なんにもない場所
翌朝には目を覚ましていた美代に安堵した一行は、起きたばかりなのだからまだ休んでおけと彼女をベッドに押し込めた。それはすでに予想できていたので笑いながら受け入れて、一人だけ残ったダークに眉を寄せてしまう。
気付けば彼はバーナーの手も握り締めており、どうしたのかと首をかしげてしまった。
「……二人ハ、覚エテイナイカモシレナイガ。謝罪ト、礼ヲ言ワセテ欲シイ」
「謝罪と」
「お礼?」
苦々しい顔になりながら、ダークが話してくれたのは、自身がここを離れようとしていた時に自分たちがそれを止めてくれたということだった。何のことかと顔を見合わせれば、弱い笑みを浮かべ、深く頭を下げる。
「バーナーハ意識ガ無イママニ、美代殿ハスグニ気絶ヲシテシマウホド、体力ヲ消耗シテイル時ニ。逃ゲヨウトシテシマッタワシヲ、止メテクレタ。本当ニアリガトウ」
「記憶にない事だから何とも言えないところはあるが、頭を下げるなよ」
「ダークが本当にここに居たくないって思ってたんなら、私たちの事なんて無視して行っちゃってるでしょ? 残る選択をしてくれて、ありがとう」
そう言って笑い声を出せば、彼は顔を上げてポカンとしていた。それでも泣き出しそうな笑みを浮かべるとゆっくり腕を伸ばし、一瞬躊躇うように指先を痙攣させる。
だけど、ダークは確実に、美代の頭に手を置いていた。
「少シダケ、黒疾達カラ訓練ヲシテモラッテ、皆ニ触レラレルヨウニナッタヨ」
「嫌なことだったらごめんね、ダーク。右目は……」
バーナーが動いた気配を感じたのだろう、ダークが美代の頭に乗せている手を肩に運び、腕に乗せ、手首を取った。髪の下に差し込むよう右側に触れさせれば美代が瞳を揺らし、ダークの事を凝視する。
「ダーク、よかったのか」
「構ワナイ。他ノ者ニハ恐ロシクテ言エナクテモ、二人ハワシヨリ永ク生キルノダ。……知ッテイテ、欲シカッタ。ソノ上デ、コレカラモ、共ニ在ッテクレルダロウカ」
左頬を伝う涙を指先で拭い取ってやり、両腕を伸ばすと彼の事を正面から抱きしめた。口角を緩く上げたバーナーも後ろから包み込むよう抱きしめて、震えるダークを落ち着かせるよう叩いてやる。
「バカだなぁ、当然じゃない」
「お前さんはどうして、そうも無駄な心配をするかなぁ? 出身一族を考えたら、慎重になるのも仕方がないかもしれないけどさ」
「大丈夫、そんなことくらいで離れたりするもんか。考えてごらんよ、ブラックの事も、みんなすぐに受け入れたじゃない」
怪訝に眉を寄せたバーナーに、美代は思わず口元に手を運んだ。ダークが苦笑して肩から回されている腕に優しく触れ、わずかに顔を上げる。
「黒疾ガナ、アノ子ガワシノ同族ダト、言ッテシマッタンダ」
「……黒疾が? あいつ、どうして」
「目の色と尖った耳がー、って言ってたよ。……もしかしてバーナーも知ってたね? ブラックの事」
きつく眉を寄せたまま額に手を置き、押し黙ったバーナーに二人は首をかしげてしまった。
とりあえず、こんな時には触れないのが一番だと美代はベッドに潜りこみ、ダークは抱きつかれたまま美代の手を握った。このままでは動けないのでどうしようもない。
「それじゃあ、私はもう少し休ませてもらうね。バーナーも考え込み過ぎて、ダークの事抱き潰さないでよ?」
「勘弁シテクレ……」
何か思うことがあったのだろう、微妙にしょっぱい顔をしたダークに、声を押し殺して笑いながら。
もう一眠りさせてもらおうと、あくびを漏らしたのだった。
そうして。
荷物を纏め、忘れ物がないかを確認し、お世話になった宿の主人に再度お礼を言ってから宿の外に出た。
「ようやく、気を張り詰めなくていい旅が出来ますね」
遠くを見ながらつぶやいたボンドッツに、ダークがピクリと指を動かした。美代が手を優しく取って頭に運んでやれば申し訳なさそうに口を緩め、撫でられたボンドッツは頭部の手を握ると玄関に佇んだままでいるバーナーに手招きをする。
「行きましょう、次はどちらに?」
「……黒疾」
ボンドッツの問いには答えずに、神妙な表情で重々しく口を開いた。名を呼ばれた彼は怪訝そうに振り返り、困ったように頭を掻いているバーナーに眉をひそめる。
「んだよ、死神?」
「オイラは、オイラ達の使命を、果たしたい」
「……おう」
「確証はない、確信はある。証拠はない、根拠はある。そんな話をしてもいいか」
「………」
黒疾の表情が、沈んだように見えた。それでも無言のまま続きを促せば、深呼吸をして真剣な瞳を向ける。
「なんにもない場所。とある一族の聖地、神の言葉を受け取るところ。そこに、案内してほしい」
「てめぇの確信と根拠を示せ」
