腕を組んで首をかしげているエメラルドの前に、大きな二つの影が現れた。パッと顔を上げて片方に勢いよく抱き着いて行き、もう一つの影は美代の事をヒョイと抱える。
「サファ―!」
「スラマグトスからはるばる悪いな、エメ。おかえり、死神。これにてお前への罰は終了だ」
「承知した。……こんなに簡単な罰でよかったのか?」
「いや、バーナーさん? あなたが一人で片付けていましたけれど、道中盗賊たちに三度は襲われてますからね?」
即座に突っ込むボンドッツに、もはや驚くこともなかった。サファイアとエメラルドも特に反応を見せず、当の本人もヒョイと肩をすくめている。
そうこうしていればリンがスノーを抱え、スノーがシャドウを抱えて集まり、雷斗がブルーを連れてきた。図らず全員が集合してしまい、サファイアもエメラルドの事を放す。
「じゃあ、エメ。早速見てくれ」
「りょーうかい!」
ぞろぞろと大勢で地下に向かい、魔方陣を隅々まで検査しているエメラルドの後ろでブラックがバーナーを凝視していた。頑なに視線を合わせようとしない彼は、頬を掻いて苦い笑みを浮かべている。
ブラックの目は暗に『これくらいなら自分が直せた』と言っているようだった。
「……サファー、魔物の子を転移させたときに、壊れたんだっけ?」
「あぁ、詠唱したら白い光が出るだろう? なのに重なる様、黒い閃光が走って、気付いたら壊れてた」
「たぶんねぇ、転移の際の魔力不足に誰かの魔力が反応して、魔力過多になって壊れたんだと思うよー。……ぶっちゃけサファの魔力、枯渇気味だった?」
「あー。まぁ、魔力が枯渇してたって言うよりも、貧血気味で公務をこなして集中できてなかった節はある」
「……魔方陣が壊れたのはお前のせいじゃねぇか!」
容赦のない回し蹴りが叩き込まれ、サファイアの体が壁に叩き付けられた。全身の筋肉を使って跳ね上がると即座に掴みかかっていき、上へ下へと入れ替わりながら取っ組み合いを始めてしまう。
「ほらほらぁ! こんな狭いところでケンカしないの!」
「むぅー、しょうがないなぁー。あ、ブラック! よかったらこの宝石に瞬間移動術を込めてくれない? この魔方陣の改良に使わせて―!」
「ん」
慣れているのか、サファイアとバーナーの取っ組み合いには一切触れず、コロコロと懐から宝石を取りだしてまとめてブラックに渡し、ダークも手伝ってそれらを魔道具に変えていって。
結局、留守番をさせられて長らく主人と引き離されていた使い魔が放って置かれたことに怒って吐き出した炎により、二人のケンカも終わりを告げるのだった。




