いざニルハムへ
パチ、パチと木が爆ぜる音に、美代は目を開いた。息を飲んで周囲を見渡すとどうやら森の中に居るようで、地面には毛布が引かれている。
腹の上にはマントの様なものがかけられており、麻袋を枕に眠ってしまっていたらしいことがわかった。空には満天の星が輝き、思わず見とれてしまう。
「お気づきに、なられました?」
「っ!」
柔らかい少女の声に、美代は勢いよくそちらを見た。そこに、ローブを羽織った小柄な人が座っている。
彼女は手慣れたようにたき火の中へ枯れ枝を放り込んでおり、先端を尖らせた木の棒を、手際よく魚に刺していた。
「しばらくお待ちくださいね、魚が焼けてしまうまで、こちらをどうぞ」
戸惑う美代を置いてけぼりに、少女はリンゴを手にしていた。ナイフで半分に切ると丁寧に芯を取り除き、美代に差し出す。
「わたしも、半分いただきますね」
「……えっと」
「ごめんなさい、わたし自身の事は、今は詳しくお話しすることはできません。だけれど、あなたの敵ではないことは、信じていただけませんか?」
受け取ったリンゴと少女を交互に眺め、不安げな表情を浮かべている美代に、少女もどこか困ったような表情になっているらしいことが雰囲気でわかる。彼女の顔は鼻から上がローブに着いているフードで隠されているから、詳しい顔までは解らない。
先に彼女がリンゴをかじり始め、美代もそれに従うよう、大人しく食べ始めた。水分が喉を走るとヒリヒリと痛み始め、胃に到達するのがわかると、キュッと握られているような感覚を覚える。
どうやら自分が思っていた以上に、体は水分と食料を求めていたようだ。無心でシャクシャクと食べ進めているとコップが差し出され、顔を上げる。
ゆらりと踊る白い湯気が運んできたのは、お茶の香りだった。
「果物には合わないでしょうけれど、温かい飲み物がこれしかなくて。ごめんなさい」
「う、ううん! ありがとう。えっと、あなたの事は詳しく話せないって言ったよね。だれ? って言う質問も困るかな、きっと」
「……ごめんなさい」
お茶を口に含むと、リンゴで冷えてしまっていたらしい体が温まるのを感じた。のそのそとマントから這いだして毛布の上に座り直し、改めて少女に向かう。
「私、どうしてここに? こんなことに?」
「倒れていたんですよ。無防備な状態で、ここに。わたしはたまたまここを通りかかって、放って置けずに……」
「そうだったんだー。ありがとう! あ、私の名前は上野美代。あなたを呼ぶときに困るから、名前だけでも教えてもらえないかな?」
「……レイ、とお呼びください」
本当に困ってしまっているような声音だったため、美代はそれ以上追及しなかった。焼けたらしい魚を受け取り、息を吹きかけて冷やしながら食べる。
「あなたは、ガーディアン……ですね。美代さん」
「うん?」
淡白な味だな、しょう油が欲しいな。と思っている時に言われ、美代はキョトンとしてしまった。
それでもすぐに、口の中にある魚を飲みこむと、まっすぐにレイを見た。
「……それは誰でも、解ることなの?」
「……あなたの服装は、この世界には見られないものです。別の世界から、ここと隣接しているシャロムから、いらっしゃったのでしょう?」
「だから、それは、誰でもわかることなの?」
「神話を知り、信じる者ならば。……真の意味でそれを信じる者ならば」
誰でもわかるわけではないが、見る人が見ればわかるらしい。
確かにレイの格好を見てみれば、ローブにマント、動きやすそうな革製の服装に短剣といった、いかにも旅人です。というものだった。反面自分は、普段通りの長そでシャツにジーンズパンツ、他の持ち物は何もなしという、実に身軽過ぎるものだ。
そこでふと、ドロドロだった服が綺麗になっていることに気が付いた。レイを見てみると微笑んでおり、美代は口を尖らせると食べかけの魚に噛みつく。
「えっと、魔術?」
「はい。修 復 術と言う魔術です、壊れたものを修復するときに使われるものですよ」
