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冒険記  作者: 夢野 幸
ニルハム編
50/138

負と闇の化身


「私の心に踏み込むな!」


 金切り声をあげた美代は確かな拒絶の意を持って、シャドウのことを睨みつけた。それのなにがおかしいのか、相変わらずケラケラと笑い続けている彼に、ブラックは目を閉じて眉間にシワを刻み込む。


「ブラックに質問。心眼能力者が力をコントロールするほかに、心が見えない時がある。それはなんでだったかなぁ?」


 呼ばれたブラックは肩を跳ね、薄く目を開き、唇を痙攣させた。


「……心を、閉ざしているから」

「正解! 良い子だね、ちゃんと覚えてた。じゃあもうひとつ。……美代ちゃんの心はどうだった?」

「ふざけるな、ふざけるな! 土足で入ってくるな、暴いてくるな!」

「もう、ボクはブラックと話をしてるの。ジャマしちゃダメだよ?」


 ニコリと微笑んだ彼が小さく詠った瞬間、美代の喉からは空気が走るか細い音しか出なくなっていた。とっさのことに驚いたボンドッツが声を掛けようとして目を丸くしながら喉元を押さえ、ダークが微かに舌打ちをする。


静 寂シュティレ、三人はしばらく静かにしててね。ブラック、教えてごらん? きみが仲間かもしれないと言った、彼女のことを」

「お前はシャドウじゃない。シャドウの姿をした何者かに、何かを話す筋合いなんて」

「じゃあボクが答えてあげる。彼女は心眼を持たないのに、ほとんどなにも見えやしない」


 ギリ、と奥歯を噛みしめる音が妙に大きく聞こえた。ブラックは美代のことを腕の中に閉じ込めたまま、血の気を無くして白くなってしまっている彼女をコートの中に隠してしまう。


「人の心に入り込むのは得意なくせに自分の心は見せやしない、他人はあっという間に絆すくせに自身は簡単に絆されやしない臆病者で。

 困っている人は見捨てられないくせに、手を差し出されるのは大嫌いな弱虫で。

 独りぼっちは怖いくせに、自分が受け入れた人以外が傍に居るのはもっと怖い、可哀想な子。

 ……ブラック達が羨ましかったんでしょう? ひとでなし」


 クツリと低く笑う声が聞こえた直後、ブラックは腕を払われて、呆然と懐から抜け出していった美代を見た。静かに涙を流す彼女はきれいな笑顔を浮かべているのに、空色の瞳は凍てついている。


「そっかぁ。そんなに見えてるんなら、隠したってムダだねぇ」

「み、美代……なにを、なんで、術が」

「うるさいなぁ、私が大好きな人たちを奪っていったくせに。

 自分で自分が何者かもわからない、こんなにも気味が悪い子を受け入れてくれた場所を、奪っていったくせに」


 冷ややかな言葉に伸ばしかけた腕はビタリと止まり、その腕を強く引かれて、泣き出しそうな目をダークに向けた。彼が言いたいことがわかったのだろう体 浄 化ソーマ・カサルシィを唱えれば、ボンドッツが即座に口を開く。


「突然何を言い始めるのです! あなたには仲間がいたじゃないか、それなのに私たちが羨ましい? なにを!」

「自分と違うというだけで怯えて嫌悪する、そんな人たちと一緒にいたら、いつ危害を加えられるかわからないじゃん。そこの小人さんが言った通り、私はあんたと同じ人非ざるものひとでなしなんだから」


 ダークの唇が、戦慄いたような気がした。一歩近寄れば二歩離れ、瞳孔を細くして目を半ば閉じる美代に、ボンドッツは息を飲む。


「それでも私はあんたが羨ましいよ。ボンドッツはちゃんと、自分が何者かわかってる。……自分がなんなのかもわかってない私とは大違いだ」


 反論しようとしたボンドッツの肩に手を置いて、ダークは美代の言葉をただ待った。肩を揺らしながらクツクツと笑い、髪の毛をいじり始めた彼女は冷たく細く、唇をゆがめる。


「昨日聞いてた人たちならわかるでしょ、私の言葉。自分が伝えたいことが爪先ほども通じない、周りの人たちが何を言っているのか、一カケラも解らない。それが、どれだけ怖いか判る?

 あんた達は言葉が通じたんだ、そんな中で壊れる事を選べたんだろ。

 私は選べなかったよ。選べるわけがないさ、力も知恵も知識もない、右も左もわからない四つの女の子がどうやって壊れるんだろうね」


 見る間に顔色を悪くしていくダークに首をかしげながらも、ブラックはシャドウを警戒し、美代の話に耳を傾けた。一瞬、幸せそうな表情を浮かべた彼女は次の瞬間には怒りに顔を歪め、ボンドッツの瞳を捕らえる。


「だけど。あの世界でたった三人、こんなにも気味が悪い子どもをまるっと受け入れてくれた人たちがいたから。あの人たちが居てくれれば、それだけでよかった」

「み、よ」

「同情は真っ平ごめん? あぁ、ごめんだね!

