九対の目
倒れていた。
皆が皆、倒れているのがわかった。
苦しんでいるわけではなくて、気絶するように眠っているだけだとは分かっているけれど、確かにそうなのだと思うには頼りになるものが音しかなくて。
ヒクリ、ヒクリと喉を鳴らせば、誰かの手が頬に置かれて肩を跳ねあげてしまった。
「ダーク、大丈夫?」
「……ブルー? ドウシタ、眠レナイカ?」
「休めてないのはダークの方よ、どうしたん? なんで、泣いてるん?」
優しく頬を擦られて、ダークは唇を歪めるような笑みを浮かべてしまったのがわかった。緩々と腕を伸ばせば小柄な体がスルリと懐に潜り込み、恐る恐る抱きしめていく。
「ダークも休もう? だって、ずっとワイ達の事を護ってくれてたやん。絶対疲れてる」
「……ワシハ、大シタ事ハ、シテイナイ。頑張ッタノハコノ子達ダ、コンナニモ、動ケナクナルホドニ、疲レ果テテ……」
伸ばした腕は誰を触れようとしているのか、あてもなく彷徨っているように見えた。困ったように眉を寄せてダークの手をそっと掴み、とりあえず一番近くで横になっているバーナーの腕に置いてみる。
指先を痙攣させ、胸元を静かに上下させながら眠っているバーナーの腕を緩く掴み、キュッと唇をかみしめた。
「ナァ、ブルー。見テ見ヌ振リヲシテクレンカ」
「え? 何を?」
「ワシハ、ココヲ離レルヨ」
「なんで! どうして、そんなこと言うん!」
悲鳴に近い声をあげたブルーの頭を胸元にそっと押し付けて、落ち着かせるように背中を叩いてやるけれど、身を捩る様に懐から抜け出すと力いっぱい抱きついてきた。
触れている肩が小刻みに震えているのがよくわかる、自身は何一つ見る事は叶わなかったけれど、擬似世界での戦いはきっとこの子を苦しめた。
「オ前達ハ大切ナ旅ノ途中ダロウ? 目ガ見エンワシガ居タラ、妨ゲニナッテシマウ」
「右目は、右目はあかんの?」
「……ワシノ右目ハ、ズゥット前カラ何モ見エンノダ」
髪を撫でるように右頬を擦られて、ダークは口の端を歪めてしまった。本当はこんな表情を浮かべたいわけではなく、微笑んでやりたいのに、なぜだか上手く顔が動いてくれない。
「そんな……。いやや、ダーク、目が見えなくなっても、関係ないよ! ダークはダークやん!」
「アリガトウ、優シイ子。ソノ言葉ダケデ、充分ダ」
手探りで柔らかく抱きしめてやり、ゆっくりと魔力を流していけば、ブルーが勢いよく頭を振るのがわかった。叫んでしまわないよう頭を胸元に押し付けたまま背中を叩いてやれば、やはり疲れていたのだろう力が抜けていく。
フ、と体重がかけられて、眠ってしまったのがわかった。たくさん泣いたのだろうに頬を拭ってやることも出来ず、代わりに自身の頬を強くこする。
このまま、この子達が眠っているのを肌に感じていれば、決心が鈍ってしまいそうだ。
そう思い、ブルーを優しく床に寝せて口を開いた瞬間だった。
服の背面を掴まれて力尽くに引き倒されてしまい、驚きで喉が緊張してしまったらしく声すら上げることも出来ずに誰かの腕に閉じ込められた。ヒュ、ヒュと短く聞こえる呼吸音は自身のものだろう、とりあえず落ち着かなければと深呼吸を繰り返す。
なんてことはない、背に回されているのは大きな腕で、布団の中にいるような温かさに包み込まれているようだ。胸元に縮こめてしまった手をゆっくりと伸ばせば、案の定ツンツンとした髪に触れた。
「バーナー、起キタノカ」
返事はなく、静かな寝息が耳に届いた。眠っているのならば、と腕から抜け出そうとすれば、ますます強い力で包み込まれてしまった。服を脱ごうにもしっかりと掴まれているせいで襟元が緩く絞められているのがわかる、息苦しさはないけれど、これでは頭は抜けないだろう。
