これにて、終局
あと一歩でも、速く踏み出せていれば。
あと一秒でも、早く飛び出していれば。
目前で地面に叩き付けられたバーナーが、全身から嫌な音を響かせながら跳ね上がるのを見ずにすんだかもしれないのに。
奥歯を砕かんばかりに噛みしめながら、跳ねた体を抱えあげてもバーナーの表情はピクリとも動かなかった。触れただけでわかるほどに、触れたこちらが青ざめてしまうほどに、あらゆる箇所の骨が折れているというのに。
横抱きにした彼は、痛がる素振りもなく眠っていた。
「この大ボケが……」
折れた骨が内臓を傷付けたのか、呼吸も薄い彼の口からは鼓動に合せたように血が流れていて、呼吸を整える時間も惜しむようにしてダーク達の元に戻った黒疾はバーナーを寝かせると顔を横に向けた。脱いだ上着を丸めて膝の裏に置き、ブルーの目元を掌で隠すよう頭を撫でつける。
「大丈夫だ。今は完 全 治 癒を唱えられる奴がいないから、とりあえずこのままだが。必ず助かる」
ボンドッツが表情を歪めたまま意識を失い、バーナーが墜落して呼吸も薄く昏々と眠っている。
そんな状況を見せられて、この子が平静でいられるわけがないのだ。
「おいで、ブルー。ここにいるオレ達が出来る事は、事の顛末を見守ることだけだ。その目で、その耳で。泣くなよ、あいつらが負けると思うか?」
抱きかかえてやれば、ブルーは唇を引き締めて肩口に目元を強く押し付け、静かに首を振った。不安そうなスノーの事も肩に座らせ、背中を震わせるダークの肩を後ろから抱く。
「だから、ダークも。……お前の親父さんの事だもんな、安心しろとは言わねぇよ」
「……アンナ馬鹿親父、死ンデモ仕方ガナイダロウ」
欠片も心が籠らない、耳を澄ませてやっと聞こえるほどの囁きだった。
気付かれない程度に顔をのぞき込むと、浮かんでいるのは諦観の表情で。
ダークの肩に回した手に力を込めると、まるですがる様に弱々しく、握ってくるのだった。
「我今ここに願わん 汝が白き光 我が名の元に剣とならんことを
我今ここに誓わん 邪なる魂に滅びを与えんことを
全ての穢れに 裁きを与えんことを」
イフリートが美代を護る様に翼を広げ、シャドウは一息に詠唱を終えてしまった。美代は、もはや詠唱もせずに振り回している腕でさえ緩慢な動きになってきているダークネスをジィッと見据え、緩く口の端を上げる。
「神 力 破 斬。……詠唱はこれで全部だ、美代ちゃん、大丈夫? 唱えられそう?」
先ほどは輪唱するように唱えていたのに、今度は弱く微笑んだままダークネスの事を見ている美代を見て、シャドウは心配そうにのぞき込んで来た。それに答えるよう頬を擦り付けて、正面にいるイフリートへ視線を向ける。
何を言いたいか、わかってくれたのだろう。ヒョイとシャドウの体をついばんで地上に向かった。突然くちばしに挟まれた彼はなにかを言いたげだったけれど、小言ならばあとで受けると小さく肩をすくめる。
そうして、教わった詠唱をわずかに改変して唱えれば、光の球が剣の形になった。
「……これで終わりにしよう、ダークネス」
シャドウを連れて戻ってきたイフリートは、普段の大きさに戻ると口から血を流し続ける主人の傍に座り込み、微かに鳴いた。普段のように体の上に乗るわけでもなく、跳ねまわるわけでもなく。ただただ頬に寄り添うように蹲る。
「安心しろ、お前の主人は死なない。今は眠っているだけだ、この戦いが終わったら治療できる」
ブルーとスノーを抱えたまま、柔らかく背中を撫でてくれる黒疾の手が温かく感じた。
ゆっくりと目を閉じ、小さく頷くと、イフリートは体を崩して主人の元に帰っていくのだった。
美代が動いたのが見えたのか。
一族の力を使い過ぎて顔面蒼白になっている雷斗を庇うように戦っていたブラックが動きを止め、ゆっくりと振り返った。ダークネスを警戒しながらも雷斗を地上に向かわせて、自身は白光の剣を持つ美代の傍へと寄っていく。
ずっと、回復を続けてくれていたおかげだろう。自分は知らない術だけど、完成している剣を見ればわかるほどに強力な魔術を使ったせいだろう。
ほとんど魔力がなく、死ねないはずなのに死相すら浮かんでいる彼女の手を優しく包み込んで、なけなしの魔力を流し込めば驚いたように目を丸くしていた。
「美代」
「任せて」
たった一言、交しただけだった。
