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冒険記  作者: 夢野 幸
ただいま地上編
116/138

やってしまいました

 

 教室に駆け込み、息を整える暇もなく先生が入ってきてすぐにテスト用紙が配られた。緊迫した空気が一日中続き、テストが終わった夕方にようやく肩の力が抜ける。

 机にぐったりと突っ伏していると頬をつつかれ、視線だけを上げた。


「今日は珍しく遅刻しそうだったね」

「もー、テスト前に、美代に色々聞いておこうと思ったのにぃ! どうしたの?」


 彼女たちは、高校に入ってから出来た友人だ。苦笑して体を起こし、あくびを漏らしながら背伸びをする。


「小学校の時からの友達と遅くまで電話しててさ。近況報告をしあってたら、盛り上がっちゃって」

「あー、わかるー! それで、親から怒られるやつ」

「いや、怒ってくれたら途中で時間にも気付けたんだけど。そういうところ、すごく自由にさせてくれるから」

「いいなー! うらやましいー!」


 笑いながら背中や肩を叩いてくる二人に苦い顔をして、カバンを手に立ち上がった。指先で優しく羽根に触れると目を伏せる。


「それでそれで、今日のテストの手ごたえは?」

「うーん、まぁまぁかも」

「なるほど、八十点前後と」


 からかってくる二人から逃げるように教室から出ると、小さく体を震わせた。ターコイズを魔道具に変えて変 幻 偽 視メンティ・マスケを使っているけれど、見た目が変わっているだけで実際は羽や触角は出ている。


 つまりは、力の強弱はどうあれ背中を触られるのはとんでもなく苦痛なわけで。


「背中は止めてって言うのに、本当にもう……」


 変に反応をすれば、ああいう手合いは度が増していくのがわかっているので極力反応しないようにはしているつもりなのだが。

 なかなか、うまくはいってくれないと肩を落とし、一人で下駄箱に向かうのだった。




 家に帰ると先に制服を着替え、一旦シュシュを外した。動かせるようになった羽を何度か羽ばたかせてみると、床からわずかに足が浮く。

 滞空して、およそ十秒。ベッドにひっくり返る形で落ちてしまった。


「初めのころに比べたら、すごい進歩ではあるんだけどなぁ」


 妖精族としての血が覚醒しきったのは、無くなった時間でいうところのラオエンと遭遇した日付くらいになるだろうか。真夜中の出来事で寝ぼけながらも飛び起きて、慌てて姿見の前に行ったものだ。

 魔力の爆発などがなかったのは本当に救いだった。急なことだったので、翌日はとりあえず変 幻 偽 視メンティ・マスケを唱えていたけれど。


 それでは常に術を使っていなければならず、予想以上の負担になることに気が付いた。

 ならば魔力の使い過ぎで倒れてしまう前にと、学校帰りにシュシュと比較的良心的な値段で売っていたターコイズを購入して魔道具にしている。


 そうしてどれほど経っただろう、羽がある生活に慣れてきたころ。

 以前と同じように、自力で飛ぶ練習をしてみようかと思い立ったのだ。


「そもそも、合ってるのかなぁ」


 調べてみたところ自身の羽の生え方と一番近い生き物は、トンボだった。二対の羽を、それぞれバラバラに動かすところから始めないといけないと知った時には諦めの文字が頭をよぎったものだ。

 それでも何とか心を奮い立たせて、十秒ほどなら浮けるようになったのはまさしく進歩と言ってもいいだろう。

 飛び方が合っているか否かは、同じ一族の人がいないので確認のしようがない。


 そこまで考えて他にも悩んでいることがあったのを思い出し、枕に顔を押し付けると背中を震わせた。


「いつかは言わないといけない。でも、どうしよう」


 自分が人間じゃないこと、この世界の住人でもないこと、妖精族であり同じ時を生きてはいけないということ。

 旅が終わってから、どのタイミングで伝えればいいのだろうと悩み続け、四年も経ってしまっている。


「まだ、もう少しだけ。高校を卒業してしまうまで」


 中学生になった時も、同じようなことを考えていた。

 ゆるりと首を振り、両頬を軽く叩くとシュシュをつけ、両親が返ってくる前にとほとんど日課になっている夕食作りのために一階へ向かうのだった。




「美代。よく聞いてほしいんだ」


 今日は、父も母も帰ってきた時から妙な緊張感を漂わせていた。仕事で何かあったのだろう、と思っていたけれど、どうにもそうではないらしい。


「どうしたの? 父さんも母さんも、そんな難しい顔して」

「ずっと、話さないといけないと思っていた。それでもまだ早いと、先延ばしにしていたことがあるんだ」

「だけどもう、美代に話しても大丈夫だろうって。お父さんと相談していたことがあるの」


 二人そろって、あまりにも真剣で暗い顔をしているものだから、美代はシチューのスプーンを咥えたまま固まってしまった。そんな顔になるなんて、いったい何を黙っていたのだろうと固唾をのんでしまう。


