わからない感情
パチパチと何かが焼ける音が耳に届き、美代は薄く目を開いた。ぼんやりとしたまま体を起こし、たき火を見つめる。
「気が付いた」
掛けられた声に肩を跳ね、目を擦ると声の主を凝視した。周囲を見回して目を瞬かせ、唇を一文字に閉じたまま、たき火に巻をくべているブラックを見つめる。
「なに。あぁ、なにが起きたかはわかる?」
「……ここ、どこ。なんで、夜」
「バーナーたちが龍の本体を叩いた瞬間、あれの魔力がほぼ同時に、膨らんで縮んだの。そのせいで意図せず空間がねじれちゃって、そのど真ん中に居たボク達はねじれた先の場所に飛ばされちゃったってわけ。……ちょっとその顔面白いから止めて?」
目を点にして口を閉じ、困ったように眉をキュッと寄せている美代に、ブラックは顔を背けると小さく笑った。笑われた方は頬を膨らませ、ふと自分にかけられている布を見る。
それは袖口と裾を裂かれた彼のコートで、頭元には同じ色の布団子が置いてあった。そっとほぐしてみると、裂かれた片割れであることがわかる。
「そんなに困った顔をしないで。魔力の回復が追いつかないから、ボクはきみになにも出来ないし、前も言ったと思うけどきみを傷つけるつもりはないよ」
ブラックの右腕と左足には赤黒い布きれが乱雑に巻かれ、白い肌にも血がこびりついていた。目の下にクマを作っている彼に、美代はコートから抜け出すと一人分のすき間を空けて隣に座る。
たき火の周りには焼けた肉が大きな葉に乗せられており、まさかそんなボロボロの状態で狩りに出かけたのかとブラックのことを見上げてしまった。その視線に気づいたのだろう彼は視線を下げ、美代と目を合わせる。
「心配しなくても、空 魔 箱から出したんだ。今のボクには、火 球を使うだけの魔力もないからね」
「……ねぇブラック、魔術のことを、少しだけ教えてほしいんだけど、いい?」
「うん? 別に構わないけど、美代は魔術を使わないでしょ」
「知識として、知っておきたいんだ。……詠唱を知りたいの、ほら、この前は瞬間移動術の詠唱をしてたでしょう?」
『我汝に命ず 場を歪め 我が願いし場所へ 連れて行け』
記憶を頼りに言ってみると、ブラックは目を丸くした。それでもすぐに、どこか愉快そうな笑みを細く浮かべてうなずく。
「そう。ある程度の術なら使うから、知りたいものがあったら言って。術の名前がわからないなら、どんなものかを言ってくれればいいよ」
「ありがとう。じゃあ……」
火 球
炎の者よ 我願う 汝が力もて 我が敵を 焼き尽くさんことを
修 復 術
時よ戻れ 破壊されしもの そなたがあるべき姿 取り戻せ
影 縫
光無き処に住む者よ 汝が力もて 我が敵 封じたまへ
リペ
慈悲深き者 哀れし者 汝が力もて 願わくばこの者の傷 癒す助力に なりたまへ
空 魔 箱
大気の精よ 我が魔力を対価とし この場を無限の箱へと 成したまへ
斬 裂 血
赤き深淵よ 黒き紅よ 我が前の者 等しく滅ぼしたもう その代償 我が紅き通貨なり
つらつらと術を並べる美代に、ブラックは一つずつ、詠唱を教えてくれた。美代がそれを復唱するたびに楽しそうな笑みを零す彼に、首をかしげてしまう。
「えっと、美代。一つだけちょっとおかしいね。治療術だよ」
「治療術。……うん、覚えた。それだけ術を、あんまり聞き取れなくて……」
「ふふ、ボクの魔力が万全だったらもっと教えてあげられるのに。残念だなぁ」
「ううん、詠唱がわかるだけでもありがたいよ。ごめんね、疲れてるだろうに」
「構わないよ。美代こそ、疲れてるんじゃない? はい、これを食べたら寝た方がいい」
そう言って渡された肉は、カチカチに乾燥していた。茶色だったのでてっきり焼けた肉だと思っていたのだがそうではなかったらしく、目をパチクリとさせながら指先でつつく。
一口大に切られているそれを恐る恐る口に含んでみると、見た目通りに硬かった。どうしたものかとこっそりブラックを見上げてみると、彼も肉を口に入れているところだったのでそれを観察する。
「……美代、干し肉、食べたことない?」
「ふえっ? あ、うん、なんか似たようなのは食べたことあるけどこんなに硬いのは初めて!」
