涙の理由
目覚めは実に悪かった。
頭痛はしているし、喉も酒で焼けているのだろう不快な痛みがしっかりと存在を主張していて、胃から胸のあたりにかけてグチャグチャにかきまぜられているような具合の悪さもある。体は水を欲しているのだが、下手に水気を入れれば逆流してしまいそうで非常に怖い。
そもそも、会合の会場からここまで戻って来るまでの記憶はほとんどなく、鏡の類を見なくても充血しているとわかる目を掌で覆う。
「あいつら……オイラが、喰うもの、飲むもの。全部に、酒を仕込みやがって……!」
「んん……、バーナー、おきた……?」
モゾリと隣のベッドの布団が動き、ブラックが顔を出した。今の自分がどれだけ凶悪な表情になっているかは自覚があるので、彼の方を見ないよう布団に潜り、低く唸り声を上げる。
「だいじょうぶ? 具合が悪いの、体 浄 化で治る?」
「……たぶん」
焼けた喉で掠れた返事をすれば、すぐに術を掛けてくれたようで、完治とはいかないまでも体内に残ったアルコール分は抜けたような気がした。今なら大丈夫だろうと、布団から腕だけを伸ばして空 魔 箱を展開する。
中から竹筒を出し、少しだけ口内を水で湿らせた。なぜだろう、普通の湧き水を入れていただけのはずなのに、これまで飲んできたどんな飲み物よりも美味しく感じてしまう。
「……完 全 治 癒もかける?」
「いや、いい。魔力の、ムダ消費になる」
むしろ完 全 治 癒が使えるのかと、普段ならそちらを突っ込んでいただろうが、そんな余裕はほとんどない。今日には出発すると言ったのは自分なのになんとも情けない姿である。
「バーナー、どうする? 今日も休む?」
「いや、オイラの都合でそうするわけには……」
「バアァナアアアアアアア!」
響き渡るブルーの悲鳴に、思わず頭を抱えてしまった。彼の甲高い悲鳴は、今の自分には頭蓋骨内で炸裂する爆弾のようなものだ。
「どうしたんだブルー、なにがあった……」
「美代はんがおらんの! ドアに、こんなものが!」
二日酔いだの具合が悪いだの言っている場合ではないようで、バーナーは布団から跳ね起きると彼が持っている短剣と手紙を受け取った。それを読もうとすれば横からブラックがかすめ取っていき、目つきを鋭くしていく。
「ブラック、なんと書いてあった、オイラには読めない文字だった」
「……ダークが魔力で書く文字だ。なんで……ボクが狙いならどうして美代を巻き込むの! ダーク達でも、許さない!」
その言葉は、彼らに美代が攫われたことを示していた。ブルーが真っ青になって部屋を飛び出し、雷斗とスノーを起こしに行っている声が廊下一杯に聞こえている。
そんな中、ブラックは騒めく髪をどうにか落ち着かせ、深くうつむいていた。
「ごめん、ごめん……ボクのせいで美代が、ボクが、ボンドッツ達を裏切ったせいで美代が!」
「落ち着けよ、ブラック。あいつは元々、狙われていた。……街の中だと、旅館の中だからと、油断していたオイラの責だ」
ブンブンと勢いよく首を振るブラックを止め、叩き起こされて慌てて来たのだろう、着替え途中の雷斗が半ば眠っているスノーを連れて駆け込み、遅れて入って来たブルーと一緒に事情を話した。すぐに視線は手紙を読んだブラックに集中し、彼はわずかに肩を跳ねる。
「ブラック、手紙にはなんと書いて?」
「……美代を返してほしかったら、ボク一人で街の外にある、森の中に来いって」
「なら、頼む」
バーナーの言葉に、ブラックは顔を歪めた。イフリートを飛ばしながら頭を抱え、顔色を悪くしている彼の表情も歪んでいる。
「少しでも長く時間を稼いでくれ、オイラが美代を助けるまでの時間を。雷斗はここで、ブルーやスノーと待機。恐らくまだルビー達がこの街にいるだろう、あいつらにも旅館に来てもらう」
「ルビーはん、たち?」