ふらりとダークネスに寄っていく美代の周りに魔力の壁を張れば、いよいよもって魔力が枯渇しているのがわかり、ほとんど自由落下のようにして地上へ降りた。地面に足を着ければ視界が暗転して体が大きく傾くけれど、武骨な手に支えられたのがわかる。
「よく頑張った。もう少し、耐えろ」
「……わかってる、美代を、まもる」
泣いているブルーと、きつく眉を寄せているスノーを抱えている黒疾から支えられて。
目を凝らすよう限界まで細めて、一人で空に残っている美代を見上げた。
ダークネスは動かなかった。剣を持つ美代を、焦点が定まらない目で見上げたまま、先ほどまで暴れていたのが嘘のように静かに座り込んでいる。
頭部に近寄り、剣を振りかざすと、口元が緩く微笑んだように見えた。
「笑うのは、終わってからにしてよね……!」
額に流れた汗は気付かないふりをして。
躊躇わず、剣を額に突き立てた。
耳をつんざくような叫び声と共に、目を閉じてもなお瞳に突き刺さる閃光が走って、地上にいたブラック達は思わずと言わんばかりに顔を腕で庇っていた。まっすぐに立っているのも辛いほどの地鳴り、魔 弾 盾を覆い隠してしまう土埃にブルーや雷斗が反射的だろう身を固めたのがわかり、落ち着かせるように背中を撫でてやる。
揺れが収まり、土埃が晴れて周囲を見渡せるようになると。
小さな人影が揺らめいて、ブラックは一も二もなく飛び出した。
「美代!」
「つ、か、れたぁ……」
疲れた、なんて言葉で済むような偉業ではないだろうに。
血の気を無くしながら浮かべている笑みは晴れやかで、抱きしめてくれたブラックに体を任せるようもたれかかった。
「……なぜ」
低い、怒りとも取れる声音が聞こえ。ブラックは全身の毛を逆立たせると美代を隠すよう背を向けて、殺意の籠った視線を送りつける。
巨大な何かが倒れた後の抉れた大地、その中心のあたりに、元の姿に戻ったダークネスが転がっていたのだ。
「なぜ、殺さなかった、妖精族……!」
「言ったじゃん。私は、感謝してるって」
あんな姿から元に戻って、暴走していた魔力が急速に落ち着いたせいか。
起き上がることも、普段のとおり宙に浮くことも出来ないらしいダークネスの傍に寄ってもらい、ブラックの腕から降りると座り込んだ。
「嘘だと思った? そりゃあね、思い出しちゃったんだからすごく悲しかったし、どうして、って思ったし、許せない。とも思ったよ?
だけどさ、あんなことがなければ、私は一生妖精族の中にいることになったと思うんだ。こんなに素敵な仲間たちに、会えなかったと思うんだよね」
美代を見上げる紅い一つ目は、彼女が言っていることが理解できないと、隠す気もなく伝えていた。そんな視線に苦笑すると自分たちを囲むよう近寄ってきたブラック達に視線を向け、柔らかな笑みを浮かべなおす。
「だから私は、これ以上私たちに危害を加えない限り、これで終わらせる」
「ならば、これからも貴様を狙い、手中に収めるまで執拗に追い回すと言ったらどうするのだ」
「その都度、追い返すだけだよ。もう詠唱を覚えちゃったし、これだけ魔力が枯渇してる中で使えたんだからいつでも使えるよ? 神 力 破 斬」
スッと目を細めたダークネスは、人型であればきっと唇を歪めて歯噛みしているだろう。そんな表情を浮かべていて、美代は眉を寄せると頬を掻いた。
「あー、ただ少し余裕がありそうなら、魔力を頂戴? 私たちはまぁ、まだいいとして……バーナーの治療をしたいんだ」
「……貴様には渡さん。が、シャドウ、きみには返そう。私には大きすぎる」
美代に対しては斬り捨てるように、シャドウに対してはわずかばかり申し訳なさそうに言った。対応の差にムスッと口を尖らせれば、ブラックからヒョイと抱えられる。
伸びた触手から魔力が流れているのがわかった。シャドウも抵抗の素振りを見せず大人しく目を閉じており、不意に普段通り宙に浮く。
一瞬躊躇ったけれど、治癒術を唱えれば、徐々にバーナーの呼吸が安定してきた。
「それじゃあ、ダークネス、擬似世界から元の世界に返してくれる? ラオエンがいないと難しいかな、だけど今、出てこられないんじゃない?」
「……なぜそう思う」
「だって炎を纏ったバーナーの遊炎に脇腹を刺されて、その前にはリンの地 雷 撃に腹部を強かに打たれてるでしょ。白魔術を使える人がいるんなら大丈夫だろうけど、これまで使ったところ見たことないし。
