さようなら
いったいどんな魔術がかけられていたのか。
そんなに登ったわけでもないのに、階段の終わりが見え始めていた。そこにある扉にはすでにブルーが手をかけており、その隣に雷斗が、二人の間でスノーが両手を乗せている。
「ブラックお兄ちゃん、バーナーお兄ちゃん、美代お姉ちゃんも!」
「一緒に開こう」
「ボンドッツもダークもシャドウも!」
「……これでついに、旅も終わりなんですねぇ」
はしゃいでいるようにも見えるブルーとスノーに苦笑を漏らし、誘われるがまま、美代たちは扉に手を置いた。力を込めたわけでもないのに中央からゆっくりと奥に開いていき、向こう側が見えるのを静かに待つ。
はずだったのだが、扉が開いた瞬間に何かが勢いよくボンドッツに突進し、階段を転げてしまわないよう彼を支えるために全員が腕を伸ばしていた。
「もう! 随分と待ったんだよ、みんなぁ!」
聞こえた声に、誰もが耳を疑っただろう。抱きつかれているボンドッツに至っては完全に硬直し、まばたきも忘れたかのように、ただ呆然と立っている。
だって、その声は、もう会えない仲間のものだったから。
「り、ん?」
「な、ど……」
「彼女にはここで待っていてもらった、それだけです」
静かで、どこか冷たいようにも聞こえる声に顔を上げると、そこには見上げるほど背が高い女性がいた。
腰を越えるあたりまで伸ばされた金色の髪は女性の呼吸に合わせて柔らかく揺れ、同じ色の瞳は心を見透かすようにまっすぐだった。隣に立っているバーナーが姿勢を正し、コクン、と小さく息を呑む。
「よくぞここまでたどり着きました、私の力の欠片たちよ、我が子らよ」
「……不肖の息子たちは、神様の元まで、ようやくたどり着きました」
膝を折って頭を下げたバーナーに続くよう、雷斗も膝を折り、ブルーも座り込んで頭を下げた。王城ではそれを止めていたバーナーなのに、今は止めない。
美代も彼らに倣おうとしたけれど、緊張してしまい、動くことが出来なかった。
体の芯が熱いのがわかる。自分ではない何かが、彼女を渇望しているのがわかる。
目の前に居るこの女性が、ガーディアンの。
しいてはこの世界の、母なのだ。
「顔を上げなさい、火炎族の子よ。……たどり着くまで、あなたはよくこなしてくれました」
「……ありがたきお言葉です」
一度深々と頭を下げ、立ち上がるバーナーにならい、雷斗たちも立ち上がった。
それとは反対に、崩れ落ちるように座り込んだのは美代だ。
「美代!」
「美代さん、大丈夫ですか! 顔色が……!」
呼吸も薄く、震えながらも血の気が引いた白い顔を上げれば、神様と視線があった。
ドクン、と心臓の音がうるさくて、ギュッと目を閉じた。
「ですが、我が子らよ。あなた方は我が元に相応しくない者をも、招き入れてしまいましたね」
「な……」
「神様、相応しくないって? どういうこと?」
女性はまっすぐに、美代の事を見つめていた。ブラックに支えられてなんとか立ち上がるけれど、沸々と血が沸騰していくのがわかる。
思えば、そうだ。神様の元に行くための扉が開いたとき。
妖精族の血が、ザワザワと騒いでいたではないか。
「セイント・オウス・アスパル・ファータ。……今は、美代、と名乗っていましたね。
あなたは天と地を支える、二柱のうち一柱。挙句に、その最後の純血。
決して、生きて私の元にいることは、許されません」
ブラックの表情が凍り付いた。
ブルーが目を見開き、雷斗が眉を吊り上げ、バーナーが静かに目を伏せた。スノーは困ったように視線をさまよわせ、ダークの手をきゅっと握る。
「神様。ならばオイラも、最後の純血です」
「黒い柱であるあなたの代わりは、ほかにいます。ですが白い柱の、それも主柱である妖精族の代わりになる一族はありません」
「そんな! 美代はんは、ウィングはんは風のガーディアンなのに!」
「美代殿は私たちと共に、ここまで来たのです! 彼女がいなければ我々はきっと、たどり着けなかった!」
ブルーがきつく抱き着いてきた。雷斗も呼吸が荒い美代のことをブラックと一緒に支えるように隣に立ち、神様のことを縋るように見上げる。
けれど彼女は、表情を少しも変えることなく、ただ静かに見返しているだけだった。
「なら……ならどうして、美代はオレ達とおんなじ、ガーディアンになったの」
瞳孔が開ききったまま、髪をざわつかせ、ブラックは震える声を絞り出した。神様の言葉に納得がいかないのだろうブルーと雷斗も大きくうなずいている。
「妖精族はその血が目覚めるまでは人族とほとんど違いはありません。
風の一族の者が、私の力の欠片を得る資格を失っていた。彷徨う魂が偶然にもシャロムでニルハムの者を見つけ、血が目覚めないセイントに、入り込んでしまった。それだけです」
「途中で、その力を没収することは出来なかったのですか……!」
「勤勉なる火炎族よ。あなたならわかっているのでしょう? 私は……地上に、直接手を下すことは出来ないのです。だから、あなた方が、生まれた」
「とりあえず、私がここに居られないことはわかったよ。なら、ウィングの魂はどうすればいいの?」
苦笑いしている美代に、視線が集中した。震えながらボンドッツに抱き着いていたリンが力いっぱい目を閉じ、うつむく。
今はまだ、血が覚醒しきっていないからどうにか居られるのだろう。だがそれは、『居ることが出来る』だけであり。
その時間が長くないことも、自身でよくわかっていた。