盲目の自分では短剣を扱うのは恐ろしいし、術を使えば確実に眠っている彼を巻き込んでしまう。
どうしたものかと硬直していれば耳に息がかかり、全身に鳥肌が立ったのを感じた。身じろぎをした際に顔が鼻先に触れるほどに近くまで来ていたらしい、少しでも離れられないかと胸板に掌を置く。
「バーナー、放シテオクレ。オ前ハ疲レテイルハズダロウ、ユックリ休ンデ」
「いくな」
掠れた、微かな声だった。胸が締め付けられて呼吸が苦しくなるのがわかる、力強く抱きしめてくれるバーナーの体を押すけれど、ピクリともしなかった。
目を覚ましている気配はないのに、自分が今、一番欲しくない言葉を放ってきたのだ。
「ナァ、バーナー。ワシハモウ、共ニ居ラレナインダ。目ガ見エンワシガココニイテ、何ガ出来ルトイウ。何モ守レナイ、守ラレル事シカ出来ナイ、タダノ足手纏イジャナイカ」
体を押せば比例するように腕に力がこめられて、きつく眉を寄せてしまった。彼の襟元を力一杯握りしめて、顔を隠してしまうよう胸元に額を押し付け、聞こえないとわかっているのに口を開く。
「ヨリニモヨッテ、最後ニ見タオ前達ノ表情ガ泣キ顔ダナンテ、アンマリダ。コレマデ多クノモノヲ奪イ、傷付ケ、悲シマセテキタワシガ命ヲ繋ギ止メタ挙句、父親マデ救ワレタナンテ、笑エナイ冗談ニモ程ガアルダロウ」
みんな、疲れ果てているのだろう。小さな寝息しか聞こえてこない。
返事なんて来ない空間で、ただの独り言になっているなんてことは、とうに気が付いていた。
「放シテクレ、行カセテクレ。皆ガ眠ッテイル間ニ消エテシマイタインダ。一人デ隠レテ生キル事ニナッテモイイ、一族ニ見ツカッテモ構ワン。裏切リ者ト罵ラレ、殺サレテモ仕方ガナイダロウ。ソレダケノ事ヲ、シテキタノダカラ」
いつからだろうか、こんなにも簡単に涙が零れてしまうようになったのは。
どうしてだろうか、たった十四歳の青年から意識もないままに抱きしめられているのに、こんなにも安心してしまうのは。
押しても引いても全く脱出が出来ないのは、筋力の差だけではないことは、頭の隅では理解している。それを認めてしまえばこれ以上、動くことはできなくなってしまうのに。
「……命ガ尽キルマデ、オ前達ノタメニ戦イタイト、思ッテイタノニ。……皆ノ姿ヲ見ラレナイコトガ、コンナニモ辛イナンテ、想像モシナカッタナァ」
グッと、背に回されている腕に力が込められた。
このままではどう足掻いても、ここを離れる事は出来ないだろう。
声を押し殺して体を震わせ、大人しく懐に収まってしまうのだった。
笑い声が聞こえたような気がして薄く瞼を開けば、目の前に雷斗の顔があった。目を擦りながら体を起こせばトントンと背中を叩かれて、ぼんやりとした視界で辺りを見る。
これは、ボンドッツとシャドウの声だろうか。崩れていたらしいバンダナを巻きなおしてもらいながら、寝る前に何をしていたかと思い起こす。
全身から血が引いて行くのがわかり、正面に居た雷斗の服を思い切り引っ張ってしまった。
「ら、雷斗! ダーク、ダークが!」
「しー、まだ眠っている者もいるんだ、起こしてしまうよ」
「違う、違うんよ! ダーク……!」
「よく眠っている、少々苦しそうではあるが……どちらかが起きるまでは、どうしようもあるまい」
クスクスと笑う雷斗に首をかしげ、ブルーはようやくベッドを降りた。その時に初めて寝床が変わっていることに気付き、眉を寄せて雷斗にしがみつく。
「美代殿とブラック、バーナーとダークがまだ眠っているんだ。黒疾はスノーを連れて買出しに行ってくれたよ、食料を纏めてくれていたバーナーがまだ目を覚まさないから朝食も食べられん」
冗談交じりに言いながら別室に入ると、毛布を広げているシャドウとボンドッツが居た。二人共が微笑みながらベッドの方を見ていたけれど、入ってきた自分たちに気が付いたのだろう顔を上げる。