流石に視線を感じたのだろう、ブラックは顔をこちらに向けないまま、訪ねてきた。彼の食事風景を横目で見ながら口内で肉を遊ばせていた結果、唾液を含ませながらゆっくりと噛んでいけば柔らかくなることがわかり、それを実践している最中だったので思わず声が裏返ってしまう。
カーッと頬が熱くなるのを感じ、美代は俯いた。クスクスと笑う声が聞こえるが、顔なんか上げられない。
「あんまりたくさん食べたらダメだからね」
「うん。もう、すごく眠いし……」
「じゃあ頑張ってあと一つ食べよう、そうしたらおやすみ」
小さく頷き、美代は二つ目の干し肉を口に入れた。同時にブラックも含んでいたが食べ慣れているのだろう、苦も無く噛み砕いている。
かと思えば、飲みこむ時には少し辛そうに眉を寄せており、無理をしながら肉を食べ進めているように見えた。食べるのがきついのならば止めた方がいいのに、と手を伸ばしかけ、ふと止める。
恐らくは魔力の回復のために、無理やり体の中に栄養を入れているのだ。ならば魔力のことをあまりよく知らない自分が、あれこれ言うべきではないだろう。
そう判断し、口の中身を飲みこむと美代はコートの中に潜りこんだ。ブラックに顔を向けるとなおも肉を咀嚼しており、眉間にはシワが寄っている。
「……おやすみ」
「ん。まぁ、明日にはバーナーの所にきみを送れるよう、頑張るよ」
「ありがとう。だけど、無理はしないで」
ブラックの表情が少しだけ驚き、柔らかくなった。美代は深く息を吐き出しながら目を閉じ、体の奥でズキズキと痛み始めた熱をごまかすよう、寝返りを打つ。
欠伸を零し、美代は眠りについた。
干し肉のブロックを一つ分、無理やり胃袋に詰め込み、ようやくたき火を消して眠りにつこうとしたその時。
聞こえてきたカチカチという微かな音に、ブラックは鋭く周囲を見た。人の気配どころか生き物の気配すら感じられず、気のせいかと浮かせた腰をおろす。
「……やっぱり聞こえる」
となれば、自分の他にここにいるのは、一人しかいなかった。
「美代、どうしたの」
コートの中で体を丸めてしまい、青ざめる彼女は歯を小さく打ちならし、震えていた。抱えあげてみると体は冷たく、額は熱い。
熱っぽい吐息交じりの浅い呼吸を繰り返し、苦しそうに咳き込んだ美代は薄く目を開けた。充血した目の端に浮かんでいる涙に、ブラックは眉を寄せて指の腹で拭ってやる。
「酷い熱……」
焦点が定まらないままにこちらを見上げ、腕を伸ばすと彷徨わせていた。その手を掴むと美代は肩を跳ね、不安そうに顔を歪めて咳き込んだ。
(そっか。今日はずっと、雨に打たれていたもんね)
胡坐をかいて膝の上に座らせると、ブラックは美代の腹部に手を置いた。ずっとケホケホと咳き込んでいる彼女の喉元にもそっと掌を乗せ、いやいやと首を振るその体をキュッと押さえつける。
「美代、大丈夫。ちょっとだけ、我慢してね」
震え始めた美代を落ち着かせるよう、腹部を優しく、一定のリズムで叩いてやった。目を閉じてホロホロと涙をこぼし、息を詰めるようにしている彼女は何に怯えているのか。
知ろうと思えば、自分ならば知ることはできる。だけどそれを、したいとは思えなかった。
「……大丈夫。ゆっくり、少しずつ流せば、大丈夫」
と、喉元に置いた手から、少量の魔力を流した。
その途端、美代の体は大きく跳ねた。嗚咽が上がり始めた時には目を丸くしたが、糸のごとく細く削った魔力をゆっくりと流し続け、嫌がる彼女の体をきつく押さえつける。
少しずつ、確実に動きが小さくなっていく美代に、焦りを隠すことはできなかった。慎重にやってはいるものの、もし魔力を送り過ぎてしまえば……体調不良を落ち着かせるどころではないだろう。
ふ、と体から力が抜け、ブラックは魔力を止めた。静かな寝息が聞こえ始め、額に手を乗せてみてからようやく息をつく。
「……今度こそおやすみ、美代。ごめんね、無理やり熱を抑え込んで……。バーナーたちと合流してから、村でゆっくり休んでね」
彼女は体が弱いはずなのに、どうしてそれを気づけなかったんだ。
魔力を流し過ぎるとよくないって、誰から教えてもらったんだっけ。
そう思った瞬間、ひどい頭痛に襲われ、ブラックは美代を膝に抱えたまま体を小さくした。割れるような痛みの理由を考えるのも面倒くさくて、倒れるように横になってから、くありと欠伸する。
そしてそのまま、睡魔に従うよう目を閉じてしまうのだった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