「あぁ。あいつらにもオイラ達の旅の目的は話してある、及ぶ限り力を貸す、と言質も取った。協力してもらうさ、特にサファとエメは逃がさん」
地を這うような低い声を出したバーナーの瞳の奥に、炎が見えたような気がした。それに戸惑っていると、突如腕が伸ばされ、ブラックは反応できず胸倉を掴まれると力ずくで体を引き寄せられる。
思わず、ビクリと震えてしまったが、バーナーの真剣な目に表情を引き締めた。
「絶対に捕まるな、何が何でもここに戻って来い。オイラも必ず、美代を助け出す。いいな」
ブラックは目を丸くし、強く頷いた。それを見て手を放すと三人を振り返り、泣き出しそうにしているブルーの頭をクシャリと撫でる。
「安心しろ、絶対に助けてくる。雷斗は二人を頼んだぞ、誰がどこにどう配置されているのか、こちらはわからない状態だ。もしかしたらここにも来るかもしれない」
「承知した。……ここは任せてくれ」
雷斗の返事にクッと口角を上げ、バーナーは部屋の窓を開いた。今の体調で普段通りに動けるかは定かじゃないが、やるしかない。
戻ってきているイフリートを遠目に見つけ、自身の指示をくみ取ったらしく身を翻して再び飛び始めた彼を追いかけるよう、部屋から飛び出した。
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クスン、クスンとすすり泣く音を聞きながら、美代はベッドの上に横になっていた。頭がぼうっとし、猿轡をされている息苦しさと体の中でくすぶる熱をごまかそうと、時折身を捩る。
泣いているのは自分を見張っているリンで、泣いている理由は彼女の仲間にあった。ここは街の外にある森の中で、今いる場所は、血生臭い空気が漂うコテージの中。
「ごめんなさい……ごめんなさい、おじいさんとおばあさん、本当にごめんなさい。止められない、あたしは、ボンドッツを止める事が出来ないの」
床にはどす黒い血の跡が沁み込み、その中で嗚咽を押し殺すように涙を流す彼女は、コテージの庭にある木の下に埋められた二つの死体に何度も何度も謝っていた。
(本当に、簡単に殺せてしまうほどに、人のことが嫌いなんだ。私の監禁場所を作るためだけに、平和に生活していた老夫婦の命を、簡単に狩りとってしまえるほどに)
それは、誰が止める間もなく行われた凶行だった。
ブラックを迎えるために都合がいい森の中、に建っていたコテージ。監禁場所にはちょうどよく、住んでいる人が邪魔であるとそれだけの理由で、ボンドッツは剣を立てたのだ。
青ざめ、震え、血の海に倒れる二つの遺体から目を離せずにいた美代の前に壁となってくれたのはダークで、切っ先で抉るように絶命している老夫婦を突いていたボンドッツを静かに制した。そうすれば不服そうに冷たい視線をダークに向けるが、渋々と言わんばかりに剣を収める。
リンがこちらに来る前に遺体を片付けよう、と二人が動いたその時に、運悪くリンが合流してしまったのだ。それを直視した彼女は美代以上に顔から血の気を無くしてガタガタと震え、声もなく涙を流し始めたのである。
「あぁ、驚かせてしまい申し訳ありません、リン。大丈夫ですよ、あなたが悲しむことはないのです。これらは今すぐ片付けますので安心してください」
そう言って、温かい目で優しい笑みを浮かべたボンドッツは、リンに触れようと手を伸ばした。
その時、頬に伸ばしかけた掌にべったりとついた返り血を見て眉を動かしたと思えば、彼はリンの前にストンと膝をついたのだ。それはまるで、忠誠を誓う騎士の様で、美代はダークに寄りかかりながらそれを見つめる。
「では、リンはこちらで美代さんの監視をお願いいたします。私たちはブラックを迎えに行きますね、彼を連れてきたら迎えにあがります」
そしてそのまま、ボンドッツはリンに触れることなく立ち上がると、遺体を肩に担ぎ上げ外に向かった。血だまりを見るリンの肩は小刻みに震え、深くうつむいて目を閉じる。
