黒との対面
『次のニュースです。昨日、花丘町で起きた地震は……』
一階へ降りてみると、そんなニュースが聞こえてきた。美代は目を鋭く光らせながらも、食卓の上にある食パンを半分摘まむ。
昨日のそれは、地震とは程遠い現象だった。学校を中心に、半径約五百メートルで起きたそれは建物のみを揺らし、崩れ落ちさせていたのだ。
道路や電線などに一切の被害がなかったのは幸いだろうとニュースでは伝えられ、同時に、地震の止み方も不自然だったと話している。
美代には心当たりが、一つしかなかった。
「あいつは一体……」
テレビを睨むように見ていると、後ろを誰かが通り、衝撃で膝が折れた。苦々しい顔をしながら駆け抜けていった子供たちに視線を向け、『謎の青年が現れ、竜巻を使い小学生を救った』と言葉をつづけるコメンテイターの声を耳に入れる。
半径内の建物はほとんど壊れてしまい、地震の範囲外にあった上野家は一時的な避難所と化していた。子供たちは暇を持て余して家の中を走り回り、学生たちは読書だったり勉強だったりと各々に好きなことをし。大人たちは、解せない現象に怯えていた。
そんな家の中に美代は深くため息をつくと最後の一口を飲みこみ、ウィングについて、ああだこうだと言っているテレビに背を向け二階に向かう。
今、我が家でゆっくりできるのは、自室だけだった。
「美代、いる?」
ノックもなく、沙理が入って来た。美代はそんな彼女に苦笑しながらベッドに腰を降ろす。
「あ、まだパジャマだ」
「ん。どうした?」
「出かけてみようと思ってさ。美代もどう?」
「出かける? どこに?」
「学校方面。こう……野次馬根性、みたいな」
ようするに、昨日はあまり見られなかった現場を、よく見てみたいと。
美代は思わず吹き出し、立ち上がった。クローゼットを開けると沙理を振り返る。
「私もどんな状況か見てみたいし、行こうか」
「じゃ、外で待ってるね! ちゃんと玄関から出て来るんだよ」
と、手を振り、部屋を後にした。美代はしばらくクローゼットとにらめっこをし、普段通りの無地のシャツとジーンズパンツに、少し大きめのコートを羽織る。
「……昨日のあいつのこと、何かわかればいいな」
呟いた声はどこか緊張しており。美代は一度頭を振ると、玄関に向かうのだった。
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道路が起伏しているわけでもないためか、特別避けるガレキもなく、二人は崩れ落ちている建物の残骸を見渡しながら学校へ向かっていた。
「……誰もいないね」
「まぁ、得体のしれない地震だったし。みんな家の中でニュースでも……」
不意に、美代は立ち止まると、沙理の体を自分の視線とは反対方向に向けた。突然体の向きを変えられた沙理は当然驚き、振り返ろうとする。
顔を挟み込むようにしてそれを押さえつけられると、両頬がむにゅっと歪んでしまった。
「なに?」
「向こうを見てて、空き地を見ちゃダメ」
と、沙理をその場に置き、美代は空き地に足を運んだ。
そこには、血だまりの中に倒れている男性がいたのだ。
赤黒くなっている地面に眉を潜めながらも、美代は男性の脇に腰を落として首筋に手を置いた。ますます眉を寄せ、今度は、一番血が出ている跡がある頭部へ視線を運ぶ。
「なー、それ、ちゃんと生きてるだろ?」
前方からの声に、美代は勢いよく顔を上げた。上げそうになった声をどうにか飲みこみ、目を見開く。
昨日、学校の上空で見た男が、目の前にいたのだ。
「……いつからそこに?」
震えそうな声を必死に押さえつけながら、美代は青年の事を上から下まで舐めるようにして見つめた。
着ている服のせいだろうか、やはり青年は真っ黒で、長い紺碧の髪に血の色の目が妙に映えていた。そして昨日は判らなかったが、背が高い。たとえ自分が立ったとしても、首が痛くなる程度には見上げる必要があるだろう。
「んー、少なくともお前よりは早かったと思うよ?」
「この人は、お前が?」
「わざとじゃない。遊んでたら突然入って来たからビックリして、ちょっとやっちゃっただけだ」