雷斗は、目を覚ましたもののぼんやりとしているブルーを膝の上に抱きしめ、冥想をしているバーナーの背を心配そうに見つめていた。
地下神殿に行っている間に地上で起きたことは、イフリートから報告を受けたバーナーが簡潔に教えてくれた。担いでいた盗賊はどうしたのか訊ねてみたいが、ピリピリと神経がとがっているのを感じて何も聞けずにいる。
今はとりあえず、目を覚ましたブルーに、バーナーの指示で火が通っていない魚のすり身を食べられるだけ食べさせていた。自身は焼いた鶏肉を口にし、バーナーは何も食べずにただ冥想を続けている。
美代は心配だが、彼女がどこに居るのかがわからないため、探すに探せない。どうしようもない状態なのだ。
「……イフリート、どうした」
イフリートは随分前から、主人の炎を勝手に使って姿を現していた。目を閉じ座禅を組むバーナーの服をついばみ、引っ張り、何度も小さな鳴き声を上げているのはわかっていた。
とうとう、バーナーも集中力が途切れてしまったのだろう、使い魔を止めようと腕を伸ばす。
「止めないか。オイラは今、ブラックの魔力を追っているんだ。出来るかどうか、わからないけ、ど……? あ、ああああああああ!」
突然の叫び声に、雷斗は目を丸くして体を跳ねた。ブルーもわずかに身を震わせ、緩慢にバーナーを見上げる。
「そ、そうか! 美代はオイラの一族衣装を羽織っていたな! それを追えば……でかしたぞ、イフリート! あぁ、なんで今まで気づかなかったんだ!」
「美代殿がいる場所が、わかったのか」
「わかる。美代が火炎族の服を、あの衣装を着ている限り、イフリートが場所を探せる。あれはオイラの炎だ! だからお前、オイラの服を引っ張ってたんだな!」
高らかに鳴く様子をみると、正解らしい。
あまりに集中しすぎて自身の言葉を聞いていなかった主人にようやく言葉が届いたイフリートは、どこか嬉しそうに羽ばたいていた。
「どうするんだ、バーナー」
「探せることがわかれば、それでいい。今日はもうここで休む、ブルーはもちろん雷斗も疲れているだろう」
「美代殿は大丈夫なのか」
「大丈夫だろうよ。もし万が一、があっていたら……その時は、炎の海を泳がせてやるだけさ」
薄く笑った口元に、雷斗は背を静かに凍らせた。それも一瞬のことで、バーナーは毛布を広げるとブルーの体をヒョイと抱えあげ、くるんでしまうと膝に座らせる。突然の行動にポカンとしていた雷斗も体を引き倒され、バーナーの膝の上に上半身を乗せていた。
「もしかしたらブルーは、明日もこんな感じかもしれない。一族の力を使いすぎて、休んでも眠たい状態になっているみたいだからな。その場合オイラが背負っていくからいいが、雷斗には自力で歩いてもらうことになる。だから、ゆっくり休め」
「しかしバーナーよ、ブルーを膝に乗せて私を膝枕してしまえば、お前は眠れないんじゃないか」
「今日はこっちの方が休めそうだ。寝たら……異変があっても、起きられそうにない。なら二人とも体にくっ付いてもらってれば、何かがあってもすぐに対応できるだろ」
当たり前のように言った彼に、雷斗は苦笑してしまった。ポンポンと背を叩かれ、心地いいそのリズムに瞼が重くなっていくのを感じる。
「おやすみ、雷斗。良い夢を」
「……ありがとう、おやすみ」
バサリと、イフリートがバーナーの肩に腰を落ち着けたのを見て小さく笑いながら。雷斗は深く息を吐き出して目を閉じたのだった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
パチパチと薪が爆ぜる音に、身に覚えがある光景だなと思いながら美代は体を起こした。目を擦りながら周囲を見てみるとブラックの姿はなく、息を飲む。
置いていかれたのかと背を震わせ、バーナーたちの元に送ってくれると言ったじゃないか、とイヤな考えを振り払うよう首を振った。コートから這い出て、大きな葉の上に置いてある干し肉を見つめる。
その隣の地面に、文字を見つけた。消してしまわないよう、そして肉を落としてしまわないよう気を付けながら、全文を見やすくするために葉っぱをどける。
――みずをとってくる どこにもいかないで すぐもどる――