なぜだかかすみ始めた目でそれを眺めていれば、ダークに背を押されて美代は家の奥へと進んで行った。開かれた部屋はベッドルームの様で、壁には陽の光を取り入れるような形の、大きな窓が取り付けられている。
二つ並んだ小柄なベッドはきっと、今朝方まで、先ほど命を奪われた夫婦が使っていた物で。後ろに回され、縛られた手に力が入ったのをよく覚えている。
美代はベッドルームに放り込まれると窓から外を眺め、ボンドッツが適当に放り投げていた二人の遺体を、ダークが手を貸してリンと死体を埋めているのを見た。
その時にはボンドッツの姿はすでになく、苦しそうな表情をしたダークが涙を流すリンを宥めるよう頭を撫で、去っていったのが夜明け前の話だ。
それからずっと泣いている彼女を、捕まっている自分が励ましたいと思うのは可笑しなことだろうか。
(ボンドッツはすごく人が嫌いで、ダークは……ストッパー。リンは、何かボンドッツに引け目を感じている? いったい、なにが目的なんだろう)
「美代ちゃん……だいじょうぶ? 苦しくない? 腕、痛くない?」
そっと開かれたドアに、美代は体を捻って上半身を起こすとベッドヘッドに寄りかかった。泣き腫らして瞳を充血させている彼女が恐る恐る寄ってきて、するりと猿轡を解いてしまう。
リンの方こそ大丈夫なのかと尋ねようとしてみても、出てくるのは咳ばかりだった。体が震えているのが自覚でき、ガンガンと響き渡る頭痛のせいで吐き気までしている始末。
そして、様子がおかしいことに気が付いたのだろう。リンが額に手を置いて、サッと青ざめた。
「美代ちゃん、熱が……!」
即座に短剣で手首の縄を切り、辺りを見回して布きれの類がないことがわかると一瞬ためらい、自身のバンダナをはぎ取る。
髪を掻き分ける様に生えている猫耳は、間違いなくリンの頭から生えているようで、まるで彼女が人ではない生き物のように思えて凝視してしまった。ピクリと動くそれはぺたりと伏せられ、心配そうに瞳が動く。
「待っててね、冷たいお水……持ってくる!」
そう言って駆け出したリンの背中を見つめ、美代は布団に包まった。
(どうしよう、どうしよう! どうしたらいいんだろう!)
リンはバンダナにシワを作りながらも力一杯握り締め、ただ水を求めて走っていた。
手を額に置いただけでも、美代の熱が高いことがわかるほどだった。いったいいつからあんな体調なのか、もっと早く主張をしてくれればよかったのにと思う反面、敵対している自分たちに話すわけもないかと奥歯を噛みしめる。
(なんでだろう、今のボンドッツの目にとっても似てた。人間を見るダークの目にも似てる気がした。美代ちゃんは人族のはずなのに、どうしてあんな目が出来るんだろう)
鋭く冷たく、何かを諦めているようなその瞳。大好きな彼らが時折……ボンドッツに至っては、自分たち以外の人を見るときに必ず見せる、凍った眼差し。
リンは、その目だけは好きになれなかった。
「だって、あたし達は……たくさん人を傷つけて、こんな風に殺してしまうこともあった。美代ちゃんからあんな目で見られても、仕方がないよね」
言葉に出してみれば、自分を傷つける刃となって心を刺してしまい。
ぽろぽろと涙を横に流しながら、リンは止まることなく走り続けた。
三十分も走った場所に沢を見つけたリンは、そこでバンダナを浸し、竹筒の中を冷たい水で満たすと急いで美代の元に帰った。自分の体を抱くようにして震え、歯を打ち鳴らす彼女を見て涙目になりながらも火 球を宙に浮かべてバンダナを額に乗せる。
顔は青白く、脈が薄くなっている美代の手をきつく握り、体を起こした。わずかに開かれた目を覗きこみ、竹筒から直接水を飲ませてやる。
「大丈夫? 苦しくない?」
「……&#%$」
「え? どうしたの、美代ちゃん」
「ち……ら、#*$%“」