と、きびすを返して歩き始めてしまった黒疾に体を硬直させ、その場から動くことが出来ないでいるらしいバーナーを見た。何が起きているのか判らずに、二人を交互に見つめて眉を寄せてしまう。
「何してんだ、行くぞ。てめぇ、人の出生に関わることをこんなところで暴露するつもりか?」
そっけなく言うと誰の事も待たないようにして進んでいく彼に、互いに顔を合わせるけれど追いかけるほかなかった。
人里を離れ、森の中に入り、人の気配どころか獣の声すらもない場所にたどり着くとようやく黒疾が足を止めた。木の根元に胡坐をかいて座ると、正面に立つバーナーを暗く見上げる。
顎で座るよう促せば、遠慮がちに正座をした。
「なにも、正座をしろたぁ言ってねぇだろ。こんな場所で」
「真剣な話だからな。……美代」
二人を囲うよう、思い思いに座り始めていたところに名前を呼ばれ、美代は反射的に立ち上がった。なにかと思って近寄れば、弱々しい笑みが浮かべられる。
「今、なれそうか」
「わぁ、いつ以来だろう」
羽根を見てみると仄かな光があって、目を閉じると一瞬息を止めた。はためく羽織と久しぶり過ぎてもたつく袴に、苦い顔をしながらバーナーと黒疾を見てみる。
目を見開き、唇を戦慄かせている盗賊団頭に、ウィングまでも目を見開いてしまった。
「美代は、後天的に風のガーディアンとなった。それなのにどうして、こんなにもお前に似ているんだ」
そう言われ、ウィングはとりあえず黒疾の隣に座ってみた。言われてみれば瞳の色を除けばよく似ているし、ボンドッツ達も同意するようにうなずいている。
「それに、血吸いの。お前……ブラックの出身一族を、知っていたそうだな。人間と同じ姿をした魔族が人里に降りず、ゆうに五百年は経っているはずなのに。どうしてその特徴を知っていた? 神話の事も、不死性にある欠点の事も」
「不死性にある、欠点?」
目を閉じ、軽くうつむいていた黒疾が、ウィングの言葉を聞いてわずかに顔を上げた。バーナーが苦笑しながら頬をかき、短くため息を漏らす。
「オイラ達は一族の最盛期である年齢に達したら、それ以上歳を取ることは出来ない。心臓を穿たれようと、喉を裂かれようと、劇毒を盛られようと。どれだけの苦痛を与えられようと、死ぬことも出来ない。
だがな、死ねなくなったからと言って、失った四肢や臓器が蘇ることもないんだ。オイラはこの間の戦いで、普通なら死ぬ高さから落ちた。もしその時に、四肢が砕けるだけじゃなく千切れていたりしたら……欠損をしたまま、永久に生きることになっていた」
淡々と言った言葉に皆の感情が高ぶったのがわかった、それでもバーナーが申し訳なさそうに笑い、黒疾を見つめ、鋭い眼光を柔らかくする。
「普通に生活していれば知りえる事のないだろうこれらの事を、知っていても可笑しくない一族が、たった一つだけあった」
「単にオレが、それらに興味を持って調べただけ。だとは?」
「十三から頭をやってるやつが、どうやって学ぶ?」
「地理に詳しければレイリアにたどり着くさ。忍び込めば」
「ルビーの管轄内でそんなことが可能か? いや、たとえルビーがまだ役人になっていない頃の話しだったとしても。オイラはモモや王様から、大図書館への侵入者の話を聞いたことはない」
「……モモ・シャインか。お前ら、そんなに親しい仲なのかよ」
と、再び黙ってしまった。バーナーがモモの事を呼び捨てにしたことも驚いたけれど、意味深に口を閉ざしている黒疾に視線を上げ、困ったようにブラック達の事を見てしまう。
「なぁ、黒疾。オイラ達は使命を果たしたい」
「……さっき聞いた」
「かといって、聖地だと知っている以上。踏み荒らしたくもない」
大きなため息とともに、黒疾は自身の両手を見た。力なく開かれている掌にウィングは美代に戻ると、重ねるよう自身の掌を乗せる。
それに驚いたのだろう、黒疾が顔を上げ、わずかに表情を緩めた。
「この、底抜けのお人好しが。どうせ場所もわかってんだろ、とっとと行っちまえ」
「周辺しかわからないんだ。だから」
「オレは行かねぇ、行けねぇ。こんなに汚れちまった手と魂で、あそこには入れねぇ。近くまでは連れて行ってやるから、あとは自力で探すんだな」
美代の手をどけるよう、力強く握られた拳は、小刻みに震えていた。顔にあるのは後悔と苦しみか、再び目が伏せられる。
「黒疾さん、一体なにを」
「オレは風の一族の、最後の純血だ。名は明かさねぇよ、とうに捨てた。セイントが変身したその姿は、オレのガキの頃と瓜二つだ」
美代がぴょんと体を跳ね、ブラックの傍に寄って行った。彼から膝の上に抱え上げられた彼女は目をまん丸にしたまま黒疾の事を凝視して、羽根と彼を見比べてしまう。