「美代! 何を言うの、オレは納得できないよ!」
「ブラック。ごめんね、約束……守れなくなっちゃうけど。自分でわかるんだ。もうあんまり長く、ここには居られない。なら居られる間に、やるべきことを」
「セイント。ウィングの魂は貴女に憑依しているのであって、定着はしていません。それを剥がし、魂を失っている彼女に移します」
神様の視線の先に居たのは、震えているリンだった。ボンドッツが目を見開いて体を小さくする彼女をきつく抱きしめ、ゆるりと首を振る。
「貴女をガーディアンにしてしまった、せめてもの償いです。願いはありますか」
「ボンドッツもダークもシャドウも、貴女の元に居ていいの?」
どこか忌々し気に頷く神様に、美代は口角を緩く上げた。
もし、黒疾が資格を失ってしまった理由が負の遺産だとしたら、ボンドッツも本当は居られないはずだ。
だが神様は、もしかしたらリンが魂を受け入れる関係もあるのかもしれないけれど、ブラック達と一緒に居ていいと言ってくれたのだ。
「リンを、助けてくれて、ありがとう」
「ガーディアンと共に旅を為したあなた方の中で、ウィングの魂を受け入れられたのが彼女だけだからです」
「それでも、ありがとう。一つだけ、お願いしてもいい? ダークの目を、治して」
はくり、はくりとボンドッツが声もなく唇を痙攣させた。
震える指先を伸ばして、拒絶の意を示そうとしたダークは喉が震え、言葉を吐き出すことが出来なかった。
神様に願えば、一族の復活だって叶えられたかもしれないのに。そうではなくても、どちらともの両親に会うことだってできたかもしれないのに。
彼女が願ったのは、他者のことだった。
「ドウシテ! ナゼ自分ノタメニ、願ワナカッタ! ワシノ事ナド、ワシラノ事ナド……!」
目元に傷跡は残ったけれど、ダークの琥珀色の瞳をまた見ることが出来た。きちんと視力も回復しているらしく、彼はボロボロと大粒の涙を流しながら美代の胸倉をつかみ上げる。
ヒュウと、か細い呼吸音を漏らして、美代は彼の涙を優しく拭った。深くうつむいて背を震わせ、嗚咽を上げるダークを撫でてやり、顔色を悪くするリンに微笑みかける。
「神様。ウィングの魂を、返します」
「……あなたと、いう人は」
呆れているようだけれども、暖かな笑みだった。神様が手をかざすと美代の体から白い光がするりと出てきて、ふわりとリンに近寄っていく。
それは、初めて美代に入った時とは全然違って。
何の抵抗もなく、彼女の体に溶け込んだ。
「神様、どうしようもないの? 美代はんは、どうしても一緒に居られないの?」
「ならば、私たちも一緒に地上に降りましょう! えぇ、リンと、みんなとは離れ離れになるでしょうが、彼女だけが降ろされるよりも!」
「ボンドッツ達まで私についてきたら、だれがみんなをまとめるのさ。バーナーだけに任せるつもり? せっかく、神様が、ボンドッツ達はみんなと一緒に居ても良いって言ってくれてるのに? 大丈夫。私は、大丈夫だから」
ウィングの、ガーディアンとしての魂が抜けてしまったからだろう。体調はますます、悪くなっていた。
それでも、それを顔に出してしまえば。彼らはきっと、神様に向けて牙をむく。そう思えてしまうほどに、感情が激しく揺れ動いている。
「だから、ブラックも、ね?」
「……そんなのって。美代、オレは」
「ちょっと、腰を落として?」
ざわめくブラックの髪の毛を優しく撫でつけながらお願いすれば、彼は腰を落とすのではなく美代のことを抱え上げる。
思わず微笑んでから涙の後を拭ってやり、顔を近付けると、紅い目を丸くした。
「もう、会えないかもしれないけど。心は、一緒」
「……美代……」
離れた唇にそっと触れ、せっかく拭い取ってもらったのに、また大粒の涙をこぼし始めた。もう一度だけ美代のことをきつく抱きしめ、彼女の意に従ってゆっくりと降ろす。
「美代はん」
「美代殿……」
「ブルーも雷斗も。もう、バーナーも! 泣かないで、言ったでしょ? 私はもう大丈夫。みんなが居てくれたから、自分が何者なのかがわかったから。なにも、怖くないよ」
ちゃんと、不調を隠して、笑えただろうか。ちゃんと、歪まずに笑えているだろうか。
それだけを心配に思いながら彼らに向けて笑顔を見せれば、なぜだろう。彼らは涙を流しながらも微笑み返してくれた。
「上野美代、セイント・オウス・アスパル・ファータは風のガーディアンとしての力を返上し、地上に戻ります」
神様に深く頭を下げ、彼女が何を言う前にみんなのことを振り返った。
たどり着き、自分がここに居られないと宣言された時の雰囲気はもう、どこにもない。涙をこぼしながらも、彼らはきっと、わかってくれた。
「バーナー、みんなをお願いね。ブラックは私が降ろされたからって怒らないこと! ブルー、これまで通りのあなたでいて、雷斗もバーナーを支えてあげてね。スノー、頑張ってお兄ちゃんたちを手伝ってよ!
リン、ウィングのこと、よろしくね。ボンドッツ、ガーディアンになったリンのサポート頼んだよ! ダークもバーナーと一緒に保護者を頑張って! シャドウも色々とありがとう。妖精族として、これからやっていける気がするよ。
みんな、本当にありがとう。さようなら」
ぐわん、と視界が大きく歪んだ。とうとう、神様の元に居られる限界が来たのだろう。
ブラック達が自分を呼ぶ声を、脳裏に焼き付けながら。
もう一度だけ、口を緩く上げて微笑んで、美代は意識を飛ばしてしまった。




