魔物との遭遇
翌朝。
頭が痛いと訴えるブルーとリンに、微笑ましく思うような非常に照れくさいような感情を覚えながら、一行は宿を後にした。背負われる二人はそれぞれ、ボンドッツと雷斗の肩口に頭を押し付けるようにしている。
「大丈夫か、二人とも」
「うぅー。なんでこんなに痛いん……」
「ブルー君ごめんねぇ……。まさか、間違えて、お酒を買っちゃうなんて……」
「今日の夜までには違う町に着く予定だから、少し我慢してくれよ。ほら、ハチミツ飴」
コロコロと口に入れてやれば、二人はパッと嬉しそうに目を丸くして、顔を見合わせて小さく笑う。それを見て、昨晩の出来事もあり、一行はほっこりと微笑んだ。
不意に、ブラックの髪の毛がザワリと動き、バーナーとダークが瞬時に彼の視線の先を見た。小さな影が見え、反射的だろうかブラックにより背後に隠されていた美代も顔を覗かせる。
「ば、バーナー! なにあれ!」
「……『魔物』だな」
バーナーが答えた瞬間、『魔物』は茂みから飛び出した。
赤色に鈍く光る、瞳孔のない細い目をしたそれは、四足で背を丸めるようにこちらのことを警戒していた。小さな背中にはボロボロに裂かれた翼がついており、まるで猫のような尖った耳は、ぺったりと後ろに倒されている。
ドロリと流れる黒い影は、刻まれる傷口から流れていて、血のようだと思った。
「こんなところに? これまで一度も、遭遇しなかったではないか!」
「どうします、追い払いますか」
「待て待て、とりあえず武器をしまえ、詠唱もするなよ」
眉間にシワを寄せ、唇を引き締めていたダークに触れると、彼は体を跳ねて振り返った。額にじわりと浮かんでいる汗に首をかしげながらも布きれで優しく拭ってやり、ボンドッツ達の方へ押しやる。
「ドウ、スル気ダ」
「捕まえる」
「捕ラエテ、ドウスルトイウ!」
「ここからなら……同盟国のひとつ、サピロスが近い。そこに、連れて行く」
バーナーが近寄るとその魔物は空気を吐き出す蛇のような鳴き声をだし、ますます背中を丸めていった。ゆっくりと膝をついてそれに視線を合わせ、腕を伸ばす。
「あっ!」
「バーナー!」
牙を剥いた魔物が噛みつき、バーナーの腕から一筋の血が流れてきた。ダークがビクリと指先を痙攣させ、剣に手を伸ばしかけたのを、静かに制する。
「ブラック、ちょっとコートを貸せ」
「バーナー、大丈夫なのか」
「オイラは平気だ、何ともない。それよりもこいつをサピロスまで連れて行くあいだ、人目につかないようにしないと」
自身の腕を噛ませたまま抱きかかえ、ブラックのコートで隙間なく隠してしまった。じたばたと暴れていたけれど、腕の中に閉じ込めてしまえばそれ以上の抵抗も意味をなさない。
「どうするんです、なぜ、そこまで連れて行く必要が?」
「魔物には魔物の縄張りがある。人里に下りてくるのは、群れからはぐれてしまったか好奇心に負けて出て来たか、大体そんなものだ。なら、群れに帰してやればいい」
コートの中から引っ張り出した腕は、噛まれた状態で無理やり引っこ抜いたのだろうか傷口が抉れたようになっていて、ボンドッツと雷斗が声なき悲鳴を上げながら慌ててリンとブルーを隠した。ブラックが苦笑して治療術を唱え、シャドウもスノーの目線に浮かびながら、さりげなく見えないようにする。
「てことで、目的地を変更する。人里にもしばらくは入れない、悪いな」
「いや、人里に入れんのは構わないのだが……大丈夫なのか?」
「バーナー、近くで見てもいい? 魔物って、見るの初めてや」
かすれた鳴き声を上げながら暴れていたそれは、すっかり大人しくなり、代わりに震えているようだった。雷斗の背中からいつの間にか降りているブルーがそっとコートをめくり、背伸びをしながら覗き込む。