まだ治りきってないんじゃない? だからダークネスが戦いに来たんじゃないの? ラオエンは、大丈夫?」
裏などなく心配したつもりなのに、ダークネスからは目を見開かれ、大きなため息をつかれてしまった。少しでも回復したのだろう転がっていた体を宙に浮かせ、紅い目を伏せたまま背を向けようとする。
「お前は、それでいいだろう。他の者はいいのか。お前たちを散々苦しめ、傷付け、仲間を殺めたのだぞ。……恨みを晴らすなら、今のうちだ」
「美代さんが、許すのならば」
掠れた声に雷斗が振り返り、目を開けているボンドッツの体を支えた。彼は礼を言いながらなんとか立ち上がり、震える指でバンダナに触れ、深く息を吐きだしていく。
「彼女がそう望むのならば、従うまでです。だから、えぇ、あなたの事は殺さない。許しましょう? 弱者に許され生かされること以上の屈辱はないでしょうから」
底意地の悪い笑みを浮かべるボンドッツに苦い顔をしてしまい、ダークネスを見るとわずかに振り返っている彼も酷く苦々しい表情になっていた。
ふぅ、と小さくため息を漏らし、再び立ち去ろうとしたダークネスに待ったをかけたのは黒疾だ。呼び止められた彼は半ば呆れたような視線を向けて、バーナーを抱えている彼を見上げる。
「疲れているだろうところに悪いな、ダークネス。もう一つ質問だ」
「今度はなんだ……」
「こいつ魔族だろ。なんでセイントの魔力をあれだけ一身に受けて、ケロッとしていられるんだ」
黒疾の指の先には、美代を抱えたブラックがいた。驚愕の視線が集中したことで流石に誰の事を言っているのかがわかったのだろう、彼は目を点にしたまま硬直している。
「血の色の目に、尖った耳。人間と同じ姿をした魔族の特徴だ、目はどうにもならないとして、耳を隠す意味合いも込めて髪を長くしていたんだろうよ」
「……随分と博識ではないか、人間と同じ姿の魔族が領土を出ないで、幾百年の時が過ぎたと思っている」
「そんなもん知るか。オレが聞きたいのは、魔族と妖精族の関係性、それを覆した理由。それだけだ」
もしバーナーが起きていたら、黒疾とダークネスの会話をわかりやすいように説明してくれたのかもしれない。
せっかくレイリアで神話を学んだというのに、彼らの会話はさっぱりわからなかった。
「火炎族は銀世界の住人に、雷雲族は海中族に強いが、黒と白の主要の柱である魔族と妖精族だけは、その関係性が反対になる。妖精族の力に魔族が負ける、それなのにブラックやダーク、お前はセイントの力をあれだけ受けて、無傷とは言わないが無事でいられたな?」
「……妖精族の魔力が籠った体液を取りこめば、それが妖精族の力を防ぐ。それだけだ」
「飲ませててよかった! ダーク、危なかったよ! あなた、父様の血を飲んでなかったからね!」
「待ってくれよ! お、オレが魔族? だっていうのもだけど! じゃあオレは美代の血を飲んだってことになるのか? そんなこと!」
美代の悲鳴とブラックの叫びが綺麗に重なった。ダークネスが目を丸くしていたのはいったいどちらの発言か、ダークがゆっくりと黒疾の後ろに隠れていっているのが見える。
「ほら、初めてラオエンが私たちの前に来たときに、頬から流れた血をちょっと舐めたじゃない。それじゃない?」
「………」
「そこまで申し訳なさそうな顔をしなくても……」
美代の言葉にわずかばかり考えると、目も眉もハの字に下げて酷く悲しそうに彼女を見つめた。しょんぼりとしたその表情に美代まで同じような顔になっており、誰かが小さく吹き出す声が聞こえた。
そうして今度は、背を向けている、吹き出した人物に視線が集中したのだ。
「え、ダークネス……」
「私一人でもお前たちを元の世界に戻す程度、雑作もない。サッサと帰れ」
ダークネスが突っぱねるように言うとほぼ同時、視界が大きく歪んでいった。これはきっと魔力不足だけではなくて、この擬似世界から追い出されようとしているからだろう。
こちらに来たときと同様に離れ離れになってはたまらないと、美代が手を伸ばせば、それぞれ似たようなことを考えていたのだろう誰かが誰かの手や服を握った。
「もしまた会う機会があれば、今度はその羽で飛んでほしいものだ」
クツクツと、喉の奥で笑う声は嘲るようなものではなく、からかうようで。
そんな声を聴きながら、美代は意識を飛ばしてしまった。




