初めての仲間
顔を歪めながら無理をして進もうとするブルーを宥めつつ、村を出て三日目にようやく目的の場所にたどり着いた。人の気配が全くないその村に眉をひそめてブルーを見る。彼は青ざめ、拳を握っていた。
「大丈夫……きっと大丈夫。だっておじさん達、そう言ってたから。自分たちは大丈夫だって言ってたから。だから」
「ブルー、落ち着いて。ねぇ、村の人たちはどこかに閉じ込められてるの?」
「ううん、ワイが村を出た時はみんな家に居たよ。ワイだけが、あいつと一緒にいて、捕まってて……」
小柄な体が、小さく震えた。美代は彼の事を優しく抱きしめてやり、目を閉じて深呼吸をする。
「ゆーっくり呼吸をするよー、私に合わせてー。この村でさ、みーんなが一緒に入れそうな建物はある?」
「あ、ある……奥の外れの方に、集会所があるんよ。みんな入ったらせまいけど、そこなら」
「行ってみよう。大丈夫、だって血の臭いがしない。なら誰も傷ついてない」
風を使って周囲を探ってみても、この世界に来る前にさんざん嗅いでしまった生臭さは全くなかった。他にも風は、どうやら村の人たちらしい声とどう聞きなおしても聞き覚えがあってしまう声を運んできており、本当に小さく舌打ちを漏らしてしまう。
「こっちよ!」
「わかった、案内して」
痛む傷を、歯を食いしばってごまかして走り始めたブルーを追いかけるよう、美代も静かに走っていくのだった。
外れの方に木造の建物が見えた頃、ブルーは立ち止まった。美代の手を引いて茂みに隠れると建物を見つめ、目を伏せる。
「あそこ、たぶんあそこにいると思う」
「これ以上は近づけない?」
「うん。気づかれる、あいつ、すっごい敏感なんよ」
その距離は、かろうじて窓枠が判別できる程度には遠くて、普通に見るだけではほとんど中の様子はうかがえなかった。美代は少しだけ身を乗り出すと目を凝らす。
かすかに見えたのは、揺れる紺碧の髪。
「ブルー、夜になるのを待とうか」
茂みにスッポリと隠れるよう身を低くし、耳打ちをした。その案にブルーは目を丸くするも、他にいい考えもなかったのだろう渋々うなずく。
そうして、小屋を背に、二人は呼吸すらも殺すようにしてその場を離れたのだった。
陽が沈んで月が顔をのぞかせた頃、美代は一人で小屋の傍に来ていた。ドアのすぐ横、外壁に寄りかかるよう目を閉じているのは窓から見えた紺碧の髪の男。
(やっぱり、ブラックだったんだね)
「だれ」
声を出したわけでもなく、物音をたてたわけでもないのに、ブラックはパチリと目を開き尖った声を出した。反射的にその場を駆け出すと、背後から待つように言葉を投げつけられる。
待てと言われて大人しく立ち止まるような人が一体どこに居るのだろうと、美代は息を殺して走った。とりあえず今は逃げないと、そのつもりはなくても殺されてしまいそうだ。
木々を縫うように走っていると背後から同じようなルートで追いかけてくる気配があり、クッと口角を上げた。なんとなく苛立っているような雰囲気もひしひしと感じているが、それを気にしてはいけないとただ走る。
ついに舌打ちが近くで聞こえ、服を掴まれると引き倒された。危うく地面に頭部を叩きつけられそうなところだったのを、背に掌が当てられ、予想外に柔らかく受け止められる。
「な……きみは」
顔を上げなくても、ブラックの表情が手に取るようにわかった。仕方なく美代は正面を向いて彼の事を見上げ、苦笑する。
「驚いた?」
「あの時の、あの不思議な都市の子。生きてたの? どうやって……あの男か!」
それは怒りや憎しみの感情ではなく、純粋な疑問だった。彼は美代の腕を掴むとそのまま考えこみ、ジィッと瞳を覗き込んでくる。
