美代
唇を薄く開いて鋭く息を吐き出し、ギシリと腕を鳴らしながら全力で振るわれるエペを顔色一つ変えずに躱して距離を取り、ブワリと髪の毛を動かしてボンドッツの体を吹き飛ばした。一度ブルーの傍に寄ると自分の剣の片割れに軽く触れ、まるで歌うように詠唱を終えると再びボンドッツに向かって行く。
ただ吹き飛ばされるのを否として、 影 縫 、光 球、疾 風 斬を、息継ぎもなく一気に唱えた彼に、ブラックは眉をよせた。
飛ばされて宙に浮いた体を、影を地面に縫い付けて止めた直後、光の珠で自由の身になった刹那にカマイタチを放つ。
そのカマイタチを歪 舞 地で生み出した土の壁で受け止めて、チラリとブルーとスノーに目を向けた。茂みの向こうには雷斗の姿も見えて、魔 弾 盾を張りながら彼に近づいて行く。
「雷斗、ブルーとスノーの傍にいてあげて」
「な……何が?」
「見てのとおり、ちょっとボンドッツと喧嘩中。大丈夫、魔力の限界が来ないうちに終わらせる」
平然と会話をしている彼の背後には、斬 裂 血や爆 舞、稲 妻 刃が立て続けに炸裂しているのだが、それらは全てブラックが張った魔力の壁に阻まれてこちら側には衝撃波すらも届いては来なかった。目を丸くしていると不思議そうに首をかしげられ、雷斗は彼の指示通りに、不安そうに体を震わせるブルーの近くに腰を落とす。
「随分と、馬鹿に、してくれますね……!」
「ボンドッツ、止めよう。お前じゃオレには勝てないし、オレはお前と戦いたくない。それに略式詠唱をそんなに立て続けにやったら、倒れちまう」
「例え私が倒れようと、関係ありませんね。シャドウ様の命に、恩師の命に、従うのみです……。それに私はあなたと違い、人を許すことが出来ない!」
まるで悲鳴のようなその言葉と同時に放たれた地 雷 撃により、張っていた魔 弾 盾は砕け散った。振り上げられていた剣を冷静に受け止めて、表情を歪めるボンドッツに深いため息を漏らす。
「なぜあなたが許せる! あなたを理不尽に傷つけた奴らを、リンを、私を……! ダークを! 違うからと傷つけた奴らを! なぜ、あなたが止められるのです!」
「ボンドッツ、オレは許したわけじゃない。だけどな、無差別に嫌うのは止めたんだ。だって全部を嫌って傷つけるのも、違うからと言って、嫌って傷つけるのも。同じだから。
それに美代たちは、こんなオレのことを、ちゃんと受け止めてくれたんだ」
対峙しているボンドッツのものでもなく、無論自身でもなく。
ここにいる誰でもない魔力を感じ、ブラックは髪の毛をザワリと動かしてそちらに視線を向けた。瞳を揺らしてわずかばかり敵意を削がれているらしいボンドッツの剣を弾き、なぜかそこに立っている人物に目を丸くする。
「み、美代?」
顔色は決して良くはなく、薄く開かれたまぶたの下で、空色の瞳はどこか虚ろに彷徨っていた。ふらふらと体を揺らしながら不安定に立つ彼女に、視界の端でギラリと、殺気が光る。
ブラックよりも早く美代に近づいたのは、ボンドッツだった。目の前に移動したかと思えばその手首を握り、剣の宝石へと震える手を乗せる。
あとは、それに魔力を流すだけで、美代を連れて行くことが出来た。
それなのになぜ、今、天と地が引っくり返っているのだろう?