「おはようございます、よく休めましたか?」
「え……あ、え」
ブルーの視線は、ベッドの上に縫い付けられていた。それに気が付いたのだろう三人がますます笑顔になっていき、毛布をそっと掛けてやる。
バーナーから両腕でしっかりと抱きしめられているダークが、体を静かに上下させてそこに居たのだ。
「どうやっても彼が放してくれないので、黒疾さんにお願いして一緒にベッドに運んでもらいました。抱き枕なんて、可愛いところもあるんですねぇ」
「ダークって一族の関係なのか、ちょっと体温が低いから気持ちいいのかもね」
何も言わないブルーを不思議に思い、それぞれ顔を向けると目を剥いて彼を囲うよう近づいた。腕にしがみつかれている雷斗は体を抱きしめて、落ち着かせるよう頭を撫でる。
声もなく大粒の涙を流し、きつく眉を寄せ、眠る二人を見つめていたのだ。
「どうしました、ブルーさん? バーナーさんなら大丈夫ですよ、シャドウ様が完 全 治 癒をかけてくださって」
「バーナー……バーナーが、引き留めてくれたんやね……」
「ブルー君? それは、どういう意味……」
しゃくり上げながら昨晩の事を話していくと、三人の表情が険しくなっていった。このままでは彼が目を覚ましたら説教が始まることは想像に容易かったけれど、いっその事怒られてしまえと頬を膨らませる。
そうしていると小さな声が聞こえて、四人はベッドの方を見た。
「ダーク、気が付いた?」
「ウ……シャドウ、殿?」
「とりあえず、ブルーさんから話を聞きましたよ。どうしてそんなことをしようと思ったのか、きっちり聞かせてもらいますからね」
「ボンドッツモ、居ルノカ」
身じろぎをしようとすれば、ダークの背に回されたバーナーの両腕に力が入ったのが見えた。起きている気配は一切ないのに、動きだけで反応をしているらしい彼に苦笑を漏らしながら近寄る。
手を剥がしてやろうとするけれど、悲しいかな。自分たちの力では彼の腕力に勝てる気がしなかった。
「……昨夜カラ、コンナ調子デ、全ク動ケンノダ……」
「うぅん……ダーク、上着を切っちゃってもいい?」
「構ワン、ソノ、助ケテ」
あまりにも恥ずかしそうに言うものだから、小さく笑ってしまった。取り出した短剣で上着を裂いていけば腕からどうにか抜け出せたようだけれど、ひどく寝心地が悪そうに眉をきつく寄せてしまったバーナーにどうしたものかと顔を見合わせる。
「じゃあワイが抱っこされてるよー。でもバーナーが温かいから、毛布はいらんよ」
するりと懐に潜りこめば、わずかに表情が緩んだ。雷斗に頼んで関節を伸ばしてもらっているダークを見上げて柔らかく笑い、寝心地が良いように体勢を整えると目を閉じる。
魔力で半ば無理やりに寝かせつけられていたせいだろうか、どうにも疲労が取れきれてなかったようだ。
「では、私たちは隣の部屋で待機していますね。ブルーさん、大丈夫ですか」
「うん! 黒疾たちが帰ってきたら、教えて」
くありと欠伸を漏らし、そのまま眠ってしまったブルーの頭を優しく撫でて、ダークの手を取り無人の部屋に入った。ベッドに誘導して座らせると隣に雷斗が腰を降ろし、ボンドッツがイスを持ってきて正面に座る。その肩に迷いなく乗ったのはシャドウだ。
「さぁて、ダーク。どういうことです」
「……イタタマレナカッタ。ソレダケダ」
「いたたまれない? どうしてそう思う」
すっかり体を小さくしてしまい、わずかに俯いて口を閉ざしてしまった。それでもシャドウがいるので、黙っていても仕方がない事もわかっているのだろう、ポツポツと言葉を紡いでいく。
「美代殿ノ事ヲ知リナガラ黙ッテイテ、ブラックガ同族ダトイウ事モ、誰ニモ言ワナカッタ。ソノセイデ多大ナ迷惑ヲカケ……ソレヲ償イタクトモ、コノ目デハ他者ノ力ヲ借リナケレバ、何モ出来ン。
