負の遺産・2
神殿の中に入った瞬間からむせ返るような血の臭いに襲われ、雷斗は咄嗟に口元をきつく押さえた。バーナーは少しばかり眉をひそめるだけで、真っ青になっている雷斗の頭を胸元に押し付けてやる。
「思ったよりもひでぇな。これで少しはマシになるか」
顔に巻き付けられたのは厚手の布で、鼻まで覆われたそれに慌てて手を伸ばした。
ふと、息苦しさを感じないことに気付き、バーナーを見上げる。ポンポンと頭を撫でてくる彼は、雷斗の表情がわずかに回復したのを見て、柔らかく笑った。
「さて、雷斗。雷雲族の元まで案内してくれ。歩き難いなら背負ってやるぞ」
「……だいじょうぶ、だ。行ける」
鼻と口を隠してくれたおかげで、臭いはだいぶん軽減されていた。視覚情報はどうしようもないが、そこまで甘えたくはない。
「ムチャはするなよ」
それをくみ取ってくれたのだろうか、バーナーはそれ以上何も言わなかった。コクリと息を飲みこみ、薄暗い廊下の先を見つめる。
湿気を感じる生暖かいこの空気は、おそらくそう言うことなのだろう。この周囲には死体が見られないのにこれだけの臭いがするということは、中は一体どうなっているのか。
心の覚悟もままならぬままに。バーナーが歩き始めたのに合わせ、雷斗も足を踏み出した。
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ろうそく程度の火を目の高さに灯し、周囲を見回しながら進むバーナーの背にピッタリとくっつくように、雷斗は方向を示していた。
雨上がりの地面を歩くような感触の理由は考えないように、足の側面にたまにあたる、硬いような、柔らかいような物体の正体を考えないように。バーナーの背中だけを必死に見つめる。
「ひっでぇ有様だ。ま、自業自得だよな」
「っ、自業自得、とは?」
「あー、雷斗はとりあえずオイラの背中だけを見てろよ。んで、話し、聞く?」
「聴きたい」
「そ。……この廊下で、オイラが蹴飛ばして脇にやってる死体はみんな、出口に向かった形で死んでいるんだが」
最初から、話を聴きたいと言ったことを後悔し始めた。
先ほどから足に当たっていた物の正体も、それをバーナーが蹴り除けていたらしいことも、突き付けられたくなかったし知りたくもなかった。
「まぁ、さっきの話の続きになるなぁ。神話の中に出て来た「愚かな人」っていうのは大抵、害虫のことを言っていて」
「ぞ、くあらしのことか」
「そうそう。昔っから害虫は害虫だったってことだ。で、ほとんどの負の遺産は世界の終わりの時に消されたが、一部は残ってしまったんだ。鉱石しかり、こんな風に地中深くに隠されたものしかり。あの龍は後者で、ここに封印されていたもの。うん、なんか文献を段々思い出してきた」
薄暗くて歩きづらいな、と思っていても、雷斗はそれを決して口にすることはできなかった。火炎族というものはこういう状況に耐性でもあるのか、バーナーは平気で歩いている。
もし火の光を大きくでもされたら、吐く自信があった。
「こいつらはそれを、蘇らせようとしたってわけさ。だけど負の遺産のことは他の奴らに知られたらマズい、だからこの神殿には、入る時には発動せずに遺産を蘇らせて出ていくときに発動するよう、罠に術が組み込まれていたってわけ」
「なるほど……」
それならば、死体が出口に向かっている理由に納得がいった。いや、納得したくはなかったが。
バーナーが巻いてくれた布だけではすでに臭いも対処できなくなっており、背中に顔を押し付けた。ポンポンと頭を撫でてくる手に、少しだけ安堵を覚える。
「……ん? でもどうして、雷雲族の気配が……」
「柱を柱ではないものに変えてしまった。と、話しただろう。負の遺産とはすなわち、魔力により生命そのものの構造を変えてしまったもの。その技術、物品全てを指すんだ」
「……?」
「わかった。遠まわしに言うのを止めよう。あの龍は雷雲族の祖である紫電族を魔力で分解し、他の、硬い鱗を持った生物を中心とした数種類の生物と融合させたものだろう。そうしたらあの龍が雷を使えたのも、雷斗が雷雲族の力を感じる理由も説明がつくんだ」
全身が総毛立つのがわかったのと同時に、鋭い殺気も感じて顔を上げた。自分の他には今、バーナーの姿しか確認できない。
「そしておそらく、御魂だけを別の器に移し替えられている」
「そうか。だから、本体はどこかと」
小さく頷くバーナーは、何かを強く蹴り飛ばした。もはやそれが何であるかを訊ねるつもりは、全くない。
特異能力一族にとって、今の話は胸糞悪いものだ。
「こんな奴らを弔ってやる必要性は、一かけらも感じねぇな。さっさとあの龍を眠らせてやろう」
それから少し歩いてたどり着いた先には、固く閉ざされた扉があった。雷斗の視線は、その向こう側を見ている。