ムッと眉を寄せ、倒れている男性を見た。一体何で遊んでいたのかは分からないが、この青年が男性に何かしらの危害を加えたのは間違いないだろう。美代も彼同様に眉を寄せながら、男性に目を向けていた。
「でもほら、生きてるし、傷もちゃんと治してやったもん」
美代が眉を寄せていたのは、そこだった。酷い出血の跡があるにも関わらず脈は安定し、どこにも傷跡がなかったのだ。黒い青年は美代に近寄ってくると視線を合わせるようにストンと座り込み、それに対して美代は体を緊張させる。
「なぁ、聞きたいことあるんだけど」
声色が変わり、低くなったそれに、美代は緊張する体を無理やり動かすと立ち上がった。わずかに後退し、青年を睨む。
「お前の名は? お前は、何者なんだ?」
座ったまましばらく美代を見上げていたが、口を細く開いて笑うなり立ち上がった。首をかしげ、ニコニコと笑っている。
「ん? オレの名前はブラック。そうだなー……お前にとっては、何だろう、敵? になるのかな」
薄く開いている口が僅かに動いた。一体何をされるのかは解らない。が、この男は危険である。
美代の脳裏に警鐘が響き、即座に走ると空き地の外に立たせていた沙理の手をすれ違いざまに取った。一応会話は聞こえていたのだろう、沙理も抵抗することなく走り出す。
「美代! あいつ、何なの!」
半ば悲鳴のような声を出し、息を荒げながらも沙理は美代に着いて行くように必死に足を運んでいた。それでも半ば引っ張られるような形になっており、今にも転んでしまいそうだった。
「ち……」
このままでは、確実に追いつかれる。
美代は近くのガレキに隠れると沙理の正面に立ち、彼女の肩を握った。不安そうに瞳を揺らして貪るように息を吸っている彼女に微笑みかけると、優しく頭を胸元に押し付ける。
「沙理、一人で逃げて。私の家まで、全力で」
「美代は、どうするの!」
「大丈夫、昨日だって大丈夫だったろう? 誰にも言うんじゃないよ、きっと誰も信じてくれない。だから」
力強く、自信たっぷりに言われた言葉は、有無を言わせてくれなかった。沙理は小さく頷くと呼吸を無理やりに整え、ガレキの影を出てまっすぐに走っていく。
「そんなところに隠れたつもりか?」
すぐ後ろから聞こえた楽しげな声に、美代は近くに落ちていた鉄パイプを掴むとブラックに向けて構えた。ブラックは口の端を上げて笑い、美代に近づく。
「戦うの? オレと」
「多少の時間稼ぎには、なるだろうよ!」
大きく振り上げ、突進しながら遠慮なくそれを振り下ろした。ブラックは体をわずかに捻って避けるが、唇を尖らせるとすぐに体を反らせる。
美代がブラックの脇を通り抜ける際に、鉄パイプを鋭く突き出していたのだ。
「へぇ、やるじゃん。でも」
背を反らせたまま鉄パイプの先端を握り、体を半回転させながら思い切りそれを引いた。美代は体がさらわれる前にそれから手を離し、他に使えそうなものはないかと視線をめぐらせる。周囲にあるのは角材ばかりだったが、ないよりもマシだろうとそれに腕を伸ばした。
「弱い」
だが、ブラックは美代に新たな武器を拾う暇を与えず、鉄パイプを鋭く振るった。美代は慌ててそれを避けるが、避けた先にも突き出され、後ろに逃げる事しか出来なくなってしまう。
とうとうガレキの壁に当たり、それでもなお突き出される鉄パイプにきつく目を閉じた。風が顔面を叩き、それでもやって来ない衝撃にゆっくりと瞼を開く。
鼻先ギリギリで鉄パイプは止められており、どこか楽しそうに笑っているブラックのことを睨みつけた。
「聞きたいこと、あるんだけど」
「……これが人に物を訊ねる態度か?」
「昨日の男、知らない?」
美代は、自身の喉がヒュゥと鳴るのを確かに聞いた。ブラックは鉄パイプを放ると美代の両手首を右手でまとめて掴み、そのまま体をヒョイと持ち上げる。視線を合わせると、彼女の瞳を覗き込み、目を細めた。
「答えろ」
「知らない」
迷うことなく言い放つと、しばらく沈黙が流れた。ブラックは短く息を吐き出すと、空いている左手を軽く握る。
美代は見えたものに思わず目を見開き、ブラックを見つめた。
空間から滲みだすように、左手に大きな剣が姿を現していた。