「魔術と魔力の違いって何?」
以前バーナーに訊ね、呆れられてしまった質問だった。おおよその予想はついていても確証はなく、もやもやを早く晴らしたい。
「魔術を使うために必要なものが、魔力です。これがなければ、どれだけ詠唱を覚えようと術を使うことはできません」
どうやら予想は正解だったらしい。食べ終えた魚の骨とお腹の部分を茂みの中に放り投げ、お茶を一口含んで口内を空にすると、また一つ疑問を零す。
「詠唱って言うと、なんかぼそぼそ言ってるやつ? それがないと、術は使えないの?」
「そうですね。少なくとも私はまだ、無詠唱で魔術を使っている人を知りません。詠唱とはいわば、その術を使うために魔力を練る言霊、魔力を用いて別の者に力を借りるための言葉。人により同じ術でも、多少の言葉の違いはあるでしょうが、同じ意味であれば問題はありません」
意外な返事に、美代は目を瞬かせた。
「違ってもいいの?」
「全く違えば、それは別の魔術となってしまうでしょうけれど。多少の違いは問題ありませんよ、重要なのは意味なので。略式詠唱はまさしくそれです」
「ふぅん」
とりあえず、覚えたところで魔力を持たないだろう自分では魔術を扱えないらしいことは解った。もしかしたらガーディアンになったことでそのあたりも変わっているのかもしれないので、それは後から確認してみる価値はあるだろう。
一人で勝手にうなずいていると、レイがたき火に土をかけた。火力が一気に落ち、明るかった周囲は夜にふさわしい暗さを取り戻している。
「今日はこのまま、こちらで休みましょう。私が案内できるのはこの先にある村までです、そこであなたが旅をするために必要なものをそろえ、準備をしましょうか」
「え?」
当然のように言われたそれに、美代はまた、目を瞬かせていた。そうこうしているとレイが美代の体をそっと押し倒し、毛布をかけ、まぶたの上に手を乗せる。
「レイ?」
「あなたは今日、世界を渡って来られました。あなたの世界でなにがあったのかはわかりません、それでも体は休息を求めているはずです。今はゆっくりおやすみなさい、何も心配せずに、ゆっくりと」
『我願うは この者の安らぎ 汝が力を元にして 深い眠りを与えたもう』
まるで歌声のような呟きが耳に届くと同時に、美代は睡魔に襲われていった。暖かいものが体を包み込んでいくのがわかり、まぶたを覆う手をゆるりと掴む。
「襲眠鬼」
レイの言葉を聞き終えると同時に、美代の意識はストンと落ちていくのだった。
翌朝目を覚ましてみるとすでにたき火が焚かれており、周りには木の棒に刺された魚が地面に並んでいた。白湯と焼けた魚を受け取ると寝ぼけ眼で食事を始め、荷物を片付けているレイを視線で追う。
「……昨日はありがとう」
「どうしました?」
「あれ、わざとでしょ。詠唱をゆっくりしてくれたのも、魔力で分かりやすく包んでくれたのも、術を完成させるのが遅かったのも。おかげでわかりやすかったよ」
「お気づきでしたか。ただ言葉だけで教えるよりも、体験した方がわかりやすいと思いましたから」
詠唱に自身の魔力を乗せることより、魔力を借りる事と使う対象になにを行うのかを何者かに約束し、それによって魔力が対象に影響を及ぼして、魔術の名を言うことで完成する。
つまりそういうことなのだろうと整理をつけた。食べ終えた魚を昨晩同様茂みの中に放り込み、レイが手にしている荷物の半分をヒョイと取り上げる。思ったよりも軽く、これにも何かしらの魔術が掛けられているのだと予想した。
「美代さん?」
「これから近くの村までお世話になるんだし、荷物くらい持たせてよ!」
そう言って笑うと彼女はキョトンとし、同じように微笑むと少しだけ頭を下げて一緒に歩き始めるのだった。
道すがら、美代は魔力と魔術についてもう少し詳しく話を聞いていた。
曰く、誰しもが魔術を使えるわけではないということ。
曰く、魔力の容量は人により違うということ。