 シャロムのどこにもなかった居場所をくれて、私の全部を受け止めて受け入れて愛してくれた場所を奪っていったあんた達を、私は絶対に許さない!」

「よく言えました、ひとでなしの子」


 侮蔑の言葉を投げかけるシャドウに向けて放たれた雷の刃は、魔 弾 盾マジア・シルトの前に閃光を走らせながら散っていった。目を血走らせるブラックの髪は逆立ってしまい、詠唱が聞こえないままに使われていた稲 妻 刃ブリッツ・ドルヒに美代はわずか、目を丸くする。


「これ以上、美代の心に踏み込むな。シャドウの姿で口を利くな、虫唾が走る」

「おや、聞こえてなかったの? 美代ちゃんはきみ達のことも、許せないってよ」

「関係あるかよ。周りからの敵意や殺意が怖くて、全部を壊していってたオレを受け止めてくれたのは美代だ。 

 オレの家族を正面から受け止めて、助けてくれたのは美代なんだ。今さら手を放せと振り払われても絶対に放してやらない。……嫌われててもいい、恨まれてたって仕方がないさ。お前が嫌いだと、美代に殺されるなら……オレは腕を広げて受け入れる」


 これまでに聞いたことのない、ブラックが出した殺意に満ち溢れた声に、美代は小さく喉を鳴らしてその場に崩れ落ちていった。不意に背中を撫でられて顔を上げれば、悲痛な表情を浮かべるダークがいた。

 その腕を押し返そうとすれば、冷たい手に掴まれて、反対側に顔を向けた。

 普段の冷たい目つきと表情はどこへやら、泣くことしか知らないような幼子のように、顔をクシャクシャにしたボンドッツが座り込んでいる。


「なにさ。腹が立った? 辛いのはお前じゃない、自分たちの方だ、とでも言いたい?」

「……私は、私たちのことしか考えられなかった。他のことなんてどうでもよかった。

 それなのに、リンを助けてくれて、ブラックを受け入れて……笑顔を取り戻してくれたあなたが。そんな思いを抱えていたなんて、悲しすぎます」 


 しゃくり上げるような呼吸をしながら喉を鳴らし、顔を歪めて震えているのに、ボンドッツの目からは涙の一滴も零れなかった。流すことが出来ないのだ。

 そんなボンドッツに目を伏せて、チラと前を向けば肩越しに振り返っていたブラックと視線がぶつかった。シャドウに向けている殺気とは裏腹に、温かい目で見つめられ、耐えられずに顔を背けると本当に小さく名前を呼ばれて。

 肩を震わせながら見上げれば、頬にぽたりと、水滴が落ちてきた。


「……今ハ、意味ガ解ラナクテ構ワナイ。スマナイ、美代殿。本当ニスマナイ……」

「そろそろいいかなぁ。ボクはその子のことが欲しいんだ、光と闇とを、半分ずつ持った心。すごく、美味しそう」


 次の瞬間、ダークにきつく抱きしめられて、美代は全身が総毛立つ衝撃波に吐き気を催しながら体を緊張させて目を閉じた。グラリと体を傾けたダークは、いつかシャロムで斬 裂 血フィロ・ブルッドから守ってくれたブラックを思い出し、慌てて這い出ると目を丸くする。


「美代さん……瞬間移動術レガ・ハラフを、逃げて」

「ボンドッツ、ダーク!」

「魔力を、外側に向かって爆発させたの。……よく、反応出来たね。まぁ、反応できるだろうなと思って、やったんだけど」


 隣にいたはずのボンドッツは吹き飛ばされて廃屋の壁を突き破り、背を丸めて咳き込みながらも立ち上がろうと震え、庇ってくれたダークは焼けた服の下で背中が焼けただれていた。ならば最も近くにいたブラックはどうなったのかと、勢いよく顔を上げる。

 黒いコートの色を変え、髪を乱れさせ、呼吸も薄く倒れていた。パキン、と乾いた音と共に何かが壊れていき、彼が魔力の壁を建ててくれていたのだと初めてわかる。


 シャドウは、反応が出来た、と言っていた。もし出来ていなかったらどうなっていたのかと、背が凍る。


「ブラック、ブラック!」

「あぁ、臆病で弱虫で、可哀想な美代ちゃん。それにもうひとつ、足さなきゃね」


 一目でひん死の状態にあると判るブラックに駆けよれば、頭の上に、小さな手が優しく置かれた。瞳を揺らし、見上げれば、黄色に光る瞳孔と、血の色をした白眼が微笑んでいる。


「大好きな人たちを、嫌いになれない悲しい子。きみは全てが中途半端で、誰もかれもを助けて傷付ける。その心を、ボクに頂戴」


 シャドウの体から、どろりと、闇がこぼれ落ちた。質量を持つそれは頭に置かれた腕からするりと中に入ってきて、血潮が引いて行くのを感じる。


「っ……治療術リペ……!」


 脳に霞がかかり、たった一つの術を唱えるのも、自身の喉を、口を動かすだけのことなのに全力で向かわなければならなかった。震える指先でわずかにブラックに触れ、本物の人形のように落ちていくシャドウの体を受け止めると優しく床に置く。