それは恐らく、美代と変わらないほどの大きさがある両刃剣――いや、それはよく見ると、片刃刀が峰と峰が背合わせになっているようなものだった。そのせいで両刃剣に見えたのだろう、片刃刀の間には僅かな隙間が見えている。
その剣を軽々と片手で持ち上げると、美代の顎を剣の腹で軽く叩いた。
「じゃあ、呼べ」
「名前も知らないのにどうやって?」
吊り上げられているために肩へ全体重がかかっており、ギシギシと骨が鳴っているようだった。それでもここでひるんでしまえば、そこに付け込まれてしまう、怯えを見せてしまえばますます不利になっていくだろう。
そう思い、美代はただまっすぐにブラックの目を見つめ続けた。彼は剣の切っ先をわずかに降ろし、眉を寄せる。
「名前が解らなくても叫ぶなり助けを求めるなりすればいいだろ、ガキらしく」
当然のごとく言われたそれに、ビキリと、こめかみに青筋が浮き出た気がした。美代は目を吊り上げ、舌を突出し、そっぽを向く。
「だーれが叫ぶか、助けを求めるか! 別にー、その辺のガキと違ってそんなに騒ぎませんしー!」
そう言うと今度は、ブラックの顔が引きつった。手を離すと美代を地面に落とし、冷たい目で見下ろす。あまりに急だったため受け身を取ることも出来ず、美代は痛む尻を擦りながら顔をしかめ、俯いたままだった。
「いったぁ……」
「少し、痛い目に遭いたいみたいだな?」
鋭い声に顔を上げると、ブラックの手が正面まで伸びてきていた。美代は声を詰まらせ、硬直する。
伸ばされた手はそのまま、抵抗することも出来ずにいた彼女の、胸に置かれていた。
「ちょ……っとおおおおおおおお!」
「……うおええええええええええええええ!」
驚きに叫ぶ声が響いた一瞬あと、ブラックの戸惑うような叫び声が重なるようにその場を駆け巡った。慌てて美代と距離を取り、彼女に振れた右手を振っている。顔どころか首筋まで真っ赤にし、ギュッと眉を寄せている彼に、美代も頬を紅潮させていた。
「え、あ、え……お、女、の子?」
「え、そこ? いくらなんでもコート羽織って体型が判らないからって、そこを疑われるのは初めてなんですけど! てか胸触られて泣きたいのは私の方なんですけどぉ!」
自身の体を抱きしめるように腕を回し、あまりの動揺のせいなのか、なぜか瞼を痙攣させているブラックに向けて全力で叫んだ。彼は体を反転させると美代に背を向け、肩を震わせる。
「あ、あの男に会ったら、この町にある森に来いって伝えろ!」
早口に言うと、そのまま瞬時に姿を消してしまった。本当ならばそれにも驚かなければならないのだろうが、美代はその空間を睨みつけたまま、全身の毛を逆立たせる。
「あの野郎! 絶対にぶん殴ってやる!」
全身が熱くなり、ギチリと、骨や筋肉が大きく伸びたように感じた。腹筋を使って跳ね上がるように立ち上がると予想通り視線が高くなっており、何度か手を握ったり開いたりする。
「……感情の高ぶりと、変身の意思? が、鍵なのか」
クシャリと髪を握ると、羽根飾りに手が触れた。元々くっ付いていなかったようにするりと落ちてしまい、ウィングは目を丸くしてそれを拾い上げる。
初めて見た時には気づかなかったが、ほんのりと明かりを放っていた。プラスチックよりも軽く、鉄並みに硬いそれを隅々まで見ながら、何気なく芯を柔らかく握る。
青白い閃光が一帯を走り、握る羽根の芯が掌で変化した。眩しさに閉じた目を薄く開き、自身が持っているものを確認して目を丸くしてしまう。
羽根は、一振りの剣に変わっていた。握り心地は良く、まるで自分に合わせて作られたかの様だった。青白い刀身が纏う光は先ほど放たれたものよりは柔らかく、そして暖かい。
頭飾りだと思っていたそれが剣となったことに驚き、思わず手を離してしまうと、剣だったそれは元の羽根飾りに戻っていた。
「……もう色々考えるのは止めた、どうせわかんねぇ」
ため息交じりにぼやき、ウィングは羽根を摘まみ上げると頭の輪にそっと乗せた。すると羽根は元の通りそこに落ち着き、手を離しても落ちてこない。
「あいつ、森に来いって言ったな。森? もしかして、学校の裏にある山のことか」
トン、とつま先で地面を蹴り、ガレキの陰から表に出ると。ウィングは疾風となり、町中を駆けた。