最後の時
「――そっか、もうそろそろ、到着しそうなんだね?」
炙った干し肉をかじっていると、シャドウとブラックがなんとなく言い難そうに口を開いて、小さくそう言った。行儀が悪い事は重々承知しつつも肉を咥えたまま頬杖をつき、緩く目を伏せる。
「美代さん、行儀が悪いですよ」
「わかってますー。まだ硬くて噛み千切れないし、全部は口の中に入れられないし。出すわけにもいかないじゃん」
「バーナー達と別れてからどれくらい経ったのかな」
「キチント数エテイタワケデハナイガ……優ニ、十日ハ超エルダロウナァ」
短いように感じていたけれど、もうそんなに経っていたのかと、ようやく噛み切った肉を飲みこみながら久しぶりに羽根を見た。光があるのを確認して目を閉じ、深呼吸をひとつすると風に耳を傾ける。
「……雷斗は一族に、ブルーはヘリュウさんのところに。バーナーは、ルビーさんのところかな? 黒疾とスノーは他に声がないから、二人で旅をしてるのかも」
「今日中には、たどり着けると思うんだ。……だからブラックと美代ちゃん、着いたら何日か出かけておいでよ」
思いがけない提案に、二人は顔を見合わせた。ボンドッツやダークも柔らかく微笑んでいて、どうしたものかと眉を寄せてしまう。
「シャドウ?」
「バーナー君たちだけじゃないよ、地上にいられなくなってしまうかもしれないのは。他に未練はないかもしれないけど、これまで……きみ達は、本当に大変だったと思うんだ」
「たくさん戦って、泣いて、傷付いて。我々の中ではきっと、えぇ、あなた方が一番、苦しんできているでしょう」
「楽シンデオイデ。何日掛カッテモ、構ウマイ。思ウガママニ、旅ヲシテオイデ」
思うがままに、旅を。
これまで考えたこともないような言葉に、美代は困ったようにブラックを見上げてしまった。彼は三人をジッと見つめて口角を緩め、自身を見上げる彼女をヒョイと膝の上に抱えあげると小さく頷く。
「ありがとう、シャドウ、ダーク、ボンドッツ。本当にいいの?」
「行っておいで、ブラック。きみを掬い上げてくれた美代ちゃんと一緒に、好きなことをしておいで」
ブラックがそれを望むのならばと、美代もわずかに頷いた。膝から降りればブラックがダークに手を伸ばし、軽々と背負ってしまう。
どうしてだろう、なんとなくだけれど、ダークが嬉しそうに微笑んだように見えた。
「それじゃあ、出発!」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
ムニュンと、とても柔らかいゼリーを触るような感触が全身を襲い、思わず身震いをしてしまった。ボンドッツも自分と同じ体験をしたのだろう、たった今通ってきた道を勢いよく振り返っているし、ダークも自身の体に触れている。
心眼を持つ二人は驚いておらず、害はないと判断して正面の風景に目を向けた。
「……ここが、なんにもない場所……?」
「……そうみたいだね」
「本当に、なんにもないのですね」
ボンドッツが言う通り。
目の前には石畳が広がっていてその中央には祭壇があり、両開きの扉のような形をした岩があるばかりで、他には何もなかった。草木もないし、そもそも自分たちの他に生命の気配を感じない。
風の一つも走らない、息苦しくなってしまうほどの無音に囲われて、美代は隣に立つブラックのコートを弱く引いた。
「シャドウ、見て。あの扉、なにか文字が書いてある」
「本当だね……読めない」
「遠いから、ってわけじゃないよね。近寄ってみよう」
無音を打ち破る様にわざと足音を立てて歩けば、ますます不気味さが増してしまった。こんなところが本当に風の一族の聖地なのかと眉を寄せ、黒疾に対して失礼かと思い直して緩く首を振る。
扉の裏側には何もなく、どうしてこんなところにあるのか、全く持って判らない代物だった。とりあえず刻んである文字らしきものに指を這わせ、ふと扉の中央にある窪みに視線を止める。
今朝まではあったのに、今は光がない羽根を取り出して見比べた。
「同じ形?」
「美代殿、ワシノ掌ニ文字ヲ書イテクレンカ」
シャドウが読めないと言ったことが引っかかったらしい、ブラックの背を降りながら腕を伸ばしてきたダークに、美代は戸惑いながらも扉の文字を凝視した。背後に回って掌に指を置き、大きく深呼吸をする。