「えっと、なに?」

「美代。お前は、父さんと母さんの本当の子供じゃないんだ」

「小さいころに私たちが引き取った、養女なの」


 真剣な声音で話す両親に、思わずキョトンとしてしまった。何を今さら、と首を傾げかけて、顔には出さずに納得する。

 それもそうだ。二人は、自分が人間じゃないことを知らない。


「もう、高校生になったんだ。冷静に聞いてくれると思って話した」

「驚いただろうけど、血が繋がってなくてもあなたは私たちの子よ。本当はもっと早く、話すべきだったのに」

「あの、知ってた」


 話を進めるごとに表情が沈んでいく両親に耐えられなくなって、美代は小さく手を挙げながら呟いた。勢いよく顔を上げる二人に、思わず体がはねてしまう。


「だってほら! 父さんたちと私じゃ瞳の色が違うし、小さいころの私って時々、変な言葉を話してたんでしょ? そうやって考えてたら、そうなんだろうなって思ってて」

「気付いてたの? 美代」

「う、うん。黙ってて、ごめん……だけどそれでも、父さんと母さんのこと、親だと思っていたから」


 別に、喜ばせようとして言ったわけではない。思っていることがポロリと、口からこぼれただけである。

 それがある意味間違いだったと、心の中で頭を抱えてしまった。自分のことを話すならば今が一番の機会だっただろうに、心の底から安心したような両親の表情を見てしまえば言いようがないではないか。


「ありがとう、なかなか言い出せないうちに、察してしまっていたんだね。これからも美代は、上野家の一員でいてくれるかい?」

「……うん。私も、いつか、話さないといけないことがあるの。話す勇気が出るまで、待っててくれる?」

「もちろんよ! 待つわ、いつまでも」


 それに、今はまだ、二人に別れのことを話したくはなかった。せっかく自分たちの子供だと言い切ってくれたのだ、もう少しだけでも甘えていたい。


「さ、暗い雰囲気はもう無し! 冷える前に食べよ!」


 すっかりご飯を食べる手が止まってしまっていたのを、美代がパチンと手を叩けば両親ももう一度手を合わせて。

 自分で作っておいてなんだが、おいしいシチューを口に運ぶのだった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


 期末テストが戻ってきて、平均点が九十だったために友人にからかわれてそれから逃げて。

 なんだかんだあったけれど、どうにか高校生になって初めての長期休暇に入ることが出来た。ため息を零しながら信号を見上げ、左手首のシュシュに眉を寄せる。


 購入してから今まで、ほとんど肌身離さず使用していたためか。糸のほつれが目立ち始めていた。その都度縫いはしていたもののそろそろ限界も近そうである。

 今日はもともと、沙理の家にお泊りで遊びに行く予定だった。ついでにシュシュと、予備の宝石を購入しておこうと親に頼んで多めにお小遣いをもらっている。


 よくよく目を凝らしてみると、ターコイズにもひびが入りつつあったのだ。


(そういえば、ボンドッツがいつだったか壊れかけの魔道具を、とか言ってたっけ。こういうことかぁ)


 しょっぱい顔をしていると足元を子供が駆け抜けていき、信号が変わったのかと足を踏み出しかけた。しかし周りの人々は、動いていない。

 顔を上げれば歩行者信号はまだ赤だ。


「待って!」


 後ろから追いかけてきたのは子供の母親だろうか。青ざめ、額に脂汗を浮かべながら車道に飛び出そうとした。美代は彼女をとっさに歩道へと突き飛ばし、魔力で不可視の鎧を作り出すと体を低くして自身が車道に飛び出す。

 クラクションを鳴らしながらブレーキをかけているのはわかるけれど。大型トラックは、子供の前で止まってくれそうにはなかった。


 ボールを抱えてキョトンとしている子供を胸元に抱きかかえ、崩れた態勢で無理やりにアスファルトを蹴り上げた。とりあえず大型トラックの前から脱出できればそれでいい、魔力で壁は張っているし、最悪轢かれたとしても子供さえ守れれば自分は死なない。

 横断歩道の直前での、大型車の急ブレーキは周囲の車も警戒したのだろう。トラックの向こう側では車が止まっていて、素直に道路へと倒れこむことが出来た。深呼吸をすると泣きそうになっている子供の頭を撫でてやる、見たところ大きな怪我もないようで、ホッと息をついた。


