夜の闇に溶け込みて
月もすっかり昇りきり、雷斗にブルーとスノーの寝かし付けを頼んで、美代とブラックは旅館の玄関ホールにあるソファでうたた寝をしていた。不意にカチャリと扉が開く音がして、ピクリと肩を跳ねて視線を向ける。
「おや……ふむ、もしかすると死神の、旅の友人か。起きて待っていてくれたのだな、申し訳ないことをした」
ぐったりとしているバーナーに肩を貸し、おぼつか無い足取りの彼に合せて歩いてきたのは、知らない女性だった。美代は戸惑いながらも立ち上がり、全身を真っ赤にしているバーナーを支える。
「私の名はダイアモンド。少しばかり距離があるが、アダマースと言う国で税関門の番を務めており、役人でもある」
「あ……えっと、私は上野美代。リズ表記で、美代が名前」
「美代、か。きれいな名前だ」
スリ、と擦るように頬を撫でられ、美代は目を丸くすると固まった。小さく笑うダイアモンドに困ったように眉を寄せ、低いうなり声を上げながらダラリとしているバーナーに声を掛けてみる。
ある種当然というか、返事はない。
「こやつは決して、酒に弱くはないのだが。まだあまり、自身の限界を定められていないようでな……あぁ、つぶしにかかった悪ガキ二人は今、ルビーに説教されておる」
「あー、えっと、サファイアさんとエメさん?」
「エメラルド、だ。我々四人と死神では、こいつが一番年下でな。私やルビーはもちろんだけれど、サファイアとエメラルドはいたく気に入っているんだ。弟が出来たようだと」
具合悪そうにしているバーナーの背を擦ってみれば微かに顔が上がり、定まらない焦点でかろうじて美代を見た。充血した目が細められ、見たことがないほど優しく、柔らかい笑みを浮かべる。
「……モ……」
「も?」
「さて、そこの青年よ。この子では死神を支えられまい、よれば部屋まで連れて行ってやってくれないか」
ブラックは無言のまま立ち上がり、バーナーの体を受け取った。抱え上げようとしてみれば彼がそれを拒み、どうにかこうにか自力で立つ。
「私たちも、サファとエメを止められなかったからな、すまない。……けれどいずれ、わかる時が来るかもしれんぞ。限界を超えて飲ませねばならん時もある、とな」
「……意味がわからないよ」
口を尖らせながらもダイアモンドに頭を下げ、美代はバーナーを連れて先に部屋へと戻ってしまった。それを見送り、踵を返して去ろうとした彼女を静かに呼び止めたブラックは目を細めている。
「ありがとう。バーナーも、隠すのがうまいから」
「……どういたしまして。もう夜も深い、おやすみ」
「帰りは気を付けて」
「ふふ、ありがとう、青年」
ムスッと眉を寄せたまま、それでも帰りの身を案じてくれている彼に微笑みかけ、ダイアモンドは宿を後にしていった。
バーナーを部屋のベッドに放置し、自室に戻ってブルーがスヨスヨと眠っているのを横目で見ながら、美代はため息をついた。とりあえず横になってみるけれど、すっかり目が冴えていて寝付けそうにない。
何もすることがなくてヒマを持て余し、気持ちよさそうに眠っているブルーの頭を撫でたり髪の毛をすいてみたり、机のろうそくに火を灯して昼間に書いた日記の読み返しをしてみたり。
色々なことをやっていたけれど、体が熱いのを感じて羽根だけを持ってフラリとテラスに出た。取っている部屋は旅館の二階、この高さならばウィングに成れなくても飛び降りられる。
冷たい夜風に身を打たれ、ジリジリと熱を持つ体の芯を冷やされる感覚は心地が良くて、目を細めると空を見上げた。
「天気が良くないなぁ。星も月も、なんにも見えない」
それでも雨が降るようではなくて、ポツンと心に落とされたモヤモヤを少しでも晴らしてしまおうとして散歩を続けた。
パクスのお城のシャンデリアと同じようなものが使われているのだろうか、ほんのりと明るい街灯が綺麗で、小高い丘から見たらもっときれいなんだろうな、ブラックを誘ってもよかったかな。などとボンヤリした頭で考える。
ジャリ、と土を踏む音が聞こえ、振り返ろうとした瞬間に口を塞がれて目を丸くした。それでもなんだか覚えがある奇襲に、美代はキッと背後を睨んだ。
「お一人でこんな夜中に出かけて回って、よかったのですか? 美代さん」
「ブラックカラ聞キ、人里ニイタノハ、良イ判断ダロウ」
「ふふ、ついつい目につく人々を殺めたくなってしまいますので。あまり来たくはないのですが、入れないわけではないのですよ」
背後にいるダークからは呆れたような目で見られ、正面にいるボンドッツからは嘲笑を受けた。頬を冷たい手で柔らかく包み込まれ、額同士をコツンとぶつけるように顔を近づけてくる。
「あなたはどうにも、彼を誑かしてしまうようだ。二度も私たちから奪ったように。そして……気に入られている。驚異的な力を持った彼が、守るべき対象として見てしまっている」
優しい声で話しかけてくれているのに、底冷えするその視線を、美代は受け止める事が出来ずに反らしてしまった。そうすれば頬を包む手にギリギリと力がこめられて、無理やりにでも視線を合わせる事となる。
「今宵あなたは、再び、ブラックを誘うための餌となります。まさかあなたが私の魔道具をかすめ取っていたとは思いもせず、前回は逃がしてしまいましたが。今度はそうはいきませんよ。最もあれは壊れかけ、もう使用も出来ないでしょうがね」
覚えのないことを言われて目を細めるが、不意にダークからの忠告を思い出した。視線を上げてみればどこ吹く風な彼がいて、なぜかはわからないけれど、自身が瞬間移動術を使えることは伏せておいた方がいいのだろうと理解する。
「ボンドッツ、文ハ」
「リンが、部屋のドアに。さて。大人しく捕えられてもらいますよ、美代さん」
腕を後ろに回されて、縄で結わいつけられた。ウィングに変身できない今、抵抗したところでどうにもならないことは解りきっている。
口の中には固く丸めた布きれを詰め込まれ、上から鼻まで覆うように違う布で塞がれた。痛み始めた関節はきっと戒めを受けたせいだと思い込み、静かに目を閉じる。
(何気に、あの時の言葉遊びを気にしてるんだなぁ……)
「は、笑っていられるのも今のうちです。ブラックさえ無力化してしまえば、こちらのものですからね」
そんなつもりはなかったのだが、どうやら思い出して笑ってしまっていたらしい。ペシリと叩かれた額は思いの外痛みを感じず、随分と加減がされたものだと目を丸くする。
「行きましょう」
「アァ」
懲りずに一人で行動をしてしまった後悔と、バーナーは大丈夫だろうかという心配と。
なぜだか解らないけれど、なくなってしまったモヤモヤに息を漏らし、美代はそのまま連れ去れていった。