書いてある文字は全く読めないけれど、初めて見たような気がしなかった。
「えっと、ごめんねダーク、すごくゆっくりになると思う」
「問題ナイ。誰モ読メンノナラバ、コレハ人ノ言葉デハナイノダロウ」
掌に線を走らせていくけれど、文字を書いている感覚はなくて、まるで絵を描いているような気持ちだった。間違えないようにと気を付けて描けばゆっくりになってしまい、少し早く書こうと思ってもまるで文字には見えないそれに眉をきつくよせ、意図せず息を細めてしまう。
普通に横文字の本を読む時と同じように描いているそれも、正解なのかどうかわからなかった。
「……神託ヲ紡グ一族ヨリ産マレシ神ノ子、与エラレシ神器ヲココニ収メン。ダト」
「あ、やっぱりこの羽根なんだ」
「それは、美代さんの持ち物では?」
「ううん、元はウィングの頭飾り。だからきっと、風のガーディアンとしての異常性は、唯一与えられたこの武器なんだと思う」
呟き、羽根を優しく撫でながら、美代は柔らかく微笑んだ。それをボンドッツに渡せば彼は目を丸くして、反射的だろう受け取ったけれどすぐに押し返してくる。
「どうしたのです、これはあなたの」
「これから少しだけ、ブラックと二人きりで旅をさせてもらうんだもん。碌に扱うことが出来なかった武器は預けていくよ、ウィングじゃなくて、セイントじゃなくて。上野美代として、行きたいから」
偽りなく笑った美代に、ボンドッツはしばらく黙り込んでから頷いた。空 魔 箱に入れる事もなく両手で大事そうに握りこんでいる彼に小さく頭を下げ、ブラックに向かって腕を伸ばす。
ヒョイと美代を肩に座らせ、振り返ることもせずに姿を消していったブラックを見送って、三人は肩を揺らして笑った。
「ダーク、先ほどは嬉しそうでしたねぇ?」
先ほどとはいつの事なのか、ダークには心当たりがあったらしい。クツクツと喉の奥で笑い、微かな吐息を漏らした。
「改メテ、ナ。ア奴ガコンナニ小サナ頃カラ知ッテイルノダゾ、ソレガアンナニモ大キクナッテ……。背負ッテイタワシガ、背負ワレテシマッタヨ」
石畳の上に胡坐して、自身の頭の高さの辺りでヒラヒラと掌を動かすダークの肩に、シャドウがチョコンと座った。体を小さく揺らして破顔している彼を見て、ボンドッツも同じような表情になってしまっている。
「なにもかもに怯えて、ボク達以外の全てが恐ろしくて。……心眼能力や念動力を嫌って忌んでいたのに。
そんなブラックの事を、全部を受け入れてくれる仲間が出来て、愛してくれる人が出来たんだ。えへへ、四つの頃から育ててるからかなぁ、嬉しくって泣きそうだよ」
赤くした目元を擦っているシャドウに、ボンドッツは目を閉じるとその場に横たわった。手足を広げて大の字になり、雲一つない空を見上げて大きく息を吐きだしていく。
石畳の冷たさが、心地よかった。
「そうですねぇ。想像もしませんでしたよ、我々の事を……事情を知ったうえで、行為を知ったうえで。受け入れてくれる方々が、いるなんて」
「アノ子達モ異常性ヲ持ッテイルカラ、トハ思ウマイ。アノ子達ダッタカラ、ナノダロウナァ」
「それじゃあ、ボク達はブラックと美代ちゃんが戻って来るまで待とうか。ちゃんと楽しんでくるといいなぁ」
まさか、こんなにも心穏やかに、誰かを待つ日が来るなんて。
もう一度、口の端を緩めて笑ってしまい、ゆっくりと目を閉じた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
魔力の揺らぎに目を覚まし、体を起こすと思い切り背伸びをした。生身の体ではないので必要ない動作ではあるのだが、なんとなく習慣になってしまっている。
考えれば、自分は人間である、という意識を持っていたかったが故の行動か。そう思って苦笑し、帰って来た二人に口を緩めた。
「おかえりなさい、楽しめましたか?」
「ただいま、シャドウ、ダーク、ボンドッツ」
「うん。おかげで、すごく楽しかったよ。これまでの事、これからの事。たくさん話せた」
そう言ってブラックの肩の上で微笑む美代の背には、半透明の羽があった。優しく降ろしてもらうと目を閉じて深呼吸を繰り返し、触覚を揺らして顔を上げる。
未だに揺らいでいた魔力が静まっていき、同時に羽が消えて、移動をしてきたのはブラックの魔術ではなく美代の魔力によるものだったのかと目を丸くした。