「ぼく、飛び出したら危ないよ。もうやっちゃダメだからね……」


 子供の視線に違和感を覚えた。自分の顔じゃない。もう少し、上を見ている。


「おねえちゃん、きれい」

「すげぇ! 子供もあの子も無事だ!」

「だけど、なんだあれ……」


 恐る恐る、左手首に視線を落とした。それからトラックのタイヤ付近を振り返り、声にならない悲鳴を上げる。

 ついていないといけないシュシュが、自分の代わりに轢かれていた。


「羽? 頭の角はなんだ?」

「オレ、思わず動画撮っちゃったよ。間に合ったかなぁ?」


 自分は今、妖精族としての姿をさらしている。

 子供を助けるために飛び出したせいで、注目を浴びていた。挙句にいくつもの携帯電話やデジタルカメラが向けられて、明らかに写真や動画を撮られている。

 滝のように汗が背中を伝っているのが分かった。逃げなければならないと頭ではわかっているのに、体が動かない。


「あの子動かないぞ」

「ここから見えないだけで、どこか怪我してるんじゃないか」

「一応救急車と警察と呼んでるけど、先に移動させてやるか?」


 たまったものじゃない。万が一救急車なんてものに乗せられたら面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだし、警察に状況調査のためなどと言って動画を見せられたらどうなる?

 逃げなければならない。頭の中にあるのはそれだけで。


瞬間移動術レガ・ハラフ!」


 最悪の選択をしてしまったことに気が付いたのは、唱えた直後だった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


 なかなか来ない美代にソファで胡坐しながら貧乏ゆすりをしていた沙理は、リモコンを片手にチャンネルを次々と変えていた。面白い番組がないとわかるとテーブルに放り投げ、お菓子をつまんでココアで飲み下す。

 親が商店街の福引で当てた旅行ツアーに行ってしまい、部活の関係で行けなかった沙理は即座に美代を呼び寄せた。断じて寂しいからではない。暇だからである。

 それなのに、聞いていた電車の時間を考えても、こんなにも来ないのはどうにもおかしい。


『臨時ニュースです』


 緊迫したニュースキャスターの声に、何気なく画面を見た。横断歩道を赤信号で飛び出した子供があわや大型車に轢かれそうになったのを、見覚えのある女性が抱きかかえて助け出した動画が流れている。

 その女性が道路に倒れこみ、しばらく体を硬直させた後に姿を消してしまって、思わずココアを吹き出すところだった。


「あの、あほ!」


 自身の脇に置いていた携帯電話を取り上げると震える指で電話帳を探し、深呼吸をして通話ボタンを押した。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


 目に入った適当な建物の屋上に出た美代は両手で顔を覆い、体を小さくしてうずくまった。震える背中に合わせて羽も動き、日の光を浴びて七色に光っている。


「絶対違ったじゃん……。瞬間移動術レガ・ハラフじゃないじゃん、せめて変 幻 偽 視メンティ・マスケじゃん。本当にさぁ、もうさぁ」


 屋上から交差点を見下ろしてみると、別の建物につけられた大きなテレビが見えた。臨時ニュースとしてそこに流れる動画に膝から崩れ落ち、拳を握る。

 ニルハムと違い、科学技術が進んでいるシャロムでは。リアルタイムのニュースを放送局が拾い上げられるのが恨めしい。


「どうしよう……」


 ポケットの中から電子音が流れて、思いきり体が跳ねた。慌てて携帯電話を取り出し、画面に出ている名前を見て、大粒の涙が流れてしまう。


『ちょっと美代! 大丈夫なの!』

「沙理……」

『詳しい事情はとりあえず置いておいて、今すぐうちまで来て! 来れる?』


 このタイミングで電話をかけてきたということは、沙理もこのニュースを見たのだろう。それなのに、家に招き入れてくれるという。

 ベソベソと涙をこぼしながらもう一度瞬間移動術レガ・ハラフを唱え、その場を後にしたのだった。



 

 出たところは玄関だった。言葉も出せずに佇んでいると、人の気配に気が付いたのだろう沙理が走ってきてくれる。


「ニュース見たよ! あれ、あんたでしょ!」


 疑問形じゃない。断定した口調。

 それなのに沙理は、自分に連絡をくれたのだ。


「沙理……」

「もう、泣かないの! 入って!」


 手を引かれ、リビングのソファに誘導された。ホットミルクを準備してくれていたようで、両手で包み込んで持ち口をつける。

 ハチミツが入っているらしい。また、涙がこぼれてしまった。


「どうして、ビックリしないの?」

「小学校低学年のころからの付き合いだよ? あんたが時々、変な言葉を話してたのも、そのせいで虐められてたのも覚えてる。トラックのタイヤの下に映ってたシュシュ、中学校に入ってからつけ始めてたやつだよね? 何があっても離さなかったやつ。