「汚れた、魂とは……」
「先に言っておく、他の奴に関しては別に気にしない。これはオレ自身の心の問題だからな。……過去に負の遺産を、海洋石を使ったことがある。言っただろ? 混血を一人、殺したと。その時に」
目を見開いていくボンドッツに、黒疾は舌打ちを漏らした。面倒くさそうに頭を掻き毟ると息を荒げ、拳を鋭く突き出す。
頬をかすめるよう飛んで来たのは、小さな風の球だった。
「言ったろ、他の奴に関しては気にしないと。負の遺産とはすなわち、神が禁忌と定めたもの。神の声を聞き、歴史を紡ぎ、世界に伝えていく任を負った風の一族がそれを知りながら犯した。……オレはオレ自身を許せねぇ、それだけだ」
「理由があるんだろ」
「まだオレの恩人が、お頭が生きている頃だった。オレ達は一般人を相手にしない、盗賊相手にしか戦わない一団だから、小さな村なんかは歓迎して迎えてくれて……たまたまそこに、そいつが来た。混血の、火炎族」
一瞬、黒疾の瞳に憎悪が浮かんだように見えた。空気を伝った殺気に驚いたのかスノーがダークの膝にスッポリと収まってしまい、視界の端に見えたのだろう、すまなさそうな笑みを浮かべて目を閉じてしまう。
「まだ死神も生まれてない頃の話になるだろうな。だからもちろん、烈火の奴も生きているし、その混血はクソ野郎の影響を受けまくっていたわけだ。……当時、十一だったオレが、八つか九つくらいのガキに殺されそうになった。
いや、オレはその時にはすでに最後の一人になっていたわけだから死ねないんだが……村の奴らは、盗賊仲間たちは違った」
「だから、海洋石を」
「まぁな。盗賊に襲い掛かって物を強奪して、縄張りを広げてたんだ。中にはそんな物騒なもんもあるわな? ……その石が、負の遺産と知っていたから。お頭たちには、使わせたくなかった」
本来ならば。
黒疾が、風のガーディアンとして生を受けていたはずだったのかもしれない。
そうじゃなくても、後天的なガーディアンとして、自分の代わりにここに居たのかもしれない。
そう思ってきつく眉を寄せてしまえば、ブラックが心配したように体を抱えあげて優しく抱きしめてくれた。黒疾の事を見つめていれば彼は皮肉めいた笑みを見せ、近寄ってくると頭を力強く撫でまわしてくる。
「構うもんかよ。こんなにも良い子が、オレの代わりに神の子として旅をしてくれていたんだ。汚れ役はオレ達みたいなどうしようもない奴らに任せてしまえば良い」
「それじゃあ、黒疾」
「わぁった。地図にも記されない、風の一族の、それも長の血筋しか知らない聖地への道を教えてやる」
「でもバーナー、ガーディアンはみんな揃ってないんじゃない? あと一人か二人、いるって言ってたやん」
ブルーが遠慮がちに手を上げれば、バーナーと黒疾が顔を見合わせた。そのまま二人の視線がブラックに移り、白い目になっていく盗賊団頭から必死に視線を逸らしていく。
「いやいや、揃ってるだろ」
「いやまぁ、ほらな? 最近まで本人含めて、みんながブラックの一族を知らなかったわけだし」
「……へ」
ブラックが、間の抜けた声を出した。こうして彼に視線が集中するのは二度目かと思いながらも顔を上げ、目を点にして硬直しているブラックの頬をつついてみる。ある種当然と言うか、反応はない。
「お前らさぁ……どう考えても可笑しいと思わねぇのか、この異能と魔力の器。そんで? ガーディアンには、何が備わるって?」
「異常性、だろ? 雷斗とブルーは呼吸器が、スノーは他一族に対する耐性が。それじゃあ質問、オイラの異常性は?」
「火力」
「じゃあ、魔族で考えられる異常性は?」
「……まさか、魔力の器?」
見つめられていたブラックは、始めのうちは緊張した面持ちでいたけれど、徐々に頬を緩めて泣いてしまいそうな笑みを浮かべていった。膝に乗せている美代をギュッと抱きしめて、肩に顔を埋めてしまい、毛先だけをわずかに揺れ動かす。
「そっか、そっかぁ……オレ、オレは化け物じゃ、ないんだな。そうやって、生まれて。正解、だったんだ」
じわり、じわりと肩口が温く湿っていき、美代は彼の頬を優しく摩った。体を緊張させていたブラックは一度背を震わせると、顔を上げて目元を服の袖で強くこする。
嬉しそうに泣いているブラックに向けられた表情は、どれも優しく温かくて。
「……ってことは、結構前からガーディアンは揃ってたんやね!」
「バーナー! お前、知っていて何も言わなかったな!」
「ごめんて、ごめんって! 本人も出身一族知らないみたいだったのに、オイラが言うわけにもいかねぇじゃん!」
バーナーに向かっていくブルーと雷斗を見て、一行は声をあげて笑うのだった。