「ぅ、う……!」

「っ、美代、美代!」


 伸ばした手を鋭く払われ、ブラックは舌打ちを漏らすとシャドウを拾い上げてダークの傍に来た。ボンドッツはなんとか自力で歩いてきたようで、頭を抱えて体を丸める美代を見つめて唇をきつく噛みしめる。


完 全 治 癒テリオ・リペイ修 復 術メティス・ティ

「スマン……白魔術ヲ二ツ、同時ニ使エルダケノ魔力ハ、残ッテイタカ」

「……治療術リペと一緒に、美代がくれた。ダーク、どうしよう! 美代の中に何かが入った、たぶんシャドウを操っていたやつだ!」


 腕の中でシャドウが身じろぎをして、ブラックは息をつめて視線を向けた。震えるまぶたの下からアメジストの瞳が現れて、思わず力が入る。


「シャドウ、シャドウ。大丈夫? オレがわかる?」

「……ブラック、ボクは……? なかに、いた、魔物は」

「魔物? シャドウの中に居たのは魔物なの? 状況、説明……オレを見て、全部教える、オレを見て。シャドウ、お願いだ、美代を助けて!」


 泣きじゃくるブラックに目を丸くし、心配そうに近寄ってきたボンドッツの頭へ手を伸ばして優しく撫で、顔を歪めるダークに彼の視線の先へと顔を向けた。


「女の子……あぁっキャバシュグアル! きみは今度は、そんな小さな女の子に取りついたのか! ブラック、見せて!」


 目と目を合わせたまま、瞬き一つせず、シャドウはブラックの顔に抱き着かんばかりに彼の額へ自身の額をぶつけた。ブラックも動揺することなく、しっかりと体を支えたままシャドウの目を見つめ続ける。

 ほんの数秒の出来事だったのに、アメジストの瞳を湿らせて、未だうずくまる美代に視線を向けた。ブラックの腕から抜け出ると自身の力で宙に浮き、手の甲で目元を強くこする。


「ごめんね、みんな。弱かったボクのせいだ」

「いいやぁ……きみの。おかげ、だよ」


 それは、ゆらりと立ち上がっている美代が言った言葉だった。開かれたまぶたの下から現れたのは、澄んだ空色の瞳ではなく、白眼が血の色をした不気味に輝く黄色い目。


「うぅん……あんっ、馴染むのに、時間がかかりそうだなぁ。そっかそっかぁ、だから人非ざる子……あぁ、でもすごい。どうしたら、こんな感情ができあがるの? すごぉい、こんなに美味しい感情……はじ、めて」


 せっかく立ち上がったのに脱力したようにして崩れ落ち、恍惚な表情を浮かべながら両手で頬を覆いこんだ。緩く開いた唇からは熱い吐息がもれだしていて、身震いと同時に自身を抱きかかえるようにして体を丸める。


「ふふ、きみ達の闇も、とぉっても美味しかったんだよ? でもね、濃厚すぎて、辛くなってきてたんだ」

「キャバシュグアル、と言ったか。いったい何を言っているんだ、美代の体を奪って……何をするつもりなんだ!」

「どうにもしないよ。ボクはただ、美味しいご飯が食べたいだけ。きみ達だって生きていくのに食べるでしょ? ご飯」

「フザケタ事ヲ。食事、ト? ソレデ、シャドウ殿ノ体ヲ奪イ、美代殿ノ体ヲ奪ッタト言ウノカ」


 ドスの聞いた声にキャバシュグアルは柔らかく微笑んで、今度こそ立ち上がった。嬉しそうに美代の体を隅々まで見回している『彼』は何かに気付いたように顔を上げて、腰を曲げた綺麗なお辞儀をする。


「さっきシャドウが教えてたけど、ボクの名前はキャバシュグアル。負と闇の化身で、きみ達が言う魔物とは違う、純粋な魔物」

「闇が美味しいと、言っていましたね。あなたの言う食事とは、なんなのですか」

「マイナスの感情。きみ達の怒りと憎しみと恐怖も美味しかったけど、いくらボクでもそろそろ無理。甘味が好きな人が、口の中に直接ハチミツを流し込まれ続けても胸やけを起こすでしょ。辛味が好きな人が延々とそれを食べ続けたら、内臓を壊しちゃう。

 そんな状態になって困ってたら、ブラックがこの子の事を教えてくれてさ。きみを通して、この子の事を知って。きっと、美味しいんだろうなって」


 拳を握る音が聞こえ、ダークはブラックを盗み見た。噛みしめた唇から血が流れていることにも気付いていないのか、充血した目を見開いて、キャバシュグアルのことを睨み続けている。


「光と闇と、半分こ。持ってる魔力も申し分ないし、瞬間移動術レガ・ハラフも普通に使えちゃう。小人じゃないから、人里にも入れるしね。わぁ、なんて良い体だろう!」

「ふざけるな……美代の体は、美代は絶対に返してもらう」


 キョトンとして、怒りに歪むブラック達の表情を見るなり嬉しそうな顔をしたキャバシュグアルは、四人の背後に視線を止めながら丁寧に礼をした。


 直後、感じた魔力に、ブラックは鋭く振り返るのだった。



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