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冒険記  作者: 夢野 幸
魔族編
103/138

――天に住まいし我らが母よ……


 髪の毛を逆立たせ、ダークネスが振り上げる腕の軌道を変えたブラックががら空きの脇腹に放った術は傷の一つもつけることが出来ず。

 イフリートに乗ったバーナーが脂汗を浮かべながら放射した全力の炎が焼いた肌は、まばたきもしない間に回復していく。

 雷斗が落す雷はまるで虫でも払うように手で弾かれて、ボンドッツが唱える術に関しては避ける事も払うこともしなかった。

 

 そうしてこちらが攻撃を加えている間もダークネスの攻撃は止まることなく、どこに飛んでくるかもわからない炎や雷に焼かれ、爛れる肌を美代が即座に治療する。

 こんなことを繰り返していても悪化の一途をたどることはわかっているのに。

 対策も解決策も見出せないでいることに奥歯を噛みしめながらも、誰も攻撃の手を緩めなかった。




 スノーを黒疾に預け、多少回復した魔力で魔 弾 盾マジア・シルトを唱えているダークは不安そうに鼻を鳴らしているブルーのことを優しく抱きしめていた。時折体が跳ねて、服を握りしめてくる感触があるのは、美代たちが危険にさらされていることを十二分に知らせていて、それでも何も出来ない自分に唇をかみしめる。

 ふとブルーが離れたことでダークが指先を痙攣させれば、安心させるようにその手を撫でた。弱々しく笑うダークに目尻を下げ、それでも背伸びをしてスノーの腕の中にいるシャドウを覗きこむ。


「シャドウ、シャドウ。大丈夫?」

「う、ん……ここは、ボクは……?」

「シャドウ、気が付いたか」


 焦点が定まらないままスノーの腕を抜け、ブルーの頭に座った。小さな体を両手で支えながら美代たちの方を向けば、頭の上でシャドウが動くのがわかる。

 小さく息を呑む音に、ブルーが不安げに視線を上げた。


「あれ、ダークネス……? そんな! ボクが、魔力を渡したせいで! 美代ちゃん達を助けなきゃ!」

「バカを言え、なんでオレ達がここで、大人しくしていると思う? 空を飛ぶすべもねぇのに足元をウロチョロしたところで、ゴミのように踏みつぶされるのが目に見えてるからだよ! じゃあなかったら指をくわえて黙って見てると思うか、えぇ?」


 言い捨てた黒疾の事を見上げれば、眉間にシワを刻み込んで口の端を歪め切り、歯のすき間から薄い呼吸をしているようだった。

 忌々しそうに目尻を痙攣させたのを見て美代たちの方へと顔を向ければ、バーナーを守る代わりに自身が腕に直撃したのだろう。地面に叩き付けられて頭部から滝のような血を流し、即座に治癒術リペイを唱えて宙に戻ってボンドッツの傍に放たれた火球を打ち消すブラックが見えた。


 美代も顔から血の気を無くし、それでも詠唱するのを止めず、雷斗が雲の上に引き込んだ。舞 空 術アラ・ボラルを使わなくてよくなった分の魔力に余裕が出来たのだろう、少しばかり呼吸を整えて、それでも回復を続ける。