「黒疾が言ってた事を思い出してさ。瞬間移動術が、魔族や妖精族の移動手段に詠唱をつけて術化させたものだって。だから私にも、ダークネス達みたいに無詠唱で使えるはずだと思ってね、練習してみたんだ」
「さすが美代! 詠唱を教えた時だって、一回で覚えちゃったんだもん。すぐに出来るようになったんだ」
「だけどもう、やらないかなー。魔力の消費が瞬間移動術と比にならないんだもん。これで魔力を使うくらいなら温存してた方がマシな気がする」
ケラケラと笑いながら言う彼女に、魔族との魔力の差を改めて思ったのだろうボンドッツは背を震わせていた。それを見て今度は悪戯っ子のように笑い、子を見る親のような表情を浮かべているダークとシャドウに軽く手を上げる。
「この旅の中で、こんなにも穏やかに過ごせたのは初めてだったかもしれない。ありがとう、送り出してくれて」
「美代ちゃん……」
「初めの頃は誰の事も信用出来なくて、一緒に行動し始めてからは魔族に狙われて、それが終わったと思ったらようやく、ガーディアンとしての旅になって。
なんにも考えないで、気負わないで、純粋に楽しめたよ」
悲しげな表情を浮かべたシャドウに、慌てて言葉を繋げた。二人旅の中できちんと自分の心を知ってくれているブラックはくしゃりと頭を撫でて、聖地に残ってくれていた三人に首をかしげる。
「シャドウ達はよかったの?」
「ボク達は神様の元に帰るわけじゃないからね」
「ここでお別れになるのは残念ですが、それも仕方がないでしょう」
「ワシラハマタ、人里離レタ場所デ生キテイクサ」
「………」
口々に言った三人にブラックが押し黙り、わずかに俯いてそっぽを向いてしまった。見えていないはずなのに、雰囲気でわかったのか。ダークが近寄ってきて手探りでブラックの頬を優しく撫でる。
シャドウも頭の上に乗り、体全部を使うようにして頭を擦った。
「ブラック、オ前ハ神ノ子ダッタ。コレカラハ美代殿達ト共ニアル」
「そんなに寂しそうな顔をしないで。えっと、レイリアの文献にあったんだけどね。
魂は地上を廻り神様の元へ帰り逝く。そうして神様のもとで真っ白になって、もう一度地上に戻り生くんだって。
心眼能力を持つブラックなら、ボク達のこと、すぐにわかるよ」
「……そんなの、シャドウ達、死んだ後の話しじゃないか」
目尻を下げたブラックの体を優しく摩り、腕を伸ばしてシャドウを呼んだ。両手で抱え込むとため息を漏らし、首をかしげるダークの事も軽く小突く。
「そんなに寂しい事を言わないで、これまで私たちと一緒に旅をしてきたんだもの、きっとこれからも一緒にいられるよ」
「そうだと嬉しいのですがねぇ」
苦笑を漏らすボンドッツに眉を寄せながら笑ってしまい、預けていた羽根を受け取った。手にした途端わずかな光を放ち、緩く瞼を閉じてブラックを振り返る。
「雷斗はやっぱり雷雲族のところに居るみたい、ブルーは……あれ、ブルーが住んでた村? ヘリュウさんに送ってもらったのかな。バーナーはレイリアに居るね」
「わかった。ダーク、美代と一緒にここで待ってて、オレは黒疾に声をかけて近いところに行ってもらうよ」
「ブラックはブルー君をお願いね。ボンドッツはバーナー君のところに、ボクは雷斗くんを迎えに行くから」
「御意に」
各々はシャドウの指示に頷いて、声をかける前に姿を消してしまった。目が見えない、といった理由で置いて行かれてしまったダークはなんとなく口を尖らせており、美代は声を殺して笑いながらも彼の手を緩く握る。
首をかしげ、顔をこちらに向けてくれたダークに、握った手に力を込めた。
「助けてくれてありがとう。昔も、今も。……結局、私はなんのお礼も出来ないままだね」
「何ヲ言ウ。ワシガドレダケ救ワレタカ、礼ヲ言ワネバナランノハ、ワシノ方ダ」
「私はなんにもしてないよ。本当に、なんにも出来てない」
握っていた手が離れると、頭に優しく置かれた。くしゃくしゃと撫でまわしてくる手は暖かくて、肩を揺らしてしまう。
瞬間移動術を使えば戻ってくるのも早くて、美代は帰って来た面々に軽く手を上げた。スノーはバーナーに肩車をしてもらってご満悦なのだろう、両目をキュッと閉じてニコニコとしている。
「おかえりなさい、みんな。楽しかった?」
「うん! 兄ちゃんにも、一族の人にも、村の人たちにもありがとうって言えたよ!」
