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冒険記  作者: 夢野 幸
ニルハム編
32/138

銀色の世界


 目的の買い物を終え、美代はワンピースから厚手の革製ズボン、膝下まであるロングブーツ、柔らかい生地で作られた長袖のシャツに着替えていた。ベルトには短剣と羽根を下げ、バーナーに髪を結ってもらって飾りをつける。


 彼が加工してくれた、チョッキから外れてしまった宝石だ。


「動きやすーい! なんでかポカポカするー」

「今から銀世界に入るからな。ブルーと雷斗にはこれを、美代はこれを」


 青色と黄色のマフラーと手袋がそれぞれに渡され、美代は水色のそれらの他にコートを渡された。今それを羽織れば確実に汗だくになってしまうだろうと、伺うように見上げる。


「いいか、寒さを感じたらすぐに身に着けるんだ。銀世界に入ってからじゃあ遅いからな」

「バーナーはええのん?」

「……オイラはあそこに、軽装で丸一日居たことがある」


 わずかばかり、顔色が悪くなったように見えた。フルリと体を震わせた彼に、三人は思わず凝視してしまう。


「まぁ、そうだな。オイラは大丈夫だから、お前たちは気を付けろ。寒くなったら必ず羽織れ、それでも寒ければ戻ってもう一度装備を整えるから」

「あんまり言われると怖いんだけど! 銀世界って、どんなところなの?」

「……極寒の、周り一面、雪景色。寒さに不慣れな者からしたら、悪夢のような場所だ」




 ジンやハツキ、その母親に礼を言って宿を後にし、一行はバーナーを先頭にして歩いていた。なんとなく緊張した面持ちの彼に、美代は自分まで緊張しているのが良く解るし、他の二人が不安そうにしている気配も感じ取っている。

 道を外れ、森を抜け、岩がゴロゴロと転がっている場所を進んでいると、ブルーがヒョイと顔を上げた。以前見たことがあるその行動に、美代も同じように空を見上げる。


「ブルー? 雨、降りそう?」

「ううん、雨じゃなさそう……」


 吹いた風は肌を刺すように冷たく、ブルーと美代は同時に身震いしていた。慌ててマフラーを巻きつけ、手間取っているブルーの首にもヒョイヒョイと巻き付けていく。


「雷斗もそろそろ支度をしておけ、この傾斜を行った先が銀世界だ」

「……わかった。そうしよう」


 雷斗も防寒具を身に着け始めたのを確認して、バーナーは自身の着物に腕を通した。


「じゃあ、行くぞ」




 岩肌が露出している上り坂を進んで行くと、だんだん道の端に白い塊が見えるようになってきた。ポツン、と鼻の頭に落ちて来たのは水滴ではなく、白いフワフワしたもの。


「ねぇ、バーナー。マスクみたいなのない? 顔を全面隠せそうなやつ」

「どうした、急に?」

「凍傷になっちゃったらマズいよ。少しでも肌を隠してた方がいい」

「バーナーよ、龍の時の布はないのか」

「ある」


 予告もなく顔に巻き付けられた布に、美代は目を白黒させて抗議の目を向けた。雷斗は自分で鼻まで覆うように布を固定し、ブルーはますます不安そうに布を突いている。


「せめて一言くださぁい、びっくりするでしょ!」

「悪かったな。これでいいか?」


 悪びれた様子がない彼はイタズラ心でやったわけではなく、白帽子を被っている山を睨みつけているのを見る限り、少々余裕がなくなっているらしいことがわかる。


「ねぇバーナー、大丈夫? どうしても通らないといけない場所なの、そこ?」

「……銀世界を突っ切る様に進んだ方が、万が一何かがあった時に色々と対処がしやすい領土ではあるんだ。遠回りをすればその分、危険な場所を通らないといけなくなるからな。それに、ついでにそこに居るだろうガーディアンを迎えられるかもしれない」