 あれで、姿を変えてたんだ?」


 これまで何も、話したことはなかったのに。こんなにも受け入れてくれる沙理が震えるほどに嬉しいのに、同時に悲しくもあった。体を小さくしたまま頷けば、触角を除けるようにして頭を撫でられる。


「どうするの、これから」

「……本当はね、高校を卒業したら、父さんにも母さんにも、沙理にも本当のことを話そうと思ってた。私は人間じゃない、この世界とは近接していて、でも交じりあうことがないことのない世界から来た。

 私の名前はセイント・オウス・アスパル・ファータ。妖精族」

「……長い名前。覚えにくいから美代でいい?」


 頭をグシャグシャと撫でまわしながら微笑んでくれる沙理に、美代もようやく笑いかけることが出来た。コップを置くと両手を広げ、意図を汲んでくれた沙理に優しく抱き着く。


「もっと一緒に居たかった。もっとちゃんとしたお別れをしたかった」

「本当にもう、人助けで正体がばれるなんて、あんたらしいわ」

「ありがとう。これまで本当にありがとう。私は自分の世界に帰る。……もう、会えないけど、元気で」

「あたしの方こそありがとう、楽しかったよ。……ちゃんとおじさんとおばさんにも挨拶して行きなよ?」

「わかってるよ」


 クスクスと小さく笑いあい、一度だけ額同士をぶつけ、すぐに離れた。このままでは決心が鈍る。


「さようなら」

「元気でね」


 姿を消してしまった美代に苦笑して、沙理は小さく鼻をすすった。




 自室に入ると私物を簡単に片づけ、数枚の服と新しいノートとペン、使い慣れたカバンなどを空 魔 箱マジック・ボックスに入れた。深呼吸して一階に降りてみれば、顔色を悪くする両親が勢いよく立ち上がる。


「美代!」

「美代、大丈夫だったのか!」


 やはり、両親はニュースの内容や自分の姿よりも先に、心配をしてくれた。目元が熱くなるのを感じながら無理やりに涙をのみこみ、口角を震わせながらどうにか笑いかける。


「ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて」

「なにも心配はすることないんだよ。ボク達のことを誰も知らない、田舎にでも行けばいい」

「……ありがとう。だけど私はもう、自分がいるべき世界に戻ります」


 深々と頭を下げれば、二人から抱きしめられた。手が震えている、顔は見えないけれどきっと、父は困ったように、母は寂しそうに泣いているのだろう。


「こんなにも、テレビで堂々と流れてしまった。私を知る人なら気付くかもしれない。……ここまで育ててくださったあなた方に、迷惑はかけられません」

「迷惑だなんて!」

「ううん、ずっと思ってた。小学校を卒業したら、中学校を卒業したらって、先延ばしにして。高校を卒業したら本当のことを話そうと、考えて。

 先延ばしにしてた罰かなぁ。だけどあの時、どうしてもあの子を見捨てる選択ができなかったんだ」


 自分でもわかるほどに弱々しい笑みで顔を上げれば、堪えられなかった涙が床に落ちていった。抱きしめてくれる腕に抱き着きながら、ゆっくりと目を閉じる。


「私の本当の名前はセイント・オウス・アスパル・ファータ、妖精族。あの時、助けてくれて、ありがとう」

「自分が車に轢かれていたかもしれないのに、飛び出して行って子供を助けたんだ。美代は正しいことをしたんだよ、お別れが早くなってしまったのは寂しいけどね」

「あなた……!」

「決めただろう? 美代が自身のことを話してくれて、自分の道を決めた時。ボク達は見守ろうって」


 いったいいつの間に、そんな話をしていたのだろう。

 この両親には敵わないと、小さく笑い声をあげてしまった。


「お元気で。もう、会えないけれど。その命が尽きるまで、幸せに、元気に生きてください」

「美代も。ただでも病気をしやすいんだから! 無理をしないで、元気でね」

「私たちのことは心配しないで。あなたが居てくれて、本当に幸せだった」


 もう、両親の顔を見ることは出来なかった。

 挫けてしまう。また、両親の愛情に甘えて、二人に迷惑をかけてしまう。そんなことは、許せない。


 返事をすることも出来ずにただ頷くと、二人に背を向けて、美代は口を開いた。

 目指すはニルハム。懐かしい、あの世界。


 姿を消した美代に母親は崩れ落ちて声をあげて泣き、父親は慰めるよう、優しく背をさするのだった。

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