美代も同じように覗き込み、ツキンと頭痛がして視線をそらした。コートを力一杯噛みしめて睨みつけてくる魔物は、怯えている。
「オレのコート……」
「あとで修 復 術でもかけてろ。……ダーク、大丈夫か。随分と顔色が悪いぞ」
声を掛けてみればまばたきをし、魔物から目を外した。大勢の視線にさらされているそれを隠すよう、コートで包み直し、布越しに優しく撫でる。
「大丈夫ダ。……ソノ、サピロスニハ、ドレホドデ着ク?」
「十日ほどはかかるだろうよ。そんなに不安そうな顔をするんじゃない、大丈夫だって」
サーっと血の気を失っていく面々に、バーナーは弱々しい笑みを浮かべた。雰囲気の変化を敏感に感じ取ったのか、再び暴れはじめたそれを落ち着かせるよう、トントンと優しく叩く。
『ぱぱ、たすけて!』
「えっ」
「叫んだ!」
「な、仲間を呼んだわけでは、あるまいな?」
「お前たちが変に怯えるから、伝染してるんだろうが! 良いからオイラに任せとけ!」
魔物がか細く叫んだ『なにか』が、美代にはキチンと聞こえた気がした。ふぅふぅと呼吸も荒くバーナーの腕を抜け出ようとするそれを凝視して、ズクズクと脈打つこめかみをきつく押さえる。
「とりあえず、進むぞ。いいか、必要以上に構うなよ!」
夜はバーナーやダークが抱え込むようにして見張り、傷まみれの体にせめてもと、包帯を巻きつけてやれば怯えて噛みつかれ、流血した美代を見て騒ぐ一行にますます怖がって暴れる魔物を、どうにかこうにか落ち着かせ。
そうしているうちに、少しずつでもバーナー、ダーク、美代の三人への警戒心が解けたのだろう、果物を与えてみればパッと表情を明るくしたのを見て、感情があるのだと感動を覚え。
晒されているよりも隠れている方が落ち着くのだろう。一日のほとんどをコートの中、バーナーに抱えられているために、怯えて暴れるたびにボロボロになっていくコートを見て遠い目をしているブラックを宥め。
とうとう、サピロスの首都に入ることが出来た。
結局、魔物が叫んだのは一度きりで、美代は自身が聞いた声の真偽を確かめる事が出来なかった。今はバーナーが抱えるコートの中で眠っており、その彼は首都にある大きな道を進んで行った先にそびえ立つ闘技場に入って行った。
「なんだ、ここは子供が来るところでは」
「サファイアに用がある、闘技場の主は今どこに」
「サファイア様に? どういった用件だ、彼女は今、決闘中ぞ」
「あの脳筋が!」
戦斧を持った兵士二人に話かければ小馬鹿にしたような返事をもらい、バーナーは片手で頭を抱えた。そんな彼を横目にして、美代はチケットのもぎり場をスルリと抜けて中に入り、熱気に押されて思わず咳き込んでしまう。
楕円形のスタジアムに並ぶ客席には隙間もないほどに人が座り、中には通路や一番後ろに立って見ている人もいた。闘技場、というのだから歓声がすごい物だろうと思っていたけれど、声を出している人は誰もいない。
それなのにこれだけの熱気があるのは、みんなが声を出すことも忘れるほどに集中し、興奮しているからだろう。
「美代、とりあえず宿に入ろう。あいつがあそこに立ってるんなら、しばらくは出てこない」
「バーナー、戦っているのは、サファイアさんと誰なの?」
「……知らなくていいよ。ここは、そういう国なんだ」
コートを抱えたまま、差し出された手に、美代は一度振り返ると闘技場の中央、スタジアムにいる二人へと視線を運ぶ。
以前出会ったときにバーナーと楽しそうに会話をしていた女性が、地面に伏せる男性をつま先で蹴り上げ、胸倉を掴み、牙を剥いているのが見えた。
「美代」
「あ、うん」