たき火の傍には先端が削れてしまっている枝があり、彼が木の枝でこれを書いたのだと思うと微笑ましかった。ガタガタに歪んでしまっている文字だけでも、一生懸命書いている彼の姿が目に浮かぶ。
食べやすい大きさにちぎられている干し肉を口に含み、舌の上で遊ばせながら辺りを見回した。ブラックがいつここを離れたのかはわからないけれど、すぐに戻るというのであればそうなのだろう。
ならば、コートに包まりながらのんびり待とうか。
もぞもぞと後ろに下がり、コートの中に潜りこむと、美代は静かに目を閉じた。
砕けた岩のすき間から細く流れ出ている湧水で竹筒を満たし、自分自身も口の中を湿らす程度にふくんだ。体の芯まで響くような冷たさが心地よくて、目を薄く閉じると深く息を吐き出す。
昨晩、無理やり食料を胃袋に詰め込んだ甲斐があってか、火 球は何の苦もなく唱えられるほどの魔力は回復出来ていた。本音を言えば治療術を使って痛む傷を治したいところだが、美代をバーナーたちの元に帰す方が先だと魔力の消費を抑えている。
「昨日は干し肉だけだったから、美代も喉が渇いてるだろうな……」
早く戻ってやりたいというのは山々だが、龍から受けたダメージは消して小さくはなかった。傷口を洗えば鋭利な刃物でグリグリと肉を抉られているような痛みが走り、奥歯を噛みしめて喉元まで出かかった悲鳴を息と一緒に呑みこんでしまう。
術を使えば、傷は一瞬で治るが瞬間移動術を使えないかもしれない。
水が痛いからと放って置けば、恐らく傷口が悪化して、みんなの元に戻った時にこっぴどく怒られる。絶対に怒られる。それは嫌だ。
そうなれば今、この痛みを我慢するしかなかった。
「そもそもどうして、こんなにも美代のことが気になるんだろ……」
小さくため息を漏らした、その直後。
ザワリと髪の毛が逆立つ感覚に、ブラックは目を吊り上げた。
「美代……?」
胸騒ぎがした。なにかがあったのかもしれない。
治療もそこそこにして、ブラックは立ち上がると美代の元へ急ぐのだった。
「離せっ離して……ヤダあああ!」
鼓膜を殴りつけた美代の悲鳴に、ブラックは音をたてて血が引いて行くのを感じた。頭が何かを考える前に体が勝手に動き、痛みも忘れて地面を蹴る。
「ブラック! 助けてっ……こないで! いやあ!」
「美代!」
そこに見えたものは、美代を押し倒している二人の男だった。一人は頭もとに座り込んで彼女の両腕を頭上に固定し、もう一人が服に手をかけている。顔をクシャクシャにして涙を流し、頬を紅潮させて目を見開いている美代の姿を見て、ブラックはその表情を殺した。
「この女の連れか」
「金目のものは……持ってなさそうだな。おい、こいつを傷物にしたくなきゃ」
「なにをしたの」
かすれた声でつぶやいたブラックに、美代は霞んだ目で彼を見上げた。はくはくと唇だけが震え、言葉が何も出てこない自分のことを見て、彼は目を凍らせる。
「あぁ? なんだって?」
ブラックの言葉と、続いた男の言葉は、いつか聞いた会話と重なって。
「美代に、なにをしたのかと聞いているんだ!」
次に起こった出来事も、遊園地であったことと同じだった。
男たちの体が木に叩き付けられ、その勢いで木の幹が折れてしまった。ざわざわと蠢くブラックの髪は重力を無視して逆立ってしまい、肩を激しく上下させながら荒い呼吸を繰り返して、目を充血させている。
「殺してやる……ううん、殺しちゃいけない……八つ裂きにしてやる、ダメ、ダメだ。潰してやる、体を刺して呼吸を止めて、地上で溺れさせてやる……いや、ダメだ!」
呪詛のように吐き出す言葉を、ブラックは一つ一つ、自分で否定していた。美代は肌蹴てしまった着物を胸元でかき寄せ、手の甲で目を強くこすり付けて無理矢理に涙を止める。
「殺す……殺す殺す殺す、ボクはお前たちを許さない……許せない、なんでダメなの……いけないことだから? どうして、いけないの……だって、こいつらはボクのたいせつなひとを」
「ブラック、私は大丈夫だよ」
ガタガタと全身を震わせ、頭から、口の端から血を流して気を失う男たちを、血走った目で見つめるブラックの背にそっと抱きついた。ビクリと大きく体が跳ね、肩越しにゆっくりと振り返る。
「大丈夫、大丈夫。ブラックが助けてくれたから、だからもう、止めて」
「……美代」
