魔術と魔力と詠唱と
ブルーはジンとハツキに連れられ、宿の近くの井戸に来ていた。カラカラと桶を落として水を汲み、水瓶一杯になってから三人で抱えあげる。
「ごめんなさい、お兄ちゃん。お客さんなのに」
「ええんよ、村に居た時には水汲みはワイの仕事やったし。二人だけじゃ大変やろ?」
「雷斗お兄ちゃんと美代お姉ちゃん、早く元気になるといいね」
心配そうに見上げてくるハツキに、ブルーは寂しそうに笑い、コックリとうなずいた。宿の食堂まで瓶を持って行くと二人の母親がエプロンで手を拭きながら出てきて、目を丸くする。
「あらあら、 ありがとうございます!」
「だって、これくらいしか出来んから……」
「お友達の熱も、早く落ち着くといいわね。ほらほら悲しそうな顔をしないの!」
目頭が熱くなり、俯いていると、冷たいハンカチで顔を拭われてしまった。手の甲で弱々しく目元を擦ると小さく頭を下げ、宿の部屋へと戻っていく。
「お母さん、バーナーお兄ちゃんも心配だよ」
「昨日の夜も今日の朝も、ご飯食べてないよ」
「そうね……。あとでお粥を作るから、四人分を持って行ってあげて」
「はーい!」
「ブルーお兄ちゃんはたぶんお魚が好きだよ! 昨日、それだけ食べてた!」
「ふふ、新鮮なお魚もあることだし、お刺身も出しましょうか」
と、三人は彼らが借りている部屋の方へと視線を向けるのだった。
タオルが温くなったら水に浸し、固く絞ってから額に乗せる。
同じ作業を、美代と雷斗の分を交互に行い、バーナーはイスの背もたれに体を預けるようにして緩く目を閉じた。二人が昨日の夕方に発熱してから、ほとんど眠れていない。
「バーナー、水をもろうて来た!」
「あぁ、ありがとう。……ブルーはちゃんと、朝ごはんは食べられたか?」
「うん。バーナー、代わるよ。ちょっと寝た方がいいよ」
ブルーは水桶をテーブルの上に置くと、毛布をバーナーの膝に掛けた。イスをもう一つ持ってきて横にならべ、借りているもう一つの部屋から枕を持ってくる。
「いや、大丈夫」
「大丈夫やない!」
枕を投げつけ、バーナーの体を押し倒したブルーは、深くうつむいてその表情を見せてはくれなかった。起き上がろうにも腹の上に乗られてしまい、床の上やベッドの上ならまだしも、イスの上という不安定な場所ではどうにもならない。
「ちょ、おい、ブルー……」
「バーナーはずっとずっと戦ってて守ってくれて庇ってくれて! すごい疲れてるはずやん、ワイも看病くらいならできるよ! だから休んでよ!」
休むというまでは降りてくれそうになかった。仕方がないのでうなずくと、ブルーは満足したように腹から降りる。
「……あのな、ブルー」
「ええから休んどきっ」
「休ませてもらうから! じゃあなくてな、たぶんドアの向こう」
バーナーの視線を追いかけて、ブルーは部屋のドアを開けた。
「えっと……今、入っても大丈夫?」
「おかゆさん、持ってきたよ! 食べられそうなら食べてー!」
ジンとハツキだった。二人はお盆に二つずつお粥を乗せ、テーブルの空いている場所に置いていく。腕に引っ掛けていたタオルをイスの背もたれにかけ、すっかり温くなってしまっていた昨夜から置かれていた水桶を手に取った。
「あっバーナーお兄ちゃん! このおかゆさん、お母さんからのお見舞い!」
「しっかり休んで元気になってね!」
「あー、色々とすまないな。ありがとう」
ひらりと手を振ると、兄弟は安心したように部屋を出た。トトトトト、と元気よく階段を降りていく音が響いて、その音も小さくなっていく。
「……ブルー、もらっていいか?」
「うん! わ、見てバーナー! 魚もくれとる!」
「生魚か、よかったじゃないか。雷斗も食べておけよ、粥なら食べられるだろ」
バーナーが雷斗に声を掛けた。ブルーは勢いよく顔を上げてそちらを見つめ、ベッドの上で緩慢に体を起こした雷斗に飛びつこうとする。
慌てて襟首を掴んでそれを止め、バーナーは苦笑した。
「よぉ、気分はどうだい?」
「……あぁ、実に悪い」
「だよな」