再度声を掛けられて、今度こそバーナーの後を追って歩き始めるのだった。
「――死神いいいいい!」
「うっわ、来やがった!」
野営続きで疲れていたのだろう、まどろんでいたスノーとブルーを眠らせ、自身も宿で休んで入れば怒号が聞こえた。ボンドッツとダークがサッと警戒したのを渋い顔で宥め、コートを抱えて部屋の窓から顔を出す。
「るっせぇぞ脳筋女! 休んでる仲間がいるんだ、ちったぁ静かに訪問しやがれ!」
「連絡ひとつ寄越さず、来やがって! こっちの予定も考えろってんだ!」
「血みどろじゃねぇか! せめて落として来いよ!」
バーナーの隣から顔を覗かせて、目を丸くしてしまった。
サファイアは頭から足先まで全身が赤くなり、乾燥したのか服はどす黒いものになっていた。バーナーが慌てて頭を押し込み、美代がそれを見ないようにしてくれたけれど、なぜだか鼻孔に血の臭いがこびりついたような気がして口元を押さえる。
ドスドスドス、と大きな足音が聞こえて来たと思ったら、勢いよくドアが開かれた。その瞬間にバーナーが訪問者を蹴り飛ばし、床に押し付けてギリギリと胸倉を掴み上げる。
「あのな、サファ? あれの後のお前は、慣れてない奴からしたら、刺激が強すぎるわけよ。とりあえず先に、血を流せ」
「オレに急ぎの用があったんじゃねぇのかよ。兵どもに聞いて、慌てて追っかけてきてやったのによ」
「急ぎは急ぎだが、美代たちにいらんことを教えたくないんだ。わかるな」
「……へいへい。これは入城許可証だ、二時間後くらいに来い、国王もお前との謁見を楽しみにしている」
ペシンと顔に叩き付けられた木の板に、バーナーのこめかみが青筋を浮かべた気がした。ギリギリと筋肉だけでバーナーを押し返し、ケタケタと笑う女性を見て、ボンドッツとダークは顔を引きつらせる。
「なんです、あの……女性?」
「あの人がサファイアさんだよ。悪い人じゃないんだけど、ちょっと男勝りすぎて……」
「おー! 嬢ちゃんたちも久しぶりだな! またあとで、城で会おう。待ってるぜー!」
笑いながら背負い投げにしたバーナーを床に叩き付け、ヒラヒラと手を振ると全力で走り始めた。伸ばした腕は無論、サファイアには届かずに、拳を握る。
「あんのクソ野郎!」
「バーナー、大丈夫カ?」
「あ、あなたならあの程度、往なせたのでは……?」
「あいつ、たぶんブラックですら軽く抱えあげるぞ」
この一行で一番背が高く、両手剣を片手で、時には分離させて二刀流で使える程度には筋肉もあるためにそこそこ体重があるだろうブラックに視線が集中して、彼は思わずゆっくりと隠れていった。信じられんと言わんばかりに目を丸くする二人に苦笑して、ベッドの上に置いたコートを見る。
「それに、国王陛下があなたとの謁見を楽しみにしていると」
「この国のシンボルが闘技場だっていうのからわかるだろうが、国民性として戦闘が好きだ。見るのもよし、自分で戦うのもよし。国王は後者で、サファを通してオイラが火炎族だということを知っている」
「あぁ、なるほど」
「あとで城に向かうから、それまではゆっくり休め」
床に転がったまま額に手をやり、ため息を零していた。サファイアに触れた場所にカサカサと赤黒いものがこびりついていて、近寄ってきた美代を部屋に入る様促す。
「……バーナー。コロッセオってわかる?」
「うん?」
「……ううん、なんでもない。行くときには起こしてね、少し寝るよ」
少しだけ、あの闘技場が持つ意味を解ってしまったような気がして、バーナーがそれを隠そうとしてくれていることに気付くことが出来た。
彼のその優しさを暴いてしまわないよう、美代は微笑むと部屋に戻っていくのだった。