 地上で舞い狂う粉塵や術の余波は、ダークが張っている魔力の壁を容赦なく殴りつけ、彼の事も確実に疲弊させているようだった。


「……神 力 破 斬アイナ・トゥア・メギル

「……あぁ?」

「我今ここに願わん 汝が白き光 我が名の元につるぎとならんことを……? いや、違う、これは後半の詠唱だ……」 


 頭を抱えてしまったシャドウを心配するように、ブルーが腕に抱え直した。背中越しでも震えているのがわかるダークの傍に寄りなおして、腕にしがみつく。

 そうすれば、優しく頭を撫でてくれるけれど、いつも温かく見てくれていた琥珀色の瞳は見えなくて。

 じわりと浮かんできた涙を拭うよう、ダークの腕に強く、額を押し付けた。




「ブラック! 無茶すんな、オイラの事は放っておけ! それよりも美代たちを!」

「舐めないで。オレの魔力を、異能を、舐めないで。終わった後に倒れても死んでも構うもんか、みんなを、護る」


 自分で唱えた治癒術リペイは傷を塞ぐ程度に済ませたのだろう、掠れた呼吸音を漏らしながら隣に着いたブラックに声をかければ、凍った視線を向けられた。

 それは美代を傷付けられた時、ブルーがカウンツによって大怪我を負わされたとき、そしてリンを殺された時。


 空に溶け込む鋭い殺気と共に浮かんでいた冷たい目と同じで、背中に汗が走るのを感じる。


「だから、バーナー。すごく酷い事を言うって、ちゃんとわかってる。……みんなを護って」

「……あぁ、オイラは死なない」


 雷斗に向かって突き上がった大地を詠唱もなく砕き、ボンドッツに向かった雷を炎でかき消して。

 二人は左右に別れ、飛んだ。




 歯を食いしばり、中途半端に生身の体が残っているせいだろうか明暗している視界に舌打ちを漏らして術を放つけれど、バーナー達の攻撃とは違って払うことすらされないという事実に、血の気が引くような思いだった。

 確かに自分は人族で、ブラックのような異能を持っているわけでもなく、魔力を特別持っているわけでもない。

 それでもここまで視界に入れられないのは、屈辱でしかなかった。


「だからと、詠唱を止めてなるものかっ……!」

「ボンドッツ!」


 呼ばれ、顔を上げるとほぼ同時に腰に腕が回されており、反応する暇もなくその場から離れさせられていた。直後に振り上がった巨大な腕が先ほどまで自分がいたところを通過しており、避難していなかったら吹き飛ばされていただろう事は容易に想像ができる。

 冷えたものを感じていれば、先ほどまでは美代がいたのに雲の上に座り込んでいた。


「雷斗、さん」

「無茶をするな、お前もダークの傍にいてやってくれ。私やバーナーは一族の力を使って飛べる、ブラックや美代殿は魔力の器がそもそも大きい。

 だがお前は、これ以上戦えば命に関わるぞ!」


 指が、戦慄いたのがわかった。


 わかっている、雷斗が言っていることが事実だということも、体のせいで肌の色は変わらないけれど、生身の体であればきっと土気色になってしまっているほどに魔力を消費しているということも。

 ダークネスに、欠片も相手にされていないということも。


「……構う、ものか」


 それを、受け入れることが出来ないでいる、自分の事も。


「ふざけたことを」

「一矢報いず、見ているだけなんて、耐えられません。耐えられるわけがないでしょう! リンを目の前で殺された、ダークの目を奪われた! 彼は元々、右目が見えないのに!

 それにっ……シャドウ様を傷付けられた、美代さんに至ってはっ……許されないほどに非道なことをしてきた、のに。これまで、何度も救われて……!」


 肩を震わせるボンドッツを抱きしめ、自分たちを囲うように雷を這わせると同時に隕石のような岩が地上から発出された。ブラック達が張る魔力の壁を真似てみたけれど、経験不足な身では衝撃に耐える事は難しく。

 吹き飛ばされて、雲の上から放り出されないように歯を食いしばっていると、背中を見えない手で支えられて口の端を痙攣させた。


「悔しさもわかる、どうしようもない罪の意識に囚われて、我を忘れて戦いたいというお前の思いも、完全ではないけれどわかるつもりだ。

 だがな、お前がここで死ねば、お前が守りたいと思っている者たちが泣くことになるんだぞ」


 念動力サイコキノで支えてくれたブラックに視線を向ければ、彼は何度も地面に叩き付けられ、腕で払い飛ばされ、美代が涙を走らせながらも唱えた術や自分自身で治療をしている。