額から落ちたタオルを傍の桶に放り投げ、薄く開いた唇から唸るように吐き捨てた雷斗を見て、思わず口角を上げてしまった。
「私は、どうして……?」
「……美代が治療術を使った。なぜか、使えてしまった」
目を丸くし、眉をひそめて隣に眠る美代を見た。頬を紅潮させて静かに胸を上下させる彼女は気怠そうで、汗が浮かぶ首筋をイスに引っかかっているタオルで拭ってやる。
「まぁ……お前が熱を出したのは、どうにもそのせいみたいなんだよなぁ」
「うん? なぜだ?」
「治療術は、対象者自身の治癒能力を高める術なんだが……美代が唱えたそれは、はっきり言って異常なほど威力が高かった。効果があり過ぎたわけだ、怪我が治ってもなお効果を発揮しようとしちまうくらいに」
「怪我がないのに、体はなおも治療しようとしたわけか」
「そういうこと。ほらブルー、優しくいってやれ優しく」
手を放してやると、グスグスと涙を流しながら、ブルーが雷斗に抱き着いて行った。その背中を撫でてやり、指の腹で涙を拭ってやると顔を上げた。顔をクシャクシャにしながら泣いているブルーには大した怪我もなさそうで、微笑みながら緩く抱きしめる。
「ブルー、大丈夫だったか? すまない、雷 撃を逸らすのが、遅れてしまったな」
「いい! ワイは大丈夫やったもん! もう無理せんといて、バーナーもや! もう無理せんといて!」
目の前で雷斗が虫の息になり、白魔術を使った美代が気絶し、宿についた途端二人が同時に発熱してしまったのが思った以上にブルーの精神にダメージを与えていたらしい。
雷斗は目を覚ましたが、美代はまだ眠ったままなのだ。
「美代は元々あんまり体が強くない、続けて雨に打たれた挙句、白魔術の使用による魔力の激減のせいで眠っているんだ。だからブルー、あんまり心配しすぎるな。とりあえず胃袋にものを入れて、ゆっくり休もう。昨夜は碌々眠れてないだろ」
「全然寝てへんバーナーに、言われたないっ」
「反論できねぇわ」
お粥を食べ終えたのを確認して碗を奪い取り、再びバーナーを寝かせるようグイグイと体を押してくるブルーに苦笑し。先ほどまで泣きつかれていた雷斗を見ると、なんとなく弟を見る兄のような柔らかい目をしており。
仕方がないので、大人しく眠りにつくのだった。
その日の夕方にようやく美代は目を覚まし、すっかり冷めてしまっていたお粥を炎で温めてからゆっくりと食べさせて。
バーナーは雷斗とブルーを隣の部屋に移動させて彼女と向かい合っていた。
「えっと……バーナー?」
「美代、具合はどうだ?」
「もう大丈夫だよ! ごめんね、心配かけちゃった」
「いや、オイラももう少し気を付けるべきだった。村に入るまでよく頑張ったな」
クシャリと頭を撫でられて、美代は表情を和らげた。バーナーもふんわりと微笑み、不意に真剣な目になって思わず息をつめてしまう。
「なぁ、美代。どうして治療術が使えたんだ」
「……詠唱を、ブラックから教えてもらったの」
「お前はシャロムの住人だろ、いくら詠唱が出来ても魔力がないと使えない」
「だって私は、ブラックから魔力を分けてもらってる」
言葉を遮り、美代はまっすぐにバーナーの目を見た。彼は目を見開いてわずかに顔色を悪くし、深く息を吐き出す。
「だから試してみた。あのままじゃ雷斗が危なかったから、たとえ出来なかったとしても、試すだけタダだもんね」
「そうだったな……そうだ。確かに誰か一人でも白魔術が使えると、格段に旅はやりやすくなる。だから、美代が白魔術を使えたことは、とてもありがたいことだ」
魔術を使えてしまい、寝込んでしまったことに対して何かしらの説教があるものだと思っていた美代は、頭をわずかに下げたバーナーに呆然としてしまった。そっと顔色を窺って見るとどこか困ったように眉を寄せており、どうしたものかと目を伏せる。
「だけど、しばらく魔術は使わないでほしい」
「私が、倒れたから?」
「いや、オイラが空 魔 箱以外の術を使わないから、魔力の加減を教えられないからだ」
その返答もまた、意外なものだった。