「むぅ……迎えに行くと言うのか。私でさえ自力で地上に降りて来たのに」

「むしろオイラはそれに驚いているんだけどな? よく降りてきたよな、お前……」

「バーナー、これつけておかんといかん? 気になるわぁ」


 美代がモゾモゾとマスクを引っ張るブルーの手を柔らかく抑え付け、手を繋ぐと、眉を寄せながらも彼女の手を握り返していた。バーナーは短くため息をつき、頬を掻く。

 本当に嫌そうな表情をしているバーナーを見ていると不安は募るばかりだが、まぁ、登っていけばどういう環境なのかがわかるだろう。

 バーナーに促されるまま、美代はブルーを引っ張るようにして歩き始めたのだった。




 二日も山を登っていると、火炎族の彼でさえ顔色を変えていた環境の厳しさを嫌でもわかった。ブルーはすでに口数が減るのを通り過ぎて無言になり、雷斗も身を震わせながらサクサクと雪に足跡を付けていく。

 足首どころか膝下辺りまで埋まってしまうほど深い場所なのに、バーナーと雷斗の二人はあまり苦も無く進んでいるようだ。

 美代はマフラーを鼻まで引き上げて首を竦め、コートをきつく引っ張って体を小さくしていた。バランスを取りにくくはあるが、歩けないほどではない。


「美代、大丈夫か」

「だいじょうぶ……バーナーはどうなの」

「オイラは平気だ。雷斗はどうだ、ブルーは背負ってやろうか」

「私は大丈夫だ、ブルーを頼んだ」


 頷き、手を伸ばそうとしたバーナーはその腕を引っ込めて背後を振り返った。美代はそれに釣られるよう視線を移し、目を丸くする。

 雷斗もブルーを懐に抱きかかえてやりながら、そこに居る人物に薄く口を開いた。


「ブラック……」

「……ごめんね、美代」


 寂しそうに言う彼は、恐らくボンドッツ達と同じ目的で自分たちの前に現れたのだろうと、美代も眉尻を下げてしまった。バーナーが静かに身構え、雷斗が美代に手を伸ばす。


 そんな中、最初に動いたのはブルーだった。


 雷斗の腕を抜けるようにしゃがみ込むと雪を腕一杯に抱えあげ、体温で溶けたそれを宙に浮かべてブラックに向けて放ったのだ。誰が何を言う暇もなく、制止する間もなく放たれたそれを何気なく避けてしまったブラックに、バーナーの顔色がサッと変わる。

 今、ブラックがいるのは坂道の上の方で、自分たちがいるのは下の方。

 そして彼が避けたことにより、水の珠は自分たちがいる場所よりも山頂に近い場所に積もっている雪に衝突した。


「バーナー、マズくない? あれ、雪動いてない……?」

「こんな時まで冷静になってんじゃねえ、バカ!」

「雪崩だよねー。どうやって避難しようか?」

「言ってる! 場合じゃ! ねえだろうが!」


 ブラックに向かって二発目の水の珠を放とうとしていたブルーの体を押さえつけ、地鳴りと共に向かってきている灰色の塊から彼を守るように懐へと包み込んだ。雷斗は即座に雲を集めて上空に避難したようで、引きつった笑みを浮かべながら固まっている美代に向かって手を伸ばす。

 突如熱を帯びた手の甲に思考が止まり、体を硬直させてしまった。徐々に痛みを感じ始めたそこは誰かに払われたのだということを理解させ、迫る雪の壁のことを忘れて彼女を見つめる。

 その傍に見えたものは、黒い色。

 小さく舌打ちを漏らし、バーナーは着物の中にブルーを隠してしまうときつく目を閉じたのだった。




 轟音と衝撃と地鳴りが治まり、静寂が辺りを包んでどれほど経っただろうか。一部の雪がゆっくりと解けていき、黒い塊が姿を現した。薄い呼吸を繰り返す彼は懐に抱え込んでいる唇を青くしている少年の防寒具をはぎ取ると、予備のそれを巻き付けたうえで、自身の体温で温めてやる。


「ブルー、大丈夫か。お前は少し冷静になれ、雪っていうのはな、ちょっとした衝撃でこうして落ちて来るんだ」


 わずかに視線を上げるばかりで、ブルーは何も言葉を発さなかった。それが怒りや嫌悪からくるものではなく、凍えているせいで口を動かすことが出来ないでいるのだということは解っている。