曰く、魔力を扱える者にとっては、それは生命力ともいえるということ。
前二つはバーナーからも聞いていたので聞き流してしまったが、三つ目については初めて聞くと同時に目を丸くするような内容で、思わず身を乗り出した。レイはそれに少し驚きながらも、続きを話してくれる。
魔術を使う際に魔力を要するわけだが、あまり大量に使用してしまうと命に関わることがあるらしい。通常はそこまで魔力が枯渇する前に魔術を使えなくなり、発熱するなり気を失うなりするとのことだ。
それでも無理をして魔力を消費すると、最悪死に至るという。
厳密に言えば、体が休息を求めてそのまま目を覚ますことが出来なくなる。とのことで、美代はキュッと眉を寄せた。
「魔力を持ってて魔術を使える人でも、制約があるってことなんだね」
「魔力は無尽蔵ではありません。いくら修行をして魔力の容量を増やしても、使い過ぎれば枯渇が起きる。……美代さん、もしあなたが魔術を使えたとしても、このことは忘れないでくださいね。あなたが傷付けば、悲しむ人がいます」
「……わかった。えっと、ニルハムにある一族の事も聞いていい? とりあえず火炎族の事は知ってる」
「一通り、一族についてお話ししますね」
ニルハムには全部で八つの種族がある。
その中で一番多いのは『人族』。世界の約九割を占めている、魔力、異能力を除いた特異能力を持たない一族。レイも人族にあたり、彼らのほとんどは人族ではなく人間という認識を持っているらしい。
そして他の七種族は一括りに『特異能力一族』と呼ばれる。
火炎族はその一つで、名のとおり火を扱うことができる一族だ。好戦的な者が多く他一族から疎まれることもあると、なぜか目を伏せながら教えてくれた。
それに対するのは銀世界の住人、雪や氷を操り、止むことがない雪山の山頂にその国を構えている。こちらは他一族をあまりよく思っておらず、異端者に対しても色々と厳しいらしい。
それから、海底に住処を持つ海中族と、雷と雲を操ることができる、はるか雲の上に暮らす雷雲族。彼らは共に、地上の者とはほとんど関わりを持つことがなく、どのような一族なのかは詳しく解らないとのこと。
温厚な者が多かった風の一族の村は跡地となっており、ならず者に襲われ今は誰もいないと話してくれた。どこかに生き残りがいるはずだが、行方はわからず仕舞いらしい。
そして、ニルハムの二大一族と言われる、魔族と妖精族。
歪な姿をし、強大な魔力を持つ魔族と、それに対抗しうる魔力を持つ半透明な羽を持った妖精族。彼らは、人族はおろか人間とのかかわりが無いに等しく、ほとんど情報はない。時折人里で見られる魔族は、討伐対象になるという。
討伐対象、という単語に、美代はきつく眉を寄せた。話をしてくれたレイも同じように表情を歪めており、互いに顔を見合わせると苦笑する。
「私にはわからないよ。まだわからない、でも、魔族って人たちは悪い人たちなの?」
「……容量が大きい魔力と、強力な魔術と、その姿のせいで恐れられているのは確かです。なにが正しいのかは、わかりません」
「そっか。……あっ、あそこに見えるの、村じゃない?」
休憩を交えながらどれほど歩いてきたのか、木造の屋根が見えてきた。レイもフードの奥から目を細め、柔らかく微笑む。
「えぇ、あの村であなたの旅の支度をしましょう。わたしが共に居られるのは、この村までです」
「ううん、ありがとう! ところでどうして、こんなに良くしてくれるの?」
訊ねてみると、レイはやっぱり困ったように微笑んだだけだった。ちょっと意地悪な質問だったなと上目遣いに眉を寄せる。
「ごめんね」
「構いませんよ。……事情を話せない方が不自然なのですから、あっ美代さん! お一人で旅をしてはいけませんよ、あなたがいた世界と違って、こちらは危険ですから」
「はぁい!」
諭すように言われた言葉に口を尖らせながら返事をし、美代とレイは村の中へと進んで行くのだった。