そのままの意味で取るならば「教えられる者がいれば使用しても問題ない」ということじゃあないか。
「すまん、どうしても他に良い例えが思いつかなかった。まずはこの世界をレストランだと思ってくれ」
「レストラン」
「そう。レストラン」
一体何を言い出すのだろうと、美代はコクリと息を飲んだ。バーナーは額に手を置きながら薄く口を開き、長く息を吐き出している。
「レストランが世界、客が術者、通貨が魔力。そして提供される料理が術そのもので、調理師が……」
「術者が魔力を出すことにより、術を提供してくれる何者か?」
「あぁ、理解が早くて本当に助かる」
長い話になりそうな気配がして、美代は姿勢を崩すと枕を抱え込むようにしてベッドヘッドに寄りかかった。それを咎められるようなこともなく、予想は当たりだろうと、一言も漏らさないように耳へと神経を集中させる。
「客が注文するメニューの名前が詠唱だ」
「……あー、だから多少の詠唱の違いがあっても大丈夫なのね」
つまりは「おにぎり」と「おむすび」ということだろう。
それぞれを注文しても、出てくる品物に差異はほとんどない。
「そう。メニューによって値段も違うわけだが、今のお前ではどのメニューを注文するにも、持ってる金を全部出すことになるだろう。そのメニューの値段がわからないからな、実際のレストランと違って残念ながらおつりは返ってこない。
代わりに、出された金額分のメニューがテーブルに並ぶことになる」
「んー……一ガロンの物を買いたくて十ガロンを出したら、十個来るのね」
「そういうことだな。そして、雷斗に使った治療術。注文した料理を他人に食べさせて治療するわけだが、必要な料理の数を越えて注文した。
そんで、それを全部食べさせた。腹が一杯だと言っても、口に無理やりツッコんでな」
「あっ、吐く。倒れる」
「だろ」
バーナーが魔術を使わないでほしいと言った理由がわかった、白魔術を使えても全力の魔力でぶつかってしまえば、悪化する可能性が高くなるのだ。
コクコクとうなずき、持っている疑問をぶつけてみることにした。レストランに例えてもらっている今なら、普通に聞くよりもわかりやすい気がする。
「略式詠唱だと何か変わる?」
「値段が上がる」
「無詠唱は……」
「財力が突き抜けすぎてる。建物だけを提供してもらって、材料や内装を自腹でそろえた上に調理を自分でやって、提供しているような状態だからな、一人で経営して赤字を出さずにいるようなもんだ」
バーナーの話をまとめてみると。
通常の詠唱の場合は、レストランで普通にメニューを注文しているようなもの。材料調達や調理は調理師が行ってくれる。注文されなければ料理を出せないため、提供には少々時間がかかる。
これが略式詠唱になると、材料はこちらですべて用意する変わり、調理はそちらでお願いします。ということになる、材料である程度の料理は予想できるので提供が早くなる、というわけだ。
無詠唱になると建物だけを建ててください、残りは全てこちらの持ち金で行います。ということらしい、それを注文するたびに行わなければならないのだから、相当な財力がなければ早々に枯渇してしまうだろう。
財産が無くなるだけならばいいが。魔力が尽きれば、最悪、命を落とすのだ。
「ちなみに、略式なら防がれにくい。注文してから提供までが早いからな」
「なるほどなぁ。わかった、ちゃんと魔力の調整が出来るようになるまで……極力使わないようにする」
「おい」
「命に関わるようなら、対象者が後から倒れてしまっても使うよ? 今回みたいにね」
仕方がなさそうに、どこか納得がいかないような表情を浮かべながらも、バーナーはうなずいてくれた。
「じゃあ、雷斗とブルーを呼んで、ご飯を食べに行こう! すっごくお腹空いてる!」
「そうだな。行こうか」
抱きかかえていた枕を脇に置き、勢いよく立ち上がると腹の音がキュルルと響いて顔を赤くしてしまい。
バーナーはそんな美代の頭をクシャクシャと撫でながら一緒に部屋を出るのだった。