 自身の着物をブルーにかけてやりながら、バーナーは辺りを見回した。


「バーナー、ブルー! 大丈夫か!」

「雷斗、お前は大丈夫だな。美代とブラックがどこに行ったか、わかるか」

「あちらの方へと流されていった、私は先に行く!」

「よければ雲を目印に置いていってくれ、雲そのものは白塗りの中で見えなくても、雪に映った影が目印となる」

「承知した」


 雲に乗ったまますごい勢いで飛んで行った雷斗は、雲の切れ端をポコポコと目線の高さに残しながら姿を消した。動けずにいるブルーを着物ごと横抱きにして、彼が消えた方角を見て目を細める。

 遠近さえ狂わせてしまう白銀の世界に残された灰色の影は、雷斗が進んだ道を確かに教えてくれていた。


「ブルー、こらえてくれよ。とりあえずは美代との合流を優先する」


 微かに上下した頭は、肯定と取って。バーナーは影へと足を踏み出した。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


 美代は目を覚ました時、気絶していたのだと気が付いた。辺りを見てみると真っ暗で、さて直前になにをしていたかと首をかしげる。

 確か、雪山に来ていて、ブラックが現れて、恐らくは嫌悪とわずかな恐怖に駆られたブルーが雪を水に変えて、彼に向けて打ち放って――雪崩が起きた。

 それなのに、体のどこも雪に触れていない。布に包まれているような感触があり、モゾモゾとそれを押しのけて顔を上げた。途端に雪が掛かってしまい、その冷たさに小さな悲鳴を上げてしまう。


「みよ」


 聞こえてきたのは、ブラックの声。反射的にそちらへ顔を向け、表情を凍らせた。


「だい、じょう、ぶ?」

「わ、私は大丈夫だよ! だけど、ブラック!」


 雪に直に触れている肌は赤くなっており、手を伸ばして触れてみると氷のようになっていた。どうやら今は彼のコートに包まれているようで、ブラックは緩慢に腕を動かすと美代のことをコートの中に閉じ込め直す。


「よかった……」


 力なく目を閉じていったブラックに、美代は目を丸くした。コートの中からなんとか這いだして雪の中から顔を出し、顔や髪についた雪はかぶりを振って払うと辺りを見回す。

 あるものは灰色を帯びた雪ばかりで、バーナーたちの姿は見えない。とりあえず今はブラックを雪の中から救出するのが先だと、腕を掴んで引っ張り上げる。


 ……雪の中から、引っ張り上げられた?


「いまなら……」


 大きく息を吸うと、美代はウィングになった。躊躇いなくブラックの服をはぎ取ると自身の羽織をきつく巻き付け、背負い上げる。


「風よ……三人の声を、運べ!」


 命じるとすぐに、風は雪を巻き上げながら駆け巡った。カチカチと奥歯を打ち鳴らすブラックの体を支え直し、彼のコートを掴み上げると歩き始める。




 乗っていた雲も随分と小さくなってしまい、雷斗は雪の上を歩いていた。目印としている雲は小さくなってしまったが、ないよりもはるかにマシだろうと少しずつ残していく。

 不意に、人影が見えた気がした。近づいてきたのは青年で、ブラックを背負う彼のことは見たことがなく、悟られないよう警戒する。


「そこにいるのは雷斗か、バーナーとブルーはどうした!」

「……お前は?」

「は? なにバカなこと……ってそりゃそうか、雷斗の前で変身したことなかったもんな。えー、疾風の者ウィング、元の姿を美代といいます、ってそれどころじゃねえ!」


 警戒の色を見せていた雷斗が目を丸くし、軽装でいる自分に言葉を無くしているようだった。ブラックに声を掛けてみるとわずかに身じろぎし、なんとか意識があることがうかがえる。