ソレニ、バーナー達ハガーディアントシテ、大事ナ旅ノ最中ダロウ。コンナ足手纏イガ居タラ、進行ノ妨ゲニナル」
反論しようと口を開きかけたけれど、ダークがまだ何かを言おうとしていた。言い難そうにしているので時間はかかるだろうけれど、とりあえずは言い分を聞いてみようと三人は顔を合わせて続きを待つ。
膝に乗せられた拳が震え、手の甲に水滴が落ちていった。
「妖精族ヲ滅ボシ、フラグーン様ヲ殺シ……挙句ノ果テニ、育テノ親ヤ友人マデ、奪ッテシマッタ。ソレナノニ、セイント様ハ、父ノ命ヲ救ッテクレタ。コレダケノ恩情ヲ掛ケラレタ上デ、ドウシテオ傍ニ居ラレヨウ。耐エラレナカッタ、タダ、逃ゲテシマイタカッタ」
両手で顔を覆ってしまったダークに集中していたせいだろう、あまりにも勢いよくドアが開けられて、その音に四人が四人とも驚いて体が跳ね上がった。入り口に顔を向ければ顔色も悪い美代が触覚と羽を生やしたままそこに居て、目を丸くしてしまう。
「話は聞かせてもらった……」
「み、美代殿! もう起きて大丈夫なのか?」
「いやいやいや、大丈夫な顔色じゃないよね! というか魔力は全然回復してないね! まだ休んでないとダメじゃない!」
「セイント・オウス・アスパル・ファータとして、最初で最後の命令だよ、ダーク。ここを離れる事を、罪の意識に囚われる事を許さない。これ以上、仲間がいなくなることを、私は絶対に許さない」
シャドウの言葉を遮るよう、低く地を這う声音で放たれた言葉に、ダークが顔を上げて美代の方を向いた。ヒクリとなったのは彼の喉か、体を震わせてゆるりと首を振る。
「セイント様、シカシ……!」
「しかしも何もあるもんか。目が見えないからなんだ、ここに一体いくつの目があると思っている。過去の出来事がなんだ、それを言うなら、ダークがあの時に私を逃がしてくれていなかったら、今頃魔族の領土でどんな目に遭わされているかわからない。
もう一度言う。最後まで私たちの仲間でいて、一人で勝手にどこかに行こうと考えないで。もしそんなことをしようものなら、意地でも連れ戻す。魔力が枯渇することになんの問題がある? 最後の純血なのに」
一息に言ってしまうと、美代の体が傾いた。イスが倒れるのも構わないようにして立ち上がり、床に倒れ込む前にどうにか支える。
顔をのぞき込んでみれば寝息をたてて眠っていた。たった今、息を巻いていたのは何だったのかと問いたくなるほどだ。
「……美代殿が言った通りだ」
「雷斗?」
「ダークの目が見えなくなっても、私たちがいるじゃないか。それに足手纏いと言うならば、ほぼ戦力外のブルーとスノーはどうなる? 私だって、魔族と対峙するまではそうだった」
「代わりの目は、たくさんあるよ。それに、誰かがいなくなってごらん? ボク達の事だ、倒れても捜すよ」
「当然です。……それに償いをと言うのならば、それは私がするべきでしょう。ダークが剣を振るえない分、私が振るえばいいだけの話しです。ブルーさん達を宥めるのも立派な仕事ですよ」
ボロボロと涙をこぼしているダークの頬を拭っていれば、宿の玄関の方から大きな足音が聞こえてきた。どうやら用件を済ませた黒疾が帰って来たらしい。
「ほらほら、もう泣かないで。バーナーさん達が目覚めるまでは出発も出来ないんです、その間に少しでも、暗闇で動くことに慣れていきましょう?」
「そうだね! 大丈夫、肩を貸してもらえれば、ボクがいつでも誘導できるよ」
「……アリガトウ。スマナイ、本当ニ」
周りが見えないのが不安なのだろう、恐ろしいのだろう。すっかり涙もろくなってしまっているダークだけれど。
浮かべられた笑みはようやく、彼らしいものになっていた。