「この中に?」
「……あぁ」
「わかった。少し離れてろ」
雷斗が指示に従って後ろに下がったのを見て、バーナーは口の端を軽く上げた。扉に右手を優しくあて、左手はズボンのポケットに突っ込んで体を楽にしている。
「イフリートがいねぇから、少々きついところはあるが。……こんなもん、障害にすらならねぇな」
岩でできている扉が炎に包まれ、ドロリと形を崩した。残忍な笑みを浮かべるバーナーが炎に纏われていき、溶岩の如く流れる岩の波に足を浸しながら、容赦なく火力を上げる。
それほどの炎なのに、雷斗は熱気を感じていなかった。バーナーの後ろに流れた溶岩は瞬間的に固まり、その炎がバーナーの周囲に漂いながら、彼の火力を上げていく。
(この男は一体、どれほどの修業をしたのだろう。どうやったら、こんな力の使い方が出来るのだろう)
「さぁて、道は開けたな」
ぼんやりと揺らぐ炎を眺めていたら、それが静かに消えていった。扉の向こう側には台座が見え、その上に雷を纏う薄い金色の珠が浮かんでいる。
さらにその向こう側には、男の姿が見えた。
「バーナー!」
「どうにも、族荒らしじゃなさそうだな。だったら、トレジャーハンターか……死体の数を考えたら、盗賊か? どっちにしろ、こんなところに無遠慮に入り込んでるような奴らを気に掛けてやるほど、暇じゃあない」
汗だくで、死にかけの魚のように唇を動かして倒れ込んでいる男の胸倉を掴み上げると、そのまま部屋の外に放り投げた。侮蔑の目を向けているバーナーに雷斗まで萎縮しており、手を引いて近くに連れてきてやる。
「あの宝玉に触れるのは、雷斗だけだな」
「バーナー、あの男は」
「放って置け、岩を溶かすオイラの炎をこんな密室で受けたんだ。生きているだけでも儲けもの、自力で出られなければそれまでさ」
「見殺しにするのか」
「オイラが直接、手を出さないだけだ。どうせここの領土では、負の遺産に手を出した者は縛り首だからな。……生きたければ自力で逃げ出せ、処刑されたきゃ助けてやる。なぁ、どっちが慈悲だろうな?」
何か言いたくても、男に向けている目を見てしまえば、喉が引きつるばかりだった。
ここの神殿は、出口に向かう時に罠が発動すると言ったのはバーナー自身だ。それでも、放って置いていいのだろうか。
ポン、と頭の上に手を置かれ、雷斗は体を跳ねるとバーナーを見上げた。気付けば彼の目は優しい目に戻っており、その瞳のまま宝玉へチラと視線を向ける。
「あの宝玉が纏っている以上の雷で、あれを砕けるか」
「………」
「ブラックが地上で、美代を守りながら龍と戦っている。ここに来てからどれくらい経つかはわからないが、あまり時間はかけられない」
「……あの、あの男も、助けるなら」
ポロリと出た言葉に、雷斗自身が目を丸くしていた。バーナーは射殺しそうな視線で放り投げた男を睨み、ため息をつく。
「雷斗」
「ち、地上の者は……私は、キライだ。でもだからと言って、ここで見殺しにしたら……後悔してしまいそうな気がする」
「あれは盗賊なんだぞ。それでも、助けるって?」
「地上に連れて行ってやるだけでもいい!」
「……たくよぉ……。過去に族荒らしに捕まって、地上の人間怖がってるやつにそう頼まれちゃあ、断れねぇだろうよ」
と、バーナーは男の腕を掴むと肩に担ぎ上げ、雷斗を促した。仕方がなさそうに眉を寄せている彼は、それでも優しい目を向けてくれている。
「哀れな被害者に、同胞に。安らかな眠りを与えてやれ」
「……わかった。無理を言って、すまない」
「構わねぇよ。人が死ぬのをわかっていて放置するのは、普通の感覚じゃ出来ねぇことだ。相手が悪人だとしても、な」
雷斗は弱々しく笑い、宝玉に手を伸ばした。拒絶しているように雷が走って来るが、痛みを感じないそれに眉を寄せる。
雷を受けながらもゆっくりと、両手を差し出した。抱きしめるように宝玉を引き寄せると、雷は一層激しくなる。
「……雷斗」
「躊躇わない。私は、大丈夫だ」
パキン。と、心地いい音が部屋に響いた。雷斗の手にある宝玉は真っ二つに割れており、走り回っていた雷もその姿を消してしまう。
「よく頑張ったな」
男を担ぎ上げたまま、宝玉を手に立ち尽くす雷斗の体を、優しく抱きしめた。深くうつむいて震えているこの青年は、言葉使いこそ大人びているが、まだ若い。
(神話を教えるのは少し、酷だったか)
腕にぽたぽたと落ちてくる雫は無視し、辺りを警戒した。
懸念していた、宝玉の破壊と同時の神殿の崩落は起こっていないようで、ホッと息をつく。
「地上に戻ろう」
「バーナー、この宝玉は」
「人の目に触れることがない、ここに眠らせてやろうぜ。……もし雷斗が連れて行ってやりたいなら、オイラは止めない」