 彼女は不死性を持つおかげで。

 彼は生物の範疇を超えた魔力の器を持つおかげで。

 どうにか、ダークネスの相手を出来ているようなものなのだ。


「戻れ、少しでもいい、休め。私とて、ブラック達のように戦えるとは、微塵も思っておらん」

「……出会った頃はあんなにも、戦えなかったのに。私はもう、あなたに先を行かれてしまいましたね」

「バカなことを言うな、まだまだ未熟な私だ、お前に習いたいことはたくさんある。だけど今は、ダーク達のところへ」


 ポンと背中を押されて、雷斗の雷に守られるよう地上に向かう他なかった。視界は霞んでまっすぐ飛ぶことも難しく、かろうじて意識を保っているような状況に内心驚いてしまう。

 ふと、体を支えられ、ボンドッツはゆるりと顔を上げた。


「……くろ、とさん」

「あんな、化け物染みた魔族を相手に、人族のお前がよく戦った。だが命を投げ打っての戦闘は、褒められたもんじゃねぇからな」


 体勢を見た限り、落ちたのを受け止められたらしい。地面に横たえられるとブルーが覗きこんで来たのがわかり、泣き出しそうな彼の頬に手を伸ばす。


「私は、大丈夫ですよ。それよりもダークは、シャドウ様は」

「シャドウはダークの肩で、ずっと考え事をしてるよ。ねぇボンドッツ、怖いよ、逃げられんの? 美代はん達も……あんなにボロボロで、傷付いて! 逃げたらいかんの!」

「魔族の狙いが、美代さんである以上……。逃げられませんよ、今の世界が、擬似世界だからいいものの。あれが、我々の世界に現れたら……どれほどの、被害が出ると思います?」


 ヒクリ、ヒクリと喉を鳴らし、大粒の涙をこぼし始めた彼を宥めるよう胸元に頭を引き寄せて、柔らかく背中を叩いてやった。震える腕に力を込めて体を起こせば、黒疾が険しい表情を浮かべている。

 同時に、口元が何かを唱えるよう、動いているのも見えた。


「……我今ここに願わん 汝が白き光 我が名の元につるぎとならんことを

 我今ここに誓わん よこしまなる魂に滅びを与えんことを……」

『――我に力を貸したまへ 穢れし御霊を打ち砕き 白き光を与えたまへ……』


 シャドウと黒疾が、鋭く視線を交わしあった。

 シャドウの視線には、疑問が浮かんでいる。黒疾の視線には苛立ちがある。


「後半はわかるんだろ。言語はオレがわかる」

「ど、どうして黒疾くんがその詠唱を! それに、今の言葉は!」

「ごちゃごちゃ抜かしてるヒマがあると思ってんのか! いいか、人族の言葉では何度でも教えてやる。だが本来の詠唱を教えられるのは一度限りだ、覚えてセイントに伝えに行け」


 ダークの肩に座っていたシャドウの体を鷲掴みにすると、耳元で囁くように同じ言葉を何度もつぶやいている。

 そして、普段の生活では耳にすることがない響きの言葉は、一度だけ短く唱えた。


「どっちでもいい、セイントなら人族の言葉の方が、馴染みがあるだろう。ボンドッツ、もう一度飛べそうか」

「……えぇ、シャドウ様をお連れして、美代さんの元に」


 どうやら、こちらに来ただけの意味はあったらしい。


 ブルーに支えられるようにして立ち上がり、黒疾からシャドウの体を預かると両腕でしっかり抱きかかえた。魔力の残量が視えたのだろう、真っ青になっていく恩師に唇が歪んだ笑みを浮かべてしまい、口を開こうとした彼を優しく撫でつける。


『世界を自由に往き交う風よ 汝が偉大な力もて 我が身を空へと いざないたまへ』

舞 空 術アラ・ボラル


 普段なら略式詠唱で十分なのに、それでは魔力がまかなえず。


 足が地面から離れたのを確認すると、美代を見た。彼女はダークネスの攻撃をかろうじて避けながら、ブラックやバーナー、雷斗に向けて回復系統の術を放っている。

 近付いてくる自分に気が付いたのだろう、彼女がふらふらとおぼつか無く寄って来た。


「ボンドッツ……あぁ、シャドウ。気が付いたんだね、でも危ないよ、地上で……」

「美代ちゃん、今から詠唱を教える。これはボク達では使えない、妖精族の人たちじゃないと使えない術だ。……今のきみの魔力でこれを使わせるのは酷だとわかってる、だけど、ダークネスを倒すためには、これ以外に手段がないと思う」