ブラックの体から力が抜け、髪の毛がストンと落ちてきた。頭部を覆われてしまいそっと掻き分けて、泣き出しそうな表情をしている彼に向かって微笑みかける。
「ごめんね、ごめんね美代。置いていったから、ボクが美代を一人にしちゃったから」
「泣かないで、私はちゃんとここにいるよ。この男の人たちが起きる前に、ここを離れよう? ブラック、怪我は大丈夫? 歩ける?」
元々黒いズボンは湿っているせいかその色を濃くしており、湿らせている液体はズボンの裾からぽたぽたと滴って地面に赤黒い水玉模様を描いてしまっていた。ブラックは深くうつむいて落ちる雫を眺め、口の端を緩めると美代の頭に手を乗せる。
クシャリと髪を撫でつけられ、美代は何気なくその掌にすり寄っていった。
「……ここでお別れだね」
「えっ」
「瞬間移動術」
術を唱えて姿が消える瞬間の美代は、戸惑いのあまり瞳を揺らし、また泣き出しそうな表情になっていた。
だけど大丈夫。ちゃんと、バーナーたちの近くまで、飛ばせたはずだ。
「悲しそうな顔は、見たくないから。……殺しはしないよ、大丈夫」
さっきまで美代の頭を撫でていた手を名残惜しそうに見つめ、緩く拳を握った。目を覚ましたらしい、フラフラと立ち上がった二人の男へ、感情が見えない視線を送る。
「そう。殺しは、しないよ」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
ぐったりとしているブルーを背負いながら、雷斗はイフリートの後を追って走るバーナーの背中を見失わないよう、無心に足を前に出していた。
朝早く、バーナーがブルーを背負おうとしているのを止め、自分がその体を預かった。彼は自分が疲れているだろうからと断ったのを、半ば無理やりに奪い取ったのだ。
(もし万が一何かがあった時、私では二人を守れない)
「雷斗、大丈夫か」
心の中でも読まれたのかと、雷斗は目を丸くした。走りながらもわずかに顔を動かし、こちらを見ているバーナーに小さくうなずく。
「思った以上に距離があるみたいだ、少しペースを落とす……おいイフリート!」
急に止まり、上空に向かっていった。しばらく頭上を旋回するとすぐに降りてきてバーナーの肩に乗る。耳元で小さく鳴くと再び翼を広げた。
そして進んでいた方向を外れ、背が高い草が雑多に生えている中を、自分の体で少しずつ燃やしながら進んで行った。少し開けた場所に見えたのは、ポツンとした黒団子。
「み、美代!」
「……!」
声を掛けると彼女は勢いよく顔を上げ、きつく眉を寄せた。近くに膝をついて座ったバーナーの懐に迷いなく飛びついて行き、頭を強く胸板に押し付けて背中を震わせる。
声を出すこともなく、美代が泣いていることだけはわかった。恐ろしかったのか、不安からの解放なのか、別の何かがあったのか。今はその理由がわからないけれど、ただそっと背中を撫でてやる。
少しずつ落ち着いてきたらしい彼女は目元を強くこすって顔を上げ、ふにゃりと力なく笑った
「……ただいま」
「……おかえり」
「美代殿、大事ないか」
訊ねられ、小さく首を縦に振った彼女は、嘘をついていた。それは二人とも、見て判った。
だけど。言いたくはない、と言わんばかりに唇を引き締める美代を見て。それを問いただすことはできなかったのだ。
「ねぇ、ブルーは、ブルーはどうしたの」
「大丈夫だよ、力を使い過ぎて回復が間に合っていないだけさ。明日には歩けるようになるだろう」
「よかった……」
「お前は大丈夫なのか。今日はここいらで野営をしよう、ゆっくり休め、村まではまだ少し距離がある」
雷斗を振り返ると、彼も同意した。
美代は着物をかき抱くようにして胸元に寄せると首をかしげ、袂をごそごそと漁った。目を丸くした彼女がそこから出したものは、彼女の武器である羽根。
「いつの間にこんなところに……!」
「まぁ、よかったじゃないか。雷斗はここで留守番を頼んだぞ、オイラは色々と調達してくる」
「わかった」
そう言ってバーナーはイフリートと雷斗を残し、その場を去った。気怠そうに目を擦るブルーを横にしている雷斗を横目で見ると空を仰ぎ、着物に隠すようにして持っていたコートの切れ端を握り締める。
自分をバーナーたちの元に送り届けてくれた彼が、「みんな」の元へ無事に帰れますように。
そっと顔に近づけて口に触れ、美代は目を閉じるのだった。