「ふぅん、やっぱりあの人……強かったんだぁ。じゃあなんで逃げたんだろ、きみのせい?」
「あぁ……うん、そうだろうなぁ……。あの時私、動けなかったし」
「そう言えば。きみはボクの事を知ってるのにボクはきみの事を知らない。きみは誰なの」
ムッと眉を寄せ、腕を掴む手に力がこめられた。あまり痛みは感じないものの、変に刺激を与えたら簡単に折られてしまいそうだ。
「美代。上野美代」
「……カミノ・ミヨ?」
「そうなっちゃうかぁ。うんとね、私の名前はこう書いて、美代の方が名前」
そーっと、ブラックの腕をすり抜け、地面に木の枝で自身の名前を書いた。ブラックはしばらくそれを見つめて美代に視線を写し、コトンと首をかしげる。
「変なの。不思議な名前」
「うん。もうそれでいいや」
「じゃあ、美代」
ポンと、ブラックの手が頭に置かれたかと思えば、彼の口元に冷たい笑みが浮かんだ。そのまま何かを払うようにサッと手を動かされ、美代はビクリと震える。
全身を寒気が襲い、何事かと思っているとブラックに両手首を一まとめに掴まれてしまった。
「……別にきみの目は、嫌いじゃないけど。またあの強い人が来るかもしれないからさ、一緒にいてもらっていいかな?」
「この状況、断れると思う?」
寒気を感じたのもほんの少しの間で、美代は大人しくブラックの後をついて歩いた。向かっているのは小屋らしく、静かに息を吐き出していく。
ドアの前でブラックが立ち止まり、ザワリと髪を蠢かせた。半ば美代の体を引きずりながらドアを蹴破らん勢いで中に入り、手首を掴んでいた手を放すとそのまま胸倉を掴み上げる。
「お前、囮か!」
ドアの付近に掛けてある縄を鷲掴みにすると美代の手首を乱暴に縛り、無人になった小屋の奥へとその体を放り投げた。背中から壁に衝突した彼女は激しく咳き込みながらもブラックに視線をやり、よろけながらもなんとか立ち上がる。
「そう、逃げたあいつが戻ってきたんだ。ここにいてよ、ボクはそっちで遊んでくるから」
勢いよくドアを閉められ、その音に心臓が跳ねてしまった。バクバクと早まる鼓動が落ち着くのを待ち、そっとドアに近寄る。
ドアノブを回してみても開く様子はなく、微かに出来た隙間から覗いてみると、どうやらドアノブと近くの窓の突起部分にロープを巻かれているようだった。気持ちを落ち着かせて周囲の風に耳を澄ませても、人の声はない。
「遊んでくるって……!」
どうにか縄が解けないかと慌てていると、不意に視線が高くなった。縛られた手首にギリギリと縄が食い込んで思わず悲鳴を上げ、咄嗟に風でそれを断ち切る。
「いたったったった! クッソ、厄介な変身だなもう!」
八つ当たり気味にドアを蹴飛ばすと、加減を失敗したのか吹き飛んでしまった。心の中で謝罪をしながらも風を走らせ、ブラックが向かった方向を特定する。
「交戦してる……!」
サッと青ざめ、ウィングは走った。
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村の入り口ではブルーが口から血を吐きながらも立ち続け、不機嫌そうに眉を寄せるブラックから視線をそらさないよう睨みつけていた。治療を受けていた傷はとうに開いてしまい、それでも倒れまいとフラフラの体に力を入れて必死に対面する。
「……弱いくせに。ムカつく、何をそこまで頑張るの?」
「うっさいわ……。この村は、村の人たちは、全く赤の他人のワイを……ホントの家族みたいに、優しく受け入れてくれたんや。お前にゃあわからんやろうけど、今度はワイが、守らんといかんねや……!」