「美代はん!」
「美代殿!」
先ほどまでスノーの体を預けていた岩に背中から叩き付けられたらしいことがわかり、ボンドッツは訳も判らないまま、美代のことを見上げていた。相変わらずぼんやりとしている彼女の表情からは感情を伺えないが、その体を取り巻く風に目を丸くして、即座に体勢を整える。
「美代さん、あなた……!」
「……&%#‘*」
ポツン、と美代が零した言葉を拾えた者は、一人もいなかった。
だって今までに、一度も聞いたことのない響きだったのだから。
彼女を守る様に走っていた風が形を変え、全てを吹き飛ばす疾風となって自身の身に降りかかった。とっさに体を低くして地に這えば、背後でゴトリと聞こえた低い音に血の気を引かせて振り返る。
岩が、横一文字に、斬れて落ちてしまっていた。
「美代!」
もし、ボンドッツの反応が遅ければ、彼の体は今頃半分に別れていたかもしれない。
青ざめながらも美代の体を後ろから抑え付ければ、こちらを見ようともしない彼女により引きはがされた。そのことに目を丸くしながらも、使われた術と言葉にただただ、言葉を無くしてしまう。
「闇 人 形……?」
少なくとも、まだ自分が美代には教えたことがない術。あるいはそれに類似したもの。
対象者の影を操り、名のとおり闇の人形として操る術だ。自身の手を引きはがした者は自身の影で、分身であるそれは自身と同じ力を持っている。
だが、美代が呟いた詠唱は、自身が知るそれとは程遠い響きをしていた。ほとんど意識なく唱えたのだろうその術は、体を引きはがすという役目を終えると砂のように崩れていき、ブラックはバクバクとうるさい心臓を押さえつけながら美代を見つめる。
足取りもおぼつかなく、見ていて心配になるほど体を揺らしながらボンドッツに近づいてく彼女は、ぶつぶつと何かを呟きながら再び風を纏っていく。
(たすけなきゃ)
(とおさまを、みんなをたすけなきゃ)
(やめて、やめて。きずつけないで、せいのだいすきなひとたちを、きずつけないで)
聞こえてくる言葉と『聞こえて』くる言葉の差に、ブラックは目をきつく閉じて耳を塞いだ。ただ美代の声だけに集中し、他の声を遮断する。
(やだ、やだ)
(たすけて)
(こわいよ、たすけて)
(せいがもっと、まじゅつをしってれば。ちゃんと、えいしょう、できてれば)
「ブラック! 美代はんを、美代はんを止めな!」
「わ、私たちでは無理だ……! あのままでは、ボンドッツが!」
両側から強く腕を引かれて、ドッと汗が噴き出すのがわかった。声もなく涙を流すスノーの頬を拭ってやろうとしても、自分の掌が汗でぬれているのでは意味がない。
頬に幾筋の跡を残しながら涙を流す彼女の突風を、かろうじて避ける事しか出来ずにいるボンドッツは、自分がほんの少し目を閉じている間に切り傷まみれになっていた。足を裂かれ、頬を切り、胴を打ったのだろうか腕で押さえながら美代から逃げている。
瞬間移動術を使ってこの場を離れてくれ、と思っても、最初に吹き飛ばされた際に取り落としていたのだろう、彼の剣は美代の足元にあった。
「美代……」
「いたっ……! 美代? なんでこんなところに!」
息を切らし、顔色も悪く走ってきたバーナーは、そこら一体に風を走らせて木々や土を巻き上げている美代の姿を見て声を荒げた。一見してわかるほどに魔力が枯渇している彼の体を支えながら少しだけ流してやれば、なんとか呼吸が整ったらしい。苦しげな咳を数回すると、すぐに体を起こす。
「バーナー、何があったんだ?」
「知らん! オイラが洞窟の外でダークと戦っている間、入り口の出入りはなかった。のに、美代の姿が消えてたから! 慌ててお前を捜しにきたんだ、そしたらあいつがここにいる! なんでだよ!」
「オレ達にもわからないんだ、気付いたら美代がここにいた。なぁ、バーナー。教えてくれ、美代が今話している言葉……美代の世界の、言葉なのか?」
ふわりと毛先を浮かせながら、ボンドッツの周りに魔力の壁を張り、美代の風を上空へと受け流せるよう形を変えた。無意識のまま放たれるそれは加減を知らないようにすさまじく、眉をピクリと動かしてしまい、それに驚いてしまう。
(オレ、そんなに魔力を渡したわけじゃないはずなのに。他にも誰かが、渡した? だけどそれに耐えられるほど、美代の器は)
「ちがう、あれはシャロムの言葉じゃない……美代はどうしちまったんだ! ダメだ、早く止めないと!」
