近寄りたい
翌朝。
熱や咳、体の怠さもすっかり取れてしまい、美代は学校まで来ていた。グラウンドいっぱいにテントが張られ、使えそうなイスや机が並べられている。
黒板の代わりにはホワイトボードが掛けられており、ガレキの中から探し出したのだろう、カーテンがホワイトボードを正面にして左右に掛けられていた。
「日除けかなぁ。……あ、これ、算数じゃなくて数学だ」
辺りを見てみると、確かに小学生の姿だけではなく、制服姿も見られた。
「そう言えば、尚人も家を出てたなぁ。あれだけ目立つ髪の毛なら、見つかりそうなものだけど」
なんとなく、歩きながら尚人の姿を捜していると、どこからか視線を感じた。校庭全体をぐるりと見回してみるが誰も自分を見ているようではなく、首をかしげる。
ふと気が付き、勢いよく上を見た。自分は、この町で、上空から自分を見ることが出来る人を知っている。
そしてそれは、予想通りの人物だった。
「ちょ……!」
美代は慌て、その場から全力で逃げ出した。人気のない場所を探し、河原までたどり着く。するとブラックが、目の前にストンと降りてきた。
「なぁなぁ、何で走ったんだ?」
「んーとね、ここで飛ぶのは、止めようね? すーっごく目立つから……」
頬の筋肉を引きつらせ、それでもどうにか笑顔を浮かべながら言うと、ブラックは首をかしげながらも素直にうなずいた。そのまま草原にペタンと尻を着けた彼の隣に、美代も腰を降ろす。
「今のも、魔力ってやつなの?」
「うん? 魔力じゃなくて魔術。魔術のことも知らないの?」
「あー……解った。その魔力だったり魔術だったり、その、他にもあるのかな? そういうのは、ここでは止めておこうね。目立つっていうか、なんというか……」
「ふぅん」
口を尖らせながらも、なんとなくは判ってくれたのだろう。足を投げ出すように座り直して空を見上げていた。それにつられ、美代も空を見上げてみる。
「なぁ、美代」
ポツンと呼びかけられ、美代は空を仰いでいる彼を見た。
「あの男、名前、なんて言うんだ?」
「……ウィング、だったかな。やっぱり気になるんだ」
ブラックは答えず、口の中でもごもごと、何度もウィングの名を繰り返していた。ふらりと立ち上がり、数歩進んだかと思うと姿を消す。彼のその行動に思わず声にならない悲鳴を上げ、目立つ行為のことをもっと詳しく説明する必要があったかと、美代は頭を抱え込んでしまった。
「ダメだ……あいつが、何が出来て何が出来なくて、どこがおかしいのかちゃんとわからないと、教えようがない」
と、念のために周囲を見てみた。やはり人気はなかったようで、長いため息を吐き出しながらもそこに横たわる。駆け抜ける風が、心地よかった。学校もサボってこのまま眠ってしまおうか、どうしようかと、軽く背伸びをする。
瞬間、美代は背に悪寒が走り、即座に体を起こすと辺りに視線を走らせた。誰かに見られたような、それも睨まれたような感覚があったのだ。
眉をきつく寄せて目を凝らしてみるが、辺りには誰かが隠れられそうな場所もない。首をかしげながらも草の動きを見て、ますます眉間にしわを寄せていく。
「気をつけないと、意識しないでも風が出てくるのか……。私もあいつのこと、言えないなぁ。ん?」
数回深呼吸をし、風を押さえつけようとしていると、風に紛れて声が聞こえた気がした。抑えようとしたそれを放ったまま、静かに耳を傾ける。
――彼が静かに、自分を呼んでいるのだ。
「……そんなに、会いたいか。オレに」
ポリ、と頬を指の腹で軽く掻き。
風に誘われるまま、美代は今日の学校をサボることを決めたのだった。
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「――ウィング、ウィング、ウィング。やっぱり見つからない、やっぱり聞こえない。どうしてオレが、探し出せないの」
ブラックは森の中で一人、木に力なく寄りかかりながら、俯いていた。どこか寂しそうに伏せられている目には薄く、涙が浮かんでいる。
「解らない。会いたい、話をしてみたい、オレが見れないあいつが何なのか知りたい」
「最初はオレと戦う気満々だったのにな」
突如かけられた言葉に、勢いよく顔を上げた。跳ね上がるようにして立ち上がると、目の前にいる彼の腕をきつく握り締める。
「お、お前!」
「いててて、そんなにきつく掴まなくても逃げねぇよ。オレに会いたかったんだろ、まっさか泣くほどとは思わなかったけど……」
腰をかがめているはずなのに、ウィングの頭は自分よりも下にあった。それでも彼は困ったような、戸惑うような笑みを浮かべながら顔を上げて、髪をクシャクシャと撫でてくる。
嫌いではない、心地よいそれに思わず目を細め、腕を握る手の力を少し弱めた。
「ウィング、ウィングはオレ達の、仲間なのか?」
ブラックの問いに、ウィングはわずかに首をかしげた。多少力は弱くなったものの、それでも腕に爪が食い込む程度には腕を握り締めている彼の表情は真剣で、どこか不安そうで、子供の様だと思った。なんとなく手を払うことも出来ず、質問にどう答えるか考える。
「美代は、違った。そうかなって思ったけど、ちょっと違った。でも、オレ達と違うのにあんな人間もいるんだな。って思って、ウィングも美代に似てるって思った。だから、オレ」
まくしたてるように話す彼に、目を丸くすると、思わず笑ってしまった。笑われた彼は瞳孔をギュッと縮め、手を離して数歩下がる。ザワリと髪の毛が動いた気がしたが、それでもウィングは笑みを殺さなかった。
「……たぶん、お前が言ってる仲間。っていうのは、オレは違うよ。だって」
その場に風を起こして耳を澄ませ、自分たちの他には誰の声もしないことを確認した。不安げに瞳を揺らすブラックのことを見つめながら、ウィングはゆっくりと息を吐き出して気を落ち着ける。
一度突風をそこに巻き起こすと、元の姿に戻った。
「ウィングは私だもん」
「……美、代?」
自身が巻き起こした風により、髪の毛が頬をくすぐっていった。ブラックの長い髪も同じように空を踊っており、丸くなっている紅い目に良く合っている髪色だな、と頬が緩むのを感じる。
「ごめんね、ウィングなんて知らない、なんか嘘を言って。でもあの時はそうでもしないと、私はブラックと戦うことになってたでしょ。……さすがに判ったよ。私じゃあなたと戦っても、勝てないって」
ブラックはふらりと足を進め、美代に近寄ってきた。ゆるりと伸ばしてくる手に、美代も何気なく、自身の腕を上げる。