ブルーの言葉を聞き終えるとほぼ同時に、ブラックはわずかに目を見開きながら自身の背後を振り返った。なにかが走ってくる気配に、ブルーに完全に背を向けてそれを眺める。
「……だれ」
「大丈夫かブルー! ブラック、お前の相手はっ……オレだぁ!」
「すっごい息切れしてるけど大丈夫なの」
「うっせバーカ! 思ったより距離があるし、ここと集会所までの間にあった森の中で迷ってたんですー!」
肩を上下させながら顎を伝う汗をぬぐい、白い目をしているブラックに声を荒げた。もはや幾度となく向けられた視線だ、こんな形でまた向けられるとは思いもしなかったが、思わず口角が上がるのを感じる。
「それと……油断大敵、だぜ」
そこに竜巻を起こして砂埃をたてると、自身の体にも風を纏わせてウィングはブラックの懐に飛び込んだ。
予期せぬ目つぶしとその速度に反応が遅れたのだろう、突進を食らうまま、突風により体を数メートル吹き飛ばされた彼は目を丸くする。
打ち付けた背の痛みに空咳を漏らすとウィングの事を睨みつけ、同時に殺気が膨れ上がるのを感じて思わず身構えた。
それでも、悔しげに眉間にシワを刻んだ彼はそのまま静かに姿を消してしまった。ウィングはそれを見て、ブルーに視線を向ける。
緊張が解けたのだろうか、彼は地面にうつぶせになって倒れていた。その体をそっと起こし上げると薄く目を開き、長く息を吐き出す。
「あ、んたは……かぜの、ひと? ワイとおんなじ、がーでぃ……あん?」
傷が痛むのだろう、微かに聞こえる言葉を紡いだ途端、ブルーはギュッと眉を寄せて体を緊張させた。ウィングはそんな彼をそっと横抱きにして立ち上がる。
「あぁ、オレは疾風の守護者、ウィングだ。とりあえずお前の治療をしないとな、傷口が開いただろ」
「むらの人、たち……近くの、村に、むかっとぉよ。頑張る、案内する、から」
「休んでろよ。村の人たちのいる場所も解る、大丈夫だから、すぐに合流出来るさ」
そう言ってやると安心したのか、ふにゃりと笑ってそのまま気を失ってしまった。羽織で包んでやり、優しく抱え直す。
「村の人たちを追いかけなきゃなぁ。まだその辺にいるといいけど」
辺りを廻る風を感じながら、ウィングは走った。
予想よりも遠くまで行っていたものの、その日のうちに村人たちを家まで送ることができた。すぐにブルーの傷を治療してしまい、ようやく美代に戻る。
目を覚ましていたのだろう、元の姿に戻った瞬間小さな悲鳴が聞こえた。ブルーがどうにかこうにか体を起こし、ポカンとしたまま凝視してくる。
「……うん。私、が、ウィング」
「カミノはん、ガーディアン……やったんやね。……男になったり女になったり、大変そうね?」
「冗談が言えるくらいには回復してるみたいだねぇ。えっと、ブルーも、そう? なの?」
「うん。ワイは、海中族……海中族のブルー。カミノはん、強いんやなぁ」
いてて、と背中を丸めたブルーの体を優しくベッドに押し付け、布団をかぶせた。眠くないと口を尖らせる彼の瞼を手でそっと覆い、もう片方の手で頭をなでる。
「私は、ブルーの治療が終わったら行くよ。どうする?」
「ワイも行くよ、同じガーディアンに会えたんやもん、そろそろ、旅に出ないかん頃やと思うの。それに……あん男、に会えるかもしれんから」
下唇を噛みしめ、悔しそうにしているブルーに、美代は何も言うことが出来なかった。ただ弱々しい笑みを浮かべ、子供をあやすように彼の体を優しく叩く。
「……今はおやすみ。一緒に来るんなら、ちゃんと治さないとね」
「……うん。おやすみ」
よほど疲れていたのだろう、そのままストンと眠りに落ちたブルーに、美代は天井を仰いだ。