飛び出そうとしたバーナーの襟首を掴んでブルーと雷斗の傍に放り、ブラックはぜぇぜぇと苦しそうな呼吸をするボンドッツに近寄って正面から美代のことを抱きしめた。体を跳ねた美代は頭を振って離れようとするが、落ち着かせるよう背中を撫でてやる。
「ボンドッツ、今のうちに逃げて。剣を取れる?」
「いまの……状態で、私が、あそこまで、行けると……?」
口の端から血を流しているということは、内臓を傷つけたということだろうか。体をわずかに動かすだけでも我慢できないほどの痛みが走るのか、表情を歪めてうめき声をあげ、空咳に交じって散った血液が地面に染みをつけていく。
全力で暴れまわる美代の風からボンドッツと自分を守り、他に被害がいかないよう力の方向を変えている今、彼の傷を癒してやるのは厳しかった。
気を逸らせば、自身も美代の風に飲みこまれてしまいそうだった。
「ボンドッツ!」
声と同時に横抱きにされ、ボンドッツは目を丸くした。そのまま身軽に美代とブラックの脇を駆け抜けていく最中、グッと身を低くした彼のおかげで自身の得物に手が届く距離になり、歯を食いしばって腕を伸ばす。
柄に指が引っかかり、無理やりに握りこむと、それを確認したかのように彼は再び加速した。ブルーや雷斗の傍に降ろされたと思ったら彼らに体を支えられ、戸惑ったように視線を上げる。
「……言っておく。お前が美代にやってきたこと、オイラの仲間にやってきたことは許せん。が、お前たちを傷つけたいわけじゃない、ただあいつらを守りたくて、戦っているだけだ。早く行け」
ぶっきらぼうに言うバーナーは美代に視線を止めたまま、きつく寄せた眉を和らげようともしなかった。頬や額から流れる血は恐らく、自分を助けた時に出来たものだろう。震えるブルーの手を押し返し、しっかりと支えてくれている雷斗の腕をすり抜け、エペを腰の鞘に納めようとする。
カタカタと震える腕では細い鞘に細い剣を入れるのは難しく、舌打ちを漏らせば、温かい手に両腕を掴まれた。それに助けて貰えばいとも簡単に剣を収めることが出来て、微かながら魔力を流されているのも解る。
「お前たちのところに、白魔術が使える奴はいるのか」
「……、シャドウ、さまが」
「なら大丈夫だな、早く戻って使ってもらえ」
少しずつ風が治まってきているのを見て表情を緩めたバーナーに、ボンドッツは目を伏せると宝石に魔力を流し、姿を消した。徐々に、それでも確実に大型竜巻のようなそれは落ち着いてきている。
「バーナー、美代はん……大丈夫なん?」
「……大丈夫だろ。あとはあいつが、うまくやる」
トントンと背中を一定のリズムで叩き続けていれば、美代の腕が緩々と上がってコートを力なく掴んだのがわかり、そのまま柔らかく抱きしめた。震える小さな体は先ほどまで風を暴れさせていたとは思えない頼りなさで、ブラックは自身の膝の上に誘導しながら、ゆっくりと腰を落とす。
「美代、大丈夫か? 落ち着いた?」
「っ……ふ、ぅ……! ぶらっく、ブラック……!」
「ほら、泣かないで。どうしたんだ? 落ち着いて、よしよし」
ハラハラと涙を流し、隠すように顔を押し付けてくる彼女の肩を柔らかく持ってそっと覗きこめば、空色の瞳はキチンとこちらを認識したようだった。頭を撫でれば掌にすり寄ってくるその仕草が愛しくて、細く息を吐き出しながら体の力を抜いていく。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと怖い夢を見ていただけだよ、オレ達はちゃんとここにいる、美代もちゃんとここにいる。昨日瞬間移動術を使って魔力を消費してるのに、また戦って、疲れただろう? お休みなさい、美代」
瞼に手を置いて魔力を流してやれば、嗚咽は段々と落ち着いて、ストンと力が抜けてしまった。眠りについた美代の体を抱き上げて辺りを見回し、腕を組んでムスッとしているバーナーへと顔を向ける。
「バーナー、内緒にしよう。美代がこれをやったこと、不思議な言葉を話したこと。雷斗もブルーも、お願いだ」
「……そうだな。スノーも無事に見つかった、美代もこんな調子で……オイラも疲れた。今日はこのまま、あの洞窟で休む。ボンドッツもダークも、しばらく来ないだろう」
疲労のせいなのか、他に思うことがあるのか。それはわからないけれど、眉を寄せたまま表情を変えないバーナーに苦笑しながら。
ブルーと、スノーを抱えた雷斗を促すよう、足早にこの場を去るのだった。