「……いいや、置いていく」
返事にしばらく時間を要したが、雷斗はバーナーの腕を抜けると砕けた宝玉を台座に戻した。無言でバーナーの傍に戻り、服の裾をキュッと持つ。
「……どうした、ものか。どこに出る……ブルーの所が確実か」
手首に巻かれた蒼い頭髪を見ながら、バーナーは眉を寄せた。
魔道具の作成は難しくても、使い方は実に簡単だ。
ただこれに、魔力を流すだけ。瞬間移動術という術の特性もわかっているので、流す前に行きたい場所を想像すればいい。
本当であれば美代の場所に行きたいのだが、もし万が一ブラックが美代を抱えたまま空中にいたらなす術がない。彼女につけていた追跡用の魔力も切ってしまったので、正確な場所も解らない。
それよりもイフリートが一緒にいるブルーの元へ飛び、急いで美代とブラックの元へ行った方が良いだろう。その道中にこの男を捨てればいい。
「よし。雷斗、少し具合悪くなるかもしれないが、オイラから離れるなよ」
「……バーナー、あれだけの炎を出したのにそれが燃えなかったのは、なにか特殊な加工をしてあるからなのか」
と、雷斗は魔道具となっているそれを見つめた。あまりに真剣な瞳でわずかに気圧されるも、男を担ぎ直しながらよく見せてやる。
「瞬間移動術がこめられていることを除けば、単なる髪の毛だ。これを燃やさないようにするくらいわけないさ。ほら、戻ろう」
キュッと瞳孔を細くしたことを不思議に感じながらも、バーナーは雷斗の手を取ると魔力を流した。想像する目的地は、ブルーだ。
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少しの具合悪さと魔力を削られた気怠さはあるものの、どうやら地上に出られたらしいことはわかった。
留守を言いつけた場所とは違う場所にブルーが移動していることも、どうにか判断はつく。
「ばあ、な……これ、これは……」
「………」
というのも、木々は吹き飛び地面は抉れ、草原はすっかりなくなって土が露出しているのだ。ブルーはその範囲よりもギリギリ外側で気を失っており、バーナーはイフリートを腕に止めながら爆心地の方向へ目を向ける。
木々が折れている方向を見ると爆心地の辺り……どうやら龍がいたあたりらしい場所に向かって折れており、抉れた地面を見てみるとそこを中心にして外側に向かって抉れていた。イフリートから自分たちが地下に行っている間に起きたことを説明してもらい、舌打ちを漏らす。
「バーナー、ブルーが……!」
「ブルーは大丈夫だ……どうにも、慣れない水の使い方をしたのと、ブラックに吹っ飛ばされたせいで気絶しているらしい。最も、もしブラックがブルーを飛ばしてなかったら、これに巻き込まれていたわけだがな」
「これは一体……?」
「……すまん。雷斗、ちょっとこいつを捨ててくる」
長く細く息を吐き出し、こめかみに青筋が浮きそうになるのを、奥歯を噛みしめてどうにか堪え。
不安そうに鳴くイフリートの背を優しく一撫ですると、バーナーは二人の元を離れた。なるべく遠く、残っている木々に隠れてしまうように。
かろうじて息がある男を、せめてもの慈悲と川辺に放り投げてしまった。掠れた呼吸音を鳴らす盗賊に舌打ちを漏らし、僅かに顔を上げたその男の傍に腰を落とす。
「よぉ、てめぇら……とんでもねぇことしてくれやがったな」
「っ……あ、く……、ま」
「ぁあ? はっ、生かしてやる程度の熱に室内を抑えてやったとはいえ、口を利く元気さはあるじゃねぇか、え? オイラの仲間の青さに感謝しろよてめぇ……本来なら絶対助けてやらねぇし、役所に突き出して縛り首だ。だからよ」
力こぶを浮かべながら、水浸しになっている男の胸倉を掴むと体を持ち上げた。なされるがまま、地面から足を離した男は目を見開き、カタカタと震えている。
「八つ当たりの道具にくらい、なれるよなぁ?」
相手に心の準備をする時間など、やるつもりはない。八つ当たりと称したものの、この男が所属していた盗賊団が負の遺産などに手を出さなければ、こんなことは起きなかったのだから、ある種正当な怒りでもある。
拳を腹部にめり込ませる瞬間に男から手を放すと、その衝撃で飛ばされた体が弧を描いて川の中に入った。そこまで深いところでもないので、打撲で多少苦しみはするだろうが死ぬことはないだろう。
それはますます、怒りを増長させる材料となり、バーナーはふらりとその場から離れて近くの木の幹を殴りつけた。深くうつむいて肩を震わせ、牙を剥かんばかりに口を開く。
「クソが……! 宝玉を砕いて龍を消した瞬間、大気を歪ませて空間がねじれるなんて、だぁあれが予想できるかよ! どうすりゃいいんだこん畜生がああああ!」
美代とブラックの姿は、消えてしまっていたのだった。