 あまりにも真剣な瞳で、美代は小さく頷くとシャドウの体を肩に乗せた。髪に緩く掴まって、立ち上がる。

 ボンドッツは二人を護るよう、魔 弾 盾マジア・シルトを張ったけれど、あまりに頼りないものだった。


「天に住まいし我らが母よ 我に力を貸したまへ 穢れし御霊を打ち砕き 白き光を与えたまへ」


 知らない詠唱のはずなのに、体がふわりと温かくなったような気がした。シャドウが唱えた後から言葉を続けると、ただでも消費して少なくなっている魔力が胸元で集結していくのがわかる。


 言葉が終わると同時に、体の前に白い光る球が生まれた。暖かいそれを両手で包み込めば、知らずに笑みが浮かんでしまう。


「危ない!」


 突如鼓膜に突き刺さったのは、雷斗の声だった。

 ボンドッツが張ってくれていた魔力の壁はダークネスの腕によりあっけなく砕かれ、美代自身は突進してきた雷斗に体を突き飛ばされていた。直撃は免れたらしいけれど風圧で雲が散ったのだろう、ほとんど意識がないボンドッツの体を包み込むようにして落ちていく。

 咄嗟に口を開こうとして、シャドウの両手に止められた。


「詠唱中に、違う言葉を話したら術が完成しない!」

「っ……! 言ってる場合じゃないでしょう!」


 上げた悲鳴に、気が付いてくれたのか。


 岩石の大砲を避けた直後のバーナーがこちらに視線を向け、目を剥いたのがわかった。雷斗はどうにか雲を集結し直そうとしているけれど、落下の速度のせいか体を受け止められずに突き抜けている。

 このままではどうなるか、火を見るよりも明らかだ。


「イフリート、行け!」

『ピャッ……アアアアアアア!』


 使い魔の背を蹴り飛ばし、飛び降りた彼にイフリートが悲痛に満ちた叫びをあげた。

 主人が空を飛べないことは、よく知っている。そんな彼が、ほとんど山の頂きと変わらない高さから躊躇いなく飛び降りたのだ。


「オイラが居れば速度が落ちるだろうが! オイラは死なん、あいつらは死ぬ! 守るべきはどっちだ!」


 紅玉の瞳を鈍く光らせ、翼を折りたたむと風の如く宙を翔けた。雷斗が向かって来るイフリートを見て目を見開いたのが見える、同時に、バーナーへ驚嘆の視線を向けたのも。


 遊炎にあらんかぎりの炎を纏わせてダークネスに向かい突き出すけれど、その切っ先はあっけなく岩肌に弾かれた。反動のせいか体勢を崩した彼は地面に目を向け、半ば諦めたように力を抜いている。

 危うく地面に叩き付けられる直前で雷斗とボンドッツの体を攫ったイフリートは、自身の体を揺らめかせて駆けていく男に目を開いた。


「イフリート! 美代を護れ!」

「雷斗! ブラックと一緒にダークネスの気を引け、セイントに攻撃させんな!」


 体を低くし、獣のように大地を力強く蹴っている黒疾だけれど、バーナーを受け止めるには間に合いそうになかった。


「呆けるな! 術を、完成させろ!」


 地面に全身を叩きつけられる直前に、バーナーが怒鳴った言葉で、美代は目元を強く拭うとダークネスを見据えた。


『天に住まいし我らが母よ 我に力を貸したまへ 穢れし御霊を打ち砕き 白き光を与えたまへ』


 詠唱をし直すと、再び白い光の球が現れる。

 先ほど唱えたもの以上に、白く。強い光を放っているそれを、今度こそ両手で包み込んだ。


「続きを、唱えるよ。ちゃんと、ついて来て」


 喉を鳴らし、小さく頷いた美代の瞳は。

 ただただ、強い光を放っていた。


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