「族長の証を返すことが出来た。戻れん可能性があると告げると、殴られてしまったがな、一人前と、認めさせることが出来たよ」
思い出したのか、左頬を擦っている雷斗は眉を寄せていて、それでも口元には緩い笑みがあった。一族にいるあいだに特訓でもしたのだろうか、片手で取り出した剣を自然に分離させ、繋ぎ合わせ、雷で生み出す刃も長短を自由に変化させている。
それをもって、父親に自身の力を認めさせたのだろう。その表情は誇らしそうだった。
「バーナーも、良い表情してる」
「そりゃあな、最後に仕事仲間や世話になった人達に挨拶が出来たんだ。悪い表情になるわけがないだろう?」
肩を揺らしてクツクツと笑う彼は、肩に座らせていたスノーを降ろした。そのままの流れで抱っこをせがんで来たので抱えあげてやれば頬ずりをしてきて、ジッと瞳をのぞき込んでくる。
そしてそのまま、ボンドッツやシャドウ、ダークに顔を向けた。
「えっとね、お兄ちゃんがつたえてーって! お兄ちゃんたちも、一緒に、おかあさんのところに行ってーって!」
「……それは、黒疾さんからの伝言ですか?」
「オカア、サン?」
「うん。おかあさんのところ!」
「お母さん……」
スノーが言うそれが、自身の母親ではないということはちゃんとわかった。ならば一体誰の事を言っているのかと揃って首をかしげれば、バーナーや雷斗、ブルーが緩く微笑む。
「うん、かか様」
「我らが母上」
「神様、だな。オイラ達を産んでくれた母親とはまた別もんだ」
「あぁ、天に住まいし我らが母よ、か」
バーナーがニュアンスを変えて言ってくれたおかげで、誰の事を指しているのかがわかった。神 力 破 斬の詠唱を考えれば、神様に性別があるとすれば女性なのだろうと判断がつく。
ならば確かに、ガーディアンにとって神様は母上なのだろう。
「しかし、どうして我々まで」
「ここで考えても一緒じゃん。行って、本人に直接聞いてみた方がいいよ」
軽い調子で言う美代にみんなが視線を向けると、彼女はすでに羽根を扉の窪みに嵌めているところだった。なんの掛け声もなく、心の準備や考察をする暇さえ与えない行動に、誰もが言葉を発さない。
そんな中、最初に笑い声を上げたのはバーナーだった。
「答えが出ないことはそれ以上悩まない、だったか? 美代らしい!」
「そうねー。色々あったせいで、完全に頭の隅っこに追いやってたけどさ。それがきっと、私らしいってことなんだ」
ピシリ、と何かが砕ける音がした。
カラリ、と何かが転がる音がした。
何が起きているのかと扉の方を見てみれば、中央から岩が割れ、誰も手を触れていないのにゆっくりと開いているのが見えた。裏側を見た時には確かに何もなかったのに、開いて行く扉の向こう側には光り輝く階段が見え始めており、思わずコクリと息を呑みこむ。
寒気が全身を駆け巡った反面、血が熱くなるのを感じて美代は自身を抱きしめるように腕を回した。心配したのだろうブラックが背後から優しく抱きしめてくれて、何とか笑みを浮かべながら彼の大きな手に触れる。
妖精族の血が覚醒しようとして、それを何かに無理やり押さえつけられたように感じた。
(なにが、起きた?)
「美代?」
「う、ううん。大丈夫」
開ききった扉の奥を見上げれば、光の粒子で出来た階段がはるか上空へと向かって伸びていた。ブルーがそわそわと体を揺らし、雷斗がどこか緊張した面持ちになって、スノーがニコニコと微笑んでいる。
ブラックも、自身がガーディアンだということを覚えていなかったとはいえ、その魂には刻まれているのだろう。階段を見るなり小さく息を呑んでいた。
「とうとう、ここまで来たんやねぇ」
「そう、だな。色々あったが、ついに来た」
「おかあさんのところ、行こう!」
三人が話す中、バーナーだけは小難しい表情を浮かべているようだった。そっと背中に触れると勢いよく見られ、思わず怯んで二、三歩下がってしまう。
「どうしたの、そんな顔をして」
「あぁ、いや。オイラもどっか、緊張してるんだろうな。うん、行こう」
そうして浮かんだ笑みすらも、弱々しい。
そんな彼に首をかしげながらも、先に進み始めてしまったブルー達を追いかけるためにそっとダークの手を取って。
重く感じ始めた体に鞭を打ち、美代も階段へと足をかけるのだった。