「二人はどこに」

「あ、あちらのほう……雲を道標に、置いている」

「わかった」

「ま、み……ウィング」

「先に合流を目指す、説明は後回しだ!」


 と、雷斗の横を通り、雪の上に浮かぶ影を見ながら進んだ。戸惑いながらもあとをついて来る気配はあり、ウィングは振り返らずに歩く。




 徐々に小さくなっていく雲の目印を追って行き、遠くに歩いて来る人影を確認してバーナーは思わず目を吊り上げた。


「ウィング! お前、何を考えている!」

「バーナーか、ブルーは大丈夫なのか。まあいい、先に洞窟かなにか、休める場所を探そう」


 ブラックに羽織を巻き付けている彼の上半身は、下着と言っても過言ではないくらいの軽装だった。ブルーを抱えたまま牙を剥くよう怒鳴りつけるが、ウィングはけろりと受け流す。


「雷斗、ブルーを頼むぞ。ウィングはそいつをよこせ、オイラが抱えてやる、サッサと羽織を着ろ!」

「は、お前が加工してくれたこの髪飾りの宝石。魔力を込めてあるだろ、おかげさまでポカポカしてるよ。オレよりも今は、オレを庇って凍傷になりかけたこいつを保護するのが優先だ!」


 グッと言葉を詰めたバーナーの脇を抜け、ウィングはザクザクと足を進めた。頭を掻き毟りながら抱え込み、仕方なく彼の背を追いかけはじめたバーナーに、雷斗は顔色も悪く震えているブルーへ視線を落とす。


「ブルー、歩けるか」

「……だい、じょうぶよ」


 支えてくれていた雷斗の腕からそっと離れ、ブルーは顔を上げた。しっかりとした返事をした彼に雷斗もうなずき、問答無用で歩いて行ってしまっているウィングを遅れて追いかけているバーナーを見失わないよう、足を進める。

 その後を、ブルーもついて来ていると疑わずに。




 運よく、近くに洞窟を見つけ、そこに入った。ブラックを奥の方へ横にしてやり、遅れてやってきたバーナーに炎を浮かべるよう頼む。

 彼は苛立ちの表情になりながらも、仄かな炎を浮かべてくれた。とりあえずはそれでいい、あまり一気に温めてしまっても症状を悪化させてしまうだけだ。

 すっかり短くなってしまっている髪の毛から飾りを外し、そっとブラックの腹の上に置いた。途端に自身は寒気に襲われてしまうが、ほんの少しだけ彼の表情が和らいだようで、目を細める。


「なんで気付いた、その宝石」

「村を出るときに言っただろ、なんでかポカポカするって。その時には気が付いてたさ、そもそもお前たちとは違うオレがこんな極寒に普通に耐えられるわけがないんだ、ならどうしてここまで来られた? そういうことだ」

「……無駄に勘が良い奴め。気付かなければいいものを」

「バーナー、ウィング! ブルーが、ブルーがはぐれてしまった!」


 吐き捨てるようなバーナーの言葉と、遅れて洞窟に入って来た雷斗の震える絶叫が耳に届いたのはほぼ同時だった。ウィングは青ざめながら唇を震わせている彼に顔を向け、バーナーもサッと顔色を変えている。


「すまない、来ていると思っていたんだ。歩けるからと、大丈夫だと言ったから! だけど気づいたら後ろにいなくて!」

「嘘だろ……」

「……バーナーはここを頼んだ。オレなら風で探せる」


 羽織の前をきつく閉じ、少しだけ背を追い越している雷斗の頭をポンと撫で、ウィングはそのまま洞窟を後にしてしまった。慌てて追いかけようとする雷斗の腕を取ると洞窟の奥に連れて行き、炎に当ててやりながらバーナーはため息をつく。


「今のあいつなら大丈夫だ、それにちゃっかり髪飾りも回収していった、こいつは目を覚ませば自力で回復する。……すまん、オイラがちゃんと、もっと周囲に目を向けるべきだった」

「バーナー」

「今は休め、大丈夫だから」


 緩く上げられた口の端は、なぜだか弱々しく見えて。

 雷斗は浮かべられた炎の珠をしばらく見つめて、深くうつむいたのだった。


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