美代の言葉は、これまでに聞いたことがない響きだった。口元に耳を運んで澄ませてみても聞き取ることが出来ず、ストンと気絶するように眠ってしまった美代の体を咄嗟に支える。
目尻に見える筋は、シワが出来ている布団は、グシャグシャになってしまっているシーツは。彼女が怯え、この場から逃げ出そうとしていたように見えた。
「このまま……美代ちゃんを、連れて行ってしまうの? こんなに、怖がっているのに。こんなに、高い熱が出てるのに」
咳は落ち着いているようだけど、体は冷たく、血の気がすっかり失せていた。ヒュウヒュウと喉の奥から出ている呼吸音が苦しくて、自分まで呼吸が狂ってしまいそうだ。
汗が気持ち悪いだろうと服に手をかけた時、窓の外に一瞬、炎のようなものが見えた。リンは慌てて立ち上がると窓から外を見て、すさまじい勢いで飛んで行く炎の鳥を見つける。
あれはきっと、火炎族の彼の使い魔だ。
「バーナー君……早く、早く美代ちゃんを助けて」
ギュッと美代の事を抱きしめて、リンはきつく目を閉じた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
走れば案の定、胃液が逆流してくるのがわかる。
頭は鎚で殴られているような痛みを感じているし、全身がだるい。
それでもバーナーは自身を恨み、自身に苛立ちを覚えながらイフリートの後を追いかけていた。
「っ……イフリート! 減速するな、全速力!」
『ピャアッ』
「構わん、オイラの体調不良は自業自得! 今は美代の無事が優先だ!」
指示に困惑しながらも、イフリートは紅玉の瞳をキッと光らせ、自身が見つけた美代の元へと急いだ。
美代が攫われてしまったのは、街の中だからボンドッツ達も来ないだろうという油断と、旅館にまで入ってくれば気づくだろうという自身の慢心。
絶対にあってはいけなくて、絶対に許されない事だった。
(頼む、無事でいてくれ)
ブラックも、美代も、旅館に置いてきた雷斗たちも。
こみ上げる吐き気を無理やり飲みこみ、バーナーは木々の間をすり抜けるよう進むイフリートを見失わないように走り続けた。
突如、人の手が加えられた道に出て、バーナーはその道の先を睨みつけた。見えたのは小さなコテージで、漂う血の臭いに目を見開くと加減も出来ずにドアを蹴破る。
真っ先に見えたのは床に広がる赤黒いもので、表情を歪めながらも確実に美代の元へと向かった。
――木の板が裂けるけたたましい音に体が思い切り跳ねあがってしまい、リンは美代に抱き着いてしまった。足音は確実にこちらに近づいてきており、体を小さくする。
「美代!」
「っ……!」
目が血走り、顔色を青くしたバーナーが、肩で息をしながらそこに立っていた。彼は腕の中でぐったりと眠っている美代に目を留めるとますます顔色を悪くして、拳を固める。
「……バーナー君が相手じゃ、あたしに勝ち目はないもんね」
袖からブレスレットのようなものを取り出したリンは、迷いなくそれに魔力を流した。美代を残して彼女の姿が消えたことからそれが魔道具であり、瞬間移動術がこめられていたのだとわかる。
即座に美代の体を抱えあげてみれば目を開き、視線を彷徨わせた。額に手を置けば芯が熱いのがわかるのに、体自体は冷たくなっていて、少しでも温めてやれるようにときつく抱きしめる。
「もう、もう大丈夫だぞ、美代。ごめんな、気付けなくてごめんな」
「……ば、な。ぶらっく……」
伸ばされた震える手を握り締め、布団を拝借すると美代の体を包み込んだ。横抱きにして炎をいくつか浮かべてやれば、少しだけ、安心したような顔になった。
「今度はブラックのところだ、イフリートは美代の懐に。一定の温度に保て」
『ピャッ』
布団と美代の間に潜り込み、頭だけを出して落ち着いたイフリートにバーナーは頬を寄せた。イフリートもその頬に頭を押し付け、すぐに離れる。
美代の体を揺らさぬよう、衝撃を与えぬよう。
バーナーは再び、走り始める。




